其の二 ポン菓子のおっちゃん
家の冷蔵庫に冷やしてあった缶ジュースを片手に、自転車に跨り待ち合わせ場所の公園に行ってみると、公園から家が一番近いオイラが一番乗りだった。もしかしたらその辺りに、先に着いた誰かが隠れているのではないかと目を凝らしては見たものの、やはり先に着いている者はいなかった。オイラ以外にこの場所に居る者といえば、芳ばしい匂いを漂わせてポン菓子の商売をしているおっちゃんが、リヤカーから降ろした商売道具のポン菓子の機械を公園前に広げて、お米を持ってくるお客さんを待っているだけだった。
『ポン菓子』とは、米や粟、麦や豆といった穀物や種類などを釜に入れて密閉し、熱して圧力をかけて出来上がった物に、水あめや砂糖を絡めて固めた『おこし』のようなお菓子の事で、中には『どん菓子』と呼ぶ人もいるが、名前の由来は、出来上がる直前に圧力の掛かった釜を開ける際に、「ポーンッ!」と大砲のような物凄い音が鳴る事からこの辺りではそう呼ばれていた。この時分はこういったポン菓子を生業にして、巡回しながら売り歩くおっちゃんがよく街のあちこちで見掛けられた。お客さんがお米を持参して手間賃を払えば、おっちゃんがその場でポン菓子を作り始めるといった商売である。ただし出来上がるまで小一時間ほど暇を要するので、お客さんはお米を預けると一旦用事を済ませに家に帰り、出来上がる頃合いを見計らって取りに来るのだ。
「なんやぼく、誰か待ってんのか?」
折り畳み式の背の低い椅子に腰掛けているポン菓子売りのおっちゃんが、タバコの煙を鼻からもこもこと吹かせながら、それをジュースを飲みながら見るともなく眺めているオイラに不意に話し掛けてきた。
「うん。友達」
「ほーかぁ~」
「おっちゃんもお客さん待ってんのけ?」
おっちゃんは見るからに暇そうである。
「そぉ~や、待っとんのやけど今日はさっぱり来ゃ~へんわぁ~」
麦わら帽子を持ち上げ、首から掛けている手拭いで、ハゲた頭を撫でるようにおっちゃんは拭った。蝉の鳴き声が夏の暑さをより一層蒸し暑くさせている。
「ふ~ん」
飲み終えた缶ジュースを、ゴミ箱に放り入れながら答えた。
「どやぼく!──」
おっちゃんは顎でオイラを指しニヤッと笑った。
「──ぼくがおっちゃんのお客さんになれへんか?」
「え~っ、オイラが?」
思いがけない言葉に、オイラは思わずたじろいだ。
「そや、ぼくがや!」
喋る度に、おっちゃんのくいだおれ太郎のような太い眉毛が上下した。
「そやけどオイラ米も持ってへんし、お金もそんなぎょうさん持ってへんもん」
オイラはポケットの中にある、一日百円の小遣いを、三日使わずに貯めた三百円をギュッと握り締めた。三百円を狙われているような気がしたからだ。
「ぎょうさん持ってないって、なんぼ持ってんのや?」
子供のサイフの中身を知りたがるおっちゃんに、益々もって怪しく思えたが、
「え、なんぼってぇ~、三百円やけど……」
怪しく思いながらも正直に答えてしまった。
おっちゃんの眼の奥が、キラリと光ったような気がした。
「そんだけあったら大丈夫や! どやぼく、水あめ食べたないかっ?」
「えっ、水あめ?」
「そやっ、水あめや!」
そう言うとおっちゃんは箱の中から水あめの瓶を取り出し、蓋を開け、割箸で水あめを掬ってみせた。
「ほ~ら、この甘くて美味しい水あめやぁ~!」
あきらかにオイラの好奇心を駆り立てて来るその見せつけ方に、おっちゃんが割箸を上下する度オイラの顔も上下し、思わずゴクリと生唾を飲み込んだ。
「これが割箸にこんだけ付けてたったの五十円や。どやっ、ぼく、買わんか?」
