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其の八 不甲斐ない責任者と副責任者

 さて……。大工方二年目のこの年、昨年の責任者は引退したので歳の順に繰り上がりピロシが責任者になった。昨年ピロシとピロユキには腹立たしい事をけしかけられたので、今年も何かあるだろうと警戒はしていた。なんとも先の思いやられる祭りである。しかしこの年青年団からタッケンや三浦、そしててっちゃん達も十五人組に上がって来たので、気持ち的には心強かったが、大工方と後ろ梃では一年間を通じて祭り事での過ごす時間はやはり別だった。


 祭り本番直前、連合の大工方の寄り合いがあり、オレ達八幡町大工方メンバーは全員で参加した後、大国町に招待され大国町の十五人組の詰所で接待を受けていた。しかし接待とは名ばかりの非常に腹立たしい飲み会の時間が続いた。その内容とは、接待を受けている反面、大国町の年配の者に八幡町の事を小馬鹿にされ始め、更にエスカレートし出すと次は昨年の八幡町大工方責任者である厚也君の屋根の踊りをジェスチャー付きで、ひょっとこ踊りだのハゲ頭踊りだの言い出し、終いには大国町十五人組の若い衆まで厚也君の事をけなし始めたのだ。正直オレは昨年の事もあったので厚也君の事は嫌いだったが、それでも同じ釜の飯をたかが一年だが食べて来た先輩をバカにされるのは我慢ならなかった。しかしもっと我慢ならなかったのは、大国町にご機嫌を取る為ヘラヘラと笑い侮辱してきている相手に同調していたピロシとピロユキだった。この二人は学区が違う隣町から春木の祭りに参加していたので、春木地区の地元ではないと大国町の者に舐められていたのだ。オレは正直言い返す口を持っていたが、責任者と副責任者であるピロシとピロユキを差し置いて、出しゃばってはいけないとケンカ腰に言う事はなかったが、


「青井君も横部ももうそれぐらいにしときよ」


 と堪らずオレは口を挟んだ。大国町大工方責任者の青井君も更には十五人組の主力メンバーである同級生の横部もオレと親しい間柄だったので、オレの言葉にそれ以上八幡町の悪口をいう事はなかった。

 帰り道、くにたんがオレに、


「あの内容は腹立つなぁ~ッ!」


 と言って来た。みな本心は口には出さないが、(お前ら仮にも八幡町の大工方責任者と副責任者やろッ! ちょっとは言い返せよッ!)という思いがあった。


 そして祭り直前の試験引きの日が訪れた。この年の大工方の課題は、昨年厚也君に教えられた春木駅前通過の際に、道路がやや左方向に傾斜しているので、自然とだんじりが左に寄って行き、現在では石原歯科になっているが、当時ローソンがあった建物にだんじりが突っ込んで行くのを防ぐ為、左の舵を数回のチョイ切りで建物に突っ込むのを回避するといった事を行わなければならなかったのだが、ピロシとピロユキがそのローソン前を数回のチョイ切りではなく、一回の大きく切る舵で回避しようと言い始めた。チャレンジする試みにオレ達下の者(ピロシとピロユキ以外の大工方)も合意し、あらかじめ後ろ梃の十五人組にも同意を得て、この試験引きで実践する事になっていた。

 駅前の遣り廻しに続いて、駅前通過のその時がやって来た。大屋根にはくにたんの同級生の新出が乗り、小屋根には右にピロシ、左にはピロユキ、そして真ん中にはオレが乗っていた。なだらかな傾斜に沿ってだんじりが左方向に進路を変えていくと、


(今だッ!)


