いろはにほいと
え
朝っぱらからおれは血を流していた。
つい数時間前に頭のおかしなサラリーマンに顔を何発も殴られ、唾を吐かれ、土手っ腹を蹴り上げられ、泥を食わされたからだ。
あんなのが普通に会社に行ったり家で家族と飯を食ったりしていると思うと恐怖でアソコが縮み上がっちまう。「パパやってます」なんて言われた日にゃショックで心臓が止まるに違いない。
だがおれは犯人を恨んじゃいねぇ。
世論もそうだ。こんなとこで寝てたおれが悪いと言って、ちゃんと働いてる方を庇うだろうよ。
この公園はおれたちにとっての楽園だった。
こんなキューピーのハゲ残しみたいに社会から取り残されて、汚ぇ垢と脂にまみれた真っ黒な襤褸を着て、道端のゴミ箱や自販機を漁って飢えを凌いでるおれみたいな行き場のないルンペンの住める唯一の場所だったんだ。
だがもうここには住めねぇ。危険すぎる。
それにおれはもう限界だ。
世間じゃ50はまだまだ働き盛りだろうが、おれは違う。長いホームレス生活で心も体もガリガリに痩せちまって、とても働けるような状態じゃあないんだ。
その昔、おれは会社を経営していた。
だがある時、幹部の1人が会社の金を持って逃げたせいで潰れちまった。
残ったのは巨額の借金とそのストレスによる精神病だけだった。家族も家も失った。精神病のせいか、聴力も半分以上失っちまった。
精神を病んでいても、聴力に障害があっても、世間では立派に働いてる奴もいる。
それはそいつらが努力をしたからだ。
いつから病気や障害を患ったかは知らねぇが、その時点から努力を重ね、社会に適応出来るように頑張ったんだろう。
おれにはその気力がなかった。信用していた部下に裏切られ、家族にも逃げられて、頑張れる道理がなかったんだ。
このままじゃあじきに死ぬ。いや、殺される。
公園の隅っこで小さく丸くなって惨めに死んでいるところをサッカーのガキか首を吊りに来た老人に発見されることだろう。
そんな最期は嫌に決まってる。
おれは生まれてからずっと善人として生きてきたつもりだった。なのになんなんだよこの仕打ちは。
それにひきかえ、世の中には悪いことをしておいてのうのうと生きてる奴らがごまんといる。正直者は馬鹿を見るとはこのことだ。
馬鹿らしくなったおれは最後に欲望を爆発させることにした。
人の3大欲求は食欲と性欲と睡眠欲だというが、そんなのは嘘だ。食欲、性欲、破壊欲だ。
人間なんてそんなもんだ。美味いものを腹いっぱい食いたいと思ってるし、通行人を犯したいと思ってるし、誰彼構わずぶん殴りたいと思ってるんだ。
それを今から実行する。
人の心を捨てるんだ。
が
小さなガキが目に入った。
近所の保育園の帽子を被り、プーさんの顔が刺繍された服を着て砂場にしゃがんでいた。鼻水を垂らしながら50センチほどの山を作っている。
ガキに近づくと、小さな頭をこっちに向けた。
「あ、おじさんこんにちは〜、みてみて〜、おしろつくってるんだよ〜」
癇に障るガキだった。
その平和な笑顔がおれの心を傷つける。
人間の幼虫ごときが楽しそうに遊んでんじゃねぇよ。
今までの怒りの全てを右足に込め、砂山を蹴り抜いた。ぶわりと舞った砂がおれの足とガキの顔をきな粉餅のように覆い尽くす。
ガキは母親とはぐれてしまったみたいな顔をして数秒固まったあと、潤んだ目でおれを見た。
口を開こうとしたところで顎を思い切り蹴り上げる。
首から普段聞かないような音を出し、真っ白なとうもろこしを口から2、3粒飛ばしながらガキは後ろに倒れた。
口の中を切ったのか、舌を噛んだのか、口から血を出していた。
ガキは起き上がらなかった。泣きもしなかった。
お
次は性欲か食欲を満たそうと公園を出ると、近所でたまに見かける全身痣だらけの中学生くらいの少女が立っていた。
まだガキだが、コイツを犯すのも悪くなさそうだ。
少女に近づくと、また新しく痣が増えているのに気がついた。頭も少し凸凹しているように見える。
と、目が合った。
「おじさん、いつも公園にいる人だよね」
「だったらなんだよ」
「さっきの見てたよ。あの子、死んじゃうよ」
「死にやしねぇさ」
「あっそ」
近くで見ると中々美形だが⋯⋯やっぱ乳が足りねぇな。それに、傷だらけの身体を抱くのも少し抵抗がある。
「なに? あたしのことも殴るの?」
「ああ、もちろんだ」
「あたしを殴って、それからどうするの?」
「他の奴を殴って、食い物を盗んで、イイ女を犯すつもりだ」
「そんなことしたら、何もかも終わりになっちゃうよ」
「もう終わってんだよ」
おれは拳を振り下ろした。
の
4日も食っていないとさすがにもたなくなってくる。先に食欲を満たすことにしたおれは、食い逃げ前提で近くのラーメン屋に入った。
すると、タコのような大きなイボの目立つタコのような顔の大将が、いきなり顔を赤くして怒号を発した。
「なんだその格好は! うちには乞食にくれてやるメシなんかねぇんだ、さっさと帰りやがれ!」
そんなようなことを言われて放り出された。
それから水飲み場で服を洗って何軒か回ったが、どこも「あんたみたいな腐ったクソが金持ってるようには見えんがね」とか「お前みたいな腐ったクソなんぞ店に入れられるか」とか「くさクソ! くさクソ!」とか言いたい放題言われて追い返された。
それでたどり着いたのがこの客のいない定食屋だ。
年配の女将さんが1人で切り盛りしている、昔ながらの大衆食堂といった雰囲気の店だ。
ラーメンを注文して席に着くと、部屋のふちっこでテレビが喋っているのに気がついた。
数年ぶりのテレビにおれは釘付けになった。
「ぞ〜うさん♪ ぞ〜うさん♪」
ズボンとパンツをずり下げ、腰に手を当て、象の身体的特徴が歌詞になっている曲を歌いながら、腰を振って男性器を見せびらかす坊主頭の幼児が映っていた。
「ぶりぶりーっ! ぶりぶりーっ!」
次に臀部がこちら側に見えるように体勢を変え、モグラ叩きのモグラみたいに左右の肉を上下させながら高速移動を始めた。