割箸にまで水あめを付けて、子供の幼げな好奇心を駆り立ててくるおっちゃんに、(どうしようかなぁ~?)と一瞬迷った。でもオイラはお見舞いに持って行く花を買わなければいけなかった。正木先生のお見舞いと一時の美味しさを天秤に掛ければ、迷う事なく正木先生のお見舞いの方が重かった。
「一回目は特別サービスでどっさり付けたるでぇ~」
更に心くすぐるどっさりという甘い誘惑になど、先生思いのオイラは、
「買う買う買う、オイラそれ買う、それもろたっ!」
すぐに負けてしまうのである。
使うまいと強く握り締めていた三百円を、どっさりに釣られてあっけなくも即座にポケットから掴み出してしまった。
「どや、ぼく美味いか?」
「うん。めっちゃ美味い!」
このお金は置いておかなければと思いつつも、水あめに換えたその味は、すぐに形を変えてしまった自分の心の甘さとよく似て、とても甘くて舐める度どろどろと形を変えた。
「そやろぉ~、おっちゃんとこの水あめは、他所の水あめより甘いからのぉ~」
水あめを自慢の一人息子のように、いかにもわしのとこの水あめは日本一美味いと豪語するおっちゃんは、腕を組んで一人うんうんと納得するように頷いた。そのおっちゃんに向かってオイラは言った。
「よかったなおっちゃん」
「何がや?」
「もう一人お客さん来たみたいやで」
「どこや?」
「ほらあそこ」
おっちゃんが目を向けた先には、補助輪付き自転車で、必死に立ち漕ぎして来るそろばんの姿があった。
「あれ? まだたけし君一人だけけ?」
オイラの口元に目を向けながら、そろばんが聞いてきた。
「そやで」
水あめの付いた割箸を銜えながらモゴモゴと答えた。
「それ何食べてるんよ?」
「水あめ」
「どこでそんなん売ってんよ?」
水あめの美味しさに、思わずニコニコしながらペロペロと口から出し入れするオイラを見て、自分も食べたくなったのかそろばんが尋ねた。
「おっちゃん、一名様ご案内や」
そろばんに答える代わりに、オイラはおっちゃんに告げた。
「あいよ!」
餅つきの返し手のように、おっちゃんが愛想よく答えた。
おっちゃんから水あめを受け取ると、そろばんは五十円をおっちゃんに支払い、すぐさま口に放り込んだ。
「美味しいなぁ~、これ!」
「そやろぉ~、駄菓子屋で売ってんのとまたちゃうよなぁ~」
駄菓子屋の水あめとは確かに違った。駄菓子屋の水あめは口に入れて柔らかくなるまで多少の時間が掛かったが、おっちゃんの水あめは初めから柔らかかった。
横を見るとおっちゃんは、先ほどにも増して「そやろ、そやろ」と一人納得している。そんなおっちゃんに向かって、夏の始まりにしてはかなり日差しの強い太陽が、「おい、もっかいハゲ頭みせてみろ!」と言わんばかりに容赦なく照り付けている。
そうこうしていると続いて修ちゃんが、天の川の信号を超えて、
「お~~~い!」
と嬉しそうな顔で片手を振りながら自転車を漕いで来た。森口修二こと通称修ちゃん。年間で笑っていない日は、蚊に刺されたとき以外は無いと言えるほど、いつもニコニコと笑顔の絶えない男の子なのである。
「おっちゃん、またお客さん来たみたいやで」
オイラの横で、鼻毛を抜き出したおっちゃんに向かって言った。
「ホンマかっ!」
返事を返してくるおっちゃんの声は、先ほど話した時より力のこもった声だった。
汗だくで片補助輪付き自転車を漕いで来た修ちゃんは、公園に着くなり嬉しそうな声で話し出した。
「うわっ、二人とも美味しそうに何食べてんよ?」
「水あめ」
そろばんと二人声を揃えた。
「ボクも食べたい!」
「おっちゃん、また一名様いらっしゃいませや」
再びおっちゃんの方を向いてオイラは言った。
「あいよ!」
餅つきの返し手のように、おっちゃんが軽快に答えた。