 というタイミングになっても新出は焦っていたのかうちわで合図を送らず、堪らず左の子屋根にいるピロユキが、


「新出ッ、早よ切れッ! 早よ切れッ!」


 と声を掛けた。

 その声に新出はハッと我に返ってうちわを叩き合図を送ったはいいが、新出はパニクっていたのか、焦りのあまり左に舵を切る所を右に切ってしまった。しかしキャリアでは数年新出より勝るピロユキが冷静な判断で自身の乗る左の子屋根をうちわで叩き、建物に衝突する事は免れた。この後もウサギ屋の遣り廻しで右に切らなければいけない所を、新出はまた逆の左に舵を切り、見るに見かねたオレは、


「代わってくれッ!」


 と言って大屋根に上った。

 そういう経緯があったが、その日は事故もなく無事に試験引きを終え、明くる日の本番の祭りに向けて、前夜祭の焼肉が八幡公園で始まったのである。

 しばらくオレ達大工方のメンバーで公園入口付近に腰を下ろしていると、自転車に跨った厚也君が公園入口に現れ、オレ達は挨拶がてら厚也君の所に寄って行った。すると今日の試験引きで大工方の出来栄えをギャラリーとして観察していたのか、


「お前らあそこは一回で切られへん。去年教えたやろッ! チョイ切りで何回も切れッ!」


 と指摘を受け、いやいや厚也君、今年は皆で話し合った結果、あのローソン前を一回で切ろうとそれを目標に頑張っているんです。と言い出しっぺでもある現責任者のピロシと副責任者のピロユキが言い出すのかと思いきや、


「はいっ、はいっ、すいませんっ!」


 と何とも情けない返答でその場をやり過ごした。ガックリくりくりクリックりである。その場しのぎのウソと、大国町の時のように、自分より格上の者に対してはご機嫌を取る事しか出来ない二人である。

 厚也君が帰ると、再び公園に戻って大工方メンバーで酒を飲んでいた。普段からオレは伊戸ちゃんとくにたん以外は、自ずから好んで会話もしないような仲である。当然そうなると話す内容といえば、その日おこなわれた試験引きの話し以外にする事はなく、自然と遣り廻しの話しに移り変わった時、オレはピロユキに駅前通過のローソン前の話を出した。


「ピロユキ君、あそこのローソン前で、新出早よ切れ! 新出早よ切れ! って言った時がホンマは一回で切らなアカンかったタイミングやったんとちゃうん?」


 するとピロユキは何をトチ狂ったのか、突然、


「なんやとォ~~ッ!」


 と周りに聞こえるような大声を上げて大仰に怒鳴り立てるや否や、オレの胸倉を掴んで来たのである。これが挑発だという事は理解していた。去年のあの腹立たしい出来事で、次に問題を起こせば大工方を辞めさせるとピロシとピロユキの前で厚也君に言われていたからだ。なのでオレは冷静に、


「去年の事もあるからケンカする気はない。ここで問題を起こせば全ての責任を問われるのはオレの方やから……」


 と相手の顔面に拳をめり込ませたい気持ちを抑えて言った。

 するとピロユキは意外なオレの言葉に面を食らった顔をして、オレの胸倉を掴んでいる手を離した。しかしその一部始終を目の前で見ていた伊戸ちゃんが、


「武に何するねんッ!」


 とオレの胸倉を掴んで来たピロユキに腹を立て大声で怒鳴り立てた。ピロシとピロユキからすればオレを辞めさせる口実を作るのにまたとない機会だった。しかしオレが止めに入るも後は収拾がつかず乱闘騒ぎになったのだ。その騒ぎを聞きつけ、少し離れた場所で宴会をしていた十五人組の数名も駆け付け事態の収拾に入り、なんとか場は収まりを見せるも、酒が入りいきり立っていた二人は少し離され宥められていた。

 しばらく経ってオレはピロユキとベンチに座り、先程オレが言った事『ピロユキ君、あそこのローソン前で、新出早よ切れ! 新出早よ切れ! って言った時がホンマは一回で切らなアカンかったタイミングやったんとちゃうん?』で勘違いのないよう説明しておいた。その内容とは、とりたてて舵を切るタイミングの事であなた自身を責めている訳ではなく、オレよりも経験の長いあなたに大工方として本当の正しいタイミングの教示を願っての質問だったという事。するとオレに対する誤解が解けたのか、


「わかった」


 とピロユキは言ってくれ、納得の上で決着が付いたと思い、そのあと焼肉も終わったのでオレは帰宅した。

 余談になるが、F1レーシングでコーナーリングする際、0コンマ何秒が生死の境目になる。だんじりの遣り廻しも然り、一秒の遅れは角を曲がり切れず事故に繋がるのである。人は脳で判断し、アクションを起こすまでに、どんなに反射神経が優れている人でも0コンマ数秒かかると言われている。だこらこそ大工方はその0コンマ何秒かのタイミングを追求しなければ、その判断の遅れが人を死に追いやってしまいかねないのである。