息子がよく見ていたアニメだ。懐かしさで涙が出てきた。
「あいよ、ラーメンお待たせ。⋯⋯泣いてんのかい? あれ見て泣いてる大人初めて見たよ、あんた面白いね。ちょっと待ってな」
そう言って女将さんはラーメンを持って厨房へ戻っていった。
「ボ〜、これは、良い、石!」
黄色い服を着た鼻水の子が光沢のある石を拾っている。
「はいお待たせ〜、ゆっくりしてってちょ〜」
ラーメンを見ると、チャーシューが6枚入っていた。ラーメンの値段でチャーシュー麺を出してくれたということになる。
「おばちゃん、ありがとよ」
「おねえさんと言いなさいな」
「そりゃ悪かったな、ありがとよおねえさん」
ラーメンは昔ながらの中華そばといった見た目でスープは綺麗に透き通っており、色の濃いチャーシューからは減っていた腹がさらに音を立てるような甘辛い良い匂いがしていた。
見た目と匂いの通り味が濃く、脂身の少ない肉肉しいチャーシューだった。
麺もメンマも1番知っている素朴な味だったが、安心して食べられるので今のおれには最高の1杯だった。
アニメが終わると、眼鏡をかけたイケメンのドラマが始まった。
「キャーッ! ヨン様ーっ!」
女将さんはイケメン俳優のファンらしく、ずっとテレビに夢中になっていた。目が画面から4センチくらいしか離れていなかった。
おれは隙を見て店を抜け出した。
は
長い間忘れていた感覚だった。
腹が膨れると元気になる。気分が良くなる。こんな時は善い行いがしたくなるというものだ。
「やめてください!」
なんという偶然か、路地裏から女の声が聞こえた。
急いで駆けつけると、さっきの少女がスーツを着た男に体を触られていた。
おれは近くに落ちていた拳大の石を拾い、男の後頭部に力いっぱい叩きつけた。
石と石がぶつかるような乾いた音が辺りに響き、男は短く声を発して前に倒れた。今度は顔のところから〈グシャ〉という音が聞こえた。
「⋯⋯死んだのかな」
「どうだろうな」
おれと少女は無言のまま、男の頭から赤い水溜まりが広がっていくのを眺めていた。
太陽の反射が眩しくなってきた頃に少女が口を開いた。
「ありがとう、おじさん」
「礼なんか言うんじゃねぇ。さっきおれに殴られたの忘れたのか?」
それを聞いた少女はムッとした顔をしておれに近づいてきた。
次の瞬間、張り手をくらっていた。
「なにしやがる!」
礼こそ要らねぇが、ビンタされる謂れはねぇはずだ。
「これでおあいこだね。改めて、ありがとう」
少女はそう言って笑った。
強い女だと思った。
な
ぽつぽつと雨を降らせる空は、汚れた白猫の腹のような色をしていた。
「おじさん、なんで助けてくれたの?」
「なんとなくだよ」
男のポケットを探りながら適当に返事をする。
「なんか入ってた?」
「ああ」
スラックスのポケットに財布とスマートフォンがあった。スマートフォンはGPSがあるので、財布だけいただいていくことにした。
「ところでお前、こいつと知り合いなのか?」
知らない相手にいきなり腕を引っ張られて路地裏に連れ込まれたのなら、その時点で抵抗して声を発するはずだ。
「⋯⋯知らない」
少し考えてから答えたようだった。
それにしても、こんな真昼間から堂々と少女を襲うとはなかなか狂った男だ。
おれはこの幼女狂いの異常者がどんな顔をしているのか見てやろうと思い、足で転がして体を表向きにしてみた。
顔を見た瞬間、動悸がした。油なしで焼いた糞のように脳の皺の奥深くにまでこびりついていた、笑いながら何度もおれを殴るあの男の顔が、あの光景が、今鮮明に蘇った。
鼻は曲がっているが、間違いなくあの男だった。明け方おれに暴行を加えたあの狂ったサラリーマンだったのだ。
「おじさん、知り合いなの?」
「ああ⋯⋯!」
おれは怒りに任せて男の顔を踏み潰した。
それから何度も頭を蹴った。その度に頭は形を変え、いろんな所から血を出した。
「⋯⋯おじさん」
「なんだ」
「これからどうするの?」
「とりあえず誰かに見つかる前にここから逃げるつもりだ。そのあとは分からねぇ」
「じゃあ、一緒に逃げよ?」
「なに言ってんだ、お前は何もしてねぇだろ」
「ねえおじさん。あたしの体、なんでこんなふうになってると思う?」
こいつの体には無数の痣がある。その中にはタバコを押し付けられたような火傷の痕もいくつかあった。
「⋯⋯虐待か」
「うん。おじさんさっき言ったよね。『もう終わってんだよ』って。あたしももう、無理なんだ」
「おれみたいなクズと来て何になるんだ?」
「なんでもいいの。あたしはどこかへ行きたいの。それに、おじさんに限らずあたしの周りの大人はクズばっかだよ」
本気の目だった。
「お願い、あたしを遠いところへ連れて行って」
「⋯⋯ダメだ」
「どうして? あたしを見捨てる気?」
「ダメと言ったらダメだ。お前は家に帰れ。とにかくもうおれには関わるな。いくら虐待されてるとはいえ、おれと一緒に来たら余計に不幸になるに決まってる。下には下があるんだ。家があるだけ、家族があるだけマシだと思え。じゃあな」
「待ってよおじさん! あたしは――!」
しつこくついてこようとする少女を蹴り飛ばし、おれはその場をあとにした。
を
38000円入っていた。
現金だけ抜き取って、財布はゴミ箱に捨てた。
さっきの大衆食堂の前を通ると、客が1人もいないガラガラの店内が見えた。
おれは机で寝ている女将さんの肘の下に諭吉を1枚挟んで、音を立てないように店を出た。
さて、この28000円をどう使うか。
食欲も満たしたし、存分に暴れたし、残るは性欲か⋯⋯。
そうだ、風俗に行こう。
狂いサラリーマンは殺してしまったが、これ以上は誰にも迷惑をかけずに終わりたいと思ったのだ。
そうと決まればバイアグラだ。
あ、なぞなぞ思い付いた。
ででん!
足が4本ある人が足を崩して何かを飲んでいる。何を飲んでいる?
