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第十二章 『節 分 』

 任意整理を進める一方、時は止まる事なく前へと進み、年内もあと数時間で新たな年を迎えようとしていた。じいちゃん家では家族が寄って、恒例の紅白歌合戦を視聴しながら、賑やかな年越しを迎えていた。山本家の美点は、例え逆境に置かれても、明るく前向きに人生を生き、新たな可能性を求めて日々前に進む所である。

 紅白が後半に差し掛かる頃、茶の間にはフミのばあちゃんの作った熱々の年越しそばが運ばれ、家族八人で和気藹々(わきあいあい)とそばを食べると、そばと家族の熱気で窓ガラスは結露していた。


「5、4、3……」


 新たな年のカウントダウンが始まり、テレビから除夜の鐘の音が響き出すと、春木の街では、神社からだんじりの太鼓の音が鳴り始める。新たな年の幕開けである。


「おめでとうさん!」


 互いに新年の挨拶をし終えると、子供にとっては楽しみな一大イベントが待っていた。お年玉である。


「それでは皆々様、催促をするようで悪いですが、えー、山本家の子供を代表してオイラが、今年の抱負を言っちゃいますのでよく聞いてください!」


 オイラは立ち上がり両手を開いた。


「おっ、どないしたんや? 新年迎えたらえらい前向きになって」


 言って来たのは務のおっちゃんである。


「まあまあまあ、ちょっとお静かに!」


 オイラは務のおっちゃんに向けて、静粛にとばかりに両手を動かした。そして頃合いを見図らってオイラは話し始めた。


「えー、この山本武、今年の抱負は、去年のお年玉の金額をなんとか頑張って上回ろうと思っておりますので、なにとぞよろしくお願いします」


 これまでのお年玉をくれた平均人数と、今年は一人頭どのくらいくれるのかの計算は、前日に姉ちゃんとそろばんを弾いて、大体の目星は付けていた。しかしアピールする事によって上回る事だってあるのだ。


「なお、只今よりお年玉を受付しますので、用意している方は早く出してください!」

「お前それ抱負でも何でもないやないかぁ~、ほんで催促って言うとったんかいなぁ~、しっかりしとるのぉ~。そやけど武、兄ちゃんから聞いてないか?」

「えっ、何が?」

「今は任意整理で大変な時期やから、今年のお年玉は無しになったのん?」

「えっ、ウソやん? ホンマけ?」


 オイラは面を食らって目を見開いた。父ちゃんの顔を見ると笑っていた。


「ウソやウソや、務がお前を騙しただけや」


 父ちゃんが言った。

 務のおっちゃんの顔を見ると、満足した様子で笑っている。


「もぉ~う、務のおっちゃん。ビックリさせんとってよぉ~っ! 心臓止まるぐらい焦ったや~ん!」


 それぞれの笑顔が落ち着くと、務のおっちゃんは胸元からお年玉袋を出し、ばあちゃん姉妹は割烹着の前に付いているポケットから、じいちゃんは和ダンスの引き出しからお年玉袋を取り出して、それぞれがオイラと姉ちゃんに手渡してくれた。


「あれっ、お母ちゃんらは?」

「持って来てないから、家帰ったらあげるわ」


 実のところ任意整理の事もあったので、今年のお年玉はあまり期待できないと思っていたが、三が日の間には親せきも挨拶に来て、予想以上に多く集まったのだ。しかしオイラはこのお年玉を全額など使った事がなかった。毎年正月が終わるとお母ちゃんが、「ちゃんと貯金しといたげるから」と、端数の二千円程だけ持たされ、後はすべてお母ちゃんに預けていたからだ。親の都合で預金が減っていく魔の貯金である。


 冬休みが終わり学校が始まると、クラスではお年玉で何を買ったかと言う話で持ち切りだった。大多数の男子はラジコンカーやガンダムのプラモデルを買ったと言う中で、一人だけ変わった物にお年玉を注ぎ込むヤツが居た。宿敵タッケンである。こいつは集まったお年玉を握り締めて、近所の寿司屋に一人で出向き、そしてカウンターに座るなり、その握り締めたお年玉をカウンターの上に叩き付けるように乗せ、


