其の七 走り込み
寄り合いは連日続いていた。この日オレは寄り合いの締め括りに毎日行われる走り込みを、楽しくかつ実戦的に行えないものかと思案していた。そこで思い付いたのが、二つ学年が上の相談役のくにたんに、
「くにたん、大型トレーラーのバカでかいタイヤ、中古でええから会社から貰って来られへんかな?」
と相談してみた所、
「何に使うんな?」
と聞くので、オレのアイデアを打ち明けた。それは、
「タイヤに綱付けて走り込みの練習に使おと思てんねん」
というものだった。
くにたんの返答は、
「おっ、それええやぁ~ん。タイヤやったら放かすようなヤツ何ぼでもあるから貰ってくるわ!」
だった。
あくる日、くにたんは会社から直径1・5メートルはあろうかというバカでかいタイヤを貰ってくると、早速それにドリルで穴を開けて綱を通した。
「出来たぁ~っ!」
「ウォ~~~ッ! めっちゃええやぁ~ん!」
子供だんじりならぬ、綱の付いたタイヤだんじりである。青年団のテンションはあがり、この日の締め括りに行われうる走り込みを早くもみな楽しみにしていた。
八幡町青年団の中には女の子達も在籍しいていた。10人ほどの仲の良い同じ学年同士で編成されたその軍団は、粒ぞろいの可愛い女の子たちが集まったAKB48ならぬ、八幡町レディース軍団である。その中心的存在の愛子と真奈美は、これまで八幡町を大工方や前梃でコンビを組んでけん引して来た、若頭に所属する田んぼちゃんとやっさんそれぞれの愛娘達である。そんな華やかな女の子達が青年団の詰所に居ると、男という生き物は単純なもので、男らしさや大胆さ、そして寛容な所を見せようと張り切り出すのである。その頂点で一番に単純な生物になっていたのは間違いなくオレだろう。チアリーダー効果というやつである。
そして何よりこのレディース軍団も若き青年団の志士達も非常に仲が良かったので、団長のオレとしては、青年団内に孤立するグループが無かった事が何よりやりやすかった。団長のその年その年の方針もさることながら、一番はやはり人と人の相性が、この年の青年団全体で非常に合っていたのかもしれない。
この日の花寄せもそこそこに集まり、そしていよいよ走り込みの時間がやって来た。
140キロ以上はあるタイヤを数人で会館前に出し、青年団みなが引ける綱をまずは道路に伸ばした。更にタイヤの上にオレが座ってウェイトを増し、青年団がみな綱を握った所で、
「ほなみな行こかァ~い!」
とオレが大声で叫ぶと、
「行こかァ~い! 行こかァ~い!」
と青年団の声が紀州街道に響き渡った。追い役の者達がうちわ片手に笛を吹いた。GOサインの合図である。オレの体重を入れて200キロ近いタイヤがいとも簡単に走り出した。青年団の、
「そうりゃ~ッ!」
という掛け声が夜の紀州街道を埋め尽くした。祭り本番さながらである。そのまま和歌山方面を直進し、しばらくすると本部前に差し掛かった。祭り本番に停止線がある位置にタイヤだんじりを止めると、みな頭を下げて本番通りの体勢に入った。タイヤだんじりで初めて行う遣り廻しである。オレは振り落とされないようタイヤの内側をしっかりと握った。そしてオレが、
「行けェ~~ッ!」
と合図を出すと、追い役の者が笛を吹いた。本物の総重量4トンを超えるだんじりと違い、すさまじい加速力でタイヤが発進したかと思うと、立て続けに鬼恐ろしい遠心力がオレを襲った。タイヤがアスファルトに擦られながら微かに焦げ臭い煙を上げていた。
「ひぇ~~~~~~~~っ!」
ジェットコースター並みのスリリングある遣り廻しである。これは小学生時分に曳いた子供だんじりよりも面白かった。それでいて引手の青年団もその快感を覚えたのか、遣り廻しが出来る交差点に着くたび楽しそうに実戦練習に打ち込んだ。気が付くといつものランニングコースの2倍は走っていた。
走り込みの後はいつも生ビールを飲んで皆で盛り上がり、そして頃合いを見て解散するのだが、オレの周りにはそれだけでは収まらない連中ばかりだった。となると会館を戸締りした後、そんな連中がオレや瀬尾が暮らすマウ二に集まって二次会が始まるのだが、この人数がこれまた多かった。レディース軍団初め、七つ下の学年までマウ二に集まって来るのだから、マウ二はいつも宴会場と化していた。祭りが始まるまでの期間、連日連夜こんな事をして深夜までオレ達は羽目を外していた。なのであくる日の仕事は、みな午前中は二日酔いで仕事を乗り切っていたという。
そして祭りの本番が数日後に迫ったある日、大道町団長のタツオちゃん初め、役をしている者達が親睦を深めるため八幡町に訪れた時、オレ達のタイヤだんじりを見て関心を示していたので、
「どやタツオちゃん。八幡町と大道町合同で明日このタイヤ引っ張ってみるか!」
とオレは声を掛けた。するとそれは面白いと、明くる日合同でタイヤだんじりを曳く事になった。
明くる日、待ち合わせた時間に大道町青年団がオレ達の詰所に到着すると、綱を延長しなければ皆で曳けない状態だった。その数はざっと見積もって200人は優に超えていた。
タイヤにはオレとタツオちゃんが二人座り、綱の右手には八幡町青年団、そして左手には大道町青年団、綱の長さは100メーター先の信号を越えていた。圧巻である。
引手の両青年団達も迫力ある人数に興奮気味である。
「ほなそろそろ行こかァ~いッ!」
オレが声を掛けると、たちまち鬨の叫びにも似た総勢200人を超える両青年団の雄叫びが紀州街道に響いた。合図はオレが掛ける事になっていた。胸元に垂らしている笛をオレは銜えると、気合の入った肺活量で笛を鳴らした。それを合図に追い役たちが次々に笛を鳴らすと、200人を上回る、
「そうりゃ~ッ! そうりゃ~ッ! そうりゃ~ッ!」
という掛け声と共に皆の足が右、左と動き始め、そこで早くもオレは第二笛を鳴らした。またもや次々に笛の音が鳴ると、掛け声のリズムもテンポを速め、タイヤが曳かれるスピードが増した。オレの横に座るタツオちゃんの興奮した嬉しそうな顔がオレを見つめ、またオレ自身も同じ表情でタツオちゃんの顔を見た。これほど迫力のある楽しい合同練習は後にも先にもないだろう。そう思えるほど、興奮冷めやらぬまでオレ達はこの日、春木の街で遣り廻しを楽しんだのである。
祭りというのは本番当日だけではなく、一年を通じて男達が熱くなれる事が真の祭りであると、オレはオッサンになった今でもそう思っている。