其の五 綺麗なお姉さんとカーネーション
そんな事があってから、先程の信号も無事に横断して花屋さんの前に着くと、花屋に入る前に、修ちゃんが被っている帽子を借りて花代をみんなから集めた。帽子の中にはみんなが出し合ったお小遣いが、小銭ばかりで全部で五百二十円しか集まらなかった。これで本当に花が買えるのかとちょっと不安になった。花屋に着く前に駄菓子屋に寄ったのは、やはりまずかったなと少し後悔した。
こんな事なら、
(家の仏壇に供えてある花でも、新聞に包んで持ってくればよかったかなぁ~)
とも思った。だが自分んで言うのもなんだが、こんな時オイラの良い所はあまり悩み過ぎない所である。なってしまったものは仕方がない。悩む暇があるのなら、次にどうするかをいつも考えるのだ。お母ちゃんから言わせれば、
「あんたは開き直りが早い」
とよく言われるが、とにかくオイラは立ち直りが非常に早かった。
つい先日も、じいちゃん家にある百万円もする(正確には値切って半額以下で買った)仏壇の、何段にもなったひな壇のような棚の両脇に、一つずつ、長い脚の付いた皿の上に、それはそれは神々しく輝く和紙に包まれたおまんじゅうが、まるで、
「日持ちするけど、早く食べた方が美味しいですよぉ~」
と言わんばかりにお供えしてあった。
オイラは仏壇の前に座り、チーン! してから手を合わすと、その神々しく輝くおまんじゅうをペロリした。
誤解しないで頂きたい。
勿論、先祖の皆さんにはきちんと「いただきます」と言って、ちゃんと了承(一人二役でご先祖様の声を真似た)を得てから美味しく頂いた。
問題はここからである。
食べ終わった直後にある重大な事を思い出したのだ。それはお母ちゃんがオイラと姉ちゃんに、
「二つあるからお下げした時に、あんたら二人で、ケンカせんと一つずつして仲良う食べるんやで」
と言っていたのである。
いまだに仏壇には丸められたティッシュが、和紙に包まれて元の形のまま供えられている。勿論この事を知るものはオイラ以外に誰もいない。バレないような工夫もちゃんとしておいた。和紙を開くとティッシュにはマジックで、
『うまかった。せんぞのみなでよろこんでいる』
と、覚えたてのひらがなで書いておいたのだ。
名付けて、『知らぬ間に、ご先祖様が召し上がった作戦!』である。
とにかくこの時も、ほんの一瞬花を買うのにお金が足るかどうか不安になったが、即座に良い考えが浮かんで来たのである。
名付けて『小学生を前に出し、お世辞大作戦!』である。
説明すると、これはもしもお金が足らなかった際に、お店のお姉さんに、
「あのぉ~、綺麗なお姉さん、この金額でどうにかなりませんか……?」
と、小学生のかわいらしさを前に出し、お世辞を加えて頼み込んでみるといった作戦である。みんなには店に入る前に大体の説明はしておいた。そして店に入る前に確認の為、オイラは入口のガラス越しに顔だけ出して中を覗いてみた。するとあってはならない事態が店の中には待ち受けていた。綺麗なお姉さんどころか、ハゲ散らかした頭のオッサンが、オイラの目の前に立っていたのだ。これは作戦失敗である。もしもこのまま店に入っていたら、応用の利かないリュウちゃんの事だから、きっとそのオッサンに向かって練習した通り、「綺麗なお姉さん」と言っていたに違いない。綺麗どころか残念な頭である。
(あぁ~、これはもう一度作戦を練り直さなくてはいけないなぁ)
と、顔を引っ込めた矢先、その残念な頭のオッサンが入口の扉を開いて出て行った。
「ありがとうございました」
中から風鈴のような透き通った女の人の声が聞こえた。
残念な頭のオッサンはお客さんだったのだ。てな訳で作戦は断続実行する事になった。
「いらっしゃいませ」
入口の所に姿を現し、店の中に一歩足を踏み入れた時、また風鈴のような涼しい声が聞こえた。その声の方向に目を向けてみると、作戦が実行される前から失敗に終わる可能性が非常に高い事がわかった。それはオイラが美人に弱かったからだ。いらっしゃいませと声を掛けて来たその美しい声の持ち主は、お世辞など必要ないくらい本当に綺麗なお姉さんだったのだ。
どれほど綺麗なお姉さんかって?