答えはバイアグラ。そう、倍胡座だ。
善いことをすると気分が良くなるな。
景色が明るく感じる。
空がより晴れた気がする。
世界が輝いて見える。
人殺してハイになってるだけかもしれねぇけど。
元気が爆発したところでおれはバイアグラを求めてコンビニへ入った。
結果、売ってなかった。バイアグラってそのへんで買えるもんじゃないのか。
代わりに凄十という精力剤を買った。EDというわけではないので精力剤で十分だ。
フタを開けるとなかなか強烈な漢方のようなニオイがした。
一気に流し込むと、喉を通過する時にチクチクと攻撃してきやがった。まさに精力剤という感じの、喉に沁みる飲み物だった。
効果が出るまでには30分から1時間くらいかかるそうなので、おれは駅へ向かうことにした。駅の近くには風俗街があるのだ。
しばらく歩くと、体が火照り始めた。
運動で体が熱くなっただけではない、確かなエネルギーが感じられた。
頭が少しボーッとして、血管が開く感じがする。下半身が熱くなる。
ミニスカートの女とすれ違っただけで股間が反応した。おれは相棒が錆び付いて死んでいなかったことに安堵し、自信を持って歩いた。
風俗街に近づいてきた頃、ふと目の前を歩いている女に意識が行った。
綺麗な長い黒髪に、今までの女とは比べ物にならないほどのミニスカート。なんなら少し見えている。
しばらく見ていると、おれの視線に気付いたのか女が振り返った。
芸能人のように整った顔立ちに、アメリカンサイズのオッパイが揺れていた。
なんなんだあの女、ボンキュッボンであの美貌!? この世の人間なのか!?
気付くとおれは女を狭い路地に連れ込み、左手で口を塞ぎ、凄十でギンギンになった相棒をズボン越しに押し付けていた。
女は興奮しているおれと全く目を合わさず、カバンに手を入れてなにやらガサゴソやっている。警察を呼ぶ気か? させねぇよ!
女からカバンを取り上げ、後ろに投げ捨てる。スマホや化粧品が道端に散らばった。
この恐怖に歪んだ顔。潤んだ大きな目。
こんなになっても美人は美人なんだなぁ。
この顔で散々得してきたんだろうなぁ。
いいよな、顔の良い奴は人生チョロくて。おれがこんなに苦労してんのも知らねぇでのうのうと⋯⋯許せねぇ! 徹底的に犯してやる!
ぶちゅっ!
唇やわらっけ!
次はこのアメリカンサイズの爆乳だな! 嫌がってる美女を無理やり脱がせるってこんなに興奮す
さ
気が付くと寒くて広い場所にいた。
椅子に縛りつけられているようで身動きが取れない。ケツがやたら冷たいので見てみると、おれは裸になっていた。
頭が痛い。
そうだ、あの時誰かに後ろから殴られたんだ。美女を襲ってる途中で⋯⋯。
なにやってんだおれは。
誰にも迷惑かけないって決めたのに、風俗に行くって決めたのに、なにやってんだよ。
これじゃああの狂ったサラリーマンと同じじゃねぇか。クソ⋯⋯。
ところでここはどこだ? 何かの倉庫か?
首が動く範囲でキョロキョロしていると、後ろから女の声がした。
「やっと起きたのね」
さっきの美女が歩いてきた。
訳の分からない状況なのに、この女を見たことでまた息子がマンモスになってしまった。
「チッ、気持ち悪い男だね!」
そう言って美女はハイヒールの踵でおれの股間を踏み抜いた。
「ぎゃああああああああああいやいやいやああああアアアアアアアアオアオアオアオ!」
あまりの痛みに叫ばずにはいられなかった。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯」
歯を食いしばりながら女を睨むと、向こうはゴミを見るような目でおれを見ていた。
「ペッ!」
おれに唾を吐きかけ、こちらに向かって歩き出した。
「もう時間だからあとは頼むわよ」
「はーい!」
後ろで別の女が応えた。
すぐに後ろからタイヤ付きの金属ラックのようなものをガシャガシャと押しながら、セーラー服を着た小柄なピンクツインテール女が現れた。
ラックには金属ボウルが1つ置いてあり、その中には汚れたペンチ、ヤスリ、ナタなど、客をもてなす菓子盆のように色とりどりの器具が入れられていた。
「ョロチクねぇ、オヂサン」
女がニッコリ笑って言った。
この時おれは初めて事の重大さに気付いた。
「ねぇオヂサン、あんたキャラちゃんをレイプちようとちたんだってねぇ」
こんな小さな女なら、椅子に縛り付けられてる状態でもなんとか逃げ出せるんじゃないか?
「ダメだよねぇ!」
張り手が飛んできた。
口の中に鉄の味が広がった。
「あたちもまだチたことないのに! ダメだよねぇ! ダメだよねぇ! ダメだよぉーオヂサン!」
見かけと全く合っていない硬さの拳に歯を折られ、スニーカーで腹を蹴られ、足を踏まれた。
「⋯⋯あんたこれ、ちもいんだけど」
女が汚物を見るような目でおれの股間を見て言った。
蹴られる度にひらひらしてチラチラして良い匂いがするので、マンモスが雄叫びを上げていたのだ。
「あんたこの状況分かってんの? おかちいよね?」
精力剤のせいで制御が利かなくなっていた。
「⋯⋯寒いから勃っちゃうのかにゃあ? ならあっためてあげようかにゃあ」
そう言って女はボウルからチャッカマンを取り出した。
「なにする気だ!」
「ぬくいぬくいだからね〜」
そう言って女はおれの股間に火をつけた。
「ファイヤーマンモちゅ! マンモちゅマンモちゅー!」
下っ腹と股が凍ってしまうような温度で炙られる。
「ダメだ! 消してくれ! 火を消してくれぇ! ぐあああああああああ!」
今まで感じたことのない熱さと冷たさと痛みが股間を襲っていた。
「だーめっ! マンモちゅが大人ちくなるまであっためるの!」
永遠とも思える時間が過ぎた頃、おれの気力とチン毛はなくなっていた。しかし、毛象が象になっただけで、根本的な解決はなされなかった。
「なんでまだマンモちゅなのよ! いい加減にちなさいよ! んもーっ!」
女に何度も殴られて、おれの顔はボコボコのパイナップルのようになっていた。
「ったく、あいちゅらどこまで行ってんのよもぅ⋯⋯」
首を上げる気力もなかったので下を向いていると、女がそうひとりごちた。
「あたちも疲れたからちょっと休憩ね、あいちゅら帰ってきたら続きやるから覚悟ちといてね」
あいつら。
どんなやつらなんだろうか。
おれはどうなってしまうんだろうか。
「なぁ、おれは死ぬのか?」
「うーん、どうちようかにゃあ」
「助けてくれよ」
「でもオヂサン、キャラちゃん犯そうとちたよね?」
「未遂だよ未遂。とにかく命だけは助けてくれよ。家族がいるんだ」
「ふぅん、家族ねぇ」
こんな会話をしていると、倉庫の扉が開いた。外はまだ明るかった。
「すいませんミラちゃん、遅くなりました!」
「遅ちゅぎ! んもーっ!」
スーツ姿の男2人が全裸の女が乗った椅子を担いで入ってきた。おれと同じようなことをしたのだろうか。
「この紐解きなさいよ! あんたたち、こんなことしてただで済むと思ってんの!? 早く下ろしなさいよ! 神輿やないねんから!」
なんでそこだけ関西弁なんだ? テレビの影響か?
