其の十五 遣り廻し
本宮の午後からの曳行は続いていた。青年団百三十人超えに加え子供会を合わせると、総勢百六十人近い綱の引きの強さは、これまでにない活気と遣り廻しのスピードがあった。この時分の春木地区での青年団の多い町は、旧市の曳行に参加する春木南、そして町面積が広い磯ノ上町だったが、この年の八幡町も引けを取らなかった。
⦅現在ではどの町も少子化の為、切磋琢磨して引手の人数を集めているようだが、中学校のクラス編成でも昔と今とでは歴然と違う。オレ達の頃は9クラスあったのも、今は3クラス程度となっているのに対し、中学校も廃校して合併するという話が持ち上がっている校もある。このように子供達の人口が激減していくと、当然祭りに参加する人口も激減していく訳で、それは岸和田祭りに限らず、祭りという伝統を守って行く上で、これからの未来に向けて、各地域でこの問題に真剣に取り組んで行かなければならない事柄であるとオレは思っている。言うなれば、山手の町と引き合いの花を交わすだけでは追いつかない時代が訪れるかも知れないのである。これはあくまでも一意見だが、枠を超えて違う都道府県の歴史ある祭りと、岸和田祭りで言うならば、花を交わす時代に突入して来ているのかも知れない⦆
午後からの曳行の中でも心に残る一番の遣り廻しは、午後の曳行の時間も残り僅かという所で、瀬尾が出演する『純情学園男組』のスタッフさんから連絡が入り、もう間もなく春木駅前に、今田耕司と東野幸治率いる番組出演者が到着するので、近くで待機していてもらいたいという連絡が入った時の事、駅手前の泉州銀行(現在では池田泉州銀行)で時間調整を行っていた。瀬尾の番組は9月に入って一週二週と一話二話の放送はもうすでに済んでいたので、青年団以外にも十五人組や若頭の各団体にも、青年団の瀬尾がテレビに出演している事は知れ渡っていた。しかしこの本宮の日に、八幡町にロケに来る事は青年団以外には言ってなかったので、この待機に十五人組からのクレームが入ったのである。だんじりの曳行というものは時間が限られているので、一本でも多い遣り廻しを皆したいのである。通常の休憩よりも少し長めのこの待機に、後ろ梃の十五人組からクレームというよりは野次や非難に近い言葉が飛び交い始めると、そんな野次や非難の声も泉州弁ならではのケンカ腰の汚い言葉に替わり始め、
「何やとコラァ~ッ、誰な今言うたヤツはァ~ッ! どいつじゃ~ッ、出てコォ~イッ!」
とオレもこうなる訳で……。
「武どないしたんなっ?」
とこの時、十五人組の組長と若頭責任者がオレを鎮めに来てくれたのである。二人に事情を説明すると、
「よっしゃ、俺らに任せとけ!」
と、二人は早急に各団体に事情を説明して対処してくれた。
そしていよいよ今田耕司と東野幸治率いる番組ロケ班が駅前に到着したという連絡が入った時、オレ達八幡町が一つになって動き始めたのである。待機というジレンマから解放された人達と、全国ネットでテレビに映るという喜びに満ちた遣り廻しは、この年、残すところ昼の曳行で二本の遣り廻しだけとなっていただけに、これまでにない凄まじい勢いがあった。