別の呪い
「あれ、何の反応もない。……なぁ、お前、さっき魔法を使ってた、よな?」
「ああ」
相手の事情はまだわからないが、どうやらあちらも戸惑っている様子。
どこまで見ていたかはともかく、ブライゼが魔法を使っていたことはわかっているようだ。
「今からそっちへ出るけど、何かあったら魔法で防御とかしてくれよ」
「……は?」
魔物を退治した人間がこちらへ来たら、何があると言うのだろう。
男の言ってることがさっぱり理解できないが、ブライゼはとりあえず「わかった」と返事しておく。
ブライゼの言葉を聞いて、切れ長の青い目をした若い男がゆっくりと木の陰から姿を現した。疲れた表情だが、人間の中では整った顔の部類に入りそうだ。
その左手には、さっき狼の命を奪った剣が握られているが、今は鞘に入っている。落ち着いて見ても、やはり肩当てや籠手など、防具がぼろぼろだ。
ついでに、彼の顔や手にも傷がたくさんついている。顔が整っている分、女性がその姿を見たら「傷だらけでもったいない」などと思わないだろうか。逆に勇ましい、などと思うのかも知れないが、そこはブライゼの知ったことではない。
とにかく、相当な時間、もしくは回数の戦いを経てきたのだろう、とは予想できた。
自分の持つ剣とブライゼ達を交互に見る男の様子は、どことなく挙動不審。その行動の意味が掴めない。
クレディアはもちろん、ブライゼもこんな様子の人間を見たことがなかった。
その彼の顔に笑みが浮かび、ますます怪しくなる。
「勝手に動かない……。やった、今ので千体だっ」
一人で盛り上がっているが、こちらはさっぱりわからない。このまま立ち去った方がいいだろうか。
「近付いて大丈夫なのか?」
「ああ、大丈夫だ。もう勝手に襲い掛かることはないから」
おだやかならぬセリフである。
「物騒な奴だな。勝手に襲い掛かるって、どういうことだ」
「この剣に、そういう呪いがかけられていたんだ。それが今、解けたっ」
「……呪い、多いな」
この森は、呪われている者を引き寄せる力でもあるのか。さっきクレディアも言っていたが、呪いというのはあちこちにあるものだったのか。
これまでなかった状況に「これ以上増えたりしないよな」と、ブライゼは少し不安になってきた。
☆☆☆
呪いの剣を持っていた青年は、ラストルという。メックスの街出身の剣士だ。
ブライゼの記憶が正しければ、メックスはここから国を二つ隔てた所にある街。ずいぶん遠くから来たようだが、もちろんこれには理由がある。
ラストルは父とともに、ある貴族に仕えていた。ラストルの家の男子は代々その家に仕え、彼の弟も近く一緒に仕えることになっていたという。
そこまでは、貴族とその家を護衛する家系という、よくある話だ。
ある日、その貴族の屋敷に、魔物が現れる。
後でわかったことだが、その家の主人を亡き者にしようとした、敵対する貴族が送り込んだ刺客だった。魔法使いに操られていたらしい。
人間なら失敗した時に「誰の差し金か」と問い詰められるが、魔物なら刺客とわかる前に殺されるだろう、という目論見があったようだ。
化けねこのような姿の魔物に手こずりながらも、ラストル達はその魔物を倒した。護衛する者として、主人を守れたのだ。
そこまではよかったのだが、魔物にとどめを刺したラストルが呪いをかけられてしまう。
正確には、ラストルが持つ剣に。
いわゆる「血に飢えた剣」にされてしまった。
剣が勝手に動こうとし、人を殺そうとするのだ。ラストルが何とか鞘におさめるも、人が近付けばラストルがどんなに押さえ付けようとしても鞘から出ようとする。
実際に人を殺せる程自由に動けるのではないが、まるで生き物のように震える。それだけでも、十分不気味だ。
ラストルの物であるせいか、彼以外の人がそばにいなければ、おとなしい。だが、ラストル以外の人間が近付こうとすると、剣は動こうとするのだ。
それが家族であろうとなかろうと、刺し殺そう、斬り殺そうとする意思が剣から伝わってくる。