女はおれの5mくらい向こうに下ろされた。近くになって分かったが、女は近頃ポスターなんかでよく見る有名なグラビアアイドルだった。
全裸のグラビアアイドル。
当然ながら象の雄叫びだ。
「ひぇっ! なにおっ立ててんのよこのおっさん! あんたたちもなんなのよ! いい加減にしなさいよ! あとでどうなっても知らないわよ! 早く解きなさいぃぃいい!!!!」
おっさんって言われた。
「うっちゃいわねぇ! あんたたち、燃やちちゃって!」
「アイアイサー!」
青ネクタイの方の男が元気に返事をし、ガスバーナーを手に取った。チャッカマンより上だ。
男はなんの躊躇もなく、喚き散らしている女の顔に火を放った。口を重点的に燃やしているようだった。
女は半狂乱のちぎれるような悲鳴を上げながら暴れに暴れた。
どの肉とも違う嫌な臭いに、おれはワキガおやじの隣になったような顔をして渋々それを見ていた。
男が火を止めると、ダラダラに焼け爛れた女の顔が露わになった。さっきまでの美貌は見る影もなくなっていた。
「はい口閉じてー」
緑ネクタイの男が女の頭と顎を両手で押さえ、口を閉じさせた。
しばらくすると、女の唇がくっついて開かなくなった。
「んんんんんんんんんんんん!」
何か言っているようだった。イントネーションからして恐らく「鼻歌しか出来ないじゃん!」だと思う。そんなこと言ってる場合じゃないだろ。いやおれもこんな冷静になってる場合じゃない!
⋯⋯けどもう、いいか。
どうせおれは人殺しだ。小さなガキも蹴っちまったし、あいつも蹴っちまったし、強姦未遂犯だし。
はは、生きてていい理由がねぇじゃねぇか。
おもしれぇ。
⋯⋯はぁ。
もう受け入れるしかない。これで生きてたら儲けだと思おう。
「⋯⋯オヂサン、なにその顔? 覚悟でも決めたのかにゃ?」
「お前はエスパーか? その通りだよ。おれはもうなにも怖くねぇ」
「ふぅん」
ミラは興味なさそうにそう言うと口を燃やされた女に近づいて、右目を指で突いた。
「んー! んー! んんーっ!」
女の苦しそうな声が倉庫内に響く。
「こんなの見ても同じこと言えるかにゃあ?」
そう言ってミラはそのまま指をメリメリと押し込み始めた。指が顔に埋まっていくにつれ、女の目玉が飛び出してくる。
「んんんん! んんんん!」
また女が叫んでいるが何を言っているのかよく分からない。イントネーションからして多分焼きそばだと思う。
女の叫び声など聞こえていないかのようにゴリゴリと指を入れていくミラ。
「痛いの痛いの飛んでけ〜っ!」
そう言って目玉を三本指で掴み、ぶちぶちと引きちぎった。そしてそれを持ってこちらへ歩いてきた。
「はい、あーん」
嬉しそうな顔で差し出すミラ。
こんなものを口に入れられる訳にはいかないと、おれは口をへの字に固く結んだ。
「⋯⋯あんたもおくち要らにゃいのかにゃあ」
おれを睨みながら不機嫌そうにそう言った。
仕方がないので口を開けると、目玉を放り込まれた。
「まずは飴ちゃんみたいにコロコロちてねぇ」
言われた通りにしていたら助かるかもしれないので、おれは従うことにした。
表面はなんの抵抗もなく、非常にツルツルとしていた。まん丸かと思っていたが、少し楕円になっていた。
裏側に焼きそばのように血管が生えていた。あの女の叫んでいた通りだったというわけだ。
「そろそろ噛んでね」
抵抗はしない。
言う通りにだ。
想像していたより何倍も硬く、歯が入ると肉と同じように潰れて裂けた。生臭い味が口中に広がり、鼻からも抜けていった。
「飲み込んでね」
粗さを残したまま強引に飲み込む。喉越しの気持ち悪さよりも、1つ地獄を乗り越えた達成感で胸がいっぱいだった。
「なんなのこいちゅ! 本当に覚悟決めちゃってんじゃん! つまんにゃいの! もうちゃっちゃと終わらせちゃう!」
そう言ってミラはポケットから箱を取り出した。
開けられた箱の中には、なにやら銀色の棒状のものがたくさん入っていた。
「あんた、あたちたちとの約束破っちゃったもんねぇ。そんな悪い子には、針千本飲まちぇないとねぇ」
約束ということは、この女は元々こいつらと繋がっていたということか? 芸能界の闇というやつか。
「あれれ? おくちがにゃいにゃあ」
お前が燃やさせたんだろうが。
「じゃあ下のおくちに飲まちぇまちょうね〜」
ミラはそう言って針を女のアソコにねじ込んだ。何本かを一気に掴んで何度も入れていた。その度に女は〈焼きそば〉と叫んでいた。
「よち、これで全部にゃ!」
ミラは鋏を取り出すと、女のアソコにぶっ刺した。
「吐き出ちちゃったら良くにゃいからねぇ」
鋏で針を押し込んでいた。
時々鋏を広げたり閉じたりしながら、何度もジョキジョキとやっていた。
しばらくして女は叫ばなくなった。アソコから大量の血を流し、ぐったりとしている。
ミラがつまらなそうな顔をして緑ネクタイに呟いた。
「もう飽きちゃった、あとはお願いにゃあ」
「アイアイサー!」
緑ネクタイは金属ラックから鉈を取り出し、女の頭に振り下ろした。
一発で綺麗にぱっくりと割れ、鉈は鼻のあたりで止まった。
脳漿と血液の混じった液体がゆっくり女の顔を伝い、首を伝い、体を伝って床に落ちた。
鉈を引き抜かれると女は体を前に倒し、頭の中の塩辛のようなドロドロを撒き散らした。
「こんにゃふうに目の前で人が死ぬの初めてでちょ。どう? 気分は」
「ショッキングだが、さっき予習してきたからなんとか大丈夫だ」
「よちゅー? なに言ってんのオヂサン」
狂ったサラリーマンを殺しておいてよかった。いきなりこれを見たら気を失っていた可能性もある。
「⋯⋯おれもこうなるのか」
見せられたのは大丈夫だったが、やはり自分がこうなると思うと悲しかった。もっと立派に死にたかったのだ。
「うーん、まぁこの子はオヂサンより罪が重かったからねぇ⋯⋯」
そんな会話の中、おれのマンモスはいまだに雄叫びを上げ続けていた。
「ねぇ、それどうにかならにゃいの? 元気ちゅぎにゃい?」
「どうにもならねぇ。精力剤のせいでもうアツアツなんだ」
「ミラちゃん、冷やしてみるのはどうでしょう」
青ネクタイが提案した。
「冷やちゅ⋯⋯あ、これなんかどぉ?」
透明な液体の入った瓶を指さして言った。なんだこれは、やばい薬品じゃないのか?
