呪いの実と金の草
迷子ではない、と言うクレディア。だが、意図的にここへ来たのなら、それはそれで問題だ。
「そのなりでか?」
恐らく彼女は、森の近くにある村にでも住んでいるのだろう。
生成りのブラウスに、もっさりした紺のカーディガン。褪せた臙脂色のスカートは、丈が長いのでたぶんお下がり。材料は動物の皮であろう、簡素な汚れた靴。
どこをどう見たって、魔物退治のためにあつらえた、という感じではない。
それに、さっき振り回していたのは、果物ナイフの類だろう。間違っても「剣」と呼べるものではなかった。今は刃を布で巻いて、スカートのベルトにはさんでいる。転んだ時のことを考えると、怖い。
武器がそんなだから、もちろん防具となる盾もないし籠手もなかった。今のクレディアは手ぶらなのだ。
森の奥へ行こうと言うのなら、もう少し自分の身を守れる格好をした方がいい。魔法が使えないのなら、なおさらだ。
「だ、だって……あたしが持ってる服なんて、似たようなのばっかりだもん」
クレディアは恥ずかしそうに、ブライゼから視線を外す。
ブライゼは「そんな防御力ゼロの軽装で」と言いたかったのだが、クレディアは間違っても華美とは言えない服装について言われた、と思ったらしい。
何か訳あり、の様子だ。面倒に巻き込まれるのはごめんだが、そう簡単に行かせてもらえないような気もする。
相手は子どもだから、ブライゼが本気で走ればまくことは可能だろう。だが、ブライゼを追ったことでクレディアが本当に迷子になってしまっては、後味が悪い。
それにさっき「目的地はない」とほのめかしてしまった。相手の言葉を流せない自分を呪っても遅い。
子どもだからごまかせば何とかなるだろうが、年齢を問わず女は鋭い部分がある……。
この旅で知ったことだ。突っ込まれて窮地に追いやられる男達を何度も見ているので、おかしな言い訳はしない方がいい。
クレディアは森の奥へ行く、と言った。何があるのか、どんな目的かは知らないが、もしかしたらこういう所で指輪を外すチャンスか手掛かりがある……かも知れない。
期待はしないが。
「どっちへ向かうつもりだ?」
不承不承という表情で尋ねたブライゼだったが、その言葉を聞いてクレディアの顔がぱっと明るくなった。
「こっち」
クレディアは嬉しそうに彼の手を取ると、引っ張るようにして歩き出した。
☆☆☆
ミーヤンの森から一番近いリップの村。クレディアは、その村に住んでいる十一歳の少女だ。
両親と、三つ上の姉との四人家族。農業で生計を立てている、ごく普通の家庭だ。
「この森を入ってすぐの所に、森リンゴの実がなる木があってね。あたし、その実をいくつか持って帰って、パイを作ったの」
歩きながら、クレディアは森の奥へ向かう理由を話し始めた。
普段は、大人の拳大くらいの赤い実がたわわに実っている。適当にもぎってカゴへ入れた中に、普段は見掛けることのない、少し小ぶりで黄色の実があった。
変わっているとは思ったが、手に取ってみればいい香りがするし、色以外は他の実と変わらない。
熟しきっていないか、こういうのもありだろう、と気にすることなく持ち帰り、クレディアはそれでパイを作った。
この実を使って今まで何度も作っているし、形は少々いびつでも味はいい、という自信がある。
その日も、形はちょっと……となってしまったが、いつものようにいい香りがしていた。味だって、いいはずだ。切り分けてしまえば、全体的な形の悪さなんてわからない。
そのパイを、姉のマラーミィが最初に口にする。
いつも「おいしい」と言って、笑顔を向けてくれる姉。その顔を見て、クレディアもパイを口に運ぶのだ。
だが、その日は違った。
一口食べた途端、顔をしかめるマラーミィ。持っていたフォークが、床に落ちる。
クレディアは何が起きたか、わからなかった。
