096 忍者は伊達じゃない。
交易都市が邪神像の支配から解放されて7日目。
その正午に、エルラド公国の兵が西から姿を現した。
てっきり北から来るものだとばかり思っていたが……。
そう思い、領主の城へ到着した部隊長に尋ねてみた。
「ハッ! 報告いたします。星天の魔女ルーン様が、ミストの街より東に道を作られました」
部隊長はピンと背筋を伸ばしてそう答えた。
うん、まぁ……一応僕の立場は第2公女だからそうなるか。
それに師匠が道を……何かぶっ放したんだろうなぁ。
「それと、これを預かっております」
部隊長は巻物らしき物を、こちらへと差し出した。
「これは……?」
「ルーン様が用意した転移魔法陣が中に描かれています。転移先は帝国北部の鉱山都市に近いところだとか。発動したときに触れていた者も同時に転移できるとのことです」
師匠が用意してくれたのか……ちょっと不安。
「それでは、私はお二人を領主のもとへ案内して参ります」
部隊長の言った二人というのは、背後にいる貴族らしき人のことのようだ。
どことなく知的な雰囲気を感じる。
これからこの地を公国の領土とするため、色々取り決めを行うのだろう。
人や物がこれから行き交うにしても、しばらくは審査も厳しくなるはずだ。
◇ ◇ ◇ ◇
「ということで、鉱山都市には師匠が用意した転移魔法陣で向かいます」
その日の夜、僕はリズさんたちに次の目的地と手段を説明した。
僕個人としては、ちょっと南下して港町とか行ってみたかったが……。
心残りがあるのは、僕だけでなくリズさんとシルフィさんもだった。
「そうか……もうちょっと兵の練度を上げておきたかったところだが、仕方あるまい」
「私ももう少し教会を調べたかったですが……いえ、今の所何も出てきそうにないのでこれ以上は無駄でしょうね」
二人はやや心残りがあるようだ。
それに対し、メイさんは元々鉱山都市に行ってみたかったという話だったが……
「鉱山都市ミスティアなぁ……ここまでのこと考えると期待はできへんよな」
それほどテンションは高くなかった。
まぁ言わんとすることはわかる。
交易が盛んだった街から活気が失われていたように、鉱山都市も何かしらの問題は抱えているだろう。
などと考えていると、不意に窓側から声がした。
「あの……それは私も付いて行って大丈夫なのでしょうか?」
声の主は、カーテンの隙間から覗くようにこちらの様子を伺っている。
そこにメイさんが近づいて行き、カーテンを勢いよく開くとこちらへと振り返った。
「なぁエル、別に一人ぐらい増えても大丈夫やろ?」
「――ピョッ!」
突然集まった注目に、アゲハはビクッと反応した。
まぁ……そうなるか。
メイさんがそう簡単にパシリを手放すはずもない。
しかし、はたしてこの旅に連れて行っていいものなのか?
そう思い、リズさんの顔を伺ってみる。
「ふむ……彼女の身のこなしはかなりのものだと思うぞ。少なくともただの足手まといにはならないだろう。だから害がなければ別に良いとは思うが、まぁそれを判断するのは私じゃないな」
僕に判断を委ねるらしい。
色々と残念な部分が際立ってはいたが、たしかにアゲハの速さはかなりのものだ。
諜報活動ができるならありがたい存在ではある。
ここはもう一人、シルフィさんの顔も伺っておく。
「邪教徒というわけではないようですが、かといって帝国側に寝返らない保証もないですよね……」
そう、それ、それですよ。
シルフィさんは僕と同じことを危惧していた。
なんせ自分の刀のためにこちら側に寝返った人間だ。
また逆に寝返る可能性だって十分考えられる。
「そ、そこは大丈夫です。そもそも帝国民というわけではないですし。こう見えて私、和国出身ですから」
そう言ってアゲハはやや大きめの胸を張った。
別に威張ることではないはずだが……。
「あれ? でも自分で帝国一の忍びとか言ってましたよね?」
僕と対峙したときはたしか自分でそう言ってたはずだ。
あれでてっきり帝国人かと思ったのに。
「私より速い忍者が帝国にいるわけないですから」
エッヘン、とさらにアゲハは胸を張った。
速さ以外にも忍者の良し悪しは色々とあると思うんだけど……。
しかしそうなると不思議なものだ。
和国を滅ぼした魔帝国と、事実上その傀儡と化してる帝国に思うところがあってもいいだろうに。
忍者ってそういうとこシビアなのかな……。
「もし和国に赴く機会があれば、道案内は任せてください」
アゲハはスッと眼鏡をかけて知的な雰囲気を醸し出した。
「その眼鏡……塔の前で僕と対峙したときはかけてませんでしたよね?」
パッと見、ちゃんと度は入っているように見える。
でも城で会った時も最初はかけてなかったな。
「……こ、これには深いワケが……」