「ん」
ミラが緑ネクタイに瓶を渡した。
「俺っすか?」
「あたちがやるとまたおっきくなるから」
「たしかに」
緑ネクタイが近づいてきて、おれのがんもどきに液体を塗った。
「ぎゃあああああああああ!!!」
塗られた瞬間、全身が凍るように寒くなった。さっきの火の比じゃないくらいに冷たかった。
「おまたが! おまたがぁ! スースーするぅぅううううやめてくりぇええええええ!」
おれの大声にビビったのか、緑ネクタイが少し後ずさった。
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯おまたが⋯⋯寒い⋯⋯!」
ハッカ油だ。こんなにスースーするのはハッカ油しかありえない。こんなものを塗られておれの相棒は無事なんだろうか。
「おまたが⋯⋯」
「うるちゃいなぁ。もう瓶ごと行っちゃえ!」
ミラの合図によってマンモスがハッカ油の海に沈められた。今までに味わったことのないスースーと痛みと冷たさと熱さとうぎゃぁぁぁぁああああ!!!!!
⋯⋯だが、溺死した絶対零度のマンモスはなお雄叫びを上げ続けていた。この雄叫びのせいで、裂けるような痛みが常時襲ってくる。
「なんなのこいちゅ! もういい、ちゅぎはおめめにゃあ!」
ミラはそう言って金属ボウルから注射器を取り出した。
「おちゅーちゃちまちょーね!」
目に注射っておい!
2人に顔を固定され、左目の瞼を無理やり開けられる。
迫ってくる注射針。
おれは黒目だけは守ろうと必死に目玉を動かした。
が、ミラは器用におれの目玉の動きに合わせ、ピンポイントでど真ん中を突いてきた。視界の真ん中を塞がれたと同時に、冷たい針の感触と、鋭い痛みを含んだ違和感が襲ってきた。
意思とは関係なく動く目玉に、ミラは声をかける代わりに針を押し込んだ。
恐怖と痛みでおかしくなりそうになりながらも、なんとかおれは正気を保っていた。
「なにを注射する気だ!」
「くーき」
「空気?」
次の瞬間、圧迫感と開放感が同時にやってきて、おれの目玉は激痛とともに破裂した。
破裂した目玉はフォークで貫かれ、パスタのようにグルグル巻かれるとぶちぶちと音を立てておれから離れた。左目が完全に見えなくなった。
「痛いでちょ」
「はぁ⋯⋯はぁ⋯⋯痛いに⋯⋯決まってるだろ⋯⋯!」
「ねぇオヂサン」
「⋯⋯なんだ」
「オヂサン、エッチちたかったんだよね、キャラちゃんみたいなないちゅばでぃーな子と」
「⋯⋯反省してるよ」
「そうぢゃなくて、なんだかオヂサンかわいちょーになってきちゃったから、エッチさせてあげるね! ここまで耐えたごほーびだよっ!」
ミラの合図で男2人が向かいの女の縄を解き、膝を抱えて持ち上げた。その状態でこちらへ歩いてくる2人。
「おい、まさか⋯⋯!」
「ほらよ、その立派な冷え魔羅でたっぷり中出ししてやんな」
青ネクタイがそう言い、2人は手を離した。
マンモスに鋭い痛みが走ったと同時に、女が倒れ込んできた。
身動きの取れないおれは女の頭の残りをモロに浴び、小便を漏らして気を失った。本日2度目の失神だ。
か
目を覚ますと、あの少女がいた。
「おじさん! 目が覚めたんだね! 良かったぁ!」
「⋯⋯ここは?」
「町内のゴミ捨て場。おじさんここに倒れてたんだよ」
相変わらず全裸だった。
右目しか見えない。
チンコが痛てぇ。
顔も痛てぇ。
「救急車呼んであるから安静にして待ってね」
「ああ、悪ぃな」
救急車⋯⋯。
救急車!?
「ダメだ! おれは人殺しなんだ、病院に行ったら捕まっちまう!」
「だけどおじさん、このままだと死んじゃうよ! すごい血出てるし!」
自分の体を見ると、確かに血まみれだった。
しかし、実際に痛むのは左目と股間だけだ。どちらも激痛だが、捕まるよりはこのままのほうがマシだ。
「大丈夫だ、これはおれの血じゃない。逃げるぞ!」
それを聞いた少女は目を海のようにキラキラと輝かせ、「うん!」と元気な返事をしてスマホを投げ捨てた。こんなに眩しい笑顔が出来るガキだったのか、と少し驚いた。
救急車に見つからないように少し離れた所まで2人で走った。少女はアホみたいに足が遅かったのでおれが手を引いて走った。
「きゃーーーーーっ! 裸血まみれマンモスよーーーーっ!」
「片目の変態だぁーーーっ!」
「海賊だぁーーーーっ!」
「うんにゃーーーーっ!!!!!!!!」
「キリン!」
通行人とすれ違うたびに通報されたが、そんなのに構っているヒマは今のおれたちにはなかった。
「おじさん、どこ行くつもりなの?」
金もないし、あの公園にはもう戻れねぇ。
「アテはねぇが、とにかく走る!」
「そんな体でずっと走ってたら死んじゃうよ!」
「大丈夫だって言ってんだろが! 血のわりに傷は少ねぇんだ!」
「とりあえずホテル行こ? あたしお金持ってるから」
「はぁ!? おれはロリコンの趣味はねぇぞ!」
「バカ! ラブホじゃないっての!」
ということでおれたちはホテルに向かった。
当たり前すぎるが、フロントに足を踏み入れた瞬間に通報された。まずは体を洗って服を揃えなきゃならない。
「ごめんねおじさん、あたしいろいろパニクってて」
「いいんだ、おれもなんであの格好でホテル入れると思ったんだろうな」
「ふふっ」
少女がまた笑った。再会してからよく笑う気がする。こっちはこんな血だらけだってのに。
「なぁガキ、そこの公園のトイレで体洗ってる間に適当に服買ってきてくれねぇか?」
「ガキじゃなくて咲ね」
「じゃあ咲、頼むぞ」
「うん!」
なんだかおれに頼られるのが嬉しいような顔をしていた。
それからおれは人目を盗んで公園のトイレに入り、水で体を清めてマンモスの針を全部抜いた。ハッカ油のせいでずっと寒かった。死ぬほど寒かった。それからは個室に入って咲が戻るのを待った。
「おじさん、買ってきたよ!」
しばらくして、咲が戻ってきた。
袋からTシャツとジーンズが出てきた。
「あれ、パンツは?」
「いるの?」
「いるだろそりゃ」
もしかしてこいつノーパン派か?
