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第十一章 『人生の虎の巻 第一幕』

 十一月に入り次第に街並みも冬支度を整え出す頃、オイラは子供ながらに家族の深刻な雰囲気を感じ取っていた。最初はそれが何を意味するのか分かりもしなかったが、日を重ねる内にそれがどういった事か理解するようになった。子供に余計な心配を掛けないでおこうと家族は努めていたようだが、スーパーの経営が上手く回っていない事をオイラは知っていた。

 夜遅くに父ちゃんとじいちゃんが深刻な顔で話しをしては、意見の食い違いでよく言い争っていた。今考えればあれは経営の事で言い争っていたのだと思う。

 それまで父ちゃんの経営するスーパーは業績を伸ばし、春木の街にスーパーを三店舗増やしていた。二号店など駐車場を含めると三百坪の面積があり、時には芸能人などを呼び寄せては活気ある企画を催し、年商も三店舗で十一億と、当時のお金の価値にすればかなり大規模な商いをしていた。だからといって仮にこのまま順調に業績を伸ばし続ければ別だが、オイラ達家族が贅沢な暮らしをした経験など一度としてなく、ごく普通の昭和にありがちな暮らしをしていた。

 その理由は、朝ドラでもよくある話だが、何も無い所から一念発起して企業を立ち上げるのは、安定に乗るまでは家族一丸となって金銭を節約し、やり繰りして行かければならないもので、うちのスーパーも事業を拡大してこれからという時期だった。なのでオイラの記憶にある中でも、家族旅行など一度もした事はなかった。唯一あるといえば社員旅行に便乗して、オイラ達家族を二回ほど旅行に連れて行ってくれたくらいである。おもちゃも一度買ってもらった事はあったが、それっきりなものだった。しかしそんな事はオイラにとってどうでもよかった。家族がいつでも笑顔でいられればそれで十分だった。

 その昔、かつてじいちゃんはそろばん一つ携えて、岡山県から一人自転車で岸和田へと上阪して来た。そんなじいちゃんは、元が無い所から商売を初め、元が無いから『元無屋(もとなしや)』と、まるで笑点の大喜利のような語呂合わせで屋号を付けて商いを始めた。

 じいちゃんとは別に、父ちゃんもゼロからのスタートで商売を学び、そして商いを始めた事から、じいちゃんの屋号をひらがなに替えてスーパー『もとなしや』と社名を付けた。


 十二月に入ると気温も次第に低くなり、十二月生まれの割に寒がりのオイラにとっては、家族以上にコタツの温かさかはありがたく、コタツの上に置いてあるミカンを摘みながら、テレビを見る事がしばしば増えた。そんなコタツ好きなオイラが、夜一人でテレビを見ていると父ちゃんがやって来て、


「武、ちょっとテレビ消して父ちゃんの話し聞いてくれ!」


 と深刻な表情をして言ってきた。


「どないしたん?」


 オイラはテレビの電源を落とすと、正面に腰を下ろした父ちゃんの方に向き直った。


「うん。実はな……」


 父ちゃんは力のこもった声で、一つ頷くと話し始めた。


「あんな武、もうなんとなく感じてると思うが、最近店が上手いこと行ってないんやが──」


 いつになく真剣な表情で話して来る父ちゃんの目を見つめ、オイラは黙って父ちゃんの話を聞いた。


「その理由はお前も解っての通り、店の周りが工事してるやろ、あの工事でお客さんが店に入られへんのやが、あの工事は一号店だけやなく、二号店も三号店も、三店舗とも工事に囲まれとってなぁ──」


 父ちゃんは眉間にシワを寄せた。


「あんな店の入り口から周りからみな工事で封鎖されてもたら、お客さんが危なぁ~て入ってこられへんのや」


 実際じいちゃん達が住んでいる、オイラが毎日のように出入りする、下のスーパーの入口の前は道路が狭い上に、封鎖状態で客が入れないのをオイラは毎日見ていた。重機などが入口のすぐ手前で忙しなく動いているのだから、主婦は勿論の事、子供連れの主婦などは危なくて入れないといった状態だった。