そう言ってアゲハは目を逸らす。
そこには何か重大な秘密が……
「じ、実は人と目を合わせるのが苦手で……。眼鏡をはずせば、ちょっとぼやけて見えるので気にならなくなるんです」
アゲハは照れながらそう答えた。
どこに深い要素があったんだ……。
「そいで? 結局連れてってもええんか?」
そう言って下から僕を見上げるメイさんは、まるで拾った動物を飼っていいか尋ねる子供そのものだった。
「まぁ、いきなり信用というのはできませんけど。今後の行い次第ということで許可しましょう」
これは頼りがいのある女性陣が多いからこそ言えることだ。
メイさんにはしっかり手綱を握っていてもらおう。
僕の言葉聞いて、アゲハは片膝をついた。
「この韋駄天アゲハ、誠心誠意お務めを果たさせていただきます。もしご不満があれば、和国に送り返してもらってかまいません」
キリッとした表情でアゲハはこちらを見ている。
……さっきも思ったけど、ひょっとして和国が魔帝国に滅ぼされたのを知らないのだろうか。
「非常に言いにくいことなんですけどね……」
僕は和国の現状を説明した。
魔帝国の手に落ちたこと、それと一部の難民を公国で保護していることを……。
「そん…な……和国が…もうない……?」
アゲハはその場でガクリと項垂れる。
大分世情に疎いようだ……諜報活動への期待が揺らぐ。
こうして暗い雰囲気の中、アゲハは5人目のメンバーとして旅に加わることとなった。
◇ ◇ ◇ ◇
翌朝、転移魔法にて北へ向かう前に侯爵へと別れを告げた。
「公女様御一行には大変お世話になりました。交易都市はまだまだこれからが大変ですが、是非またいらしてください」
侯爵は本当に感謝していた。
無精髭を剃り、身なりを整え、また領主としてこの地を任されたのだ。
これ以上の喜びはない、と顔に書いてある……多分。
「本来なら民にも別れの言葉を……いえ、これは戦争でしたね」
侯爵は『でも私はわかっていますよ』と言いたげに笑みを浮かべた。
そう、これは戦争なのだ。
本来感謝される立場ではない……はずなのに、何かを察されてしまった。
それに僕としてはあまり足を運びたくない地だ。
勝手に像まで作られちゃったし……。
ただ……海の幸は心残りだ。
いつか絶対お忍びで来るとしよう。
「マーカス侯爵も、まだしばらくは色々と制限されるとは思いますが、いつか中央都市にいらしてください」
もちろんこれは社交辞令です。
僕を本気で公女だと思っている人にプライベートでは会いたくない。
「えぇ、いつか必ず……。ところで、次の目的地は鉱山都市ミスティアだそうですね。ここからだとかなりの距離になりますが、移動は馬車で?」
「いえ、転移魔法を使います」
僕は師匠が用意した巻物を取り出し、中身を開いた。
そこには複雑な魔法陣が描かれている。
……あれ?
そういえばこれ、どうやって使うんだ?
「ほう、魔力さえ流せば誰でも使えるスクロールですか。転移魔法なんて実在する魔法だったのですね……」
そう言って侯爵は物珍しそうに眺めていた。
……なるほど、魔力を流せばいいのか。
これは良い事を聞いた。
「しかしそんな伝説レベルの魔法で、さらにそのスクロールとなると、発動にかなりの魔力が必要になりそうですね」
さすが交易都市の領主、色々と博識なようだ。
でもそうか……かなりの魔力がいるのか。
これは怖い事を聞いた。
僕は、隣に立つリズさんの顔をチラッと伺った。
「私は魔力を外に放出できないから無理だな」
まぁリズさんは剣士だからね。
ならシルフィさんは……?
「私も魔力量はエルさんほどでは……」
どうやらシルフィさんより僕のほうが魔力量は上らしい。
元は凡人の魔力量とはいえ、輪廻の融合によって魔力を増やしたのは無駄ではなかったようだ。
……まぁ、一応メイさんとアゲハさんの顔も伺っておくかな?
「なんや? ウチがそんなん発動させたら魔力干からびて死んでまうわ」
「私も魔力は凡人以下なのでちょっと……」
ですよねぇ……。
つまりこれは僕が魔力を流さないといけないらしい。
大丈夫かな……転移した瞬間、僕干からびたりしないよね?
「それじゃあ全員、ぼ……私に触れてください」
危ない危ない……まだ侯爵の前だから公女モードを続けてないとね。
リズさんは僕の左腕に腕を絡め、シルフィさんは僕の右腕を掴む。
そしてメイさんは背後からしがみつき、アゲハさんは足にしがみついた。
これでもし雲の上にでも転移させられたら最悪だな。
実際師匠は転移先を間違えた実績があるし……。
「じゃ、じゃあ行きますよ!」
僕が魔力を注ぐと、スクロールから光が溢れ始めた。
それは視界を徐々に支配していき……
「ご健闘を――――
最後に見えたのは、こちらへ頭を下げる侯爵の姿だった。