目の前で姉の左手が……ひじから先が人間のものではなくなっていく。木だ。まるで木で作った人形の手のように、マラーミィの手が変わってしまった。
クレディアが呆然としている間に、マラーミィはショックのせいか床に倒れてしまう。あまりな状態のせいか、悲鳴すらも出せず。
クレディアは姉が倒れても、動くことができない。血の気が引く、というのはこういうことなのだ、と頭のどこかでそんなことを考えていた。そんな場合ではない、とわかっているのに。
そこへ畑仕事を終えた両親が帰宅し、母親の悲鳴でクレディアはようやく動くことができた。
もっとも、その場に座り込む、という動きだけだったが……。
その日はたまたま、村長の知り合いの魔法使いが村を訪れていた。事情を話し、マラーミィを診てもらう。
意識は取り戻したものの、マラーミィは動揺しすぎているためか、話すこともできない。
そんな彼女を診た魔法使いから「呪いがかかっている」と言われた。
しかし、家族の誰も、その言葉に理解が追い付かない。
ものすごく悪いことが起きた。
わかるのは、かろうじてそれだけだ。
クレディアが持ち帰った実の中に「魔女の実」が混じっていたのだろう、と言われた。しかし、クレディアには何のことかわからない。
その場所でできた実を持ち帰るのは初めてではないし、これまでこんなことは一度もなかったのに。他の村人だって、同じ実を食べているはず。
だが、魔法使いに聞かれるままクレディアが話しているうち、普通とは違う黄色の実がよくなかった、と言われた。
この実に限らず、この世界には他とは一部が少しだけ違う実や草などがあり、それを口にした人間に呪いがかかることがあるのだ、と。
本当に魔女の仕業なのか、別の魔物のいたずらか、自然に生まれてしまうものなのか。
真相はわからない。だが、時々そういった物が、実際にこうして現れるのだ。
「その毒って言うか、呪いを解く金色の草があるんだって。だけど、すごく高いって言われたの」
ミーヤンの森の奥に、解呪できる金色の草がある、と魔法使いに教えてもらった。それを煎じたものを飲めば、呪いは消える、と。
だが、その周辺には魔物がいるから、普通の人間には危険だ、とも言われた。
大きな街へ行けば売られているらしいが、生えている場所が危険なだけに、かなり高額の商品だ。魔法使いが知り合いに安くで譲ってもらえないかあたってみる、と言ってくれたが、それでも一介の農家が簡単に出せる金額ではないらしい。
生息する場所もだが、呪いを解く、という特別な植物だ。単なる薬草とは違う。高額になってしまっても、当然。
それを聞いたクレディアは「魔女の実を持ち帰ったのは自分だから」と、置き手紙を残して森へ入った。危険でも、大好きな姉の手を木のままにはしておけない。
幸い、森へ入っても魔物には出遭わなかった……ブライゼと会うまでは。
あの雑魚達が、最初にクレディアの前へ現れた魔物だったのである。
怖かったが、こうしてまた進めている。魔物がまた出ても、ブライゼが一緒にいれば何とかなるはずだ。これなら、金の草もきっと見付かる……。
そこまで話を聞いて、ブライゼは引っ掛かった。
「ちょっと待て。今の話だと、お前はその金の草ってのがどこにあるか、知らないってことか?」
現在、ブライゼの手を引いて先導しているのはクレディアなのに。
「森の奥って……」
「だから、森の奥ってどこなんだよ。その魔法使いが言う森の奥って、そもそもどこからなんだ。人間が入って来ない場所なら、だいたい森の奥って呼ばれるだろ。ここから森の奥です、なんて看板が出てる訳じゃないんだぞ」
「えー……」
「えー、じゃないだろ」
クレディアは「森の奥」なんて言い方をしているが、これだとはっきり言って「森のどこか」というレベルではないのか。
その魔法使いは生えている場所をある程度は把握しているかも知れないが、この様子だとクレディアはそんな細かいことまで聞いていない。
「金の草って、どんな形なんだ?」
