近付く目的地
小さな少女がこんな森の奥にいる事情を聞いて、ラストルは同情した。
クレディアの話に本気で同情できるのは、彼のように同じ境遇にいる人間くらいだろう。
「クレディアも大変なことになってるんだな。やった奴が誰かもわからないなんて、怒りの矛先を向ける所がないだろ? 呪いをかけられるなんて、そうそうないことだと思っていたんだが」
普通、そうそうあることではない。どんな偶然だかで、三者三様の呪いが集まってしまった。
「本当に大変なのは、お姉ちゃんなんだけどね。ブライゼも呪いがかかってるんだって。……あれ? そう言えば、ブライゼってどんな呪いがかかってるの?」
金の草では解けない呪い、とは聞いたが、中身についてはちゃんと聞いていない。
そのことに、クレディアは今頃になって気付いた。呪いの指輪、と聞いただけ。
ブライゼは細かい話をするのが面倒なので、クレディアに合わせて「呪い」と言っていただけ。突っ込んで聞いてこなかったのでよかったと思っていたのだが、今度は大人のラストルもいる。
お前達には関係ない、とこの場を離れられるのならいいが、この状態だと当分一緒。だんまりを決め込むと、場がぎくしゃくしそうだ。
「この指輪が悪いの?」
歩き出したらまた手をつないでいるクレディアが、ブライゼの右中指にはまっている指輪を差す。
「指輪が何なんだ?」
クレディアをはさむようにして、ラストルとブライゼは歩いている。右側を歩いているラストルには、クレディアの指し示す指輪がしっかり見えた。
「見たところ、普通のシルバーリングのようにしか見えないが」
それならどんなによかったか。
今までも、事情を知らない人間から、すてきなリングね、と言われたことは何度もある。
その度に、これっぽっちもすてきじゃないっ、と心の中で言い返していた。
「俺の力を抜き取って、返してくれない。外したいが、外せない」
ブライゼは簡潔に説明した。
詳しく説明を始めると、竜だ何だと話が面倒になる。ばれて困ることが……あるのかどうか。竜の姿や力を見せられないなら、単に嘘つき扱いされるだけ。もしくは、そう思い込んでいるかわいそうな子、という目で見られる。
なので、ブライゼはこれまでずっと魔法使いで通してきた。
「魔物の仕業か?」
「いや、弟」
ブライゼは言ってから、これでは完全にデリアートとビアルズが悪者になってしまう、と気付いた。
人間は兄弟間で殺し合うこともある、と聞いたことがある。だが、こんなことをしでかしても、ブライゼにとっては大切な弟達。殺すどころか、兄を喜ばそうとしただけ。
クレディアはそんなギスギスした理由を思いつくことはないだろうが、ラストルがそんな誤解をしたら弟達がかわいそうだ。
ブライゼは、すぐに事情を付け足した。
「これがどういう物かもわかってない弟達が、びっくりさせようとして俺の眠ってる間にはめたんだ」
考えてみれば、クレディアと少し似た状況かも知れない。
知らずに手に入れ、それを与えた相手が被害を被る、という状況。一切の悪気なしでやったことだし、やらかした方も深く反省している。なので、こちらとしても責めようがない。
「だ、大丈夫よ。はまったんだもん、必ず外せるわ」
ブライゼをなぐさめようとしてか、クレディアは言いながら握った手に力を込める。
「ああ、そうだな……」
「解く方法はわかっているのか?」
「まぁ、半々ってところだな」
外せることがわかっているから悲観はしないが、外せる方法がいまいちわからないから困っているのだ。
「ラストル、森の魔物を斬っていたのは、さっきの狼がいた辺りまでだろ?」
「ああ。この森の地形を把握していないが、たぶん」
呪いを解くためとは言え、何の予備知識もなしに初めての森へ入って来る辺り、ラストルはかなり無謀な性格をしていると言える。
今までも同じようなことをしていたのだろうが、魔物うんぬんとは別によく生き延びて来られたものだ。
呪いをかけられたのは、実は魔物と対峙している時に何か無茶なことをして怒らせたのでは……なんてことも思うが、それはともかく。
いきなり話題を変えられ、ラストルは戸惑ったように首をかしげた。