 言葉で、


「新出早よ切れ! 新出早よ切れ!」


 と言っているのは果たして何秒かかっているだろうか? 小刻みに切るのではなく、一回で大きく舵を切るのであれば尚のこと声を掛け始めたタイミングが本来のタイミングだったのだとオレは思っている。ましてや舵を切れと指示されて切るのも大工方として考え物だが、更には本来切らねばならない方向と逆を切っているのだからセンスの欠けらもない。新出自身大工方に憧れているのは解るが、本当に祭りの事を考えているのなら、自ずから大工方を辞退するべきだとオレはこのとき思っていた。センスがなくても練習を重ねて上手くなって行く間に、人の命が失われかねないのだから……。そうまでして大工方にこだわり続けるのは、本当に祭り全体の事を考えないただの私欲でしかないとも感じていた。

 数年前にオレが団長をした際に、オレは屋根に乗せてもらったが、その時マッサンも一度大屋根を体験させてもらっていた。幼い頃からマッサンと遊んでいたので、マッサンが大工方に憧れている事は知っていた。しかしマッサンは大工方を体験させてもらった後、オレにこう言った。


「武、俺大工方に憧れてたけど……、一回乗って少しでも怖いと思ってもうたねん。俺は自分が大工方に向いてないと感じたんや。憧れだけで大工方なってもし周りに迷惑かけたらアカンから……、俺は大工方諦めるわぁ~。そやけど武、心配せんとってや! 俺は後ろ梃で八幡町に貢献するから!」


 マッサンらしい素直な言葉だった。幼い頃よりいつか大工方で共に風を切りたかったが、このマッサンの言葉を聞いて、オレは引き留める事が出来なかった。自身の私欲よりも八幡町全体の事を考えたマッサンの男らしい真摯な決断が、この時オレの胸を打った。

 帰宅してからマウ二の前でイサム君とたわいもない話をしていると、ちょうどそこへ伊戸ちゃんの嫁さんが心配そうな表情をしてやって来た。話を聞いてみると、伊戸ちゃんがまだ家に帰って来ないので、心配して表通りまで見に来たとの事だった。ちょうどその時オレも会館に届ける事になっていた預かっていた花(寄付金)があったので、


「ついでに様子見て来たげるわ」


 と伊戸ちゃん嫁にそう言ってその場を離れた。

 会館で十五人組の組長に花を渡し、見渡すと会館には伊戸ちゃんの姿はなかった。そこで組長に伊戸ちゃんの事を尋ねてみると、


「伊戸は外で清太君に説教受けてるわ。今お前が行って清太君の目に届いたら、すべてお前にしわ寄せが来るからお前はこのまま帰った方がええわ!」


 清太君なる人物とは、前大工方責任者厚也君の弟である。彼もまた数年前まで大工方をしていた先輩であるが、十五人組を引退して若頭という更に高年齢の団体に上がっていた。


「それと武、ピロシとピロユキがお前は年上に対して口の利き方がなってないって言うとったから、そこはお前反省しろよ!」


 先程公園でピロユキと誤解のないように話し合ったにも拘らず、また先輩たちに讒言(ざんげん)【意味*人をおとしいれる為に、事実を曲げたり、悪事をこしらえたりして、目上の人に告げる・こと(ことば)】しているのかと思うと腹が立ったが、そこは堪えて素直に頭を下げておいた。


「ほなもう組長の俺の前でその件については反省したという事で、お前は早よ帰れ!」


 組長の気遣いに素直に従い会館を出ると、少し離れた場所から怒鳴り口調でオレの名を叫ぶ声が聞こえた。声のする方向に目を向けると、


「わっちゃぁぁ~っ!」


 思わず声が漏れた。清太君である。

 組長には『すべてお前にしわ寄せが来る』と言われたが、どの道、幼なじみの伊戸ちゃん一人を残して帰る事は出来なかった。オレとしては内心、どうせ明日には祭りで顔を合わすのだから、今回の騒動をオレが起こしたのではないという事実を、清太君から誤解されているのなら解いておきたかった。ましてやピロユキとの話し合いはもう既に済んでいた。ピロユキの男らしく


