其の十一 不思議な体験
そんな中、季節は足踏みする事なく次の走者へとバトンを渡し、八月に入り年に一度の岸和田祭りに向けて寄り合いが行われようとする頃、ようやく青年団から十五人組に上がって来た後輩から一本の電話が入った。その内容とは、大工方だけではなく、十五人組の寄り合いが始まる前に、オレの処分をどうするかという事の為に会合を開こうとしているとの事だった。それを聞いたオレは、今年度の役をしているイサム君の兄に、それならオレも出席すると電話を入れたが、早くもピロシとピロユキが手を回していたのか、当人のオレを呼ばない内々での会合だと言って参加する事を拒否された。まったくもっておかしな話である。当人に意見する場も与えず、てめえらの勝手でありもしない罪を擦り付けて、オレを祭りから排除しようとしているのだから……。
オレを指示してくれる後輩が青年団から上がって来たといっても、一学年の数名だけで、彼らの力で十五人組で仕放題している古だぬき共をどうこう出来るはずもなく、仮にその会合にオレが乗り込んだとしても分が悪い事は目に見えていた。そこでオレの思いを文章に綴り、それを会合の場で責任者に渡して読み上げてもらうよう後輩に言付けた。書いた内容は、去年実際に何があったかという事。その事においても祭りでより良い遣り廻しを追求する意見から討論しただけであって、乱闘騒ぎをオレが起こした訳ではないという事。更には、個人的欲に駆られて人を切る祭りは、岸和田一の遣り廻しを目差す上で、この先人が減少して行くという事。最後に、一部の者だけが大工方を牛耳るのではなく、大工方を夢見てこれから十五人組に上がって来る若者達にも平等にチャンスを与え、その中で技や心意気を競い合い、本当の意味での岸和田一と言われるような祭りを心掛け、心技一体となった両立のとれた人材を厳選して大工方に選ぶ事。その上で自分自身にセンスがないと気付けば、自ずから八幡町の事を考え、男らしく大工方を辞退出来るような仲間と気持ちよく意見し合い、遣り廻しを追求して行ってもらいたいという事などを熱く紙に書いた。しかしこのような欲に駆られた会合を開く者達にオレの想いは通じる筈もなく、皆の前で読まれる事なく破棄されたという。
十五人組の取り決めでは、大工方としては祭りをさせないが、十五人組として後ろ梃でなら祭りに参加してもよいとの事だった。しかしこんな理不尽な事で大工方を降ろされる事に納得などしていなかった。結果一方的な取り決めで、オレを大工方から追いやったものとピロシとピロユキは胡坐をかいていたが、これではい分かりましたと後ろ梃に戻ってしまえば奴らの思うつぼである。たとえこの年も祭りに参加できなくても、オレは意地を通すつもりでいた。オレ自身大工方を辞めたつもりはさらさらなかったのだ。
そんな十五人組の悪循環に駆られた雰囲気を、逸早く察知していたこの年青年団団長をしていたタケタケは、オレの許に来て、
「理不尽なこと言うて武くんを大工方から追いやろうとしてるんやったら、俺、青年団で署名集めますわ!」
と言ってくれた。可愛い弟分である。そんなタケタケとは幼き頃、いつか共に大工方になり、同じ名をハッピの背に入れて(大工方のハッピには自身の名を背に入れる風習がある)、W武でいつか大屋根で踊ろうと言っていた頃があった。幼き思い出である。⦅これは先の話しになるが、数年後十五人組に上がったタケタケは、一年の後ろ梃を経た後、十五人組の雰囲気に吐き気がすると、やはり祭りから去って行った一人である。余談になるが、その後タケタケは音楽界で、『たけしビート』として数々のレゲエソングをヒットさせ幅広く活躍している⦆
去年の試験引きから祭りを遠のいていたオレは、この一年間で数々の祭りの夢を見てうなされる事があった。夢の中ではいつもハッピを着て祭りに参加しているにも拘らず、オレ以外はみな表情のない能面のような人達が、オレを無視するように祭りをしていた。独りぼっちの孤立した寂寥感と疎外感を感じながらいつも夢から目覚めた。
