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ピンチな解呪  作者: 碧衣 奈美


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2/10

指輪

 ブライゼは、夢の中で呼び掛けられた気がした。

 それが本当に夢だったら、どんなによかったか。

 後で何度もそう考えるが、残念ながら夢じゃない。

「……ちゃん……にーちゃん」

 この声は、弟のものだ。そこまでは、わかる。ただ……デリアートだったか、ビアルズだったか……。

 だいたい、双子だからどっちも同じ声にしか聞こえない。母親はちゃんと聞き分けているようだが、ブライゼにはさっぱりだ。

 こっそり聞くと、父親もあまりちゃんとわかっていないらしくてほっとしたが、とにかくこれは弟のどちらかの声だ。

 また遊びの誘いか。自分の友達と遊んでいればいいのに、どうしてわざわざ俺を誘ってくるんだよ。遊びの中身なんて、そう変わらないだろ。

 まだ半分寝ている頭で、そんなことを考える。このまま寝たフリをしていれば、あきらめてどこかへ行くだろう、とブライゼは安易に考えた。

 無理に起こして不機嫌にさせたら、遊んでもらえるものも遊んでもらえなくなる……くらいの考えに至るだろう、と。

 だが、ゆっくり寝ていられず、ブライゼは飛び起きた。

「なっ、何だっ」

 自分の身体から、急激に魔力が奪われてゆくのを感じた。自分の血を一気に抜かれていくような、不快かつ恐怖のような感覚が襲ってきたのだ。

「あ、おにーちゃん、起きた」

 ブライゼの目の前には、弟達がいた。やはりさっき夢の中で聞いたのは、彼らの声だったらしい。

 いや、今はそんなことなど、どうでもよかった。

 寝ぼけておかしな感覚がしたのかと思いたかったが、今でもやはり妙な感覚は残っている。一気に魔力が抜かれる感覚は次第に薄れていったが、その抜かれた魔力が戻って来る気配はないのだ。

 頭を振ったくらいでは、何も変わらない。余計にくらっとしてしまうだけだ。

「……おにーちゃん?」

 弟達が、どこか不思議そうな顔で声をかける。

「お前ら、何したんだっ」

「え? えっと……」

 この状況からして、弟達が何かしらやらかしたのは間違いない。

 ブライゼは寝ていたし、完全に無防備だった。いくらでも隙を突くことはできたはず。

 だけど……こんなチビ達に何かできるものかな。いくら双子で、力を合わせれば効果を倍にできると言ったところで、そう大した魔法なんてまだできないのに。いや、できないと思っていただけで、実はできるようになっていた……とか?

 弟達のその様子は、とぼけているのとは程遠い。どちらかと言えば、自分達が考えていた結果でなくて戸惑っている、という顔に見えた。

 だいたい、とぼけるなんてことができる程、彼らは器用ではない。その点については、兄としてブライゼもよく知るところだ。

 とにかく、どんないたずらをされたにしろ、この魔力が抜けた感覚はおかしい。

 兄に睨まれ、双子の弟達は縮こまる。普段のブライゼはのんびりしているので、怒られるとそのギャップが大きい。そのため、余計怖く見えるのだ。

「よろこんでもらおうと思ったんだよ」

 デリアートかビアルズかわからないが、片方の弟がぼそりと言った。

「喜ぶ?」

 はっきり言って、現状は真逆である。

「ゆびわ、見付けたんだ。それをあげたらおにーちゃん、よろこんであそんでくれると思って」

「指輪?」

 もう片方の弟に言われて自分の手を見ると、右手の中指に銀色のシンプルなリングがはまっている。

 これのせいだ、とブライゼは判断した。何か面倒な(たぐい)の代物だ。

「俺はこういう物には興味ない」

 ブライゼは言いながら外そうとしたが、指輪はしっかりはまって動かない。くるくると指を回るが、外そうとすると根が生えたように全く動かなくなるのだ。てこでも動かない、という強い意志でもあるかのように。