それから二分と経たない内の事だ。公園の向かいにある住宅街から、快活な電子音が鳴り響き、辺りの平穏な日常の閑静を打ち破るかのように、騒然たる音を立て自転車が近づいて来た。おっちゃんも含めて皆が一斉に目を向けた。建物の合間を縫って現れたのは、『仮面ライダードレミ自転車』に跨るリュウちゃんである。自転車の正面にはカウル替わりに仮面ライダー変身ロードマスクと、昭和パトカーの旧型モーターサイレンのような、赤い光がクルクルと音を立てて回っている。まさに仮面ライダーのバイクをそのまま小さくしたようなその自転車は、この時代オイラ達子供の憧れの自転車なのである。補助輪付き自転車に跨るリュウちゃんは、ハンドルの手元に備え付けてあるスイッチを連射しながら、音と光を忙しなく発動させオイラ達の前に自転車を横付けした。
「しっぶぅ~~~~~っ!」全員が声を揃えた。
そんな渋い登場をしたリュウちゃんだったが、自転車から降りようとした時、悲しくも地面に足が届いていなかった。
リュウちゃんの名前の由来はこれと言ってないが、ここで少しリュウちゃんという男の子を紹介しておこう。リュウちゃんはやたらと鼻に物を詰める癖があり、つい先日も、右の鼻の穴にビー玉を詰め込み、「見て、見て!」とやたらと周りを笑かせた後、いざビー玉を取り出そうと鼻を「フンッ! フンッ!」と鳴らしたものの、これがまたどんな事をしても取れなかった。入れたが良いがビー玉がデカ過ぎたのである。焦りだしたリュウちゃんは泣きながら保健室に行ったが、保険の先生も、隙間なく挟まるパンパンに広がった鼻に何かを突っ込んで出そうとしたが、勿論それ以上隙間に何も入る余地はなく、次に先生は絞り出そうと試みたが、リュウちゃんはあまりの痛さに更に泣き出し、結局病院に行く羽目になった。ビー玉が取れて病院から嬉しそうに帰って来たリュウちゃんは、今度は左の穴に十円玉を挟んでいた。そんなリュウちゃんが、地面に足の届いていない自転車から不器用に降り、地面にしっかりと足を着けてから言った。
「よかったぁ~、ぼくが一番最後かと思ったけどちゃうねんな」
「うん。後はえっちゃんだけや」そろばんが答えた。
えっちゃんの家は学校からも公園からも五人の中で一番遠い磯ノ上町だったので、誰よりも時間が掛かるのは仕方のない事だった。
「おっちゃんぼくも水あめちょうだいや」
水あめが売られている事を知っていたかのように、リュウちゃんは五十円玉を小さな財布から取り出すと、「はい」と言っておっちゃんに手渡した。
それを見たオイラは、
「おっちゃん、儲かってしゃあないな」
とそう言うと、
「これがポン菓子やったらええんやけどのぉ~」
おっちゃんは苦笑いしながらしみじみと答えた。
そんなほんわかした会話が交わされる青空の下、りゅうちゃんが水あめを食べ始めると、天の川の信号の方から凄まじい勢いで自転車を漕いでくる姿が見えた。えっちゃんである。小学一年生にしてはたくまし過ぎる太股を半ズボンの下から覗かせて、シャカシャカと鬼のようなスピードでペダルを漕ぐ姿は、まさに小さな競輪選手のようだった。
「ごめん、待った?」
公園に着くなりえっちゃんが言った。
「全然」
水あめを舐めているリュウちゃんが答えた。
「それ旨そうやなぁ~」
美味しそうに水あめを舐めるリュウちゃんを見て、えっちゃんもポケットの中のお小遣いを取り出した。またもや水あめが売れそうなので、オイラはニヤッと笑っておっちゃんに言ってやった。
「おっちゃん、ビル建つんとちゃうか?」
「建つかァ~ッ!」
絶妙なタイミングでおっちゃんがツッコんだ。
