ピンチを求めて
「どうしてこんなこと……ああ、俺を喜ばせるためって言ってたよな」
弟達に文句の一つも言いたかったが、彼らは純粋にブライゼを喜ばせたかっただけなのだ。
誰の物かもわからない指輪を勝手に持ち出したことはあまりほめられないが、子どもなりに考えた結果である。
さらに後で話を聞くと、ブライゼがこの指輪を見て喜んでくれれば、もっと遊んでもらえると思ったらしい。最初は寝ているところを起こして見せようとしたのだが、ブライゼがなかなか起きないのでそのままはめた、と。
そんなことを言われては、ブライゼに言葉はない。普段からもっと弟達の面倒をみていれば、こんなことにはならなかったのだ。
やらかしたのは弟達でも、ブライゼにも遠因はある、ということ。
声が聞こえたと思った時に、起きていたらなぁ……。
今のブライゼにできるのは、ただ後悔のため息をつくことくらい。
とにかく、ブライゼは両親にことの顛末を話し、竜の里を出る、と告げた。
こののんびりした空気の中にいても、まず間違いなく危機は訪れない。言ってみれば「今が最悪のピンチ」だがそれは除外されるので、別のピンチになるよう行動しなければ指輪は外れないのだ。
そういう理由では、両親に反対できるはずもない。責任を感じている弟達も「一緒に行く」と言ったが、別の危険が待ち構えているかも知れないので、両親が止めた。
ブライゼにしても、自分だけで精一杯だ。弟の面倒まで見ていられる余裕はない。普段と比べれば、今は魔力がほとんどないようなものなので、なおさらだ。
こうして、ブライゼは竜の里を後にする。
両親は心配そうに、弟達は申し訳なさそうに、他の竜達はのんきそうに見送ってくれた。
「一番悪いのは、ルボートって竜だよな。こういう指輪を作ろうって考えさせるような素行をするから、こんなことになるんじゃないか。あと、作った妖精も、一回限りの使用で終わるようにしてくれって話だよなぁ。生活態度の悪い竜がまた現れるって思ったのかな。全く……俺は暴れ者なんて言葉には全っ然、縁がないってのに」
今はもう存在しない竜や妖精に文句を言っても、事態は何も変わらない。
竜の里を出たブライゼは、覚悟を決めて目的地もなく歩き始め……気が付けば百年が経っていた。
竜にとっての百年など、大した時間ではない。だが、それは竜の姿でのんびりと時を過ごしていれば、の話。
あてもなく、あちこちさまよって結果を出せなかったブライゼにすれば、それなりに長い時間だ。
火口へ飛び込んでも自殺扱いにしかならない、と聞いたので、他にどんな状況になれば危険になるだろうと歩きながら考えた。
精神的には、この指輪がはまった時からずっとピンチのようなものだが、そこは指輪によって却下されている。
となれば、やはり肉体的にやばいことにならなくてはいけないのだろう。
そう考え、ブライゼは魔物がいると言われる、森や山などへ赴いた。
魔物の存在に困っている人間を助ける、という気は別にない。魔物退治という名目があれば、魔物の前に出ても自殺扱いにはならないだろうし、人間の姿になった今の自分より強い魔物が現れれば、間違いなく肉体的にピンチだ。
雷に撃たれたり、洪水で流されるような状況は待っていられない。自然災害をあてにできないなら、ブライゼに思い付く方法はこれくらいである。
ところが、実はブライゼは割りと要領がいいタイプらしい。魔力が減ったと言っても、うまく魔物の弱点を突き、多少自分より強い魔物でも最終的に退けてしまうのである。
今までは竜の里でのんびりしていたから、わからなかった。隠れた才能、という奴だ。でも、今はずっと隠れたままでいてほしかった。
有効な攻撃をやってから「あ……」と思うのだが、そこからわざとやられれば、きっと指輪に却下されてしまう。却下されたら……命を落とすのだろうか。