「あたしね、昔から家でも学校でもいじめられてて、ずっと辛かったんだ」
「ん? ああ」
こんな急に話変わることってあるか?
「でも、1人だけあたしを支えてくれた人がいたんだ。近所のお兄さんなんだけど、その人小説が趣味でね、ものすごく面白い物語を書いてたの」
早く服着てぇな。
「突拍子もないギャグ小説ばかりだったんだけどね、その明るさにいつも救われてたんだ。あたし、そのお兄さんが大好きだったんだぁ」
「そろそろ服もらっていいか?」
「そのお兄さん、いつもノーパンだったんだ。だからおじさんにもノーパンで過ごしてほしいなって」
えっ?
「なんでそうなるんだ?」
「ごめんね、おじさんもお兄さんみたいにあたしを助けてくれたから、勝手にお兄さんと重ねちゃってて⋯⋯」
ノーパンなのに重ねるとはこれいかに。
「助けてもらったのはおれの方だ」
「ううん、あたしだよ。嬉しかったもん、一緒に行こうって言ってくれて」
「そうか⋯⋯」
こうしておれは初めてのノーパンを経験した。
案外悪くねぇもんだ。
せ
ホテルの部屋に入ると、久しぶりの室内ベッドに胸が躍った。今日はふかふかのベッドで雨に打たれずに寝られる。どんなに幸福なことか。咲には感謝してもしきれないと思った。
「咲、ありがとな」
「あたしの方こそありがと」
そんなに家が嫌だったんだな。あの時は悪いことをしちまったなぁ。
「ところでおじさん、なにがあったの?」
「なにがって?」
「いやその怪我しかないでしょ。なにがあったらそんなふうになるのよ」
美女を犯そうとして⋯⋯なんて言えるわけねぇよな。
「転んだんだ」
「なわけないでしょ。百歩譲って目がなくなるのはいいとして、いやよくないけど、まぁあるとして、どこで転んだらちんちんが針山になるのよ」
「ちっ、お前には隠し事出来ねぇな。降参だよ」
「おじさんが下手すぎるんだよ」
おれは正直に全て話した。
「きっしょ」
咲は軽蔑以外の何物でもない視線をおれに向けた。
「言ったじゃん、何もかも終わりになるよって。全部実行して、本当に終わりになってちゃ世話ないよ」
「でもお前と出会えてこうして無事にいる。おれは運がいいよ」
「はぁ、全く⋯⋯」
あきれた様子の咲。
「それにしてもお前、なんでこんなに金持ってんだ?」
服もホテル代も出してくれた。中学生にそんな金はないはずだ。
「えっ!? えっと、それは⋯⋯仕送り貰ってるから!」
「虐待が嫌で家出してきたのに仕送り貰ってるのか?」
「そ、そ、そう! 公認の家出なんだぁ!」
「お前おれより嘘下手じゃねぇか」
「どっこいどっこいだよ」
しばらく問い詰めると、ぽつりぽつりと話し始めた。
「売春やってたんだ。昼のサラリーマンもその客だったんだけど、あんまり乱暴だから拒否ってたらあそこに連れ込まれて。まあ元はと言えば援交やってたあたしが悪いんだけどね」
中学生でそんな⋯⋯。
「⋯⋯おじさんも、する?」
「おれをそいつらと一緒にするんじゃねぇよ」
「ごめん。そうだよね。あたしみたいな汚い女、嫌だよね」
「そうじゃねぇよ。さっきも言った通りおれにロリコンの趣味はねぇ。アメリカンなボインボインが好みなんだ」
「そうなんだ⋯⋯」
自分の胸を触って落ち込んだような顔をする咲。
「じゃあおじさん、あたしの前からいなくなっちゃうの?」
「なんでだ?」
「あたしボインボインじゃないから、おじさんになにもしてあげられないから⋯⋯」
「バカか。お前はな、まだガキなんだよ。そんなことする歳じゃねぇの」
「じゃあどうすれば⋯⋯」
「何もしなくていい。ただ、これからはおれを頼れ。何かあったらすぐに言え。分かったな?」
「⋯⋯⋯⋯」
咲はおれの顔を黙って見つめた。
しばらくして、口を開いた。
「あたしの方が強いっての!」
そう言ってニッと笑った。
「なに言ってんだお前」
「だっておじさんお金もないし、体ボロボロだし、左目ないし、ちんちんはハリセンボンだし、絶対あたしが頼られる側だよ!」
「⋯⋯確かにな、はは」
よく分からなかったが笑った。ハリセンボンが可笑しかったからだ。
おれたちはしばらくここで暮らすことになった。
よ
『臨時ニュースです。○○党の桜田議員の長女である桜田 咲さんが先日から行方不明になっています。お心当たりのある方はこちらの連絡先までご連絡を⋯⋯』
保護した者には1000万円を支払うとの事だった。
おれは目を疑った。
隣で寝ているこの痣だらけの少女が、国会議員の娘だったなんて。
「なぁ咲、1000万だってよ。娘を虐待しておいて、なんでこんな額の賞金を⋯⋯まさか、お前のことを心配してるわけじゃねぇよな?」
「してると思うよ。あたしがいないとストレス発散出来ないだろうし」
ストレス解消のために、か⋯⋯。
「あたしはおじさんと第2の人生を歩むんだ。もう絶対にあいつのところには戻らない。⋯⋯見て、おじさん」
咲はそう言うとおもむろにカバンを手に取り、開けて中身を見せてきた。
中身は全部金だった。
「家から盗んだお金とあたしが稼いだお金。全部で1000万円以上あるよ。だから⋯⋯」
だから⋯⋯?