「おっちゃん、これでにぎれるだけ鰻にぎってや!」


 とオッサン臭く言ったのだそうだ。寿司屋の大将はその小さな訪問者に、タッケンが納得いくまで鰻を握ってくれたという……。


 一月中旬、ようやく任意整理も終わると、店で売れ残った問屋に返品が出来なかった缶詰などを、スーパーの向かいの倉庫に運び、倉庫の前に並べて在庫処分という形で叩き売った。当分の間はこの売れた利益が家族の収入となった。オイラも学校から帰ると、真っ先に倉庫に顔を出して店番を手伝った。オイラが手伝うと可愛らしい店員さんがいると、倉庫の前を歩く主婦達は、足を止めてくれ缶詰はよく売れた。当然の事である。八幡町のアランドロンとまで言われたオイラが接客を務めるのだから……。

 両親はこの時、巨額の負債が残っている事をオイラには告げなかった。子供に心配を掛けまいとの配慮からだったが、勘の鋭いオイラはその事を肌で感じ取っていた。父ちゃんは後に健康食品の会社を設立してその巨額の負債を返していくのだが、この時のオイラは小学四年生にして腹を括ったのである。(よしっ、オイラが一発当ててなんとかしてやろう)と……。しかし小学四年生が思い付く一発逆転劇といえば、芸能人ぐらいのもんである。この夢は見事に大人になった今でも叶っていないが、しかし幼少の頃から志を大きく持たせてもらえたこの出来事と父ちゃんには感謝している。逆境こそ己を更なる大きな男へと成長させてくれる、人生のハードルである。これが山本家ならではの遺伝子に組み込まれた考え方である。

 そんな日々を送っている最中、学校から帰るとじいちゃんの姿が何処にも見当たらなかった。元々持っている持病が悪化し、堺の市民病院に入院したとの事だった。

 その日仕事が終わり晩飯を食べ終わると、父ちゃんと務のおっちゃんが運転する二台の車で、堺の市民病院に向かった。臨海線を走る時、車窓から見える臨海工業地帯は、現在では工場夜景スポットとして幅広く知られているが、この時分からその美しさは変わらなく、幼いオイラの目に映るその景色は、ライトアップされたシンデレラ城のように映って見え、車に揺られながら姉ちゃんと一緒に声を上げて感動したものだ。

 病院に着くと、オイラ達家族は早速じいちゃんが安静にしている病室に向かった。小さな個室は家族全員が入るスペースがなく、父ちゃんとばあちゃんそして務のおっちゃんから入った。しばらく経って父ちゃんが病室から出て来た。その顔付きはかなり深刻そうな表情をしていた。


「武、じいちゃんが呼んどる。中入って早よ顔見せたれ」

「うん分かった」


 病室に入るとじいちゃんは呼吸器を付けられていて、かなり苦しそうな顔をしていた。


「おう、武、来てくれたんか」

「うん」

「もうちょっと近く来て顔見せてくれ」


 じいちゃんがしゃべる度呼吸器のマスクが結露し、身体にはたくさんの管が通されていた。


「大丈夫、じいちゃん?」

「おう、大丈夫や」


 大丈夫だとじいちゃんは言ったが、いつもの元気な時の覇気がなく、かなり弱っているのが見て取れた。しかしオイラの前では苦しそうな表情をまったく見せず、オイラの顔を見て嬉しそうに微笑んだ。オイラは何を喋っていいのか解らなかった。


「じいちゃんが元気になったら、武、また一緒に一休さん観よか」

「うん。観よ観よ!」


 日曜日になるといつもじいちゃんの膝の上に乗って、一緒に一休さんを観るのが日課だった。


「それとまた一緒に動物園も行こよ」

「そやのぉ~、ほな早よ元気にならんといかんのぉ~」


 オイラがまだ幼稚園の頃、じいちゃんに天王寺動物園に連れて行ってもらった事があった。何日も前からその日を楽しみにしていたのだが、いざ当日になるとじいちゃんの体調が悪くなり、動物園に行くのが延期になった時、オイラはじいちゃんが約束を破ったと腹を立てて怒った。そんなオイラにじいちゃんは、


