表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
1/2

本編

「この戦、勝てると思うか」

隣の戦友が口を開いた。私への問いというよりは、彼自身への問いのようでもあった。彼は私でもなく、敵が来るであろう方でもなく、どこか遠くを見ていた。


 私たちの主君は劣勢に立たされていた。京で権力を握っていた一族は西へ逃げ続け、もう後はなかった。海軍の戦力は私たちの方が上といっても、それだけだった。連敗していた私たちの軍の指揮は最悪といっても良い。


 そのような状況では弱気になるのも無理はない。私も「きっと負ける」という予感を持っていた。だが、彼がその言葉を発するとは思っていなかった。彼は矢の雨が降ろうと、名のある武人と対面しようと、決して弱音を吐かない男だ。


「驚いたな。お前がそのような事を言うとは思わなかった」

私は答えを出さなかった。ただ、二人の間に流れる悪い空気を一掃するため茶化すように言った。


「――最期に嫁さんのご飯が食いたいなあ」

私の言葉を聞いているのかいないのか、彼は呟いた。彼が食べたい料理とは違い、私たちに支給されている食料は保存の効く物だ。正直に言って味は良くない。彼はため息を吐き、それを一口かじった。


「大切な、待っている者がいるにも関わらず贅沢な奴だ。私の家族は風流が分からぬ私を暖かくは迎えないだろうな」

「あんたは上流階級出身だったか」

「よせ。私の家は単なる貧乏貴族。上流階級と言えたものではない」

「知るか。庶民から考えれば立派な上流階級だ。あんたは昨日抱いた赤子が冷たくなっている感覚を知らないだろう?」

「そちらこそ知らないだろう。腹と腹の探り合い――醜い権力争いを」

私たちは暫く黙りこくっていた。


 沈黙に耐えかねて私が口を開くのと同時に彼が言葉を発した。彼も私が話し出そうとしたのは分かったらしく、少し戸惑っていたが私が話すように言うと、ゆっくり話し始めた。


「さっきは熱くなって悪かった。あんたにも悩みがあったのは意外だった……」

「こちらこそすまない。……冷たくなる感覚。私にも少し分かる」

彼は「聞かせてほしい」と言いかけて止めたようだった。開きかけた口の閉じ方が分からないのか、どこか隠れる場所を探すように目が忙しなく動いている。


「聞きたいなら教えよう。そもそも話すつもりで言ったのだから」

言い当てられたことに驚いたのだろう。彼は目を丸くした。彼は少し迷ってから「聞かせてくれ」と小さいがはっきりとした声で言った。


「私には許嫁がいた。彼女は私に似合わぬほど素敵な女性だった」

それを否定しようとする言葉を止める。戦場の中での私しか知らない彼に、私と彼女の事をとやかく言われる筋合いはない。


「卑下をしているわけではない。事実だ。彼女は美しい字を書く人だった。和歌の才もあり、手紙を出すと私が恥ずかしくなるほど素晴らしい返事をしてくれた。他の家に生まれていれば、私のような凡人と親しくすることはなかっただろう」

私は空に瞬く星を見た。彼女もあの星のように、情けない私の姿を見ているのだろうか。


「そんな彼女に神も嫉妬したのだろうか。彼女は体が強い方ではなかった。……ある時、流行病が京を襲った。彼女の病が無事に治るように、私は祈り続けた。何度だって祈った。私が代わりに死んでも良いとまで思っていた」

口を潤すため、水分を流し込む。溢れ出そうになる感情を一緒に飲み込んで話を続ける。


「彼女はやがて儚くなった。儚いという字は"人の夢"と書くが、彼女が私の夢だとしたら、どうして死んでしまったのだろうか。……幸せを失うくらいなら初めから知らなければよかったのに」

「夢は朝になると覚めてしまう。記憶も曖昧になって、存在すらも忘れてしまう。……そういうものだ」

「ならばいっそ、目覚めなければ良かった。目覚めなければ儚いと思うこともない」

「それは困る。目覚めてくれないと俺はあんたに会えないからな」

彼は私の頭を豪快に撫でた。初めてだった。誰かにこのように撫でられるのは。母は私に厳しく接していた。だから撫でてもらった記憶はない。もちろん、それは愛ゆえに厳しくしていたのは分かってはいたが。


 父は姿すら曖昧だ。まして、撫でられた記憶などない。私の家は裕福ではなかったから、他の家にも通っていたのだろう。


 あまりの力強さに首をもがれるのではないかと思ってしまう。僅かに怒りを含んだ目で睨むと、彼は軽く笑って手を話した。


「勢いが強すぎたか? 悪かったな。袖を濡らすあんたが近所の子供みたいに見えたんだ」

「情けなかったか?」

「ああ。だが俺は良いと思うぜ。見ているのは俺だけなんだ」

頭に伸ばされそうになった手を退ける。少しだけ肩の荷が降りたような気がした。


「ならば情けない姿は見せられないな。先ほどはすまなかった」

「俺が頼りないのか?」

「逆だ。戦友として隣に立ちたいのだ」

「それは嬉しいことだな」

彼は照れくさそうにした。それを隠すかのように、「何か一句詠んでくれ」と私に頼んだ。


「ぬばたまの闇夜を照らす朧月雲隠れども巡りあひなむ」

「へえ。どんな意味なんだ?」

「……自分で考えろ」

「辛辣だなあ。なら、二人で和歌を作ってみようぜ」

「連歌か。言い出したのだから、素晴らしい上の句を作ってくれるのだろうな?」

「圧力をかけないでくれ。あんたと違って慣れていないんだ……」

空や草むらに始まり舟や武具、私を順に見て、頭を抱えていた。言い出したくせに何も考えていなかったらしい。普段の彼らしい。やはり彼には沈んだ空気は似合わない。


 彼は一度咳払いをして、口を開いた。


「白妙の袖が乾かぬ友あれば」

「ながめながるる干る間はなし」

「暗い句になったな?」

「お前が袖が乾かぬとか言うからだ。……私はそんなに泣いていたか? 私はお断りだ。こんな歌が最後になるのは」

「俺もだ。この戦でも汚く生き残って、より良い句を詠んでやる」

私たちは顔を見て笑った。京にいた時には出来なかった晴れやかな顔。今はこの時間が愛おしい。目元をそっと触る。もう涙は乾いていた。


「不味いな」

残っていた食料を食べ切った彼が溢した。私も一口かじる。仕方がないことだが、美味しくない。


「これを最後の食事にはしたくねえな」

残っていたものを口の中に入れ、頷く。酒でも飲みながら、「こんなことがあったな」なんて笑い合いたい。


 私と彼は明日に備えて眠りにつく。


「お前だけでも生きて帰そう。……お前には待っている者がいるのだから」

「面白い!」と思った方も「つまらない」と思った方も

よろしければ、下の☆☆☆☆☆から評価をお願いします。

素直な評価でOKです。


また、感想を頂けると嬉しいです。

今後の創作活動の参考にさせていただきます。


次の話は補足です。物語自体はこの話で終わりです。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