『わかった』


 と納得して言ってくれた言葉をオレは信じていた。オレよりも三つも歳が上の人生経験が豊富なよい大人が、まさか話をぶり返していたなど思ってもみなかった訳で……。更には組長も心配してオレに付き添い同行してくれていた。

 清太君の所まで行ってみると、伊戸ちゃんは清太君の正面で正座させられていた。勿論ピロシとピロユキも同席していたが、あの一年前の屈辱的な思いを彷彿とさせるように、清太君の背後で例の二人が不敵な笑みを浮かべていた。


「武、お前も伊戸の横に正座しろッ!」


 頭ごなしに言われた。

 伊戸ちゃんが怒られているのなら、一緒に頭を下げて早くこの場から立ち去ろうと、オレも横に座った。しかし思いもよらない言葉が次に飛び込んで来た。


「そもそもお前がピロユキに意見する事が間違ってるッ! ピロユキに謝れッ!」

(はぁ~~っ!)


 である。虎の威を借りる狐のように例の二人は腕を組み頷いていた。


「武はさっき反省して俺に謝ったからもういいですやん」


 オレに口答えさせまいと気を利かせて逸早く組長が言ってくれた。組長の心遣いに胸打たれ、


「生意気やというんであれば謝ります。すいませんでした……」


 とこれで終止符を迎えられると思いきや、


「なんやその眼はッ! まだ文句あるんかッ!」


 虎が居ないと年下に文句の一つも言えないピロユキ狐が息巻いた。しかしオレとの話し合いで納得しておきながら、数十分後にはこれだから何とも性根の腐った男である。


「もう一回手ついて謝れッ!」


 続いて狐に担がれているとも知らず、後輩の前でええカッコをして見せたいと、いけ好かない虎が吠えた。


「それは出来ません」


 オレは答えた。

 オレは常日頃から青年団の可愛い後輩たちに、


「自分が正しいと信じるならば、時として上に意見する事も大事や! それが個人の欲でなく、祭りにおいて皆の為になる事ならば……」


 と教えて来た。生意気というならば謝りもしよう。だが、


「眼つきが悪いというのであれば、もうこれ以上謝れません」


 とオレはハッキリ言ってやった。


「それが出来へんのやったらお前はクビじゃッ!」


 自分を慕う狐の前で、十も歳の離れた後輩に意見されたのが気に食わなかったのか、清太君は火のついたタバコをオレの顔に投げつけて来た。


「お前は解ってないッ! 年功序列が正しいんじゃ~ッ! お前は俺の一存でクビにするッ!」


 更には意味不明な人より先に生まれて来ただけの者を保護する呪文のように、頭の悪い年上がよく使う、年功序列こそ我が家訓だと言わんばかりに清太君が言葉を吐いた。年功序列というのも時には正しい事があるかも知れないが、この場面での乱用は自身が無能だと言っているようなものである。結局このあとオレなりに言い返しはしたが、どうなるものでもなかった。

 しかしおかしな話である。大工方が所属する十五人組今年度の組長が『武はさっき反省して俺に謝ったからもういいですやん!』と言ってくれたにも拘らずこの有り様である。天下り的な一部の独裁的祭り事が根付いた一番悪い例である。青年団のような純粋な若者にはオレの思い描く、皆が心の底から喜べる理想の祭りを教えていく事が出来ても、私欲に胡坐(あぐら)をかいた水戸黄門に登場する越後屋のような古だぬきには、オレの思い描く理想の祭りは到底聞き入れてもらえる筈もなかった。それにしても、以前ピロシとピロユキが、


「自分らが若い頃は、大屋根に乗せてもらえんかった。意見するなんてもっての外やった。だから自分らが屋根の頭になったら、若い奴らの意見を取り入れるようにしたい」


 と言っていた事があったが、意見を取り入れるどころか、より良い祭りを目差そうと意見して来る若い者を、自身の立場を確立する為に讒言(ざんげん)までして(おとしい)れられた事が許せなかった。

 そんな事があり、明くる日から祭りに参加出来ないからといって、落ち込んでいるオレではなかった。悔しくないといえば嘘になるが、何としても大工方に戻らねばという意思は砕かれてはいなかった。