強いて言うなら、まだこの時のオイラには作り方こそ解らなかったが、
(このお姉さんならオイラの子を産んでもらいたいなぁ~)
と思ったほどだ。
「あら、可愛らしいお客さん達だこと」
いつの日かオイラの子を産むかもしれない綺麗なお姉さんが言った。
作戦通りに行くならば、
『あのぉ~、お姉さんのような綺麗なお花をください……』
これは本来オイラが言っていなければいけない言葉だ。ところが美しいものにめっぽう弱い性格のオイラは、緊張のあまり、
「あっ、あっ、あの、あっ、あのぉ~」
と、お前は『あのあの星人かッ!』とでもいうような、イケていない言葉を連発してしまった。
背後に冷たい視線を感じた。
「ぼく達はどんなお花が欲しいのかな?」
朝の幼児向け番組ピンポンパンの司会のお姉さんのような、聞いているこちらがうっとりしてしまうような甘い話し方で、お姉さんがオイラ達の目線に合わせて屈んで尋ねてくれた。
『お姉さんのような、この世に一輪しかない綺麗なお花ぁ~っ!』
勿論これも作戦実行イメージだ。しかし出て来た言葉は、
「おっ、おっ、お姉さんの、花、花、花びら」
目の前のあまりにも近い位置にあるお姉さんの美しい顔に、照れ恥ずかしい気持ちからつい固まってしまい、思わず下を向いて目を瞑り、俯き加減になってしまいながら、思うように伝えたい言葉が伝えられず、しかも肝心な『お花と』いう部分が、『花びら』になってしまった。
目を開けてもう一度正面を向くと、お姉さんの顔が何故だか分からないが予想を遥かに上回る
(ぎょっ!)
とした険しい顔になっていた。意味不明なオイラの言葉に、後ろに居た四人が背中を拳で小突いてきた。
険しい顔のお姉さんが、気を取り直してもう一度わかりやすく、店の中を見渡すようにして聞いてくれた。
「その欲しいお花はここにあるのかな?」
とりあえずオイラはうんうんと頷いて、家の仏壇に供えてあるのと同じ黄色い花を指差した。
「菊の花が欲しいの? ぼく達お墓参りにでも行くのかな?」
オイラ達は首を横に振った。
「ううん、お見舞い」
オイラの代わりに修ちゃんが答えてくれた。
「じゃあその花じゃダメだわね。お見舞いなら、このバラやトルコキキョウ ──」
お姉さんはオイラ達に解りやすく、ゆっくりと指をそれぞれの花に向けて教えてくれた。
「── それにカスミ草、ヒペリカム、あとガーベラなんかもいいわね」
お姉さんの顔に見惚れながらも、お姉さんが花の方向に指を差すたび、チラチラとその方向にオイラ達は目を向けた。ピンクや淡いオレンジなどの可愛らしいお花が目に留まった。
「お友達のお見舞いなの?」
お姉さんの質問に、みんなして首を横に振った。
「いえ、先生です」
そろばんが言った。
「お母さんみたいな」
リュウちゃんが付け加えた。
「へぇー、そうなんだ」
感心するように頷きながらお姉さんが言った。
「ところでぼく達、予算はどれくらいなのかな?」
オイラ達に何か一つ尋ねてくれる度、お姉さんの美しい顔がやさしく斜めに傾いた。
オイラは、
(花代が足りればいいのになぁ~)
と少し不安な気持ちを抱きながらも、手にしているお金が入った修ちゃんの帽子ごと、お姉さんに託すような思いで差し出した。ジャラジャラと小銭が擦り合う音がした。
お姉さんは、
「ちょっと数えらせてもらうわね」
と言ってオイラから帽子を受け取った。
渡す時に、お姉さんのスラーっとした綺麗な長い指がオイラの指に触れた。
(あっ、オイラ妊娠したかも……?)
