強敵
この少女に道案内など、ラストルも期待はしていなかった。彼自身は魔物を追いながら森を移動していたので、森の外へ向かう方向なんてわかるはずもない。
ブライゼ達と会ってからここまで歩いて来た道だけなら、ラストルも何とかなる。だが、それ以上となると、もう駄目だ。
ここでの頼りはブライゼ。だからこそ、クレディアの目的が果たせたらみんなで森を出よう、と言ったのだが……。
ブライゼはどこまでわかっているのか、という不安が今頃になってわきあがってきたラストルだった。
「まぁ、たぶん」
「お、おいっ。たぶんって何だよ。おれはようやく剣の呪いが解けて、クレディアはせっかく呪いを解く草を手に入れたのに。全員がここで迷子なんていやだぞ。お前、魔法使いなんだから、いざとなれば何とかなるんだろ?」
ブライゼは冗談で言ってるつもりだが、ラストルはまともに受け取る。
鍛えられた長身はブライゼよりわずかに高いのだが、精神レベルはクレディアと同じなのでは、と思うようになってきた。真面目と言うのか、純粋と言うのか。
そう思うと、からかいがいがある。
「まぁな。道を知ってる訳じゃないが、出られる自信はある。そんな泣きそうな顔をするなって」
「だ、誰が泣きそうなんだよっ」
赤くなりながら反論する姿は、やっぱり面白い。
「ブライゼ……本当に出られる?」
「ああ、出られる」
女の子相手だと口調が優しくなるのは、人間も竜も同じらしい。
「じゃ、帰るか」
そう言って、踏みだしかけたブライゼの足が止まる。
「また来るぞ」
「ったく……静かに進ませてもらいたいな」
ラストルが軽く溜め息をつく。ブライゼもそうしたかったが、次の瞬間に全身が粟立った。
今、出て来るか。こんな奴が……。
これまでに何度か感じたことがある、いやな気配。森や山などの主レベル、と言える強さの魔物だ。
竜であれば何ということはないが、力が落ちている今は身体が本能的に危険を感じる程の厄介な相手。
いつもなら、緊張しながらも喜んでいた。かなり厳しい状況になるかも知れない、つまり指輪が外れるかも知れないから。
しかし、今は困る。ブライゼが苦戦する程の相手だ、すでに満身創痍に近い剣士ではさらに苦戦を強いられるだろう。クレディアのような、魔法も剣も使えない普通の女の子など、論外だ。
「ラストル、構えろ。次は今までの奴らとは違うぞ」
すぐに逃げろと言いたいが、魔物はもうこちらに気付いている。そう簡単には逃がしてくれない。
ブライゼの真剣な口調に、ラストルは剣を抜いた。
雑談では冗談を言うブライゼも、魔物が現れることを告げる時は本当。
短い時間の中でもそのことがわかったから、その言葉を疑わない。
「クレディア、手に入れた物を落とすなよ」
「う、うん」
クレディアは金の草が入った布袋を、慌ててポケットに押し込んだ。数本しかなかったことが、今は幸いしている。ぱんぱんになってポケットに入らない、ということがないから。
上着のポケットに袋をしっかり入れたのを見て、ブライゼはクレディアを小脇に抱えた。
「少しでもここから離れるぞ」
そう言って、その場から走り出す。ラストルもブライゼに続いた。
こちらに気付いた魔物が見逃してくれる、とは思っていない。それでも、もしかすれば運良く別の何かに興味を持って視線を外す、ということもありえる。
その間に魔物の視界やテリトリーから離れれば、余計な交戦をせずに済むかも知れない。そうなれば、今まで現れた魔物のレベルから考えれば、この先は無傷で森を出ることができるはず。
……そううまくいくとは思えないが、こうして関わった以上、この少女を森から出してやりたい。ようやく解放されたこの剣士も。
頭上でうなり声がした。その声はそのまま通り過ぎ、ブライゼ達が逃げる方向へと移動する。走る獲物の上を飛び越えたのだ。
危険を察知して、ブライゼは足を止めた。勢いで行き過ぎるラストルの腕を、ブライゼが掴んで止まらせる。
次の瞬間にどしんと大きな音がして、目の前に巨大化した黒い熊のような姿の魔物が現れた。
ブライゼに抱えられているクレディアが、それを見て悲鳴が出そうになった口を押さえた。余計な刺激を与えてはいけない、とほとんど本能で悟ったのだろう。
