第三十三章『こなから坂』
数か月が過ぎた平成八年のこの年、オレは綱元責任者を一学年上の草やんを相方にする事になった。綱元とはだんじりの引綱の最後尾一番から四番までをいい。だんじりに一番近い一番が綱元責任者となるのである。だんじりから伸びている最後部の引綱は重心が低い為、緞子と呼ばれる綱を輪っかに編んだものを引綱に編み込んで延長し、だんじりを引きやすくはしているものの、遣り廻しの際には綱元は危険性が伴い、そしてまた遣り廻しの際に綱を道幅に対してインコーナーに入れるタイミングが遣り廻しに大きく左右する為、重要な役回りといっても過言ではなかった。そんな役回りをこの年する事になったオレは、寄り合いが頻繁に始まり出す七月頃からヤル気十分だった。しかし翌月に替わり八月に入ると不測の事態が起こった。
現在では八幡町会館は新会館と旧会館に別れて、旧会館を青年団専用の会館として独立して使用しているが、この頃はまだ新会館が無かった為、旧会館を町会と青年団が使い、十五人組と若頭は、寄り合いが始まる期間内は近所の倉庫を詰所代わりに借りていたのだが、この年はその倉庫が借りれず、各団体が今の旧会館に集結するという事態が起こった。二十畳ほどのスペースに各団体が入るのには勿論無理があり、当然そうなると、誰が言い出したか解らないが年功序列の岸和田祭りという言葉があるくらい、一番年下の青年団の居り場が無くなったのである。
この頃オレとマッサンが、八幡町に青年団が増えない理由の一つとして挙げていたのが、独立した青年団の詰所がない事が一つの要素と考えていた。一六才から二六才までの若者は、各家庭でも独立した自分の部屋を持ちたい年頃である。いつまでも町会と同じ部屋でオッサン達と顔を突き合わせ、何をするにも押さえつけられながら祭り事をするのは、オムツを替えられながら祭りをするようなものだった。
この事態に一学年上の八幡町で幼なじみでもある、この年青年団団長の自転車屋のとっちゃん、そしてとっちゃんと同世代の二人、副団長のマッサン、そして同じく副団長の伊戸ちゃん達が、
「武どうする?」
とオレに相談を持ち掛けて来た。オレの見立てはこうである。逆境を自立に替える時期が訪れたとオレは判断したのである。
「よっしゃ、ほなオレがなんとかするわ。任せとき!」
とオレはマウンテンに駆け込み、オカンとオトンに事情を説明して、マウンテンの向かいにある倉庫代わりにしているスペースを貸してくれと頼み込み、了承を得たオレは早速とっちゃんに報告して、青年団総出でその倉庫の中を片付け、ブルーシートを敷いて青年団の詰所を確保した。初めて青年団が独立した詰所を持てた瞬間だった。更に嬉しい事に、翌年には新会館建設の目処が立っていたので、今年を乗り切れば来年から旧会館を青年団専用の詰所に出来るとみな喜んでいた。
そんなこの年の寄り合いでの思い出深い出来事は、
「そやけど一回旧市のこなから坂走ってみたいよなぁ~」
と寄り合いの最中、何気なく出た言葉から、
「ほな今日の走り込みは岸和田城まで行くか!」
とオレが言い出したのである。
青年団の寄り合いでの様々な目的事項の中に、走り込みというのがあるのだが、祭り本番に向けて寄り合いが行われている期間中は、その日の寄り合いの締め括りに、皆でランニングをするのである。そのランニングコースは通常春木地区内を走るのだが、祭り本番とまではいかないまでも、旧市への憧れから、せめてランニングコースだけでも一度旧市を走ってみようという事になったのだ。
二つ上の相談役のくにたんが、度肝を抜かれた顔をして聞いてきた。
「一度は旧市曳いてみたいって気持ちはみな多少なりともあるんやったら、一回行こよ! 別に春木地区やからいうて岸和田にはかわりないんやから、胸張って岸和田城まで行ったらええやん」
「綱長の武が行こ言うんやったら俺らも行くよ!」
とくにたんがそう言ってくれると、
「よっしゃ! 行こ行こ!」
と皆にも熱いノリが伝染し、若い者たちも声を揃えてヤル気をみせた。しかし詰所前で整列して走り出す前の皆の表情は、期待感に加え、赤信号みんなで渡れば怖くない的な表情をややしていた。そして祭りの本番さながらに、
「そぉ~りゃ!」
という掛け声を出し、紀州街道をひたすら南へとランニングを始めたのである。
しばらく走ると春木地区と旧市地区の境目でもある春木川の太鼓橋に差し掛かった。そこを抜けると下野町に入るのだが、その地点に入った所でみな遠慮気味に声が小さくなった。
「オイオイ、お前ら声出てないやんけ、何を小さなって走っとんねん! しっかり声出さんかいッ!」
オレが喝を入れるとまた声が大きくなった。
下野町を抜け並松町に差し掛かった所で、次は旧市の何処の町だか解らないが百人は優に超える団体とランニングですれ違うと、その旧市の青年団の数に圧倒されつつも、負けないぐらい大きな声を張り上げて更に岸和田城を目差した。そしてようやくこなから坂に到着したのである。
「ええか! 春木の祭りを曳く限りは、このこなから坂は一生だんじりで上る事はないやろうけど、今日は本番のように思いっきり駆け上がろうぜ!」
オレが皆に声を掛けると、
「よっしゃ行こォォォ~~~ッ!」
と皆の大きな声が叫び返してきた。テンションも気合も十分である。オレ達は祭り本番さながらに、元気な声を出して生まれて初めてこなから坂を皆で駆け上った。こなから坂を上り切った皆の表情は、たとえ走り込みの練習だとはいえ、みな満足した高揚感ある表情をしていた。そのあとオレ達は城に向かって歩いて行った。するとそこには旧市各町の青年団が本番の宮入りに向けての練習を行っていた。オレ達八幡町青年団の僅か七十名ほどに対し、旧市各町の青年団の数は、少なく見積もってもその倍の人数が居り、オレ達が近付いていくと、
「おい、あれどこの町な? 見れへん顔やのぉ~」
などとひそひそ声が聞こえ出した。その声に内の連中は、先程までの高揚感ある表情は消え失せ、少し場違いな所に来たのではとみな照れ臭そうにしていた。
「よっしゃ、ほな帰るか!」
これ以上居ては皆の士気も下がるとオレは判断し、また春木目差して走り始めたのだが、若い連中はよっぽど恥ずかしかったのか、こなから坂を下りる速度は先ほどよりも早かった。懐かしい思い出である。