「どうして外れないんだよっ」

 いらいらして腕を振る。遠心力で外れるか、少しでもずれてくれればいいのだが、そういう動きは全くない。

 牙や爪で指輪を斬ろうとするが、傷一つ付かなかった。

 これと言って特徴のないシルバーリングなのに、竜の攻撃を全て無力化してしまうのだ。

 兄のばたばたした様子に、双子もかなりまずい展開になっていることに気付いたようで、どんどん不安げな顔になってくる。

「くそっ、竜の指が太いってんなら、細くなればいいんだろ」

 竜の身体は大きい。だが、竜より小さな身体になれば、指輪はブライゼの指にとどまってはいられないはず。

 そう考えたブライゼは、人間に姿を変えた。

 短い黒髪に白い肌、竜の時と同じエメラルドグリーンの瞳。十六、七歳くらいの、どこにでもいそうな背の高い普通の少年である。一つ加えるなら、かなりの美形。

「な……うそ、だろ」

 人間の指は、当然竜より細い。竜の指なんて、人間の腕より太いくらいだ。

 なのに、指輪はいまだにしっかりとブライゼの指にはまっていた。なんとなれば、指輪は人間になったブライゼの指に、ジャストフィットするように縮んでいたのだ。

 黒い指に銀色の指輪は目立っていたが、人間の肌色にその指輪はなじんでおしゃれに見える。シンプルなデザインが、むしろセンスがあるように思われた。

 いや、今はおしゃれなど、心底どうでもいい。

 外すつもりだったのに、同じように縮まれた。これは完全に想定外である。そのままでは解決しなかったから姿を変えたのに、これでは姿を変えた意味がない。

「どうして外れないんだよっ」

 竜の時と同じように、ブライゼは腕を振り回したり左手で何とか外そうとした。しかし、どれも失敗に終わる。

「お前ら、この指輪をどこから持って来たんだっ」

 走ったりした訳でもないのに、息が切れる。

 吸い取られたように消えた魔力は、姿を変えても戻って来ない。今の感覚だと、普段の何十分の一くらいしか残ってないだろう。たぶん、人間の魔法使いレベルだ。

「騒がしいな。ブライゼ、弟達に何を怒鳴ってるんだ」

 近付いて来た竜が声をかけた。ブライゼの声を聞きつけ、何かあったらしいと気付いてこちらへ来たようだ。

「弟達が、俺にこんなおかしな指輪をはめたんだよっ」

 指輪が光る人間の手を見せる。

 何だ何だと言いながら、他の竜達も集まって来た。暇なおっちゃん、おばちゃんばかりだ。もっとも、竜の里で忙しい竜なんていない。

「ん……? それって減魔の指輪じゃないのか?」

 誰かが言い、他の竜達も「あーあ、そうだな」と納得している。若いブライゼだけが納得できていない。

「何だよ、それ。げんまのゆびわって何?」

「文字通り、魔力が減る指輪だから、減魔の指輪」

 簡潔な答えだが、それさえも今のブライゼはいらっとする。

「どうしてそういう物が、俺の指にはまってるんだよ」

「お前の弟がはめたんだろ? そう言ったじゃないか。」

 弟達の方を見ると、さっきからずっと縮こまっている。この場から逃げないだけまし、とも言えるが、単に逃げるチャンスを失っただけかも知れない。

「お前ら、どこからこれを持って来たんだ」

 ブライゼに問われ、弟達がおどおどした様子で答える。

「あの……変なくーかんから」

「空間?」

 ブライゼが整った顔の眉間にしわを寄せながら、周囲の竜達を見る。

 弟達が言う「変な空間」というのは、宝物庫のことだろう。と言っても、竜にとって「宝」と呼ばれる物は特にない。

 たまに人間が「竜は金銀財宝を隠し持っている」などと夢みたいなことを言ったりするが、竜にすれば食べられない物に特別な価値なんてないのだ。せいぜい、きらきらしてきれーだなー、くらい。

 しかし、財宝を本当に持っていたとして、それを奪おうという考えに至ることが理解に苦しむ。竜からなら取っていい、なんてどうして思えるのだろう。

 それはともかく。

 竜にも「これは好きだから」とか「気に入ったから持っていたい」という物が、たまには出て来る。宝箱や倉庫などを持たない竜は、それを人間には見えない亜空間に保管するのだ。

 倉庫や物置という言い方では、ガラクタが入っているように聞こえる、という誰かの意見で便宜(べんぎ)上「宝物庫」と呼ぶようにはなったが、実際は誰かにとっての思い出の品があるくらいだ。

 普通の竜なら、他の竜の宝物庫に手を出すことはない。特にしきりなどはないが、自分の物ではない、とわかっているし、余程の特殊なアイテムでもなければ、必要のない物ばかりだからだ。