「これは約束を破った事には入れへんッ!」


 と初めて厳しくオイラに言って来た時の事を思い出した。今考えると確かにじいちゃんの言った通りだが、その時分の幼すぎるオイラは、まだ相手の健康状態とか、そういった事が解らない年齢だった。日を改めて動物園に連れて行ってもらったが、実際のところこの時の思い出は、オイラにとってあまり良くないものだった。というのも活発に動き回るオイラは、じいちゃんから離れてフラフラと園内を歩き回り、西成の飲んだくれのオッサンに追い掛け回され、かなり怖い思いをしたからだ。しかしそのとき遠くに見えるじいちゃんを見付けた時、オイラは走ってじいちゃんに駆け寄った。するとじいちゃんは、


「コラァ~ッ、誰の孫を追い掛け回しとんのじゃァ~~ッ! いわしてまうぞッコラァ~ッ!」


 と、酔っぱらいのオッサンに一喝した。酔っぱらいのオッサンは、


「キャイーン!」


 と負け犬の遠吠えを吐いて宇宙の果てへと消え去った。その時のじいちゃんはオイラにとってスーパーマンに映って見えた。そんな怒らせると鬼のように怖いじいちゃんだが、目の前で呼吸器を付けられベッドに横になる姿は、見ていて胸の奥が悲しくなった。早く良くなって欲しいと心からそう思った。


「じいちゃん、早よ元気になってな……」


 じいちゃんはオイラの目を見て力なく頷いた。


「ほなじいちゃん、また会いに来るからな」

「あぁ」


 オイラは廊下で順番を待つ母ちゃんや姉ちゃんに、面会の順番を譲ろうとじいちゃんに背を向けたが、


「たけし……」


 と力ない声でじいちゃんに呼び止められた。


「なに、じいちゃん」


 オイラは振り返りじいちゃんに尋ねた。


「あのな、武……」


 じいちゃんは苦しそうに話を始めた。

 オイラはそんなじいちゃんの手を握り、じいちゃんの目を見つめ言葉を待った。


「じいちゃんの部屋の机の引き出しに、じいちゃんが戦争に行った時に使(つこ)てた十徳ナイフと徽章(きしょう)が入ってるから、それお前にやるからじいちゃんやと思って大事に持っててくれ」


 まるでもう会えないような言い方をして来るじいちゃんに、オイラは泣きそうになった。


「えっ、なんで今そんなん言うんよ。退院してからじいちゃんが直接くれたらええやんかぁ~」

「そやのぉ~、退院して………」


 じいちゃんは伝えたい事を最後まで言い切らずに、静かに目を瞑った。


「じいちゃんッ! じいちゃんッ! 目開けてよじいちゃんッ!」


 オイラはじいちゃんが息を引き取ったものと焦り、何度も何度もじいちゃんを呼んだ。


「ほんでのぉ~武」


 じいちゃんが再び話し出した。


「和ダンスの引き出しに、お前にやろ思てた森永のミルクキャラメルと明治のポポロン入ってるから、湧かん内に早よ食べといてくれ」

「もぉ~う、じいちゃ~ん、脅かさんといてよぉ~! 焦ったやんかぁ~っ」

「すまんすまん。一回これやってみたかったんや」


 少しでもオイラを楽しませてくれようとするじいちゃんだったが、しゃべる度、やはり身体は辛そうだった。

 それから日を改めて数回病院に足を運んだが、じいちゃんは退院する事なくこの世を去った。

 昭和五七年二月三日の事である。


「鬼は外! 福は内!」


 享年六六歳『鬼の喜作』は、節分の日に天国に召され、『仏の喜作』となったのである。


      挿絵(By みてみん)

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