表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

105/141

第三十六章『平成十年度 団長記!』 其の一 采配

「タケッちゃん!」


 玄関で声がした。瀬尾の声である。この日寝屋川から瀬尾が越して来るのは心得ていた。189.5センチの大柄なその両肩から掛けられた大きいカバンを両腰付近にぶら下げて、左手には大きな紙袋、そして右手には大きなペット用ケージを持っていた。中には鼠色のウサギが入っていた。


「おぉ~、来たか瀬尾ぉ~」

「うん。しばらくお世話になるわぁ~」

「そらそうと右手のそれ何な?」

「あっ、これは大五郎」

「そのウサギが大五郎? お前は子連れ狼かぁ!」

「大五郎共々お世話になります~ぅ!」

「ていうか、避難食に飼ってるんか?」

「止めてやぁ~、タケッちゃん。大五郎食わんといてやぁ~っ!」


 瀬尾はそう言いながら風船のように頬っぺたを膨らませ、大きな図体の後ろにケージを隠した。


「冗談や、冗談!」


 オカンとオトンに瀬尾を紹介し終わると、早速瀬尾が寝泊まりする部屋に案内してやった。ばあちゃんが亡くなって以降、マウンテンの二階でオレは住んでいた。そこで瀬尾との共同生活がこれから始まるのである。人はこのマウンテン二階を略してマウ二と呼んでいた。マウ二では数々の伝説があった。ある時などオレがマウ二に帰ると、伊戸ちゃんや三浦達が勝手にマウ二に女の子達を連れ込んで、オレの部屋で早い内からコンパをしていた事があった。オレは即座に伊戸ちゃんを怒鳴り飛ばし、


「オイッ伊戸ちゃんッ! 女の子呼ぶんやったらなんでもっと早よオレに連絡してくれへんかったねェ~んッ!」


 怒鳴られた伊戸ちゃんは、


「えっ、怒る論点そこ……?」


 と拍子抜けしていた。

 そんな皆がよく集まるマウ二に瀬尾は越して来たのである。

 瀬尾の働き口は、以前オレと伊戸ちゃんが高校時分にお世話になっていた近所の鳶の会社を紹介してやった。社長の白井さんは、キャバレットでDJをしていたユキタカちゃんの兄である。


 平成九年も数日で終わろうとする頃、一年の締め括りの行事が青年団ではあった。夜警という名のその行事は、夜の九時ごろから会館に集まり、数人一チームで拍子木を一つ持ち、順番に町内を「火の用心」と叫んで巡回するのである。会館に行くと玄関には雑多に脱ぎ散らかされた履物があり、上がり框の向こうでは畳の上で座布団を囲み、若者達は夜警の順番が回って来るまで、株札で小銭を賭けて博打をしたりしては時間を潰すのだが、負けが込むとその日の後半には小銭がお札に替わり、皆真剣な面持ちで小遣いを稼ぐのである。そんな場で瀬尾は大五郎を連れて学と遊んでいたが、大五郎が瀬尾の腕からすり抜けてオレ達の札の上を飛び跳ねた。


「瀬尾ぉ~、ちゃんと大五郎見とけよぉ~っ! せっかく今ええ手来たのに~ぃ!」

「ごめんごめん。タケッちゃん」

「おいっ、誰か鍋持って来い! 今からウサギ鍋するぞ!」

「もぉ~っ、タケッちゃん! いつもそれ言う!」


 二人の掛け合いに、会館に皆の笑い声が湧いた。


「でもまあ~、青年団みんなで食うにはまだ大五郎小っさ過ぎるかなぁ~」

「いやいやいやいやいや、大五郎はこれ以上大っきなれへんから!」


 瀬尾は大五郎を我が子のように両手で抱きかかえ、オレから守るように顔はこちらを向けたまま背を向けた。その仕草を皆が見て、またもや会館に笑い声が湧いた。


「ところで瀬尾、お前なに食うてそんなデカなったんな?」


 ふと聞いたのは三浦である。


「鼻クソかなぁ~ ──」


 真面目に答えた瀬尾は、


「── 小さいとき俺鼻クソ食い物やと思とったねん」


 と続けた。


「えっ、お前鼻クソ食うとったんかっ!」


 二人の会話にオレも入った。


「そやねぇ~ん、中学上がるまで食うとったねぇ~ん」

「瀬尾、今から鼻クソ大五郎に食わせ!」

「もぉ~っ、タケッちゃ~ん。大五郎は勘弁してよぉ~!」


 こんな和気あいあいとした夜警なのだが、年末のこの行事が終わると同時に伊戸ちゃんの団長としての任期も終わり、そして新たな年を迎えた平成十年、いよいよオレが団長としての采配を振る、皆の期待に応える年が訪れたのである。