この年祭りに参加しなかった人物はオレ一人だけではなかった。オレが団長時分に大屋根に乗せてくれた、八幡町を長きに渡りけん引して来た若頭のやっさんである。やっさんもまた所属している団体と反りが合わなく八幡町を抜けていた。オレもやっさんも芯から祭りが好きな男だけに、本当は祭りに参加したいという思いから、祭りの日に太鼓の音を聴くのは骨の髄から辛かった。故に祭り初日、当時やっさんが住んでいた春木地区から離れたやっさん宅で、二人酒を飲み語り合っていた。そんなとき何気ないやっさんの一言で、オレは懐かしさと温かさ、そして誇らしさで、この日、救われた気持ちになった。それはまだやっさんが幼き頃、
「武、俺ら八幡町に住んでた韓国人が八幡町のだんじり曳けるようになったのん、お前のおじいちゃんのおかげなんやぞ!」
と詳しく話を聞かせてもらうと、八幡町には在日韓国人の集落があり、当時は今以上に在日韓国人に対して風当たりが厳しく、在日韓国人の子供たちがだんじりを曳く事さえも許されなかった中、それではダメだと内のじいちゃんが、差別や偏見をなくすよう皆に働きかけ、そしてその集落の子供たちが祭りに参加出来るようになったという。この話を聞いた時、じいちゃんもまたオレと同じ活動をしていたのだと思うと、胸の内が熱くなり、そして我が祖父を誇らしく思えた。
翌日の祭り本宮、不思議な体験をした。それはオレが彼女の部屋で、立て肘を突いた状態で横になりテレビを観ていた時の事である。窓の外からは、遠くから太鼓の音が微かに聞こえ、聴覚に入って来る微細な音に比例して、オレの気持ちも揺れ動いていた。頭ではこの年も祭りに参加できない事は理解していた。しかし太鼓の音が聞こえると、参加したいが故にムズムズとした気持ちが胸の奥で微細に揺れ動いていた。悔しさ、腹立たしさ、情けなさ、切なさ、もどかしさ、やるせなさ、様々な愁いに沈む思いが、このとき充満していたのは間違いなかった。テレビがニュース番組に切り替わり、岸和田祭りの映像がブラウン管から流れた出した時、大音響の祭囃子がスピーカーから流れ、室内を満たした刹那、オレの意識はテレビの電源を落としたようにプッツリと途絶えた。次の瞬間オレはマウ二前の紀州街道に寝そべり意識を取り戻した。アスファルトからはだんじりが向かって来る地響きが聞こえ、前方を見ると綱を曳きこちらに向かって来る大勢の白い足袋が見えた。
(危ないッ! この場から逃げなければ轢かれてしまうッ!)
オレは起き上がろうとアスファルトに手を突いた。手の平に砂利がめり込んだ感触が鮮明にあった。向かって来る大勢の足はオレの存在に気付いてなく、勢いを止めず突っ込んで来る様子だった。
(アカンッ、間に合えへんッ!)
目を瞑った次の瞬間、騒音が突然止んだ。ゆっくりと目を開いてみると、誰も居ない映画館の中でオレは椅子に座り、上映前の薄暗いオレンジ色の電球がオレを照らしていた。正面には大スクリーンがあり、それに目を向けると、音なく8ミリフィルムのような映像が映し出された。埠頭のような所でだんじりが直進して行く映像だった。大屋根はどんな奴が乗っているのかと、下アングルから撮られたその映像に目を凝らしていくと、オレの思考と共にカメラのアングルが大屋根に移り、ズーム仕かけた時オレの意識がまた途絶えた。
次に意識が戻ると、そこは元の彼女の部屋だった。寝そべって立て肘を突いた状態のままだった。目の前ではまだニュース番組が流れていた。自身に起こった出来事に、オレは慌てて後方で洗濯物を畳んでいる彼女に声を掛けた。
「オレ、今どないなっとった?」
「えっ、ずっとテレビ観てたんちゃうの?」
オレの後ろ姿しか見ていなかった彼女は、何も気付いていなかった。
「祭りのニュース流れてからどれくらい経ってる?」
「今終わったところやよ」
時間にすると二十秒ほどの出来事である。
たった今起こった出来事にオレは困惑しながらも、今見たビジョンを振り返った。オレの肉体は祭りが出来ない事を理解していながらも、精神は強く祭りに参加したいという意識が時空を越え祭りをしている最中に行ったのだと思った。しかしそれにしても最後に観た映画館での映像は何だったのかと更に考えた。祭りで埠頭のような所でだんじりを曳く事はありえもしない筈なのに、映画館のスクリーンで上映されている事も不思議としか言いようがなかった。大屋根で風を切り、舵を執っていた人物も誰かは解らないままだった。この奇妙な出来事がいったい何を意味しているのか、この時はまだ理解しがたかった。少なくともこの時はまだ……。