「もしかしてお前、おれがチクるとでも思ってんのか? おれが1000万に目が眩むと思って、それで今ある金を見せたのか?」
「⋯⋯疑ってごめん。怖かったの」
⋯⋯そうか。そうだよな。
今までこいつは信じていた周りの人に何度も裏切られ、騙されてきたんだ。
「おじさん、どうしたの?」
いつの間にかおれは泣いていた。
「もしお前が連れ戻されたら、おれが絶対に助けてやるからな」
「やっぱりおじさんは優しいね、ありがとう。でもダメだよ。おじさん、あいつに殺されちゃう。あたしは大丈夫だよ、強いから。あたし、おじさんを危険な目にあわせたくないんだ」
「信用されてねぇなぁ」
「信用とかじゃなくて、心配なの!」
「ガキに心配してもらうほど落ちぶれちゃいねぇよ。見くびられたもんだぜ」
「あたしがいなかったら野垂れ死にしてたくせに!」
減らず口め。
そういえばこいつ、何歳なんだろう。
「お前、いくつなんだ?」
「先月14歳になった。おじさんは?」
「おれは来月の6日で51だ」
「へー、もうすぐじゃん!」
「もうおめでたくもねぇ歳だけどな」
う
それから毎日咲のニュースが流れた。幸い2人とも偽名で入ったのでホテルの従業員にはバレていないが、1000万ハンター共のせいで咲は外出出来なくなった。
第2の人生をスタートすると決めたはずが、こんなところで行き止まってしまうとは。
「なぁ咲、ずっとこんなところで辛くないか?」
「辛くないよ、おじさんがいるから」
「随分信用してくれてるんだな」
「信用じゃなくて、懐いてんの!」
「はは」
ガチャ。
突然、入口の方からドアの開く音がした。
その1秒後に、銃を持った男が何人も入ってきた。
「大人しくしなさい! 手を上げて膝をついて!」
わけも分からずおれは言う通りにした。
立ち膝で今の状況を整理する。
どこかからここに潜伏しているという情報がバレて、マスターキーで警官が入ってきた。そんなところだろうか。
打開策を考えていると、警官の間から見覚えのある同年代くらいのスーツ姿の男が歩いてきた。
「まったく、手こずらせおって⋯⋯」
そう言っている男を咲が鬼のような顔で睨んでいる。そうだ、こいつは桜田議員だ。
「なあ誘拐犯、死ぬ前に教えろ。どうして咲を攫った」
おれ誘拐犯なのかよ。
まぁそうか。そうだよな。
おれが1人で嘆いていると、後ろで咲が口を開いた。
「誘拐犯じゃないわ。あんたの虐待から逃げて来ただけよ。この人は助けてくれたの」
「だとしてもどのみち人殺しの露出狂だろう。調べはついているんだ」
露出狂はおれのせいじゃないのに。
「いつもみたいに揉み消しなさいよ。お兄さんを殺した時みたいに揉み消しなさいよ!」
「そんなわけにいくか。そいつは殺人犯なんだぞ」
「もしこの人に指1本でも触れたら、今ここで死んでやるから!」
咲が隠し持っていたナイフを首にあててそう叫んだ。
ちょっと待ってくれ。またおれが助けられるのか? おれはどうすればいいんだ? どうすれば咲を助けられる? 今こいつを手放したら、桜田にまた虐待される日々に戻ってしまう。どうすれば⋯⋯!
「おじさん」
そう言うと咲はナイフを下ろし、桜田議員の前まで歩いたところで振り返った。
「短い間だったけど、ありがとう。幸せになってね」
切ない笑顔に、胸が締め付けられた。
咲の目には涙が浮かんでいた。
気付くとおれは桜田議員に掴みかかっていた。銃を構える警察官。真正面から銃口を見たのは初めてだった。
「撃たないで!」
咲が叫んだ。
「⋯⋯おじさんも、やめて」
やめたくなかった。離れたくなかった。
「行くぞ」
警官が銃を下ろすと、桜田議員が咲の肩を抱いて言った。
警官と桜田議員に連れて行かれる間際、咲はまたおれの方を振り返った。
ま
嵐が去り、1人になった。2人用の部屋にたった1人だ。
おれは嬉しかった。
ドアを閉めて、ベッドに向かった。
ん
咲は最後におれを頼ってくれた。
最後の最後に、頼ってくれた。
振り返ったあいつは声に出さず、「ベッド」とハッキリ言っていた。
ベッドを探ると、マットの下から1枚のメモが出てきた。そこにはある住所が書かれていた。
咲の家だ。
いや、桜田議員の家だ。
おれはすぐにホテルを飛び出した。
咲が連れ去られたというのに、初めて頼られた喜びの方が勝っていたせいか、おれはずっと気持ちが晴れていた。
咲の金でタクシーに乗り、住所の近くのコンビニで降りた。
しばらく歩くと、図書館のようなレトロな雰囲気の豪邸が見えた。ここに咲がいるはずだ。
警備員などは見当たらないが、警備会社と契約している可能性は高いだろう。まあ監視カメラに写ったところで逃げるからいいんだけどな。
おれは今、ナイフを持っている。咲が部屋に置いていったものだ。もしもの時は、これで桜田議員を刺すつもりだ。
タクシーの中で何度もシミュレーションをした。門の柵を飛び越え、石で窓ガラスを割り、咲を連れて逃げる。いける。いけるはずだ。
そう思っていたが、門の柵はおれの倍以上の大きさだった。柵自体もツルツルしていて登りにくそうだったので、塀をよじ登ることにした。
幸いおれはガリガリで軽かったので、指先を犠牲にしただけで簡単に中に入ることが出来た。逃げる時のために門の鍵だけ内側から開けておく。
1階の部屋からは人の気配はしなかった。咲の母親は彼女が小さい頃に亡くなっており、家族は他にいないそうだ。
「いやぁーっ!」
鍵の開いている窓を探していると、咲の悲鳴が聞こえた。声のした方を見てみると、2階の角の部屋で顔から血を流した状態の咲が首を絞められながら窓に押し付けられていた。
「10回分は溜まってるんだからなぁ! 覚悟しなさい!」
「やだぁ! やだぁ! もうやめてぇ!」
咲!
お前、いつもこんな仕打ちを⋯⋯! 許せねぇ!