 しかし、デリアートやビアルズのように、幼い竜は何も知らないままその空間へ入ってしまい、目に入った物を物珍しさから持ち出してしまうことがある。

 今回がまさにそんな状態だ。

「誰がこんな物騒な代物(しろもの)、後生大事に保管してたんだ。どうしてこんな物があるんだよ」

 ブライゼの質問に、竜達は「どうしてだっけ?」などと顔を見合わせていたが、誰かが思い出したように話し出す。

「昔、ルボートって暴れ者の竜がいたんだ。そいつの力を減らしておとなしくさせるために、当時の(おさ)が妖精に作らせたらしいぞ」

「ああ、そうそう。粗暴すぎて、かなり手を焼いたって話だったわよねぇ」

 おとな達は知っているようだが、ブライゼは聞いたことのない話だ。もちろん、弟達も。

「昔って……いつ?」

「さあ。わしらのじいさんが、ひいじいさんから聞いた、と言ってたからなぁ」

 竜は総じて長寿である。その竜の五代も六代も前、となれば、気の遠くなるような時間だ。亜空間とは言え、よく残っていたものである。

 そんな昔の物なのに、すぐにこれが「減魔の指輪」とわかったのは、こんな指輪のような装飾具をずっと残すような竜が他にいないからだろう。あと、竜はそこそこ記憶がいい。

 ブライゼのように姿を変えても、指輪は伸縮自在。つまり、大きさや姿を変えることで外そうとしても無駄。

 しかも、そうやって姿を変えられるのは、一度だけらしい。

「何だよ、そのしばり。じゃあ、もし俺がヘビとかになってたりしたら……」

「指はないけど、胴体にはまった状態になってただろうな。そうなると、かなり動くのが大変になってたんじゃないか? よかったな、人間を選んで」

 明るく言われても、嬉しくない。

「首輪状態になってたかもな」

「ヘビの首って、どの辺りだ?」

 問題はそんなことじゃないだろ、と言いたかったが、すぐに外せないなら移動するのに支障のない姿になっておいてよかった、とも言える。不幸中の幸い、か。

 指輪なんて人間か、人型の魔性くらいしかしないから、ブライゼも無意識のうちに人間を選んだのだろう。

「でも、こうして指輪があるってことは、そのルボートって竜から外れたんだろ。どうやって外れたんだよ。……まさか、死んだから指輪だけが残った、とか」

 自分で言ってから、ブライゼはぞっとする。

 自分はまだ若いのだ。この先、恐らく何百年と寿命が残っている。その間、ずっとこの指輪と生きるなんて冗談じゃなかった。一緒に生きてもいいが、それなら魔力を返してほしい。

「いや、生きている間に抜けたって聞いたぞ。えーと……誰か覚えてるか?」

 興味のない話だと記憶があいまいになるのは、竜も人間も同じだ。

「危機が迫ると抜ける、とかどうとかって聞かなかったかしら?」

 別の誰かが言い、周りの竜も「ああ、そうそう」などと相槌(あいづち)を打つ。

「どういうこと?」

「追い詰められた時ってことだな。竜本来の力がなければどうしようもない状態になると、指輪に抜かれた魔力が戻ってその場を切り抜け、指輪は外れるって寸法らしい」

「はぁ……」

 方法はわかったが、ある意味わからない。竜に危機が迫る、とはどういう状態を指すのか。

 竜は魔法による多少の失敗や天変地異でも、そう簡単にピンチになったりしないものだ。魔法を使う生物の中で、竜は一番魔力が強く、身体も頑丈なのだから。

 ブライゼがそう尋ねても、竜達は「さぁ、そこまではなぁ」などと言う始末。結局、肝心な部分は不明なままである。

「えーと……それじゃ、例えば火山の火口とか、滝や海に飛び込むとかは? 竜の時なら何ともなくても、今の状態でやればかなり危険……だろ」

 今の姿は人間。魔力もたぶん人間レベルだし、恐らく体力もそうだ。その状態でそんなことをしたら、危険なことは間違いない。

「あー、それってルボートもやろうとしたらしいぞ。でも、止められたそうだ」

「外されたらまずいから?」

 暴れ者に指輪を簡単に外されたら、指輪を作った妖精やはめた竜達へ報復に来るかも知れない。

 そう考えた竜達が止めるのは、当然とも言える。魔力が低下した竜相手なら、彼の行動を止めることに大した労力は必要なかっただろう。

「そうじゃなくて、自分からそういう行動をするのは、自殺のようなものだからな。身体にすれば危ない行為だろうが、自分の意思でどうにでもできる話だろ。ピンチってのは、自分ではどうしようもない事態の流れで起きることだ。自分から飛び込むのは却下されるってことみたいだぞ」

 無駄死にするだけだ、ということで止められたのだ。

「何だよ、それー。じゃあ、俺に何が起きたら指輪が外れるんだよ」

「さあ……」

 やっぱり、一番肝心な部分が誰にもわからないのだ。

 実話だかお(とぎ)話だか伝承だか知らないが、伝えるなら最後まで伝えてほしい。

「しかし、この指輪がまだ残ってたなんてなぁ」

「案外、外れてから記念にってルボートが置いてたのかも知れんぞ」

「まさかまた使われるなんて、思ってもみなかったでしょうねぇ」

 他竜事(ひとごと)なので、竜達の会話は軽い。

「何でこんなことに……」

 ブライゼはがっくりとうなだれることしかできなかった。

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