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第二章『大芝春の陣』 其の一 一日の始まり

  サバンナの大平原で、オイラは前肢と後肢を交互に動かし、大自然を自由に駆け回っていた。眼下でたくましく動くオイラの前肢は、大地を蹴り、(たてがみ)をなびかせ、サバンナの王者の風格を肌で感じ、壮大な平原を駆け回る喜びと脈打つ熱い血が、生命誕生の素晴らしさを全身で味合わせてくれていた。

 数十メートル先の茂みの前まで来ると、茂みの向こうに黄色地に黒い斑点模様が見えた。気付かれぬよう肢を止め、少し低く構えて眼を凝らした。するとおかしな事に、頭の中に水前寺(すいぜんじ)清子(きよこ)の『三百六十五歩のマーチ』が流れ始めた。


♪ しあわせは~ 歩いてこない

♪ だから歩いて ゆくんだねぇ~


 茂みの向こうにいる動物はチーターだった。初めての獲物である。

 そ~っと前肢を一歩踏み出し、一歩、更に一歩と、三歩まで近づいた所でチーターがピクリと耳を動かした。チーターに気付かれぬよう体勢をゆっくり下げながら、姿を隠せる所まで二歩さがった。


♪ 一日一歩 三日で三歩

♪ 三歩進んで 二歩さがる


 突然風向きが変わった。風に乗ったオイラの匂いに、チーターが気付いて咄嗟に駆け出した。オイラも地を蹴り獲物を追った。どれくらい獲物を追って疾走しただろう。気が付けば初めて目にする春草地帯に足を踏み入れていた。草むらに逃げ込んだチーターを取り逃がしてしまうと、不思議と頭の中に流れる『三百六十五歩のマーチ』が鳴り止んだ。そしてしばらく草原を徘徊していると、少し先になめらかな岩が連なった場所を見付けた。岩の上には数頭の雌ライオンの集団が、気持ちよさそうに日向ぼっこしていた。他のライオンの縄張りとは解っていても、言うまでもなくオイラは雌ライオンたちに近づいた。近くまで来てみると、小高い岩の上に腹ばいになっている絶世の雌ライオンを見付けた。その雌ライオンに心を奪われた。もう少し近付いてみると、岩場の陰からボスらしき体の大きな雄ライオンが、姿を現しこちらに向かって咆哮して来た。


「ガォーーーッ! オマエさっきから佐藤陽子のこと見過ぎなんじゃ~ッ、ボケッ!」


 どこかで聞いたセリフである。しかも昨晩観た野生の王国(テレビ番組)が微妙に錯綜(さくそう)していた。

 当然のごとく雄ライオンはオイラに向かって牙を立てて来たが、オイラは雄ライオンの太い首に噛み付き、雄ライオンを投げ飛ばした。

 ますますもってどこかで体感した場面である。

 足元で伸びている雄ライオンを他所に、オイラは小高い岩の上で腹ばいになっている絶世の雌ライオンを見た。すると雌ライオンはゆっくりと立ち上がった。腹部には愛犬グースカよりも立派な一物が付いていた。

 絶世の雌ライオンと思っていたライオンは、鬣が抜け落ちたただの雄ライオンだったのである。


 とここで……。


 耳を(つんざ)く目覚まし時計の騒音が鳴り響き、オイラは奇妙な夢から目が覚めた。


「あんた早よ起きやぁ、幼稚園遅れるで」


 大好きなヨボヨボの声がした。

 オイラは寝ぼけ(まなこ)を両指で擦りながら、現実の世界へと引き戻された。

 目の前には大好きなシワシワのほっぺたがあった。オイラは躊躇(ちゅうちょ)する事なくフミのばあちゃんのシワシワのほっぺを両指で摘まんだ。

 幼稚園二日目の朝である。

 フミのばあちゃんのほっぺたは超気持ちいい。シワシワのふにゃふにゃのふにゅふにゅで、まるで肌触りのよいお手玉を触っているみたいに、触れるだけで朝から幸せな気分になってくる。フミのばあちゃんとは、実のばあちゃんのお姉さんで、つまり祖母の姉である。八人家族の中でもオイラが一番大好きな、一番慕っている、世界で一番仲の良いばあちゃんなのである。


