其の八 曳き出し
試験引きを経て、そして岸和田祭り本番の日が訪れた。曳き出しが開始される午前六時のおおよそ二時間前頃から、各町、各団体の責任者一同はこの年の曳行の無事を祈って、宮入りが行われる弥栄神社にて祈祷を行ってもらう為に参拝するのである。それを終えしばらくすると、まだ日が上らない内から岸和田の街では太鼓の音が響き出す。子供たちはその音を聞いて母親にハッピを着させてもらいだんじりに集まって来るのだが、青年団は子供たちより早くから綱を出して準備に取り掛かる。前日の試験引きではこれまでのどの年より素晴らしい遣り廻しだったと、その後の前夜祭では皆が笑顔で酒を飲んでいた。羽目を外し遅くまで前夜祭は続いたが、誰一人として曳き出しに遅れて来る者はいなかった。
早朝六時前、婦人会から曳行責任者への花束の贈呈と共にクラッカーが打ち鳴らされると、いよいよ曳き出しの太鼓の音が紀州街道に鳴り響いた。
「みな行くぞォ~~~ッ、祭り本番や、気合入れて行けよォ~~ッ!」
オレの鼓舞する声に、青年団一同は気合の入った声を張り上げた。
「よっしゃ行こかァ~いッ、行こかァ~~いッ!」
みな士気が高まったのか、それぞれがそう叫び出すとオレは笛を吹いた。始まりの笛である。太鼓の音が静から動へ変わると追い役の者達も次々に笛を吹き、男達の足がアスファルトから離れた。綱が張り絞られるギュという鈍い音と共にだんじりが動き始める。男達の気合の入った掛け声が太鼓の音と混ざり合い、日が上り始めた紀州街道に響く。一年に一度のこの曳き出しの瞬間が、男達一発目の鳥肌が立つ唯一の時である。
綱の左手を走る柳井に合図を送った。柳井はうちわを揺らして鳴り物の鐘に合図を送り、鳴り物がまた新たな音を刻み始めた。男達の掛け声のリズムも速へと切り替わり、足も速度を上げ、だんじりのコマが軋んだ音を上げた。これぞ男達が一年間に渡って待ち続けた岸和田祭りの晴れ舞台である。
男達の顔は笑顔に溢れ、皆の掛け声は生き生きとしている。後方から直進して来る自町のだんじりを見上げると、心なしか笑っているように見えた。だんじり祭りは五穀豊穣を祈願して行った稲荷際が始まりとされているが、この時のオレ達にそんな事は関係なかった。オレ達に課せられただんじり祭での義務は、いかに熱くなれるかだった。それが祭りである。
前を走る戎町の尻を追いながら本部前に近付いた。戎町が和歌山方面から駅前へと見事な遣り廻しで先に本部前を通過して行くと、続いて八幡町が停止線にだんじりを止めた。祭り本番第一発目の遣り廻しである。直角に折れ曲がった綱が張られ、青年団が頭を下げて遣り廻しの体勢に入った。要所要所に配置した追い役がそれを確認すると、次々に追い役のうちわが上がった。スタンバイOKの合図である。それを確認するとオレも右手に持つ『八幡町青年団 団長 山本武』とロゴの入ったうちわを最後に掲げ、そして遣り廻し開始の笛を吹いた。その笛の音を機に次々と追い役達の笛の音も辺りに響き渡り、鐘が駆け足の音を刻み出すと続いて小太鼓がそのリズムに合わせて駆け足を刻んだ。
「ドォ~ン!」
と大太鼓の迫力ある重低音が交差点内に響く。青年団の足が太鼓の音に合わせて駆け出すとだんじりが停止線から動き始めた。急激に速度を上げながらだんじりが交差点に進入して行き、青年団の緞子持ちがタイミングを見計ってインに入った。大屋根(大工方)が舵を切り、続いて小屋根(大工方)がうちわで小屋根を叩くと、連携された流れで後ろ梃が舵を切った。前梃の微妙な梃さばきもだんじりが正面を向く大切な役割を果たす。コマが弓矢のような放物線を描いてアスファルトに爪痕を残すと、だんじりが駅方面に向けて道路のセンターをキープしながら華麗なる遣り廻しを決めた。それに合わせて鳴り物がまた鐘、小太鼓、大太鼓と音を刻み直した。ギャラリーの歓声と太鼓の音が混ざり合い、男達の昂ぶりは最高点と達し、青年団は更に足の速度を上げてひたすら直進した。本日二度目の鳥肌が立つ瞬間である。そんな迫力ある遣り廻しを駅前、ラパーク前、と何週も繰り返し、力いっぱい曳いて走ってを二日間に渡って行うのだが、祭りに欠かせないのが酒である。休憩に入ると男共はビール片手に飯を食い、飲んで騒いで芸を披露しては一興し、また酒を飲む、それほど酒を飲んでよく走れるものだとお思いかも知れないが、休憩が終わり、まただんじりの曳行が始まると、一瞬にしてアルコールは汗となって蒸発するのである。二日間に渡って走りっぱなしでいられるのは、ある意味酒の力が大いに役立っているのかも知れない。
第2弾 海賊姫ミーシア 船長と魔の秘宝 第1章『赤ん坊になった船長』の連載が始まりました。岸和田㊙物語と共に閲覧のほど、よろしくお願いします。