だが、完全に恐怖の対象を見る目になっていた。たぶん、短い人生の中で一番の脅威を感じているだろう。
「デカすぎだろ、こいつ……」
立ち姿が自分の身長の軽く二倍はある魔物に、ラストルも呆然となっている。
「今までこんな奴、見たことないぞ」
「じゃあ、運がよかったんだな。主クラスなら、だいたいこんなものだ」
魔物を斬りまくるような旅をしていて巨大な魔物と遭遇しなかったのなら、相当運がいいと言えるだろう。逆に、出遭ってうまく倒せていたら、もっと早くに呪いが解けていた、とも言えるが。
ブライゼはもっと大きな魔物に遭遇したこともあるが、そんなことはどうでもいい。
今はこの場をどう切り抜けるか、だな。多少傷付けたくらいじゃ、退いてくれないだろうし。
そう考えた瞬間、ブライゼはまたぞくりとする。
目の前にいる主クラス程ではないが、それなりの強さを持つ魔物の気配がいくつも近付いて来るのを感じられたのだ。
「他にも来る」
「何だとっ」
そんな短い会話の間に、やはり熊に似た、でも主の魔物より小さくて醜い魔物が何匹も現れた。
小さいと言っても、それはあくまでも主クラスの魔物よりも、ということであって、普通の獣の熊より一回り以上は大きい。これを雑魚と呼ぶには、力がありそうだ。
四つ脚でも大きいが、後ろ脚で立てばとんでもない威圧感だ。
「ラストル、小さい方は任せた。俺は大きい方の相手をする」
「あ、ああ……。小さくないけど」
そっちは一人で大丈夫なのか、と言いたいところだが、自分も手強そうな魔物の相手をしなければならない。しかも、複数。お互いに助け合う余裕はなさそうだ。
「クレディア、俺の後ろに隠れてろ」
「うん……」
地面に下ろされたクレディアは、消え入りそうな声で返事をした。これでも、まだ声が出ている方だろう。
ブライゼは、クレディアに強めの結界を張った。だが、竜の力がない今、どこまで効果があるかは疑問だ。
本当なら、木の陰にでも隠れていろ、と言いたいところ。しかし、それをするとブライゼやラストルが目を離した隙に、複数で現れた魔物が彼女を狙うだろう。
お前だけでも逃げろ、とこの場から走らせても、恐らく同じ。追われたら、クレディアの足ではたぶん逃げ切れない。それ以前に、走れるかどうか。
ブライゼのそばにいても安全ではないが、目が届かない所にいられるよりは守りやすい。
「……あれ?」
ふいにラストルは、自分の身体から傷が消えたことに気付く。完全にふさがっている昔の傷痕は残ったままだが、まだしっかり治っていない傷がなくなった。
ブライゼが魔法で治癒したのだ。できるだけ魔力は温存したいが、ここでは彼にもしっかり動いてもらわなければならないので、力を与える意味で治した。
これで多少は動きもよくなるはず。体力がどこまで残っているかはわからないが、死ぬ気でやれば何とかなる……と信じるしかない。
「こいつらに傷付けられても、治してる暇はないからな」
「あ……うん。ありがと、助かったよ」
ラストルは剣を構えた。
一気に身体が楽になった。けど……やっと呪いが解けたのに、まだ魔物を斬らなきゃいけないのか。
うんざりしながら、ラストルは柄を握る手に力を込める。これだとむしろ、今が呪いのピークみたいだ。もしかして、別の呪いがかけられたのか、と疑いたくなる。
ブライゼの目の前にいる大熊は、牙をむき出しながら丸太のような太い腕を振り上げた。
大熊は勢いにまかせ、ブライゼの頭を殴りにかかる。
ブライゼは壁を出して防御するが、派手な音をたてて壁が割れた。後ろではクレディアが、頭を抱えながら悲鳴をあげる。
純粋な腕力だけで、ここまでやるのか。森の中ではあまり使いたくないけど……こうなるとそうも言っていられないな。
ブライゼは、炎を出して大熊の身体を包み込んだ。魔法の火なので、意識して燃やすつもりがなければ他へ燃え移ることはまずない。
それでも、何のきっかけで火事になるかわからないから、森の中などではあまり使わないようにしているのだ。
しかし、今はそんなことを言っていられない。