「あれ、なんでフミのばあちゃんが起こしに来たんよ?」


 牛乳瓶の底のような、分厚い遠視眼鏡レンズで拡大されたフミのばあちゃんの目を見つめながら言った。


「あんたその前に、ほっぺた離してくれへんかぁ?」


 両ほっぺたをオイラにニギニギされながらフミのばあちゃんが言った。


「えっ、あぁ、これ?」


 フミのばあちゃんのほっぺたの感触を惜しみながら、オイラは指を離した。

 ほっぺたから指が離れると、


「わたしが起こしに来たんは、店の仕入れが──」


 とフミのばあちゃんが説明してくれ始めた。

 フミのばあちゃんの気持ちいい部分は他にもう一つある。悪いが変な想像はしないで頂きたい。なにせもう六十歳を()うに回ったばあちゃんなので!

 それでは解説しよう。そのもう一つの部分とは、ズバリ『フミSK2』である。

 フミSK2とは、フミのばあちゃんの肘関節のシワの部分で、すなわち、


 S……すっごくシワシワ。

 K……金玉袋のようによく伸びる。

 2……痛風(つうふう)にも耐え日々生きている。


 の略である。決してSK2と書いているからといって、ドモホルンリンクルのような化粧水の類ではない事をお解かり頂きたい。このSK2を一度(ひとたび)触ると、どんなに眠くても、たとえそれが吹雪の激しい雪山で遭難して睡魔に襲われようとも、その気持ち良さのあまり目が覚めるという優れものなのである。とにかくフミのばあちゃんのほっぺたと、この『フミSK2』を触らずして、日本の未来に夜明けが来ないほど、すっごく気持ちのいい代物なのだ。


「──ほんで今日からわたしが……って、あんた! 人の話聞いてるかぁ?」


 オイラがSK2を触りながら、『フミSK2』の解説に勤しんでいる間のフミのばあちゃんの説明によると、なんでもスーパーの商売が忙しくなり、今日からお母ちゃんも、早朝から市場の仕入れに行かなければならなくなったのだそうだ。だけどオイラにとってはその方が都合よかった。朝からうるさく寝ションベンで怒られる事はなかったし、それに目が覚めると、手が届くほど近くに大好きなフミのばあちゃんが居てくれるのが何より嬉しかった。しかしそれも長くは続かなかった。後に小学校に上がると、早朝五時からたたき起こされ、毎日市場の仕入れに付いて行かされては、仕入れた品物をトラックに積み込む手伝いをさせられるようになるのである。


 着替えて下に降りて行くと、食卓にはみそ汁とご飯それに焼き魚といった、朝ご飯の代表選手ともいうべき朝食が調えられていた。もちろんフミのばあちゃんの手料理だ。

 うちの両親は共働きで、それにじいちゃん達もそれぞれ働いていた。まず務のおっちゃんとばあちゃんは、父ちゃんが経営するスーパーで働いていたし、じいちゃんは日曜日の午前中は、スーパーの二階にある十二畳ほどの部屋で書道を教えていた。そしてフミのばあちゃんは、毎日家族八人分の家事全般を受け持っていた。昨日まで朝ご飯はお母ちゃんが作ってくれていたが、今日からは、それもフミのばあちゃんが受け持つ事になったのだそうだ。


「ちゃんとこれも鞄に入れて」


 玄関で靴を履いていると、フミのばあちゃんが弁当を持たせてくれた。家を出しなにばあちゃんから食べ物を持たされると、なんだか鬼が島に鬼退治に行くような気持ちになってくる。しかも玄関先で愛くるしくお座りをしながらこちらを見つめてくる愛犬グースカは、桃太郎の絵本から飛び出て来たような紀州犬ぽい真っ白な子犬だ。


「あんた、早よしいやぁ~」


 外で待っている姉ちゃんが言った。


「ちょっと待ってえやぁ~っ」


 慌てて靴を履きオイラは玄関を飛び出した。

 グースカの横を通ると、「なぁ~、兄ちゃんて、出て行くんやったら頭ぐらい撫ぜていってぇなぁ~」とでも言うように、真っ黒な愛くるしい円らな瞳で、上目使いにオイラを見ながら一声泣いた。


