其の十三 夢実現に向かって!
祭りに参加していない辛いこの二年間を振り返ってみると、祭りだけではなくBARの事や彼女の事など様々な出来事があった。しかし自身にとっての辛い境遇でも、人生においては素晴らしい経験だとも言えた。人は何事も経験し、感受して成長して行かなければならない。自身に降りかかる境遇は、天から与えられた進化の為の試練なのだとこのように思う。そんな自身の進化の為の宝のようなチャンスを見す見す逃すのはアホである。どんな辛い事でも常に心の鎧を脱いで、ドMと言われるぐらい体感しなければ訪れたチャンスをものに出来ない。逆境やその人に与えられた境遇は、その人の欠如している部分を補うチャンスなのである。その事に気付けば、生き方から運命を引き寄せえる事だって可能なはずだ! と、ニーチェ武はこのように思っているのだが、この年の祭りもまた更なる運命を引き寄せてしまう事になるのだ。
八月に入ると去年と同じく、祭り前の寄り合いが行われ出すのだが、そんな頃一本の電話が入った。今回は瀬尾である。瀬尾の話しによると、大工方と後ろ梃の親睦を深める為、とあるパチンコ屋の駐車場脇にある喫茶店二階の居酒屋で、これから親睦会が開始されるというのだが、ピロシ達がオレには連絡を回すなと言っていたらしく、オレと馴染み深い瀬尾は逸早く知らせの電話を入れて来てくれたのだ。
「そうかわかった。よっしゃ! 今から乱入したる! ありがとな瀬尾!」
去年の取り決めでは後ろ梃に残るなら参加してもよいとの事だったので、こういった嫌がらせは許せなかった。武士の一分である。それにしても小学生のイジメのような事をしてくるアホな年上に、オレは心底頭に来ていた。こちらには大義名分もあれば、怒れるキッカケが出来きた事にむしろ喜びを感じていた。久々のケンカである。まずは思う存分ピロシをドツキまわしてやろうと拳が鳴った。歳が四つ上であろうが大工方の責任者であろうが関係なかった。シバク、の、その一言である。ここ二年間の積年の恨みがこもっているので、眠れぬ獅子が復活するのである。ピロシ以外にも恐らく年上連中がかかって来る事も計算に入れていた。何人、いや何十人いようが無敵のタケッちゃんである。但し、どこまで行っても二十歳を越えて暴力沙汰を起こせば、警察に走られパクられる可能性がある事も理解していたが、もうすでに覚悟を決め腹は括っていた。誤解のないように述べておくが、オレは元々ただのピンク好きな平和主義者である。⦅自身に降り掛かる火の粉を払う時や、大切な人を守る時にだけしかケンカはしないのである。決して己から人に暴力を振るう男ではない事をご理解いただきたい⦆
ピロシ一人ごときに武器は必要なかったが、複数を相手にする可能性も考えて、一旦家に戻り木刀を握り締めた。その途端、桃太郎侍の口上が頭の中に浮かんだ。右手に握り持つ木刀を掲げ、
「ひとぉ~つ、人をハメ己の保身に走り、
ふたぁ~つ、不埒な悪行三昧、
みっつ、醜い祭りのチンカス野郎を、成敗してくれよう、武太郎!」
(決まったぁ~っ!)
