其の六 屈辱
平成十二年度のこの年の祭り、大工方を目差し同世代の者達よりも逸早く十五人組に上がったオレは、一学年上のマッサン初め伊戸ちゃん達と十五人組に上がったのだが、オレは伊戸ちゃんと共に大工方志望の大工方見習いでもあった。
大工方になるには後ろ梃を理解していなければいけないという事で、一年の後ろ梃を経て翌年の平成十三年度から、大工方のハッピを発注する事を許されるというものだったが、大工方は十五人組の団体に属し、十五人組の中では新団一年目に値する新参者の年下目線のオレから見て十五人組は、過去に青年団に所属した頃の嫌な雰囲気を持っていた。年上だというだけで威張り散らす者や、自身より立場の弱い者に嫌がらせをしたり陥れたりして喜悦する者、それを年功序列だと勘違いしている者、そして何より悪いのは、そんな雰囲気を何もしないで傍観している者達が余りにも多い事に先行きが危ぶまれた。ライオンらしき統率を執る資質を待った年上が居る訳でもなく、オレから言わせればザコの集団、ポールマイヤーで言う所の羊の集団である。そんな集団だからこそ、これまでその人達が青年団だった頃、青年団員が増える事なく年々減少の一歩を辿り、オレが青年団に入団した当初は本番の祭りで、四十人にも満たない引手の数だった。本番はまだ良いが、試験引きなど二十人を切っていた時もあったほどだ。
こんな話があるのだが、以前祭りには大きく分けて、町会(67歳前後まで)、世話人(57歳くらいまで)、若頭(47歳くらいまで)、十五人組(37歳くらいまで)、青年団(27歳くらいまで)と、四つの団体から構成されていると述べた事があるが、内のオトンも町の付き合いで世話人の団体に所属している時期があった。現在ではどうなっているかは解らないが、その当時八幡町は町会と世話人が同じ席で食事をし、落索も合同でしていると聞いていた。その落索に同世代の者とオトンが待ち合わせの場所に向かった所、時間が経っても一向に人が集まらないので問い合わせてみると、年上の者達が嘘の待ち合わせ場所を言って、面白がって言うなれば若い者をイジメていたのである。勿論オトンは激怒し怒鳴り込んで行ったが、上の者の返答は、
「そんな情報を流した覚えはない」
としらばっくれたと言う。
オレが団長をした年でも八幡町のとある団地の件で、町会が村八分にしていた事が解り改善して来たが、そんな一部の者が私服を凝らす町の雰囲気が根付いている事が、そもそも下の者に祭りとはそんなものだと伝染して行った表れとして、この当時の十五人組の雰囲気を創り出していたのかもしれない。
オレがこれまで築いて来た青年団とは、対照的な異なる雰囲気を持った、吐き気がする団体である。ではどうしてそんな団体に入ってまで祭りを続けるのかと問われると、それは一丸に祭りが好きだからではあるが、己の思い描く祭りを構築し、いつの日か皆が腹の底から喜べる祭りに替えたいという信念から来る思いと、後に十五人組に上がって来る後輩達に、より良い環境を整えておいてやるのが、オレの歩むべき道だと強く心にあるからだった。
そんな十五人組一年目を経て、ようやく翌年に入り大工方のハッピを注文する事を許されたオレは、寸法を測ってもらう際に驚いた事があった。これまで青年団や後ろ梃で使用して来たハッピの生地も違えば値段も激的に違ったのだ。羽二重という上質の絹糸で織られたその絹織物は、つやがあり肌触りも抜群に良かった。例えるならきめ細かな赤子の肌のようだった。値段の程は、これまで使用して来た通常のハッピが1万数千円に対し、優に十五倍はしたのである。替えのハッピを含めて二着作るという事だったが、もう一着はこれまでのハッピと同様の生地だったので、そのハッピに関してはさほど目が飛び出るほど金額は高くはなかった。
そして数か月が過ぎ、ようやくハッピが納品されて更に数か月が過ぎた祭り本番、腹立たしい出来事があった。大工方のメンバーは、この年で大工方を引退する一回り歳の離れた責任者の厚也君、そして四学年上の山手の町から八幡町に来ているピロシと、三学年上の忠岡から八幡町に来ているピロユキ、この二人に関してはあえて実名から遠からずにさせて頂いている。更に二学年上の一年先に大工方に上がった幼なじみのくにたんとその同級生の新出、そして一学年上のこれまた幼なじみの伊戸ちゃんとオレを含めた計七人である。
