079 娘のことが心配です。
「申し訳ない……星天の魔女ルーン殿の姿が見えた瞬間、つい気分が高揚してしまって……」
名乗った覚えはないが、セリスは気づいていたようだ。
つまり知ってて壁ごと破壊したのだ。
セリスの弓矢による迎撃が止まり、帝国の軍勢は都市の外壁まで辿り着いてしまう。
当然ここから先には行かせまいと、公国も防衛ラインを敷いてはいる。
それでもリミッターの外れた戦闘狂相手では分が悪すぎた。
無論、この防戦一方な状況を打破する手段がルーンにはある。
だがそれは、あまりにも多くの血が流れるものだった。
その時、ルーンはある気配を察知する――――
「地獄絵図にする覚悟は……しなくても良さそうね」
ルーンがそう言うや否や、外壁に密集していた帝国の軍勢が宙を舞った。
それも、見事に武装だけが切り刻まれた姿でだ。
気が付けば公国の兵が、二人の人物に道を開けている。
その二人の仕業なのだろう。
宙を舞う軍勢の中心に二人は立っている。
そして、ルーンにとっては良く知る顔だった。
自身と同じSランクの冒険者であり、戦闘のスペシャリストと呼んでいい存在。
そうなると、先ほどセリスが道中矢を落としたというのも察しがいった。
「ひょっとしてあんたが上から飛んできたのって……」
そう言ってルーンは二人を指差した。
それに対して、セリスはコクリと頷く。
「えぇ、私が二人の足についていけず、槍投げの要領で……あれはなかなか愉快な体験だった」
やはりそうか、とルーンは納得がいった。
投げられて満足気なセリスも異常だが、あの二人はそれ以上だ。
二人を上から見下ろしながら、ルーンは声をかけた。
「懐かしい顔ね、夫婦揃って旅行かしら?」
いともあっさり軍勢の第一陣の残りを退けた二人は、ルーンの声に応えるように外壁の上へと跳ぶ。
一人は赤毛で短髪の男、腰に刀を差している。
もう一人は長い黒髪の女で、重厚な斧槍を軽く肩に背負っていた。
男は40代半ば程度、女の方はかなり若く見える。
しかし纏った雰囲気にはルーンと同じものがあった。
旅行というルーンの皮肉に対し男は口を開く。
「旧友に呼ばれ参上した次第だが……まぁあながち間違いでもない」
それに続いて黒髪の女も口を開く。
「本音は、久しぶりに娘の顔を見たくなっただけのくせに良く言うよ」
と男に対し呆れ気味だった。
ルーンと二人のやりとりを見て、セリスは紹介する必要がないと悟る。
「3人共、さすがに顔見知りでしたか」
セリスもなんとなくわかってはいることだった。
なぜなら、3人共同じSランク冒険者としてその名を馳せている存在なのだから……。
「ま、昔ちょっとパーティを組んだことがある程度よ。腐れ縁みたいなものかしら」
そのルーンの言葉に、セリスは心躍る。
「剣神と戦女神、そして星天の魔女がパーティを組んで……?」
セリスは3人を眺め、興奮を覚える。
腰に刀を差した赤髪の男。
それは剣の道を志す者なら誰もが憧れる存在。
神に届きうる剣技と言われ、剣神の称号を賜った者だった。
そして重厚な斧槍を担いだ黒髪の女性。
ほっそりとした見た目と相反する怪力で斧槍振り回し、まさに一騎当千の強さだったと言われている。
その見た目の美しさから、戦いを司る女神……戦女神と呼ばれていた。
「さて、とりあえず……あの人混みをどうにかしようかね」
帝国の軍勢第二陣が外壁付近まで押し寄せると、戦女神ヴィクトリアは自身の背丈と変わらぬ長さの斧槍を構える。
同じく剣神ヤマトも刀に手をかけるがあまり乗り気ではなかった。
「これを全て斬るのは容易いが、後処理が面倒よな」
その言葉は決して虚勢ではなく、剣神と呼ばれる彼なら実際に可能なのだろう。
だがそれを実行してしまえば、ルーンが危惧していることと同じように地獄が広がってしまうのだ。
「ヴィー、あんたの眼ならなんか見えるんじゃないの?」
「そうさねぇ……ちょっと待ってな」
ルーンが呼んだヴィーという名に、ヴィクトリアが応える。
そしてヴィクトリアは、軍勢の後方にいるローブを羽織った人影を指差した。
「あいつ……なんか持ってるね」
ヴィクトリアの眼は生まれつき特殊なもので、見たものを識別し把握する能力を持っている。
彼女の眼には、戦闘狂の軍勢の中に異物が紛れていたとしても一目瞭然なのだ。
「私が道を開ける、頼んだよヤマト」
そう言ってヴィクトリアは外壁から飛び降り、回転の勢いをつけながら斧槍を大地へ叩きつけた。