「ってこんなアホなこと言うてる場合ちゃうわ、早よ行こ!」
そしてオレは車に乗り居酒屋に向かったのである。
駐車場に着くと木刀を手に取り足早に居酒屋に向かった。居酒屋に続く一階フロアから伸びている大階段を上り、入口のドアを勢いよく開けた。廊下の左右にはそれぞれ襖で仕切られた各宴会場があり、見渡す限り何処で飲み会を行っているのか解らない。
「コラァ~ッ、ピロシッ! 出て来いッ!」
その声に反応してそれぞれの部屋の襖が一斉に開いた。オレの怒りに満ちた眼が各部屋の中を見渡した。右斜め方向の部屋に目的の者達がいた。
「表出て来いッ、ピロシッ!」
「なんやとコラァ~ッ!」
皆の手前、粋がった声を上げてピロシが立ち上がると、続いてピロユキ、更には腰ぎんちゃくの新出も後に続き、後ろ梃の連中達も続々と二階の踊り場まで出て来た。十五人組の幹部達はその場にいなかった。大工方が、現役で後ろ梃を持つ若手との親睦会のようだった。オレの怒りの雄たけびと武装した身なりから、腰ぎんちゃくの新出が点数稼ぎに止めに入ろうとオレに掴み掛かって来たが、まずは新出の顔面に上段回し蹴りを一発食らわせるや否や、
「コラァ~ッ! 中途半端に止めに入ってオレに少しでも触れたら、後でそいつら一人ずつゆわしてまうからなァ~ッ!」
オレが改めて吠えると、オレの迫力に恐れをなしたのか、それから以降誰も止めに入る者や口を挟んで来る者さえいなかった。これで木刀を使う必要がなくなった。
「オイッ、駐車場まで下りて来いッ!」
店の前では迷惑が掛かるので、後ろ梃共々速やかに駐車場に移動した。オレとピロシが対峙している周りでは、これから何が起こるのかと皆が心配の面持ちで見守っていた。
「コラァ~ッ、ピロシッ! お前オレに連絡は回すなとかぬかしとったらしいのォ~ッ!」
ここでオレは木刀を投げ捨て、ボキボキと拳を鳴らした。
「いやっ、そんなん言うてな……」
口を開くや否や言い訳じみた事をぬかしかけたので、まずは右拳で顔面に一発。
「ウソ吐くなッ、コラッ! もう解っとんのじゃッ!」
更に左右の連続パンチの後に、前蹴りで鳩尾に一発。お腹を押さえて屈んだ所に顔面膝蹴り、唸って膝を突いた所に顔面回し蹴り、この地点でピロシは戦意喪失。
「オイッ、ピロシ、お前正座せえッ!」
正座するのに躊躇したので、顔面にもう一発蹴りを入れてやった。
「オイ、早よせなもう一発蹴るぞ!」
そこは優しく言っておいた。理由もなく二年に渡りコイツの前で正座させられたのでこれくらいは当然の事である。ピロシは即座に正座した。
「オイッ、ピロシッ、お前一昨年の乱闘騒ぎで誰がモメごと起こしたかここで言うてみぃ!」
「えっ」
「え、とちゃうやろッ! オレがモメたんかいッ!」
「いやっ、それはそのぉ~」
煮え切らないのでもう一発顔面に蹴りを入れておいた。
「オレがモメごと起こしたか聞いてんじゃいッ!」
「いや、起こしてない……」
「そやのにオレがモメごと起こした張本人や言うて、大工方辞めらしたのは何処のどいつやッ?」
「僕です……」
「聞こえへんわ! ハッキリぬかさんかいッ!」
言葉と同時に平手で頭を叩いておいた。
「僕です!」
姿勢を正してピロシが言葉を吐いた。
「ほてどないすんじゃッ! オレがモメごと起こした張本人ちゃうかったら、オレは大工方戻ってええねんなァ~ッ!」
するとピロシは、
「今さら戻られたら俺ぇ~、周りに示しつけへんし……」
と、とんでもない暴論を、いかにも正論っぽく真剣にピロシが答えた。
「お前一回あの世観て来い!」
最後に一発顔面に蹴りを入れておいた。正直ここまでボコボコにしておいて祭り自体に戻れるとは思っていなかった。そこは当然腹を括っていたのである。
残すはピロユキ一人である。頼りない責任者のピロシを陰で操っていたピロユキに対して、本当のところオレは腹の底から煮えくり返っていた。これまでの事を思い返しても、直接オレに嫌がらせをして来たのはピロユキの方である。しかし責任者にケジメをとるのが筋だと判断し、先にピロシをシバキ上げたのである。