「まあそれで売り上げが落ちてるんやが、あの工事始まってもう何か月もなるやろ、ほんであの工事は岸和田市のぽっとん便所から水洗便所に替える工事でな、困った事に年間計画で工事するみたいなんや」


 子供のオイラにでもそれが何を意味しているのか解った。オイラは黙って父ちゃんの目を見つめた。


「ほんでな、父ちゃん岸和田の市長に何らかの保障ないし融資を頼みに行ったんや」


 岸和田市の市長は、この当時、原 昇さんだった。


「ほんなら岸和田市は何の保証も一切してくれへんかったんや」


 本当にこれは酷い話である。年間で三店舗とも店の周りの道路を封鎖された状態でお客さんが入って来れないという事は、オイラ達家族に首を括れと言っているようなものである。子供ながらにこのとき原 昇という市長に憎しみの念を抱いた事は忘れもしない。


「ほんでな武、このまま店続けても利益上がらんと借金ばかり増えていく一方やから、そんなんもあって店畳む事にしたんや」


 最もな話である。乾物や缶詰など日持ちのするものはいいが、魚や青物など鮮度を売り物にする食品など、売れなければ捨てなければいけないので、毎日の仕入れがお金をドブに捨てているような物なのである。その上従業員にもお金を支払わなければいけないのだから、お客さんが入らずして経営は成り立って行かないのは然る事ながら、この状態で日が伸びれば伸びるほど負債は増して行く一方だった。


「畳む言うても倒産ちゃうど、お前にはまだ解れへんと思うけど任意整理いうんやけどな」


 子供のオイラにとって、任意整理と言われてもピンとこなかった。しかし任意整理した所で今この状態で店を閉めれば、数億という巨額の負債が残るのは事実だった。


「実際ここまで順調に来てこんな形で店閉めるんは父ちゃんも悔しい、これを不運と言わずして何と言うか父ちゃんも解らん。しかしな武、父ちゃんはこの現状なってこれまでの事を見つめ直してよう考えたんや。そしてこの歳なって気付いた事があるんや! 何かと言うと、これが不運や言うんやったら、ほなら運不運の運の方、つまり幸運の方を自分で引き寄せる事は出来へんかったんかと……」


 小学四年生のオイラにとって、今父ちゃんが言ってくれている事、そしてこれから言ってくれる、父ちゃん自身が人生の半生をかけて気付いた事は、お金では買えないすごく価値のある物だとオイラ自身感じていた。


「そんな幸運を自分で引き寄せる事なんて出来るんけ……?」


 父ちゃんの目を真っすぐ見つめオイラは尋ねた。


「うん。出来る!」


 父ちゃんの目はこれから任意整理しようと沈んでいる目ではなかった。むしろ人生においての確信を得た、これからに向かって未来を切り拓いて行く、自信に満ち溢れた少年のような生き生きとしたそんな目をしていた。父ちゃんの背後の壁には、福沢諭吉の『あなたを幸せにする五つの心』の額縁が掛けられてあった。


       挿絵(By みてみん)


「武、運とは何やと思う?」

「運け? う~ん。ラッキーとかそんな事け?」

「そやなぁ~、ラッキーな事も運が良うなかったら起こらへんもんなぁ~。そやけど父ちゃんが理解した運とは、徳の事やと思てるんや! 徳いうても、得する損するの得やないぞ。徳とは人徳の徳や!」

「人徳の徳?」

「そや、人徳の徳や! ほんでな、この徳を掴もうと思ったら、人は二つの事を得なあかんのや。それは何かと言うと、一つは知恵を付けらなあかんのや!」

「知恵?」

「そう、知恵や! ほんでもう一つは力を付けらなあかんのや!」

「力?」

「そう、力や! そやけど力いうても腕力とか暴力の力ちゃうぞ。表現力の力や!」

「表現力け?」

「そう、表現力や!」


 そう言って父ちゃんは、ノートを千切って次の事を書いてくれた。


挿絵(By みてみん)