 その日の夜マウ二の外階段を下りて行くと、下で顔も見たくない人物とバッタリ鉢合わせた。ピロユキである。先程清太君が居た時の威勢は何処へやらと、ピロユキはオレと対面するなりご機嫌を取るような声で話しかけて来た。


「あぁ、武……。さっきはあないなってもうたけど……」

「あないなってもうたァ~ッ!」


 オレは怒りを抑えきれず声を張り上げた。

 するとオレの出方に意表を突かれたのか、気負いされまいとピロユキが仮面を脱いで本性を現した。


「オマエ俺より年下のくせに何なその言い方はッ!」

「オイッ、こないにされて年下もクソもあるかいッ! 文句あるんやったらいつでもやったんぞッ!」


 オレの意気込みに押されたのか、


「ちょっと待てよ武~ぃ。俺もよ! 地元は忠岡やから向こうで祭りやってるけど」


 と急に態度を替えて来た。


「こっちの祭りの方が俺にとったら自町みたいなもんやかぁ! そやから八幡町で頑張ってんやかい! それ解ってくれよ!」


 そもそもピロシもピロユキも、隣街から来ているという負い目が自身にあるのかも知れないが、オレに言わせれば頑張る方法が間違っているのである。自身の立ち位置を確保する為に、目下の者を陥れるのは人を切る祭りであって、育成して人を寄せて行く祭りではないのだ。そういった考えが強いては人員減少の一歩を辿るのである。


「ほならオレも一つ言うたらッ! オレは生まれる前から八幡町なんじゃッ!」

(じいちゃんの代から山本家は八幡町に住んでいた)

「八幡町の祭りが人数増えて良うなるんやったら、地元が忠岡やとか忠岡以外のどこの町から来た(もん)でも、(はな)から八幡町の人間として観とるわいッ!」


 ピロユキにこの言葉が響いたかどうかは解らないが、それ以上ピロユキは何も言う事もなくその場を去って行った。

 あくる日から祭りの二日間は、オレにとってはこの上なく辛い時間だった。マウ二の前を通過して行くだんじりの音に、胸の内を絞めつけられるような心苦しさに苛まれた。耳を塞ぐも太鼓の音が身体に響いて耐え難い思いがオレの中で充満していた。自身の中で何より好きな祭りに参加出来ないという現実が精神を破壊しそうになりつつも、この悔しい思いを胸に刻んでおこうと、窓を開けて通り過ぎ行くだんじりを目に焼き付けた。二階の窓からはちょうど大屋根を捌く大工方の姿が映って観えた。一台また一台と他町のだんじりが通り過ぎて行った。しかし観れば観るほど虚しさが募った。もう窓を閉めようとサッシに手を掛けた時、もう一台だんじりが通過して行った。八幡町のだんじりだった。オレの真横を勇ましくも楽しそうな表情をして大屋根で舵を切る伊戸ちゃんが、うちわを手にハッピを(なび)かせて通過して行った。乱闘騒ぎの張本人が何事もなかったように祭りをしている姿を観て、一瞬腹立たしい気持ちが込み上げて来たが、そんな感情は人として恥じるべき物だと自分に言い聞かせた。幼なじみを恨むくらいなら、己自身の力の無さに腹を立てている方が男らしいと思った。武士のような志で生きようとする思いが、この時オレ自身を救ってくれたのだ。

 祭りが終わった明くる日、片付けに参加しようとだんじり小屋に向かうと、事情を知らない十五人組組員達の冷ややかな視線がオレに注がれた。何より辛かったのは、瀬尾やタッケンまでもが憐みの表情をオレに向けて来た事だ。乱闘騒ぎの張本人としてオレが辞めさせられたと皆が思っていたのである。

 冷ややかな視線を浴びながらそれでも片付けをしていると、イサム君の兄貴がオレに近寄り、


「もうお前は片付けせんでええから帰れ!」


 と言って来た。続いてイサム君とマッサンまでもが、


「俺らは楽しい祭りがしたいだけやねん! 祭りでモメる事なんか望んでないねん!」


 と言って来た。この場で一人一人に説明をして無実を晴らすには分が悪かった。それほどオレが現れた事により、険悪な空気感を皆が醸し出し始めていたからだ。その重圧に耐えてこのまま残るよりも、この場は一旦退()いて態勢を立て直すのが賢明だと、オレの直感が自身にそう告げていた。この時やるせない虚しさを胸にその場を後にしたのだ。