火に包まれ、大熊が咆哮する。このまま土の槍で身体を貫けば、すぐには死ななくても動きを止めることはできるはずだ。
だが、やはり相手は主クラスの魔物。太い腕を何度か振り下ろすうち、身体にまとわりつくようにして燃えていた火が、水滴を落とすかのように地面に落ちてゆく。
「火が……消えちゃう」
見ていたクレディアが、呆然とつぶやいた。
魔物が火に包まれた状態を見て、これならブライゼの勝ちだと思ったのだ。あの状態で生きてられる、とは考えられなかったから。
それなのに、魔物はその火を振り落としてしまったのだ。図体が大きい分、防御力も強いということか。やはり主レベルは力が違う。
くそっ。今の魔力だと、効果が弱いんだな。
竜の時なら、もちろん今の魔法で十分に魔物を退けられた。だが、今のブライゼは人間の魔法使いレベル。それも強いとは言いかねる力量だ。
これまで何とかできてしまっていたのは、少しの力で要領よく倒せていたから。それに、その場にいたのは自分だけだったから、ちょろちょろと相手を翻弄しながら攻撃できたのだ。
今は、軽々しく動けない。ブライゼの動きにクレディアがついて来られなければ、魔物は一時的でも攻撃対象を彼女にしてしまう。
かと言って、少女を小脇に抱えながらの攻撃は、さすがにブライゼでもきつい。十分とは言えない力が、さらに下がってしまう。
その場に立って、クレディアの盾になりながら戦うしかない。
一方、ラストルは複数で現れた魔物へ斬り掛かっていた。
必死に動き回っているものの、相手の鋭い爪で腕や足などにいくつも赤い筋をつけられている。せっかくブライゼが治してくれた身体も、まだそんなに時間が経っていないのに前以上に傷の数が増えていた。
このレベルの魔物は数回倒したことがあるが、それはあくまでも一対一で、だ。
どうにか二匹を倒したものの、見回せばまだ四匹も残っている。もっと下のレベルなら、これまでこの数を相手にしたことは何度もあった。だが、こんな魔物の登場に、今ほど先が見えない、と感じたことはない。
荒い呼吸で、激しく肩が上下する。ラストルはかろうじて剣を落とさないではいるが、今にも手からすっぽ抜けそうだ。両手で持っているのに、片手分以下の力しか入っていないような気がする。
さっきブライゼに傷は治してもらっていても、やはりこれまでの疲れが相当にたまっているのだ。
一匹が爪で攻撃を仕掛け、ラストルはそれを剣で受け止める。だが、完全に受け止めるだけの力が腕に入らず、とうとう剣が弾かれてしまった。飛ばされた剣は、離れた地面に突き刺さる。
「うわっ」
また爪攻撃が来るかと思いきや、別の一匹が放った風の弾がラストルに当たった。
目視できれば人間の頭程もありそうな力の塊を腹部に受け、その勢いで軽々と身体が飛ばされてしまう。
「ラストル!」
身体が地面に落ちた時の音でクレディアがそちらを向き、ラストルが倒れているのを見付けて悲鳴を上げる。
その声につられ、ブライゼもそちらを見た。
その瞬間、顔に衝撃を受ける。よそ見したところを、魔物のあの太い腕で殴られたのだ。もろに隙を突かれた状態で、防御の壁を出すことなどできなかった。
殴られた勢いで、ブライゼもラストルと同じように飛ばされる。背中に地面と当たった衝撃を強く感じた。
またクレディアの悲鳴が聞こえる。その声が、ずいぶん遠くに感じた。
指輪の効果で魔力を失ったと同時に、体力や防御力がほぼ人間並となっていたブライゼは、痛みですぐには起き上がれない。
もがきながら身体を半回転してうつ伏せになったが、そこから腕の力で身体を起こそうとしても腕が震えるだけだ。立つどころか、座ることもできないでいる。
「あ……」
魔法使いも剣士もふっ飛ばされ、気が付けばクレディアは大熊と対峙する状態になっていた。
今まではブライゼが前にいて壁になってくれていたが、その壁が完全に崩されてしまった。隠れる場所など、どこにもない。
ラストルを飛ばした魔物達も、ゆっくりとクレディアの方へ近付こうとしている。この場にいる人間を全部倒してから、ゆっくり喰うつもりでいるのだろうか。
逃がさないよう、全員の反抗する力を奪った上で。