 前年度までの青年団の集まりは、よほどの行事がなければ祭りが始まるおおよそ二、三か月前の夏ごろから月一回の寄り合いをして、そして八月の中旬になると次第に準備も忙しくなり、祭りが始まる一か月前には連日連夜寄り合いをしては、寄付金を集う花寄せや祭りの為の準備に取り掛かるのだが、オレは年が明けた次の月に早くも徴集をかけた。それにはオレなりの思惑があった。まず団長以外に副団長の発表もしなければならなかった。通常副団長は二人と決まっているが、オレはこの日副団長に、これまでオレの傍でいつもサポートしてくれた三浦、そして誰以上に心強い縁の下の力持ちタッケン、そして通常三人目は例外ではあるが、山口県出身の柳井を任命した。これには理由があった。以前にも述べた事があるが、この頃はまだ自町に住んでいる者しか町会から団長として認められていなかった。現代でもその風習は変わらない町もあるようだが、そうなると団長をする年の学年が仮に居なかった場合、二年に渡ってその学年で団長をしなければいけない年が出て来るのだが、問題はそんな事ではなかった。次の学年に自町に住んでいる条件を満たした者が仮に居たとして、この者が人を統率する力もなく、言い方は悪いが親のすねをかじったただの阿保ぼんだったとしよう。只々自町に住んでいるだけという理由でその阿保ぼんを団長に据えたとして、誰がそんな者に付いて行くだろうか! 団長とはその年の御輿(みこし)である。担ぎ手が居ての御輿である。自町に住んでいなくても人望ある人物がするべきである。阿保ぼんを団長に据えると、決まってそれ以降に青年団が減少し衰退していくのである。なのでオレは前々からこの風習をオレの年で終わらせようと考えていた。例え町会が反対しようともオレはこれを通す腹積もりでいた。来年の事を考えれば柳井をおいて他に人望のある人物は居なかった。再来年は自町に住む学、そしてその後に続く自町に住む武(武田 武)こと通称タケタケだと、オレの中ではすでに団長候補は決まっていたが、学に繋ぐ自町に住む学年が居なかったのである。オレの役目が終わっていきなり柳井にバトンを渡した所で、町会のオッサン達の反対は必ずあるものと予想していた。そこで柳井にこの年副団長という実績を作っておく必要があったのである。オレなりの先を見越した采配である。

 そしてこの日徴集をかけたもう一つの思惑が、青年団の編成は高校一年生になった新団と呼ばれる年から、約二六、七才までの各学年の集合体で成り立っているのだが、一年に一度の岸和田祭りに向けての青年団ではあるが、その二、三か月前から顔を合わせてそれぞれの学年では顔見知りが居るものの、他学年同士の信頼関係は成り立っているのかと聞けばNOだった。年下の子達は年功序列という名の許に、本来、人と人との信頼関係もない、只々年上というだけで意見も(ろく)に言えず間違った事を指示されても、


「わかりました……」


 と納得もいかないまま従っているような所を、オレは過去の青年団を卒業して行った人達によく見受けられた。オレが青年団に所属して間もない頃、ある時オレは上の者にこう言われた事があった。


「岸和田祭りは年功序列や! 黙って上の者の言うこと聞いといたらええんじゃ!」


 こう言った先輩をオレは決して尊敬しなかった。バカである。勿論オレの性格からしてそんなバカな先輩には噛み付いていった。年功序列の本当の意味を穿き違えているのである。オレの考えはこうである。年功序列という歳上を敬う気持ちにさせてくれる、弱気を助け、強気を挫く、尊敬出来る先輩であるならばオレも黙って言う事を聞くが、これまで見て来た先輩達は、自身の私欲や保身に走る人があまりにも多かったのである。弱き歳下の者を歳上の者が庇ってやるのが男である。そういった男らしい先輩があまりにも世の中には少なすぎるのである。オレの目の黒い内はこういった事には目を瞑らなかった。そういった事もあってオレはそんなバカな歳上からは煙たがられていたが、しかしオレの身の回りの仲間内はオレの考えを理解してくれていた。そして何より、オレより歳下の者達もオレの背中を見て成長してくれていた。オレがこの年団長をする事を心から喜んでくれている者達が、このとき八幡町青年団として成り立っていたのである。

 そして信頼関係を生むには即席の祭り前の集まりだけではなく、年間を通じて人と人の繋がりを深め、縁を大事にして行かなければならないと常日頃思っていた。そういった意味も踏まえてオレはこの日の集まりに、今後、行事がなくとも、毎月一度は寄り合いと称し皆が集まる事を決定事項とした。嫌々集まるのではなく、月一回の寄り合いを楽しみに集まるような場である。更に一人一人が八幡町青年団としての誇りと自覚を持てるよう、新団一年目から最年長の相談役十二年目から十三年目の者達までの、それぞれ一人一人の名前の書いた札を会館内に掛けるよう指示した。札の文字は日頃から自転車の泥よけに文字を書きなれている、自転車屋のとっちゃんに墨と筆を使ってカッコよく書いてもらった。それぞれのフルネームが入った青年団全員の札が壁に掛けられると、みな嬉しそうな表情でそれを眺め、それでいて各学年には何人在籍しているかも一目で分かりやすく、歳の離れた間柄でも一人一人の名を覚えられると好評だった。一番の効果は、この地点で九十名ほどの札が、一人でも多く掛けられて行く事にみな喜びを感じていた事だ。意識改革である。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