 数週間が過ぎた頃、八幡町内でピロシとピロユキを見かけたので、オレは二人の所まで駆け寄り、


「来年は屋根に戻るで」


 と念を押しておいた。

 ピロユキは、


「おう」


 と返事をし、ピロシは、


「ハッピ代払っといてや」


 とそれだけしか言わなかった。その言葉に、


「戻ったらアカンのかいな?」


 と聞き返すと、


「俺はええけど、戻さんようなこと上の(もん)が言うてたからなぁ~」


 と、自身が上の者に讒言したせいでこういう結果を招いたのだという事を棚に上げて、なおかつ大工方の責任者でありながら、この場に居ない上の者に責任を転嫁(てんか)するような言葉でその場をはぐらかした。

 更に時が流れ、屋根の集まりや他町の入魂式に備えて、段取りや日程など連絡を回して来る事は無く、当人を差し置いて、


「屋根の会議でお前はクビに決まった」


 とある日突然ピロシから告げられた。その会議での内容を伊戸ちゃんに尋ねてみると、


「武を戻したら格好も示しもつかへん」


 とピロシがぼやいていたらしく、あげくの果てには、


「武を戻すんやったら自分たち二人は屋根を下りる」


 と、突然二人が屋根を下りれば人数が欠けてしまい、どうにも大工方が回らなくなる事を解っていながら、そんな責任感のない事を言って後輩から評決をとるのだから、なんともまあ~器の小さい男達である。これが仮に八幡町全体の事を考えての答えならオレも喜んで屋根を降りよう。しかしピロシとピロユキの出した結論は私欲そのものである。

 その屋根の会議の際に、


「あの時モメたのは俺やんか! 武を辞めさす理由なんかないやん! 武を辞めさすんやったら俺が責任取って辞めますわ!」


 の一言ぐらい言えなかったものかと、幼少の頃から共に八幡町のだんじりを曳き、成人を迎えてからも数々のおバカな青春の日々を共に過ごして来た仲であり、自身の結婚式でスピーチを頼んで来た間柄でもありながら、その相手に迷惑を掛けようとも、執拗なまでに大工方に執着する伊戸ちゃんにもこのとき内心がっかり来ていた。しかしオレはその事で伊戸ちゃんを責めるつもりはなかった。なぜなら、オレに対する伊戸ちゃん自身の想いがそれほどだったのだと、オレは自身の魅力の無さ、そして人徳の無さに反省するオレであらなければいけないと思っていたからだ。言うなれば、この人の為ならばと、己の意思で判断し、アクションを起こしてくれる、そんな魅力ある男にならなければいけないと常日頃から目標にしていたからだ。

 そんな報告を伊戸ちゃんから聞いた直後、くにたんが会いに来てくれた。歳が二つ上の兄ちゃん肌のくにたんは、オレと顔を合わすなり、


「お前を守ってやられへんかってスマンかった……」


 と自身の不甲斐なさを恥じるように、気持ちのこもった眼でオレを見つめ、そして年下のこのオレに頭を下げてくれた。優しい男である。その気持ちだけでオレは嬉しかった。こういった熱い男が上の団体には少な過ぎるのである。

 くにたんの言葉がすべてを物語っていた。本来守ってやらねばならない真に正す道を、私欲に走る一部の者達や、見て見ぬふりをする傍観者、更にはくにたんのように正義感を出して上の者に意見すると、次にターゲットにされるのではないかと物申せない雰囲気を定着させている団体であること自体が悪循環なのである。そして他町でも祭りでよく有り勝ちな話しに、こういったくにたんのように真に熱い男が、煙たがられて居り場を失くされ、辞めて行かなければならない羽目に追いやられてしまうのである。事実この時期からまだ何年も先になるが、くにたん自身も後に十五人組の組長を終えた後、心無い人達の卑劣極まりない陰険な行いによって、八幡町から去って行かざるを得ない状態に追いやられてしまう事になるのだ。

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