「どうしてだ?」
「魔物の気配がする」
ラストルが眉をひそめた。
「本当なら、もう呪いを解くために動く必要はないだろうが、森を出るまでは命を守るために斬ってもらわないとな。余計なことをして、変な奴にまた呪いをかけられるなよ」
「かけられてたまるかよっ。こんな命が縮むような旅は、もうたくさんだ。……まだ魔物が出るのか?」
クレディアの、ブライゼの手を掴む手にまた力が入った。
最初はこっちだ、と言いながら(適当に、あるいはいきあたりばったりで)先導するために手を繋いでいたと思っていたが、どうやら単に怖くて一人では歩けないだけ、らしい。
よくこれで単身森へ入って来たものだ。無謀さはラストルといい勝負か。
「お前が斬った魔物なんて、この森の一角にいる奴だ。森に棲む魔物なんて、いくらでもいるぞ。普段は静かに暮らしている奴がほとんどだ。こうして人間が来たら、喰うか、もてあそんでやろうって奴が姿を現すだけだ」
「要するに、姿を現す奴にロクなのはいないってことか」
「人間にとってはな」
今のブライゼは力を抜かれている。そのため、竜としての気配も薄まっているらしく、本来なら恐れて滅多に現れないような魔物がちょっかいをかけようとして現れるのだ。
もっとも、ブライゼにすればそうしてもらわないと、求める状況にならないのだが……それは普段のこと。自分だけしかいない場合だ。今はあまり現れてほしくない。
「クレディアは何もするなよ。そのナイフも使うな……ってか、転んだりして腹を刺したりするなよ」
「そっ、そんなことしないもんっ」
「今までは魔物に遭わずに来たから、何もなかっただけだ。剣じゃないから、そいつには鞘もないんだよな。はっきり言って、見てる方が怖い」
布で巻くくらいでは、絶対に危ない。
このままではよくないと考えたブライゼは、クレディアの持つナイフに魔法で一時的な鞘を出した。ついでに言えば、森を出るまで鞘を抜くことは不可能にしておく。
もっと早くやっておくべきだった。
「これじゃ、いざという時に使えないじゃない」
武器が使い物にならないと知って、クレディアは口を尖らせた。自分にとって、唯一の武器なのに。
「だから、お前はそんな物を使わなくていいんだ」
不服そうなクレディアの頭を、ラストルがポンと軽く叩く。
「何か出たら、ブライゼとおれで何とかするよ。剣士でもない女の子が刃物を振り回す、なんてことはしなくていいんだ」
ラストルがそう言っているそばから、前方に魔物が現れた。
サルを醜くしたような姿の魔物が数匹。木の枝から飛び下りて来て、一行の行く手を阻もうとする。
「今まで魔物退治をしてたんだから、楽なもんだろ」
笑みを浮かべながらのブライゼの言葉に、ラストルが眉をひそめる。
「楽って簡単に言うなよ。……もしかして、全部おれにやらせるつもりかっ」
「慣れてるだろうし」
「お前、魔物をなめてんのか。見たことのない奴は、弱点がなかなかわからないから困るし。たとえ雑魚でも、数でかかってこられたら大変なんだぞ」
ブライゼも、それは知っている。雑魚が次々に出て来て辟易したことなど、この百年に何度もあった。あれは本当に面倒なのだ。魔法で一掃できないラストルは、もっと大変だっただろう。
人間レベルの魔力だと、すぐに疲れるんだよな。今はピンチになると逆にまずいようだから、できれば力は温存しておきたいところだけど。
「じゃ、8・2で」
「あのなぁ……。どうしてそう押し付けようとするんだよっ」
何も言っていないのに、多い方が自分、とわかってくれている。
「さっき、クレディアに何とかするって言ってただろ」
「お前とおれでって言ったんだ」
「ね、ねぇ。魔物がこっちに来たよ!」
クレディアの声でそちらを向くと、牙をむき出して魔物が走り出していた。
☆☆☆
ラストルと似たような掛け合いを続けつつ、ブライゼ達は森の奥へと進んでいた。
やはり何もなかったのはラストルと会うまでだったようで、さらに進んで行くと何度も大小の魔物が現れる。
それらを、ブライゼとラストルでどうにか退けていった。