密かにそんな事を思った。
『するかァ~ッ、しかもなんでお前の方やねん!』
(えぇ~、僭越ながら読者を代表して、著者自ら、幼き日の自分にツッコんでおきました。あしからず……)
お姉さんは帽子の中のお金を一旦台の上にぶちまけると、
「一・二・三・四……」
と百円玉から数え始めた。
「……50・51・52。全部で520円あるわね」
数え終えた直後に、お姉さんは片方の肘を手の平で掴み、もう一方の空いている指を自身の顎に添えると、う~~ん。と何やら考え始めた。そしてほんの僅かな時間考えに耽っていたお姉さんが、何やらある考えに行き着いたのか考え中のポーズを解くと、またオイラ達と同じ目線になるように、屈み込んで話し始めた。やさしい顔だった。
「あのねぼく達、ぼく達がお姉さんに見せてくれたお金なんだけど、この金額で花束を作った場合、とても見窄らしい、あっ、ごめん。見窄らしいって言っても解らないわよね。えぇ~、こういう場合なんて言ったらいいのかしら、えぇ~っと……」
「ちゃっちいって事ですか?」
言葉に詰まっているのを見てそろばんが言った。
「そう、それ! だからね、ハッキリ言うとみんなには残念なんだけど、この金額で花束っていうのはちょっと無理なんだな~」
お姉さん以外のオイラを含む全員が、がっくりと項垂れて溜息を吐いた。
「そこでね、これはお姉さんの提案なんだけど ──」
お姉さんの言葉を耳に、オイラ達の顔がパッと華やぎ、それぞれが微かな希望を抱いて一斉に顔を上げた。
「── ここに花束にするにはちょっと少な過ぎるカーネーションが、ちょうどぼく達の人数と同じだけあるんだけど ──」
全員が一斉にお姉さんが指差す方向に目を向けた。そこには淡い色をしたピンクやオレンジ、そしてイエローやミントグリーンなどのかわいらしいお花が五本、水の張った桶の中に浸されてあった。
「── これを一本ずつお姉さんがラッピングして、一人一本ずつ持って行くっていうのはどうかなぁ~。とお姉さんは思ったんだけど、ぼく達はどうかな?」
一本ずつ渡すというのが、花束で渡すのとどう違うのかオイラ達には分かりもしなかったが、お姉さんの言う事に間違いはないと思い、オイラ達は嬉しそうに頷いた。
「そのカーネーションという花ならお金は足りるんですか?」
さすがはそろばん、数字に関して逸早く反応した。
「本当はちょっと足らないんだけど、このままここに置かれてるより、ぼく達のような先生思いの可愛らしい生徒さんに貰われて行く方が、お花もきっと嬉しいと思うの」
(貰われて? 買われての間違いじゃないのかなぁ~?)
ほんの一瞬そう思ったが、学校の授業で先生の話が右から左に抜けて行くように、この疑問も頭の中に居座る事なく右から左へと抜けて行った。
「このカーネーションっていうお花はね、母の日なんかにお母さんにプレゼントするお花なんだけど ──」
優しい笑顔でカーネーションの説明をしてくれるお姉さんに、みんな真剣な表情で聞き入った。
「さっき誰か言ってたよね。お母さんみたいな先生って。今日は母の日って訳じゃないけれど、みんなのお母さんのような先生なら、きっと喜んでくれるとお姉さん思うなぁ~」
左手で肘、右手で顎をまた掴んで、お姉さんは想像するように少し上向き加減に言った。
「お姉さん昔ね。学校の先生になりたいなぁ~って思った頃があったから、なんだかその先生羨ましいなぁ~。もしお姉さんがその先生だったら、みんながお見舞いに来てくれて、一人ずつカーネーションを手渡してくれたら、感動してその場で泣いちゃうかもしれないな」
物凄くやさしい表情で、オイラ達に解りやすく話してくれるお姉さんは、正木先生のような温かい面影を持っていた。
「でもお金が足らないのにいいんですか?」
しっかり者のそろばんが訪ねた。
「いいの、いいの、そんなこと気にしなくったって、その方がお姉さんも嬉しいし、お花も嬉しがるだろうし、それにみんなも喜んでくれるんだったらお姉さん張り切ってサービスしちゃう」
お姉さんのやさしさに溢れるその言葉に、
「やったぁ~!」
と、皆して顔を見合わせながら喜んだ。
それからすぐにお姉さんはラッピングに取り掛かってくれた。出来上がるまでオイラ達は、店内に陳列されてある様々な花を観察しながら、お姉さんの作業が終わるのを待っていた。
「はい、それじゃあこれ!」
出来上がったラッピングされたカーネーションを受け取ると、お姉さんが一人ずつに、
「ジャジャーン! お姉さんからのお小遣いでーす。あとでジュースでも買って飲みなさいね」
と言って百円玉を一人ずつに手渡してくれた。この頃は百円玉一枚で自動販売機のジュースが買えた時代だったのだ。
「あっ」
この時になってやっと気づいた。先程お姉さんが言った「貰われて」という言葉はこの事だったのだと……。
「お姉さんありがとう」
それぞれがお姉さんにお礼を言い終えると、オイラは親切にしてくれたお返しに、
(お姉さんに熱いチュウでもしておこうかなぁ~?)
と思ったが、残念な事にそれを行動に移す勇気を、アリさんの鼻クソ程も持ち合わせてはいなかった。
「それじゃあぼくたち車に気を付けてね」
お姉さんに見送られ、皆して手を振り返す中、オイラは密かに瞬間湯沸かし器のような叶わぬ恋を胸に抱き、
(お姉さん、大きくなったらきっと迎えに来るからね……)
と、明日になれば恐らく忘れているであろう誓いを胸に、オイラ達は花屋を後にした。