相手が魔物だから、何かしらおかしな魔法をかけられたのだろうとラストル達は考え、初めは魔法使いに魔法を解いてもらおうとした。
だが、魔法では無理だ、と言われる。
現れた魔物は、レベルとしては中。つまり、強くもないが弱くもない、といったところなのだが、その魔物と同等かそれ以上の力を持つ魔物を千体倒さなければならない、と魔法使いは言うのだ。
こういった最期の呪いは、力のある魔法使いでも解呪に相当の力が必要。へたすれば呪いに負け、自分が命を落とす。
そんな事情から、多少の報酬を出すくらいでは、誰も請け負ってくれない。
仮にこのまま剣をどこかに封じたとしても、呪いは生きる。封印が解けた時、もし何も知らずに近付いた人間が持てば剣に操られ、周囲の人達を傷付けるかも知れない。
実際、鞘から抜けた剣は、ラストルでもその力に振り回されそうになる。
それでも、ラストルだけとは言え、人間の手で抑えられる程度で済んだのは、魔物の力がそこまで強くなかったから。
これくらいで済んでよかった、と周りは言うが、やはり呪いには違いないし、抑えるにはかなりの労力を要する。ラストルも見えない鎖で剣とつながれたようなもの。
ラストルの責任ではないが、持ち主はラストルだ。ずっと大切にしてきた剣が、魔物によって人殺しの道具にされるのは許せない。
魔物を倒せ、と言うなら倒してやる。
ラストルは暇をもらい、呪いを解く旅に出た。魔物がいそうな山や森へ行き、時には死線を越えながら倒していく。
そばに人がいると、剣は魔物より人間を殺そうとする。なので、単独で行動しなければならない。つらく孤独な戦いだ。
最初はちゃんと数えていたのだが、必死に魔物を倒すうちに、どんどん数がわからなくなってしまう。だが、明らかに千を超えているだろうと思うのに、呪いが解けない。
どうやら、呪いを解くに足りないレベルの魔物まで数に入れていたのがいけなかったらしく、あと何体倒せばいいのか完全にわからなくなった。
気が付けば、旅に出てから五年が過ぎている。
国を超えたこの場所にラストルがいるのは、そういった事情からだ。
しかし、ブライゼ達の前に現れたあの狼で、とうとう千体になったらしい。
ラストルは別の場所で対峙していたのだが、狼が戦線離脱した。つまり、逃げた。
五年以上も魔物退治を続け、ラストルの腕もかなり上がっている。狼は、この人間を相手にしては形勢不利、と感じたらしい。
ラストルは、その狼の後を追っていたのだ。
何か声がすると気付いてそちらへ行き、ブライゼに気を取られている狼の隙を狙い、ようやく倒せた。
ラストルがさっき慌てて木の陰に隠れたのは、近くに人がいてはまた剣が暴れ出すのでそれを避けるためだったのだ。
あの時点では、狼が千体目となるかなんてわからない。魔物と戦った後では、力も入らなくなってしまって剣を抑えられる自信がなかったのだ。
しかし、剣がもう震え出すことはない。目的は果たせたのだ。
話を聞けば「そうだったのか」とブライゼやクレディアも得心するが、事情がわからないままあの様子だけを見たら、ちょっとおかしな人である。
「もしかして、狼の他にもこの森で魔物を斬ってたのか?」
「ああ。どいつが基準を満たしてるかわからないし、相手も向かってくるからな。雑魚とわかっているレベルの奴は、本当ならさっさと逃げてもらいたかったんだが」
魔物とは言え、誰かを傷付けた訳でもない相手の命を無造作に奪うつもりはない。
だが、ラストルが求める魔物を斬ろうとすると、戦いの空気に反応して興奮するのか、余計な魔物までが参戦してくるので仕方がなかったのだ。
「納得した。だから、この森は魔物が少なかったんだ」
クレディアが来る少し前から森へ入っていたらしいラストルは、あちこちで魔物を斬っていた。言ってみれば、ラストルが露払いをしてくれた後をクレディアが歩いていたので、魔物に遭遇することがなかったのだ。ブライゼもしかり。