ずっと魔物の相手をしてきただけあって、ラストルの腕は思っていたよりもいい。力を温存したい今は、少しばかり楽ができる。
これまでは単身であちこちさまよっていたブライゼだが、一時的でも同行者ができて、これはこれで悪くないかな、などと感じていた。
竜は人間程にメンタルは弱くないし、この指輪の件を除いては何かの壁にぶち当たって困る、ということもほとんどない。
だが、溜め息をつきたくなることはある。心の中身を出したい時が。
正直なところ、二人の人間が一緒にいることで自分の目的が果たしにくくなる、という面は確かにある。
だが、こうして誰かと話をしながら歩くのも悪くない、なんてことも思うのだ。
「ん? あれじゃないか?」
何度目かの魔物撃退の後、ブライゼは視界の端に何かが光った気がした。
森の中では枝葉が茂って地上まで光が入りにくいが、それでも真っ暗ではない。そんな中で、空から届く光ではない光を見た気がしたのだ。
クレディアが魔法使いから聞いたという金の草がどんな物か、ブライゼは知らない。だが、金と言ってるからには、少なくとも色はそのままか近いものだろう。
見えた光も、金に思えた……気がする。人間の姿になっても目は悪くなっていないが、自信は持てない。現物を知らないので、なおさらだ。
ブライゼは、光が見えた方へと歩いた。慌ててその後ろをクレディアが追い掛け、ラストルが周囲を警戒しながらゆっくりと続く。
ブライゼが、草むらの一部をかき分けた。そこには、黄色く、薬草のようなギザギザした葉の植物が数本生えている。
「さっき見えたのは、こいつだな」
「これ……なの?」
魔法使いから話を聞いているはずなのだが、ちゃんとした情報がほとんどなし。クレディアは確証が持てない。
なので、ブライゼの顔を見る。ラストルも後ろからその草がある辺りを覗き込んだ。
「それ、金色って言うのか? それじゃあ、単なる黄色の草だろ」
「こうして見る限りはな。でも、光を当てれば」
ブライゼが少し身体をずらすと、影になっていた部分に光があたる。黄色の草の所にも。
すると、草がきらりと金色に光った。
「わぁ……きれい」
植物のはずなのに、まるで金属のような光。金貨のような色だ。クレディアは金貨というものをほとんど見たことがないが。
「この草から、魔法の気配がする。クレディアが魔法使いから聞いた金の草っていうのは、恐らくこれのことだろう」
「なぁ、ブライゼ。その……よく似た毒草、なんてことはないか? キノコや植物には、形はそっくりだけど危険な奴がよくあるって聞くぞ」
知らずに口にして、具合が悪くなる人が出る、というのはよくある話だ。
特に今回の場合、クレディアが普通の果実だと思って使った実は黄色。その実で彼女の姉は呪われた状態になっている。
話を聞いたラストルが「助けるつもりがとどめを刺す、なんて事態にならないか」という心配をするのも仕方がない。
「俺はクレディアが聞いた金の草を知らないが、少なくともこの草は毒や呪いには関係ない。そういったよくない方へは働かないし、口にしても問題ない植物だ」
魔法使いの話した金の草は、これに間違いない。
そう言いたいところだが、話を聞いていないブライゼには断言できなかった。だから「恐らく」という言い方しかできないでいる。
だが、この草から悪いものは一切感じられなかった。魔力は人間レベルになってしまっているが、その辺りは竜の勘だ。
「森の奥で見付けたんだもん、これよ」
最初こそ不安そうにしていたクレディアだが、ブライゼの言葉と草が見付かった「森の奥」というこの環境で確信したらしい。
彼女の場合、思い込み、とも言うが。
「誰も本物を知らないんだもんな。じゃ、これを持ち帰って、クレディアが聞いたって言う魔法使いに確かめてもらえば済む話だ」
「うんっ」
ラストルの言葉にうなずき、クレディアはポケットから小さな布袋を取り出した。
目の前に生えている金の草を摘むと、それを袋へ入れて行く。どれくらい必要なのか聞いていないので、ここにあるだけ全部。生えているのはわずかな数なので、すぐに取り尽くした。
「よっし。これで帰れるな。えっと……ブライゼ、道はわかる……んだよな?」