その衝撃は、地震と呼べるほどに大地を揺らす。
迫りくる軍勢へと向かう衝撃と共に、ひび割れていく大地。
人の波が宙へと投げ出されていく。
同時に――――ヤマトの姿が消える。
「タンッ」と軽く地面を蹴る音だけが、遅れてルーンとセリスの耳に伝わった。
その速さは、ヴィクトリアの攻撃を追い抜くほどだった。
「存外余裕があったな。つい余計なものまで斬ってしまった」
ヤマトが斬ったものは、ローブを羽織った者が持つ何か。
だけには収まらず、その道中にいた軍勢の武装全てを真っ二つにしていた。
「さて原因は……これか」
ヤマトは、地面に転がる先ほど自身が真っ二つにしたものを拾い上げる。
それは、通常よりも禍々しさの増した邪神像だった。
Sランク冒険者3人の活躍により、帝国の侵攻はピタリと止まった。
だがヤマトが斬ったものを見て、ヴィクトリアが発した言葉……それは3人の雰囲気を変える。
「これは……神像を使った邪神像だね」
神像……それは女神像と違い、基本的に表舞台には出てこないものだ。
祈りを捧げ作られる女神像と違い、神像は人の手によって作られる物ではない。
神が世界を作った際に残していった痕跡、とも呼ばれている。
その存在を知る者は教会の上層部か、一部の有識者のみ。
世界にいくつあるのかさえハッキリとしていない……正しく神の遺物と呼べる物である。
それはルーンでさえ見るのは初めての代物だった。
「神像ねぇ……私も現物を見るのは初めてだわ」
邪神像となり首がないことを除けば、女神像と造形は同じ。
しかし、見たことのない鉱石でその形状を成していた。
そして問題は、これを入手してなおかつ邪神像にできる人物がいるということ。
少なくともこれをここまで運んできた者ではないだろう。
あれはただの運搬役でしかない。
…………
神妙な雰囲気の中、空気を読めない男が口を開く。
「ふむ……ところでだ。街のほうにはリズの気配がないようだが……。いや、別に娘が心配というわけではないぞ? しかしな、もし変な虫でもついていたら――――」
ヤマトは誰に対してかわからない言い訳をしながら、キョロキョロと挙動不審になった。
それを見て、ルーンはニヤリと笑う。
「変かどうかは知らないけど、虫ならついてたわよ」
その瞬間――――ヤマトは凍り付いた。
だがヴィクトリアは素直に感心する。
「へぇ……あの娘も隅に置けないねぇ」
その表情はどこか嬉しそうに見える。
そして3人のやり取りを見ていたセリスには、思い当たる節があったようだ。
「変な虫……あぁ、ひょっとして閃光のエルリットのことだろうか」
どちかと言えば可愛い虫――と続いたセリスの言葉を遮るように、ヤマトから殺気が放たれる。
「エルリット……? それが虫の名か……フフフ……この刀も血を求めているようだ」
その眼は、あきらかに瞳孔が開いており血走っていた。
「……これはちょっと効きすぎたか」
ルーンはちょっとだけ弟子の心配をした。
◇ ◇ ◇ ◇
「――ゲホッゲホッ……なんて威力だ……」
ガレキの中から、エルリットを抱えたリズはその身を現した。
目の前には、更地になった荒野が広がっている。
アンジェリカもガレキから身を乗り出し、周囲を見回した。
それは何かを探しているようにも見え……
「なんで…こんなことを……」
「お前を助ける以外に理由があると思うか?」
この破壊力、おそらく邪教騎士とて無事では済まないだろう。
そしてエルラド公に至っては、もはやその遺体さえ残っているかどうか――――
「――上かッ!」
リズは剣に手をかけ、上空へ視線を移す。
アンジェリカもそれに続いた。
だがそこで目にしたのは、予想外の光景だった。
「…………」
上空にて無言で佇んでいる邪教騎士。
その腕には、傷だらけのエルラド公が抱き抱えられていた。
そして、ふわりと、リズとアンジェの前に着地する。
そこに敵意は感じられなかった。
何も言わぬまま、地面にエルラド公の体を寝かせ、再び飛翔しその姿を消していく。
なんとなく、その時リズが感じた印象だが、邪教騎士の表情に寂しさを感じた。
「こんな傷だらけになって……」
アンジェリカは、横たわるエルラド公の側にそっと座り込む。
これは……せめて遺体だけでもということだろうか。
リズは邪教騎士のことがますますわからなくなった。
アンジェリカが優しくエルラド公の手に触れる。
「……!」
すると、アンジェリカは目の色を変えた。
「まだ……生きてる!」