 そして知恵と書かれた箇所に指を当てると、知恵について説明してくれた。


「ええか武、この知恵いうのはどうやって身に付くかと言うと、まず、人・金・物・時間を自分なりに活かす事が大事なんや!」

「自分なりに活かす?」

「そう、活用するの活や! 簡単に言うと、例えば物やったら、ここに捨てよと思とったラジカセが有ったとする。それを捨てるのは簡単やが、これを中古屋さんに持って行って安い値段やけど買い取ってもらえたら、物を活かし、お金を得、次にそれを買って使った人は喜び、活かされた事になれへんか!」

「あぁ~なるほど!」

「そうやって自分なりに人や物やお金や時間を活かす事によって、知恵というのは自然と身に付いて行くのや!」

「ふ~ん」


 言われてみれば確かになるほどと思った。簡単なメカニズムだが、このメカニズムを知っているのと知らないのでは、意識して行うのと無意識で行うのとの差が、結果として違ってくるように思えた。


「次に力やが、さっきも言うたように力は何も腕力の力や暴力の力ではないんや。力とは表現力の力を意味するのや。解り易く言うぞ! 徳を掴む上で次に大事な力は、人は生きて行く上で必ずしも人との関わりが重要となってくる。ましてやそれが目標を持って成功を目指して行くならば尚の事、人とのご縁が重要になって来るんやが、このとき人に自分の伝えたい事を100パーセント伝えられへんかったら物事は上手く回って行けへんのや。だから力とは、自分の考えを相手に伝える力、すなわち表現力の力が大事なんや! そしてその表現力の力は、行動力の力とも比例するのや! もっと解りやすく言うと、小手先だけの言葉で相手にものを伝えようとしても、行動力が伴ってらんと説得力もないし、また言葉だけで物事は成就せんのや! 行動力と言うものが備わって初めて物事は上手く回って行くのや!」

「うん。なんとなく分かった」

「まあ今はなんとなくでもええ。父ちゃんが四十年かけて確信した事を十才のお前に言うてるんやから、今はこの原理原則を知ってるだけでもええ!」


 父ちゃんは納得するように一人頷いた。


「さあ、いよいよ次は人徳の徳の話しやが」

「よっ、待ってましたぁ~!」

「茶化すなぁ」


 小さく笑いもって父ちゃんがツッコんだ。そして笑顔からまた真剣な表情に戻ると、父ちゃんは話を始めた。


「運を得る為には、この人徳の徳を得なあかん。それは一言でいって相手を喜ばすという事やが、ただ単に相手を喜ばすんやなくて、相手をちょっと喜ばさなあかんのや」

「ちょっとってどういう意味よ?」

「さあそこやが、これは今のお前にはちょっと難しいかも知れんが、人間は一言でいうと経験して行く動物なんや。この経験をへて嬉しい事、悲しい事、腹の立つ事や様々な体感をして成長して行くんやが、例えば目標を立ててそこに行き着くまでに色々な経験をして体感して行く事が、人間が生まれて来た事の意味を見出す一番の肥やしとなる訳やが、言い方を変えれば、目標がお金持ちに成る事やとしよ。そしたらその目標を達成した時にお金がたくさん貯まりました。しかしお金が貯まるまでに様々な苦労する事や嬉しい事や悲しい事があってこそそこに行き着いた訳や。その行き着く一つ一つの過程がお金では買えん人が体感できる瞬間なんやけども、これを一から十まで自分がやったって、相手が経験出来へんかったら相手は体感で出来へんやろ? だから相手が体感出来るようにきっかけをちょっと与えてあげる程度、喜ばしてあげる訳や。勿論そこには相手の事を心から思い、愛を持って喜ばしてあげらなあかんのやけどな」

「心から愛を持って……」

「そう、そやないと相手には伝われへんのや。それとこれまで言って来たこと全てをこなして行くには、やはり肉体が健康でなければいかん。行動力一つとってみても、やれ身体が痛いとか、今日は体調が優れんとか言うてるようでは本当の意味での行動は出来へんやろ。だから常日頃から己の肉体も鍛え健康でなければならんのや」