そう考えると、妙な行動はできなくなってしまう。
結局、魔物退治は成功するが、指輪外しは失敗の連続、となる。
そうこうしているうちに、気付けば百年が経ったのだった。
ブライゼにとっては、空しい百年。しかし、地域限定ではあるが、人間にとっては魔物退治をしてもらってありがたい百年だった、と言えるかも知れない。
「この森か。さぁて、どんな魔物がいるのかなっと……」
この日、ブライゼはミーヤンと呼ばれる森を歩いていた。
何の変哲もない森と言おうか、どこにでもありそうな森である。
いつも鳥や小動物、妖精などに聞いて、魔物がいそうな山や森などを目的地にするブライゼ。
だが、情報をくれる者によって、その魔物の強さも変わる。彼らにとっては恐ろしい相手でも、ブライゼには大したことがない時も多いのだ。
しかし、実際問題として行ってみないと魔物の強さはわからない。もらった情報を無視することはできないのだ。
「……何も出ないじゃないか」
最初は森へ入ったばかりだから、そんなに魔物も出て来ないのだろう、と思った。こういうことはたまにある。
しかし、奥へ向かうに従って現れることの多い魔物が、ここでは全然出て来ない。
「外れ、か。あーあ、どうせ外れなら、指輪が外れてくれればいいのに」
こういう平和な森も、たまに存在する。魔物がいるというのは実は過去の話で、ここにはもういないか、事情があってすでに退治されたのかも知れない。
ブライゼは、この森での「指輪外し計画」を早々にあきらめた。百年も同じことをしていると、あきらめも早くなってくる。
いつも何となく歩いているうちに移動できているから、このまま適当に歩いていれば森の外へ出られるだろう。竜の能力なのか、森で迷うことは今までなかったのだ。
空を飛べれば、さっさと別の場所へ移動することも可能なのだが、残念ながら現在は飛行不可な形態である。無理をすれば飛べるだろうが、そこまで魔力の余裕はない。
ぼちぼち歩いていれば、もしかすれば奥にものすごい当たりが待っているかも知れない……という夢を少しだけ持って、自分をなぐさめた。
期待する程に後で落胆する、ということもよくわかっているので、そこはほどほどに。
「きゃあっ」
進行方向から、少女のものらしい叫び声が聞こえた。たぶん、幼い。
あー、やれやれ。また迷子か、無謀にも森の奥へ探索に来た奴がいるな。
竜の里を出て、数え切れない程あちこちの森や山などを歩き回って来たブライゼは、そういう人間を何度も見てきた。
野草を摘んでるうちに、知らない場所へ入ってしまって帰れなくなった子ども達。この奥にいる魔物を倒してやる、と意気込んだものの、思った以上に相手が強くて困っている新人の魔物退治屋や村一番の力持ち……などなど。
今の悲鳴から察するに、望んでもいないのに魔物か獣と遭遇してしまった……というところか。
仕方ないなぁ、などと思いながら、ブライゼは悲鳴が聞こえた方へと歩き出した。
もちろん、声の主を助けるためだ。人間に恩を売ったところでブライゼに何の得もないのだが、行き掛かり上である。
人間の味方をするのは、魔物より人間の方がだいたい弱いから、というごく単純な理由だ。庇護欲、とでも言うのだろうか。例えるなら、山犬に襲われているうさぎを人間が助けるようなものだろう。
正当な理由もなく、魔物を殺して楽しんでいる、というなら助けるつもりはないが……今までそんな人間には会わなかった。今回もそんなものではないはず。
ブライゼが声が聞こえた方へと向かうと、思った通り、少女が魔物に囲まれていた。
十歳前後と思われる、細身の女の子だ。肩より少し長い濃い茶の髪を振り乱しながら、黒い毛の塊のような魔物数匹を相手に、必死でナイフを振り回している。