「えーと……」
答えられないクレディア。ブライゼは軽く頭を抱えた。
クレディアは恐らく「森の奥」にある「金色の草」という部分だけしか聞いていない。もしくは、覚えていない。
森のどの辺りに、どんな形で生えているのか。単体か群生か。大きさは。地面に生えているのか、ツルのように木などに巻き付いているのか。花のように香りはあるのか、そもそも花は咲くのか。その草は魔物のテリトリーにあるだけなのか、魔物も盗まれまいとしているのか……。
探すために色々と把握しておきたい情報が、みごとなまでに皆無だ。
「一旦帰って、ちゃんと聞いた方がいいんじゃないか?」
「だ、だめ。帰ったら、危ないからって、家から出してもらえなくなるもん」
「ま、それはそうだろうな」
十分に考えられることである。
ただでさえ、呪いを解く薬草が高額、という部分で頭を痛めているであろう両親。幼い娘がこんな無謀な行動に出たと知って、今頃さらに精神的な負担を強いられているはずだ。
いくら大切な姉のためでも、それで妹が死んだりしたら、家族にとっては二重の苦しみ。特にマラーミィは、元に戻っても戻れなくても、一生いたたまれない思いをするだろう。
クレディアが帰れば、二度とこんなことをさせないよう、しばらく部屋に閉じ込めるくらいはするかも知れない。
「ブライゼは知らない? 金の草がありそうな場所」
期待を込めた目で見られても、困る。魔法使いだから知っているのでは……と思っているのだろうが、賢者だって世界の全てを知っている訳ではない。
「そういう草があることも、今、初めて知った」
ついでに言うなら「魔女の実」なんて物も初耳だ。よその土地では違う呼び方をしているかも知れないが、何にしろブライゼには思い当たらなかった。
だいたい、色違いが一つだけ、なんて怪しいと思わなかったのだろうか。……思わなかったから、料理してしまったのだが。
そういった代物は、だいたい超レアか、その真逆で超やばやば、な場合が多い。やばい方は、通常の物より人間や生き物に魅力的に思わせ、自分を手に取らせようとするもの。
失敗するのは、そういう知識がない者だ。今のクレディアのように。
護衛を仰せつかってしまった以上、さっさと村へ帰らせたい。そのためには、早急にクレディアの目的物を発見する必要がある。
竜の姿であれば、気を森に行き渡らせてその「金の草」とやらを探すことも可能だろう。そういう特殊な植物なら、特殊な気配を持っているはず。
しかし……今は人間と同じレベルなので、そんな技は使えない。
あー、魔力がないって、つくづく不便だな。
「こうして一緒に歩いている俺が言うのも何だけど、もし俺が悪い魔法使いだったらどうするつもりだ? 護衛を頼んだんだから報酬を渡せって要求されたら、クレディアにそれを払えるのか?」
「え……ほーしゅーって……何? 払うって、お金とか?」
十一歳、と言ったクレディア。口調は割りとはっきりしているようだが、やはり中身はまだ子どもだ。何をどうすれば金銭授受が必要になってくるか、などがちゃんとわかっていない。契約、という単語も知っているかどうか。
「だから、悪い奴なら高い金を払えって、脅してくることもあるって話だ」
「だけど、ブライゼはそういう悪い奴じゃないでしょ」
普通にそう返された。
「何だ、その全面的信用は。俺達は初対面なんだぞ。いいか。悪い奴は自分から、俺は悪い奴です、なんて言わない」
「でもでも、悪い奴は困っている女の子を助けてくれたりしないでしょ」
たぶん、何の理由も根拠もない。でも、クレディアはブライゼを完全に信用しているらしかった。
それまで手をしっかりつなぎながら歩いていたが、ブライゼがこんな話をしてもその手を離す素振りは見せない。
人間の子どもってのは、みんなこんなふうに誰でも信用するものか? それとも、クレディアだけがそうなのかな……。