それにしても、丸聞こえなのに周りはなんとも思わないのだろうか。
⋯⋯すでに近所は買収済みということか。
おれはリビングの窓を石で割り、手を入れて鍵を開けた。幸い桜田は咲の叫び声のせいで気付いていないようだった。
ポケットからナイフを取り出し、音を立てないように階段を上る。一段一段、気配を消して上る。
「ぎゃあああああああああ!」
部屋の前まで来たところで、中から桜田議員の叫び声が聞こえた。
ドアを蹴破って中に入ると、そこには閉じられた両目と口から血を流す全裸の咲と、両手で股間を押さえて倒れ込んでいる桜田議員の姿があった。
「咲! 来たぞ! おれだ!」
「おじさん!? 来てくれたの!?」
目を閉じたまま嬉しそうな声で言う咲。
「とにかく逃げるぞ!」
おれは咲の手を引き、階段へ向かった。
中にも外にも警察の姿はない。自動で通報されるかとも思ったが、まだ来ていないだけなのだろうか。
開けておいた門を抜け、そのまま走れるだけ走った。あの時と同じように、走るのが遅い咲の手を引いて走った。
「誘拐よーーーーっ!」
「顔面血まみれ小娘泥棒ーーーーっ!」
「山賊だーーーーーっ!」
「しょんにゃーーーっ!!!!!!」
「みりん!」
通行人とすれ違うたびに通報されたが、そんなのに構っているヒマは今のおれたちにはなかった。
人気のないところまで来て腰を下ろすと、咲が裸足であることに今更気が付いた。
「足、大丈夫か?」
「⋯⋯⋯⋯」
咲は無言でこちらを向くと、すぐに下を向いた。
「うぅ⋯⋯ぐすん⋯⋯」
どうやら泣いているようだった。
怖かったんだろう。足が痛いんだろう。
「もう、ダメだ⋯⋯もう⋯⋯」
「咲? どうした、大丈夫か?」
「もう、あたし⋯⋯わあああああああああ!!!!!」
咲は急におかしくなったように叫び始めた。
「どうした、何があったんだ!」
「もう嫌だぁ! 死ぬ! 死ぬんだぁ!」
あまりに暴れるので押さえつけると、咲がずっと閉じていた目を開いて言った。
「目が⋯⋯見えないの!」
「あいつにやられたのか!」
「もう逃げないようにって、潰されたの!」
あの外道め⋯⋯!
「もうあたし、生きる希望が⋯⋯うぅ⋯⋯もう⋯⋯!」
咲が不憫でならなかった。
「病院に行くとまた連れ戻されるし、もうあたし、生きる気力がないよ⋯⋯なんであたしばっかりこんな目に」
おれには咲を力いっぱい抱きしめてやることしか出来なかった。
それから咲はおれの胸でわんわん泣いた。干からびてしまうんじゃないかと心配になるくらい、何時間も泣いた。
「なぁ、死ぬなんて言わないでくれよ。おれのために、生きててくれよ」
「おじさん⋯⋯」
「今度はもっともっと遠いところに逃げて、ずっと2人で暮らそう、な?」
「⋯⋯うん」
良かった。とりあえず落ち着いてくれたみたいだ。
「おじさん」
「なんだ?」
「ありがとう」
「おれの方こそありがとな、死なずにいてくれて」
か
「そんで、目潰されてムカついたから噛みちぎってやって、その傷口に指突っ込んでキンタマ引き裂いてやったのよ! 今頃あいつ死んでるよ!」
すっかり元気になった咲はこの話をかれこれ300回くらいおれに聞かせた。
桜田議員は死にはしなかったものの、今はICUにいるそうだ。
目がほとんど見えなくなった咲だったが、今では手に負えないくらい元気ハツラツだ。
「目が見えなくたって耳が聞こえるんだから!」
咲はそう言って3歩歩いて電柱に激突した。
「ガキだなぁ」
「うるさーい!」
ポケットに詰め込んだ諭吉だけじゃなくなるのも時間の問題だったので、ホテルを転々としながらおれはボチボチ就職活動というものを始めていた。
い
ユニットバスでシャワーを浴びていると、部屋の方から微かに咲の声が聞こえた。
独り言か? それにしては長い。そもそもあいつが独り言を言っているのを聞いたことがない。
どこかに電話してるのか? スマホは捨てたはずだが、おれの知らないスマホがあったのか? それとも知らないうちに買ったのか?
桜田議員に脅されたりしているのではないかとも思ったが、声色からしてそういう相手ではない気がした。
まるで店員と客が話しているような雰囲気だった。
⋯⋯待てよ? 客?
「では来週の×××××に。失礼します⋯⋯」
なんとなく聞こえた部分だけの推測だが、これはもしや⋯⋯。
「誰かと電話してたようだが、大丈夫か?」
シャワーから上がると真っ先に聞いた。
「大丈夫だよ、なんでもない!」
「そうか⋯⋯」
隠したな。
この期に及んでおれに隠し事とは、今度こそ本当に最悪に危ない話だったりするんじゃなかろうか。
それか、援交か。もしや、おれが就活で居ない間に⋯⋯?
「お前、また売春やってんじゃねぇだろうな」
「やってないっての! あたしはもう、おじさんだけのものなんだから!」
「おれはロリコンじゃねぇんだよ。⋯⋯とにかく、ヤバくなったら絶対に1人で抱え込まずにおれを頼れよ。絶対にだ」
「うん、分かってる。⋯⋯ありがとう」
嬉しそうな顔をしていた。
来週の何曜日かは分からないが、とりあえず来週だというのは聞き取れたんだ。それまでは気を張っていよう。
に
朝起きると、咲がいなかった。
ずっと気を張っていたのに、まさか早朝にいなくなるなんて。危険なことに巻き込まれてなきゃいいが⋯⋯。
おれはすぐに準備をし、ホテルを出た。
と言ってもあいつの行きそうな場所なんて分かりっこない。あいつはしばらく1人で外出なんてしてなかったんだ。いったいどこに行っちまったっていうんだ。目もろくに見えてないってのに!
咲⋯⋯!
なんでおれに言わないんだ。せっかく落ち着いて、平和に暮らせるようになったっていうのに。なんでいつも自分を優先しないんだ。おれのことなんか心配しなくていいのに、なんで1人で⋯⋯!
あてもなく街中を走り回っていると、道の向こうに咲の姿を見つけた。手に紙でできた白い箱のようなものを持っている。
咲を見つけて安堵したが、それよりも心配をかけられた怒りが先に出た。
「咲! 1人でどこ行ってたんだ! 心配したんだぞ!」
おれの声に気付いたようで、咲はこちらを振り返った。
「あ、おじさーん!」
「ダメだ、来――」
おれの制止が間に合わず、こっちに走ってこようとする咲を大型トラックが轢き潰していった。
その拍子に咲の腕から離れた紙箱がおれの方に飛んできた。箱はおれの足もとに着地し、中身を盛大にぶちまけた。
今、歩道には甘ったるい匂いのする白いクリームとイチゴ、『お誕生日おめでとう』と書かれた楕円形のチョコレートが散らばっている。
おれは誰かが呼んだ救急車を待ちながら、後続車4台に同じように轢かれてデコボコの絨毯になった咲をただ見ていることしかできなかった。