人というのは自身が醸し出す波長や気の波動、更にはその人特有のオーラというものがあるが、第一印象から反りが合わない経験を人生の中でする事は、多少なりとも読者の皆様も体感した事があると思うが、この七人のメンバーの内、気心の知れたくにたんと伊戸ちゃん以外合う合わないでいうと、厚也君と新出はグレーゾーンだが、ピロシとピロユキに関しては特に発するものに嫌なものをオレは感じていた。自身の保身の為に人を蹴落とす事を厭わない的な人間性をオレは感じ取っていたのでる。当然そうなるとオレ自身彼ら二人には防御線を張る訳で、それが気に食わないとまた彼らもそれ相当の嫌がらせをして来たのである。
本題に入ろう。その腹立たしい嫌がらせとは、それは宵宮の昼の曳行が終わり、夜の曳行が始まるまでの夕餉の宴会を八幡公園で焼肉をしていた。宴会が始まった当初大工方のメンバーがひと塊になって、昼の曳行での反省点やアドバイスを責任者の厚也君から受けていた。それからしばらくして厚也君は同世代の者達の所に場所を移動すると、オレ達六人だけがその場に残った。会話した内容はたわいもない祭りの話だけだ。しかし夜の曳行が終わり、あくる日の曳行に備えて早々と帰宅しようとした時、責任者の厚也君に呼び出された。そこには厚也君の背後に隠れてピロシとピロユキが、不敵な笑みを浮かべて待ち構えていた。
「何ですか?」
その場に着くなり厚也君に尋ねると、
「お前さっきの焼肉の時にこいつらとモメたらしいのぉ~ッ!」
とありもしない事を言われた。
「はぁ?」
「はぁちゃうわァ~ッ! 祭りは年功序列じゃ~ッ! 年上に逆らう事は許さんッ!」
「いや、逆らうも何もモメてないし」
モメるも何も祭りの話しでディスカッションしていただけである。意見をいう事が逆らうというのならば、こいつらの祭りは自身の私欲や独裁的祭り事の欲にまみれた糞である。
「アホかッ、こいつらが言うとったんじゃッ! お前こいつらに謝れッ!」
「何でオレが謝らなあかんのですか?」
「謝れへんかったらお前は大工方クビじゃ!」
この責任者もアホである。片方の意見しか聞かないで物事を判断し、責任者という立場で大工方という利権をちらつかせ、年功序列という庇護を盾に年上というだけで偉いと勘違いしているのだから……。
「こっちの言い分は聞いてくれへんのですか」
「こいつら二人が言うてるんやから、こいつらの方が正しいに決まってる。さあどないするんじゃッ! 今謝れへんかったらお前はもう終わりやど……。明日から屋根下ろすからな」
何を言ってもこいつらには話が通じなかった。オレの後に続く大工方志望の可愛い後輩達の為にも、こんな所で大工方を辞めさせられる訳にはいかなかった。悔しい思いはあったが、
「す、す、すんません……」
「聞こえんのぉ~」
「すいませんでしたッ!」
オレは歯を食いしばり言った。
「アカン。土下座してもっかい言え! それが出来へんかったらお前はクビじゃ!」
土下座など生まれてこの方した事のない男である。理不尽な事はこれまで数々経験して来たがこれはあんまりである。こいつらを片っ端からドツいてこます事は出来たが、それをしてしまうとこれまでの努力も水の泡と化してしまう事も理解していた。後に十五人組に上がって来る後輩や仲間内の為に今は抑えろと自分に言い聞かし、悔しい思いを噛み殺してこの日オレは地に額を着けた。
「お前もう次モメたら大工方クビやからなッ!」
と責任者のMハゲは最後にそう言い残し、この夜オレは屈辱的な思いを胸に刻み、その場を後にした。しかしこの日やられた事はまだ序章に過ぎなかった。
⦅小説を執筆する上で、楽しい事は原稿用紙をすらすらと書けるが、悔しい思い出や辛い事などは筆が進み難いものである。読者の皆様は小説を読み疑似体験するだろうが、書いている本人は疑似体験どころの騒ぎではない。思い出したくない記憶を引っ張り出して来るのである。たかが数行書くのに三日、四日、強いては一週間かかる事だってあるのだが、その長引く日数の中で、ではオレはいったい何をして精神を高めたのかというと、あえてオレはその悔しい思い出を克明に思い出す為に、同じ境遇に近い実話の洋画を何本も視聴して精神を高めた。そして何よりオレの心の奥底にある、この物語の巻末に実現したい目標が、どんな辛い事でも乗り越える精神を培ってくれた。それにはオレを信頼して、目標実現を心より待ち望んでくれている者達が居る事をオレは知っていたからである⦆