 大芝幼稚園までは昨日より早く着いたように感じた。


「ほなあんた、賢ぉ~しとかなアカンで、ケンカとかしなや」


 姉ちゃんは長女風を吹かせて、時折、母親染みた事を言ってくる。


「うっさいわっ、お母ちゃんみたいなこと言うなや!」


 昨日の事があったので、ケンカという言葉に内心ドキッとしながらも、いつものように言い返した。母親には弱いが姉にはめっぽう強いのである。

 姉ちゃんはオイラに言い返す代わりに、ひと睨みしてから舌打ちして校舎へと消えて行った。年子にありがちなよくケンカをする姉弟なのである。

 正門から幼稚園の敷地を見渡すと、お山のトンネルでは早くもたくさんの園児達が、それぞれ気の合う友達たちと楽しそうに仲良く遊んでいた。早速オイラも遊ぼうと鞄を地べたに置き掛けたが、正門に立っている先生に、


「先に教室に鞄を置いてらっしゃい」


 と窘められ、しぶしぶ幼稚園の建物の中へ入った。

 この後お山のトンネルで、五才児にして、早くも生まれて初めての気持ちいい体験をする事になるのである。


 階段を上り廊下に出てみると、えっちゃん含むハモレンジャーが、またオイラの事を待ち構えていた。よく見ると江籠くんもいた。今日もまたケンカを吹っ掛けて来るのかと思うと、邪魔臭さに溜息が漏れた。だけど教室に近付くにつれ様子が違う事がわかった。昨日の態度とは打って変わり、友好的な態度を示して来たのだ。彼らの笑顔には好戦的な表情はなく、オイラの顔を見るなり、「あっ、親分!」 と親しみを込めて近付いて来たからだ。

 親分と呼ばれた照れ臭さと戸惑いから、「オッス」と声を掛けるつもりが、「オッツ」になってしまった。それを聞いたみんなの顔に笑顔が溢れた。だけど親分と呼ばれるのは抵抗もあったし興味も無かった。興味があるといえば親分よりもかわい子ちゃんの方である。なのでみんなに親分と呼ぶのを止めるように頼んだ。するとみんな最初の内は怪訝そうな顔をしていたが、それならと、たけし君と呼んでくれるようになった。大芝幼稚園で初めて友達が出来た瞬間だった。


 鞄を置こうと教室に入り掛けた時、神様のいたずらか、例のかわい子ちゃんとバッタリ出くわした。いきなりの遭遇に驚いたオイラは、緊張のあまりその場に呆然と立ち尽くしてしまった。

 いつものオイラなら、「やあ、おはよう。今日もひじきのような黒髪がチャーミングだね!」と、女の子には気の利いた言葉を掛けれたが、初めて心を奪われる人に出会ってしまったオイラは、以外にもあかんたれだった。声を掛けるどころか目を見つめるだけで、その場に突っ立ったまま、通せんぼするように入口を塞いでしまったのだ。

 オイラが彼女の立場なら、じ~っと見つめられたまま、通せんぼするように入り口に立たれたら、ハッキリいって良い印象は受けないだろう。ましてや昨日の事があるので尚更(なおさら)だ。

 彼女はオイラの目をぶすっとした表情で睨みつけると、早くそこをどいてよ! と言わんばかりに鬱陶(うっとう)しそうな顔をした。オイラは「ハッ!」と気付いて通行を譲った。すると彼女はオイラの横を「フンッ!」とそっぽを向いて通り過ぎて行った。

 やるせない自分に「ハァ~~~っ」と溜息が漏れた。

 最悪の一日の始まりである。


「たけし君早よ行こよ」


 後方からオイラを呼ぶ声が聞こえ、慌てて鞄を置き廊下に飛び出した。

岸和田㊙物語シリーズとは別に、ローファンタジーの小説、

海賊姫ミーシア 『海賊に育てられたプリンセス』も同時連載しておりますので、よければ閲覧してくださいね!                                 作者 山本武より!                                  

                                      

『海賊姫ミーシア』は、ジブリアニメの『紅の豚』に登場するどことなく憎めない空賊が、もしも赤ちゃんを育て、育てられた赤ちゃんが、ディズニーアニメに登場するヒロインのような女の子に成長して行けば、これまでにない新たなプリンセスストーリーが出来上がるのではと執筆しました。

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