「う~~ん。わかったような、わからんようなぁ~」

「まあ今はその程度でええよ。そやけどこの相手を喜ばすという事で、見返りを求めたらあかんのやぞ! どういう事かと言うと、武は持ちつ持たれつっていう言葉を聞いた事あるやろ?」

「うん。ある」

「この持ちつ持たれつは、相手にこうやったったから今度は自分がしてもらうんじゃなくて、人間は常に持ちつ持ちつの精神で生きて行かなあかんのや。持たれに行く必要はあれへん。そんなもんは気が付いたら自然と相手が返してくれてるもんや!」


 なるほどと思った。まあでもオイラの場合は自分で言うのもなんだが、結構甘えたちゃんな一面もあるので、自分に厳しく持ちつ持たれず! の精神で行った方がよさそうだと改めて思った。


「ええ機会やからこれも教えといたる。ええか武、これまでの事を活かしてお前がこれから人生を生きて行く上で、もしも物事に行き詰まったら、この言葉を思い出せ! それは何かと言うと、因果応報という言葉なんやけど、この因果の因は原因の因、因果の果は結果の果、応報の応は応用の応、そして応報の報は(むく)われるという字なんやけど、ようは物事には全て原因と結果があり、この結果というのを成功なり目標なりに置き換えて考えてみると、最初から目指す結果が解っているんやから、その結果、つまりここでは目標とするならば、その目標に対する原因となるもの、つまり目標に行き着くまでの過程を応用する事によって、きっと報われますよというように、逆手に物事を考え成功を手にして行かなあかんのやぞ!」

「うん。解った」


 この時オイラは、今父ちゃんが言ってくれている事は、生きて行く上ですごく大事な事を教えてくれているのだと本能で感じ、そしてまた、もしもこの話を今後必要とする人が現れたならば、その時の為にしっかりと記憶し、また紙に書いておこうとも思った。


「とまあ父ちゃんは、今回店がこんな状態になったからこそ。こうやって気付けた事もあったんやが、だからこそ父ちゃんは今こう思てるんや! この現状が確かに不運と呼べる現状やったとしても、これまでにもっとお客さんを喜ばしていたならば、これまで以上にもっと腹の底からお客さんが喜んで店に買いに来る商いを父ちゃんがしていたならば、きっと父ちゃんが岸和田の市長に掛け合いに行かんでも、お客さんの方から岸和田市に問い合わせて、もとなしやさん所に買い物に行かれへんと、抗議の電話の一つも入れてくれとったかも知れんと思とる! ほんでな武、今回の事でこうして気付いたからこそ父ちゃんは、次は成功すると確信しとるんや! こんな話があるんやが、『勝利の女神がやって来たら前髪を掴め! そしてしっかりと掴み離すな!』と、普通人はこう言うんやが、ほならもしも前髪を掴めんかったらどうすると思う?」

「わかれへん」

「父ちゃんはこう思てるんや! 掴まれへんかったと気付いたら、今度は振り返って勝利の女神の後ろ髪を掴め! そして今度こそ離すな! と、何事も気付いてからでも遅くない。むしろ気付いたからこそ本当の意味での成功を手にする事が出来る。と思とるんや!」


 この時オイラはまだ十才だったが、父ちゃんが言ってくれた事を自分の物とした。同時に頭の中にこんな事も浮かんだ。


「そやけど父ちゃん。もしもその掴んだ後ろ髪がカツラやって、スッポっと取れたらどうするんよ?」

「その時は左手でハゲ頭を掴め!」


 笑顔で父ちゃんが言った。そして父ちゃんは最後に、


「成功してる人の多くは、成功するまで諦めへんかった人が、最後に成功を手にしてるみたいやぞ!」と、力強く言ってくれた。


 コタツの温もりよりも、父ちゃんの話の方が熱い、そんな夜だった……。

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