だが、一掃された訳ではないので、ラストルが素通りした魔物がクレディアの前に現れた、というところらしい。
そして現在……。
ラストルは、ブライゼ達と共に森の奥へと向かっていた。
彼はもう呪いが解けたのだから自由なのだし、胸を張って国へ帰ればいいのだが……森から出る道がわからないのだ。
地図もなく、ひたすら魔物だけを求めていたので、いざ帰れるとなると見知らぬ景色に立ち尽くすしかない。
クレディアも、ここまで奥へ来ると帰り道はかなり怪しくなってくる。ブライゼはどうとでもなるが……。
せっかく剣の呪いが解けたのに、見知らぬ森の中で野垂れ死にはしたくない、というラストル。
その彼から「クレディアが求める金の草を一緒に探して、その後みんなで森を出よう」と提案された。話をしていて、ブライゼなら森を出られるとわかったからである。
同行者が増えたところで、ブライゼとクレディアに異存はない。少しでも探す目が増えれば早く金の草が見付かるだろうし、そうなればクレディアも早く帰れるからありがたい。
本当ならブライゼとしては、ラストルがクレディアを連れて帰ってくれるのが一番ありがたいのだが……。道がわからない人間に、子どもを託すことはできなかった。
人間が増えれば、危険な状況になった時にますます巻き込みやすくなってしまいかねない。それは非常に困る。
もっとも、ラストルは腕がたつようだから、彼の同行でピンチになる確率がぐっと低くなったとも言えた。つまり……指輪を外せるチャンスが減る。
正直なところ、この状況にブライゼは内心かなりがっかりしていた。
どっちに転んでも、俺には明るい未来が見えてこないんだよなぁ。
でも、そんな気持ちを二人の前で口にできない。
この森での指輪からの解放は、やっぱりあきらめるしかなかった。
「旅をしている間、ずっと考えていたんだ。この呪いをかけた魔物は、どうしてこんな呪いをかけたんだろうって」
その呪いが解けたおかげか、ラストルの表情はさっぱりしているように見えた。うらやましい。いつか自分もこんな表情になる日が来るのだろうか、と考えるブライゼ。
「それはやっぱり、人間を……今回の場合だと、ラストルを困らせたかったんじゃないのか? 自分を殺した相手が、少しでも苦しむようにって。最期の呪いなんて、だいたいそんなものだろう」
少し知恵のある魔物やしつこい性格の魔性などがよく使う、呪いの魔法。最期なので、しぶといものが多いと聞く。
「うん、それはおれも思った。でも、それならどうして『魔物を殺したら呪いが解ける』なんて方法を取ったんだろう。例えば、人間を千人殺せって呪いなら絶対無理だし、苦しむけどさ。言ってみれば、そいつにとっての仲間を殺せってことだろ」
呪う相手を少しでも苦しめたいのなら、人間を殺すように仕向ける方が効果的なのに。
「人間相手も困るけど、魔物の相手だって大変だろ。命の危機に直面することも多いだろうから」
「ああ、それは……な。本気で死ぬと思った時が、何回もあった。けど、ここでおれが死んだりしたら、後が大変なことになる。そう考えて、とにかく必死に生き延びたよ」
それはラストルが身に着けている防具を見れば、察しは付く。黒ずんだその汚れは、誰の血だろう。
「大方、そこが狙いだろうな」
「え?」
「お前を『死んでも死にきれない状態』にさせるってのが狙いだろ。呪った奴と同等か、それ以上に強い奴でないとカウントされないのは、お前が返り討ちにされるのを願ってってところじゃないか? お前が負ければ、そいつにとって復讐になる訳だし、勝ったとしても死ぬのは自分だけじゃないってことで、他の魔物を道連れにできる訳だからな」
「ひっどーい。その魔物、すっごく自分勝手だわっ」
話を聞いていたクレディアが、自分のことでもないのに怒る。
「腹は立つだろうが、魔物なんてだいたいが自分勝手なもんだ」
「確かになぁ」
ラストルはこの呪いについて、一番納得できる答えを得たような気になった。