相手はブライゼの拳サイズの魔物だし、喰われることはないだろう。だが、この様子だと放っておけば多少のケガはするかも知れない。
人間をからかうのに飽きればすぐにいなくなるが、血の臭いに別の魔物や大きな獣が現れたりすると今より危険だ。
雑魚じゃ、やる気も起きないけどなぁ。
「ギギッ」
ふいに現れたブライゼに気付いた魔物が、耳障りな声を出す。
ブライゼが人間に味方してしまうのは、魔物の多くがこういった癇に障るような声を出すのも一因だ。耳に心地いい音が好きなのは、人間も竜も同じ。
「子ども一人に群れるなよ」
ブライゼが腕を一振りすると、空気が弾となって魔物の身体を貫く。十匹にも満たない魔物は、何の抵抗もできずに煙となって消えた。
ブライゼは周囲を見回すが、新手が現れる様子もない。レベルがもっと上の魔物も、気配すらなかった。
割りと奥まで来てると思うけど、それでこの程度か。本当に平和な森なんだなぁ。
やはり今回は完全に「選択ミス」らしい。もしくは、情報の誤り。
まぁ、そういうこともある、と自分を納得させながら、ブライゼは呆然と突っ立っている少女に近付いた。
「ケガはないか?」
「え……あ、うん……」
急な展開についてゆけず、髪と同じ色の瞳でブライゼを見ていた少女。声をかけられて少しすると、ようやく事態を把握したような顔になった。
魔物に襲われていなくても、今の少女のようにブライゼの顔をぼーっと見ている女性はよくいる。ブライゼが何もしなくても、人間……特に女性の目を惹き付けてしまうようだ。
「あのっ、助けてくれてありがとう」
頬を紅潮させながら、少女は礼を言う。両手をぐっと握りながら言うその様子は、何に対しても一生懸命なんだろうな、と思わせた
「ああ、通り掛かったついでだから」
冷たく聞こえそうだが、ブライゼにすれば事実である。
「あたし、クレディア。お兄さんは?」
「……ブライゼ」
大きくつぶらな瞳を向けながら、有無を言わせぬ口調で問われ、ブライゼは仕方なく名乗った。
「よろしく、ブライゼ。さっきのって魔法よね? ブライゼは魔法使いなの?」
「んー、まぁ」
魔法を使うところはしっかり見られていたし、人間の前では魔法使いということにしている。
隠すつもりはないが、竜だと言っても信じないだろう。本当に竜だったらその姿になれ、と言われても、今のブライゼにはどうしたってなれない。なりたくても百年、ずっとこの姿のままである。
「これからどこかへ行くの?」
「いや、目的地は別に……」
魔物を倒す時は要領がいいくせに、こうして誰かと話をすると要領よく、もしくは適当にかわせない。どうしてか、はブライゼ自身が聞きたいくらいだ。結局、ブライゼの性格、ということだろう。
とある村で以前、人間のおばさんに「あんた、奥さんの尻に敷かれるタイプだね」と笑われたことがある。あと「浮気しても絶対にばれるから、やめときな」とも。
大きなお世話だ。
「じゃ、あたしの護衛をしてくれない?」
「護衛?」
妙な展開に、ブライゼは首をかしげた。
「さっきみたいに、魔物が出て来たら魔法でさーっと消しちゃって」
できなくはないが、ずいぶん簡単に言ってくれる。魔法を使わない人間は、だいたいこんなものだ。魔法使いに不可能はない、なんて思っているのかも知れない。
個々の技術や経験、魔力量によってできることは変わってくるし、限界もあるのに。
「魔物を消すのはいいけど、どうしてお前の護衛なんだ。魔物が出るような所はさっさと出て、家に帰った方がいいだろ」
「だって……帰れないもん」
こんな状況ならブライゼでなくても言いそうなことだが、言われたクレディアはしゅんとうつむいた。
「家出か?」
ブライゼはありえそうなことを言っただけだが、クレディアは怒ったように言い返す。
「違うもんっ。あたしはこの森の奥に用があるのっ」