それからえっちゃんが五十円玉を手渡し、おっちゃんから水あめを受け取ると、オイラは重大な事に気が付いた。それは何かというと、オイラの時は一回目の特別サービスのどっさりがあったのに、みんなが受け取った水あめにはどっさりが無かったように思えたのだ。しかしどちらかと言えば控えめな性格の口下手なオイラは、
「おっちゃん、所で何か忘れてないか?」
と何の迷いもなくおっちゃんに詰め寄るのである。
「何かてなんや?」
「あれよ、アレ、例のアレよ!」
「なんや、アレて? 言わんと解れへんがなぁ~」
「一回目のアレよ、アレ!」
「だからなんやアレて?」
「どっさりやんかぁ~、どっさり!」
ここでおっちゃんは、(あちゃ~っ!)という顔になった。
透かさずオイラは畳みかけるように、わざと皆にも聞こえるよう大きな声で話を続けた。
「おっちゃん、オイラの時は一回目の特別大サービスや言うて、どっさり水あめ付けてくれてたやぁ~~ん!」
みんなの表情が一斉に、
「え?」
というような曇った表情に変わると、皆しておっちゃんに向けて疑わしい視線を放った。
おっちゃんは声には出さずに口をパクパクと動かし、(アカンて言うたら!)というような表情で必死にオイラに訴えかけながら、控えめに手の平を下の方で小さく振っていた。
「どないしたんよおっちゃん、手攣ったんか?」
オイラがそう言うと、おっちゃんは、(もぉ~、頼むわぁ~っ!)と言いたそうな顔をした。
「まぁ~おっちゃん。四人分の紹介料や思て、一人分タダでこさえてぇ~な」
オイラがそう言うと、観念したのかおっちゃんは、
「ホンマぁ~、ぼくはしっかりしとるのぉ~」
と感心するようにぼやいた。じいちゃん初め父ちゃんと、親子二代に渡って商売をしてきた家系に生まれて来たオイラである。値切るのは当然の事である。じいちゃんなど仏壇を買う際に、まるで値切って安く買えば買うほど自身が亡くなった時、極楽浄土への道が開かれ易いとでもいうように、百万円もする仏壇を鬼のように値切り、半額以下で持ち帰った事があった。その遺伝子をオイラは見事に受け継いでいたので、こういった交渉はお手の物なのだ。
「ほらぼく、これで堪忍してくれ」
持ってけドロボーと言わんばかりに、四人分のどっさりが詰まった水あめを手渡してくれた。
「ありがとうおっちゃん」
素直にオイラはお礼を言った後、
「なんかおっちゃんに催促してしもたみたいで、悪い事してしもたなぁ~」
と、愛嬌ある冗談を付け加えておいた。
「ぼく、顔笑てるぞ」
そう言うおっちゃんも笑っていた。
貰った水あめを仲良くみんなで回しもって食べあった。タダで得た水あめは先程よりもおいしく感じた。
「なんか得した感じやなぁ」
「ホンマやなぁ」
胸のポケットからおっちゃんはタバコを取り出すと、マッチで火を点け、一吸いしてから、口から吐いた煙で顔を曇らした。
「ところでぼくら、今日は公園に遊びに来たんか?」
この時おっちゃんの煙まみれのその一言が、水あめの美味しさに夢中になっているオイラ達の頭の中に、今日こうして公園に集まった目的を改めて思い出させてくれた。
(はっ!)
と我に返ったオイラ達は、この日成すべきとても大事な目的を思い出し、皆が一斉に顔を見合わせた。そしてこんな事をしている場合ではないとでもいうように、皆して慌ただしく手にしている水あめを口に銜え込むと、各自が急いで自転車に向かって駆け出した。
「なんやぼくら、急いで自転車に乗り出して、どっか行くんか?」
「うん、おっちゃんありがとう。美味しかったわ!」
皆が口々におっちゃんにお礼を言うと、オイラを先頭に補助輪付き自転車軍団は、第一の目的地『花屋さん』を目指すのだった。
「ぼくら車に気いつけよぉ~~~っ!」
追い掛けて来るおっちゃんの声を背に感じながら、オイラ達は一所懸命ペダルを漕ぎ進めた。