次はピロユキの所に歩いて行き、ヤツが座っている所に顔を近付けた。するとご機嫌を取るような事を言って来たが、オレは返事をしなかった。いや、殴りもしなかった。責任者にケジメをとるのは大義名分も立つが、コイツまで手を掛けるとそれはただの暴力でしかないと思ったからだ。それよりもオレはコイツのこれまでの悪行を正義のペンでいつか小説にして晴らす道を選んだ。ここでコイツをシバキ回していたら、気が治まり、未来永劫この小説を書く事もなかっただろう。学校も碌に行っていなかった文才もないこのオレが、何年かかろうと正義のペンで世に晒しめると心に決めた瞬間だった。実際に小説に書き上げるまで、約二十年かかる事になる。大石内蔵助もビックリの、なんともまあ恨みのこもった年数である。
最後にピロユキを睨み付け、
「やられた事は忘れへんからなッ!」
と一言いってその場を去った。
それから数週間が過ぎようとする頃、逮捕状が出ている事が解った。勿論容疑は傷害である。まあ予測していた事だが、それにしてもピロシ自身が犯した嫌がらせが招いた結果、恨みを買い、ましてや年下にシバかれ、最後に警察に走るとは、男としての意地も誇りもないカス野郎である。
警察に出頭しようか迷ったが、まあ捕まる時はいずれ捕まるだろうと、自分から出頭する事はしなかった。岸和田警察にパクられたのは翌月に入ってからの事である。岸和田警察署から山手に上がり、国道26号線を挟んだ所に、この時分あった大型ラーメン店の駐車場での出来事だ。車を止めて人を待っていたのだが、そのとき職質を食らい、免許書を提出すると、お巡りさんは慌てて応援を呼んだ。オレが出頭しなかった事により手配されていたからだ。その時が来たと別段慌てはしなかった。ラーメン屋の駐車場から岸和田警察署は近かったので、警察署からサイレンを鳴らして出動して来るパトカーの音が忙しなく聴こえ出した。そんなに慌てて来なくてもオレは逃げたりしませんよぉ~と思っていた矢先、ガッシャーンと凄まじい衝突音が辺りに響いた。26号線を横断しようと交差点に入ったパトカーが、高架から下って来たバイクと衝突事故を起こしてしまったのである。
翌日から早くも取り調べが開始された。担当の刑事は初対面からなかなかの面白いオヤッさんで、
「お前のせいでパトカーえらい事故起こしてしもたやんけぇ~!」
「いやいや刑事さん。それは運転してたお巡りさんの前方不注意でしょ!」
「まあそうも言えるけど」
「いやいや、それしかないでしょ!」
「そやけど山本。お前が出頭して来えへんから、わしらに緊急出動の要請入った時、また逃げられでもしたらアカン思て慌てて出たんやかい!」
「オレを捕まえるのに一台のパトカーがオシャカになるて、オレも大物になったもんやなぁ~」
「あほっ、まああれはバイクの人も運悪かったわなぁ~。山本のせいで!」
「まだ言うかっ、しつこっ!」
と、まあこんな調子で取り調べが始まったのである。
取り調べ中ピロシの写真を見せられた時、写真の中のピロシは原形を失い、まあ例えるならエレファントマンほど顔面が腫れ上がっていた。そんな調べが続く中、
「刑事さん。取り調べいうたらカツ丼でしょ! 出前頼んでよ!」
「あほ、刑事ドラマの見過ぎじゃ!」
とカツ丼こそ食わしてはくれなかったが、「留置場の者には黙っとけよ」と言ってタバコを吸わせてくれた。
初めて経験する留置場は四人部屋で、先に入っていた者達はオレよりも歳が若く、一日目から,
「山さん。山さん」
とみな懐いて来るので、留置場の中での退屈な時間を、皆でいかに工夫して楽しく過ごすかを教示し、房の雰囲気をタケちゃんワールドへと変えた。
留置場に入る差し入れ物品の規制は厳しく、手紙を書く為の便せんやボールペン、更には差し入れの本、または所轄の警察にある官本など限られた物しか檻の中に入れてはくれなく、そこでオレはトイレットペーパーを水で濡らして粘土のように形を整え、乾燥させてサイコロを作り、皆にサイコロ博打を教え、官弁のおかずを賭けあって楽しく過ごした。
今回の傷害事件は至って単純なものだったので、取り調べもさほど日数が掛かるものでもなかった。引き当たりを終えると、十日拘留後の略式裁判を待つばかりだった。一日また一日と留置場の時間の経過は非常に遅く、日が経つにつれ先に入っていた者達が、拘置所に移管されて行き、騒がしかった留置場が一気に物寂しい部屋へと移り変わった。
腕を枕に横になり天井を見上げ、六日目の留置場を一人過ごした。
七日目、通路を挟んだ光を遮断された窓から、試験引きの太鼓の音と観客の歓声が聴こえた。観客の歓声の中、岸和田商店街を抜けて和歌山方向に遣り廻しするだんじりがの姿が否応なしに頭に思い描かれた。
八日目、起床時間前から曳き出しの音で目が覚めた。歓声と太鼓の音が留置場で孤独に時を過ごすオレには辛かった。布団を被った。それでも歓声と祭囃子は鳴り止まなかった。一日中祭りの騒音がオレの心に悲しく響いた。
九日目、本宮の祭りの騒音は、これまで以上に活気があり留置場まで届いた。天井を見上げ切ない思いを噛みしめた。
警察署の外では楽しそうな祭りの歓声が上がっているのに、オレは檻の中で孤独な悲しさを体感していた。そんな時ふと思い出したのは、以前葛城中学校出身の連中が岸和田の商店街で出し抜けに行った、あの民衆の不意を突いたゲリラ的な奇襲攻撃のような遣り廻しだった。上下関係や町のしがらみもなく、仲間内で楽しそうにだんじりを曳く姿は、オレの思い描く理想の祭りスタイルと言っても過言ではなかった。地域の枠を越え、純粋にだんじりで遣り廻しをしたいという熱い男達と、共に楽しみたいという思いがあの時以上にオレの中に強く芽生えていた。
次に去年の祭りに彼女の部屋で不思議な体験をした事を思い出した。
(あれはいったい何だったのだろう……)
そのとき観たビジョンが無意識に頭の中を駆け巡った。紀州街道上で意識を取り戻し、だんじりを曳く大勢の人達が迫りくる体験は、自身が祭りに参加したいという強い表れだったとしても、その次に観た映画館での上映された埠頭のような所をだんじりが走るビジョンは、神からの啓示か、はたまた潜在意識がオレに何を訴えかけていたのかを考えてみた。上映されていた事にも何か意味があるのかも知れないとそう思い出すと、オレの中で点と線が繋がり始めた。
(オレはピロシやピロユキ、そしてそれに手を貸す者達や傍観する者達の汚い一面を嫌というほど見て来た。オレ以外にもそんな経験をして祭りから遠のいた者達が、岸和田のだんじり祭りだけでなく、日本全国の各祭りの中でも少なからずとも居るはずだ! 純粋に祭りというものを愛し、大勢で喜びを共有する事がいかに大事かをオレは知っている。
オレは岸和田で生まれ、岸和田で育ち、小さい頃からだんじり祭りに携わって来た。だからこそだんじり祭りが好きである。しかしだんじりがない地域で生まれた人はどうだろう。一度参加してみたいという人も全国にはいるのではないだろうか?
潜在意識がオレに見せたビジョンの中で、埠頭はだんじりが海を渡たる事を意味し、上映は、未来に映画もしくはマスコミに映されたフィルムの上映だったのかも知れない……)
そう思い始めた時、オレは岸和田のだんじり好きな熱い男達を主とし、日本全国津々浦々のオレのような祭りバカを集めて、海外に遣り廻しをしに行く企画を思い付いた。
(しかしこの企画には、長く険しい道のりが待っている。だんじりを用意するにも、大切なだんじりを貸してくれる町はないだろう。そうなればこの企画の為にだんじりを新調しなければならないだろうし、それには莫大なお金が必要となる。小説を書き一冊につき一部を岸和田だんじりプロジェクトと称した、だんじりを造る資金に充てる事を試みた所で、ピロシやピロユキに対しての恨みつらみを書いた小説がはたして売れるだろうか、間違いなく売れないだろう。もっと志を大きく持ち、世の中の人に愛と感動を与える物でなければ、爆発的なヒットはしないだろう。そんな小説を書くにはオレ自身もっと男を磨かねば書けないはずだ!)
と、そう思うようになった。
十日目、オレは留置場の中で数々の事を考えた。目標を持ち前に向かって進み出すと、留置場の中の長かった一日があっという間に過ぎて行った。
翌日、略式裁判を受け、罰金二十万円を納め、十一日ぶりにオレは拘留を解かれた。
留置場の最終日に考え導き出した結論は、小説を書くにはもっと人生経験が必要だと思った。幼少時分からだんじりと共に育ち、それがあるが故に広い世界に飛び立つ事が出来なかった部分が自分にあると理解していた。足かせがなくなった今をおいて広い世界に旅発つ好機はないと踏んだオレは、これまで過ごして来た岸和田から一度離れ、まだ見ぬ大きな世界を見て様々な人々とふれ合い、また真に向き合って対話し、世間に揉まれ、未だ経験した事のない人生を歩む事が一番の男を磨く近道になると思った。
そしていつの日かオレは、遠く海を渡った異国の地で、日本町というだんじりで熱い男達と華麗なる遣り廻しを遂げる為に、その方法を探すべくこの街を離れたのだ。