077 親の心子知らず。
先ほどまで地下の一室だった視界は、枯れ木が点在する荒野へと一転した。
周囲を見渡すと、一つ目立つ物がある。
それはおそらく、建造物だったもの……。
「教会……ですかね」
すでにガレキの山と化しており、原型は留めていない。
だがそこには、ステンドグラスの破片らしきものが見えた。
それだけで教会跡だといえるわけではないが、少なくともただの民家ではないだろう。
3人で手分けして周囲の状況確認を行う。
しかし、そこで一つの問題が生じる
「そういえば名前聞いてませんでしたね。なんて呼んだらいいですか?」
白銀の騎士にそう尋ねたものの、返事は返ってこなかった……。
一瞬無視されたのかと思ったが、声の代わりに身振り手振りで何かを伝えようとしている。
その姿は、無口というより愉快な人に思えた。
……まぁ、何も伝わってこないけどね。
こちらに何も伝わってないことを悟ると、わかりやすく落ち込んでいた。
「これは……まだ倒壊の痕跡が新しいな」
リズさんがガレキの断面を見てそう言った。
たしかに、色褪せた壁面に対してガレキの断面は比較的新しい。
それに、所々床が抜けて地下が露出している。
「地下の壁面、エルラド城の地下と似てますね……」
似てるといったが、使ってる材質がまったく同じだ。
これはつまり……
――――その時、上空から甲高い金属音が鳴り響く。
音のするほうへ視線を向けると、空中で衝突する二つの影が見えた。
遅れて、鈍い音と空気の破裂音が地上に伝わってくる。
(誰かが戦ってる……?)
二つの影は目にも止まらぬ速度で衝突を繰り返す。
その戦いは、一見拮抗しているように見えた。
だが、実際にはそうではなかったようだ。
片方が遥か上空から地面に叩きつけられ、大地を大きく抉る。
そしてもう一方は、様子を伺うように一定の距離を保ったまま空中に浮遊していた。
(これは……仲間割れか?)
叩きつけられたのは、全身擦り傷と痣だらけのアンジェリカ。
それを上空から見下しているのは、以前見た時のように素顔を晒した無傷の邪教騎士。
……拮抗どころか、一方的な戦いだったようだ。
しかし、決してアンジェリカが弱くなったわけではない。
どちらかといえば、邪教騎士の気配が以前のそれとは違っていた。
元々不気味な存在だったが、今は何かが違って見える。
魔力的な存在感が以前よりハッキリとしているような……?
「さて、これはどちらが敵かな? あるいは両方か?」
リズは剣を抜いたものの、それをどちらへ向けたものか判断できずにいた。
そして渦中の二人はこちらの存在を意に返さず、再び力を衝突させる。
「クソッ……!」
アンジェリカの突き…斬撃……そのどれもが、いともたやすく正面から受け止められてしまう。
だが――――攻撃を繰り返すうちに、力押しではない、流れるような剣技へと変化していく。
圧倒的に不利な戦況は、体に染みついたものを呼び起こすには十分だった。
「――シッ!」
無数の突きを放ったかと思えば、舞いのような斬撃が邪教騎士を切り刻む。
そして最後に、突きと魔法を融合した最大の一撃が放たれた――――
まるで流れ星のような、鋭く……閃光のような一撃。
それは邪教騎士を大地に叩きつけ、先ほどとは真逆の構図を作り出す。
違いがあるとすれば、アンジェリカはすでに満身創痍……肩で息をしていることだった。
「はぁ……はぁ……」
砂煙が徐々に薄れ、最大の一撃がもたらした成果が露になる。
「…………」
何事もなかったかのように邪教騎士は無言で立ち上がり、その身についた砂を払う。
傷らしき傷も……見当たらない。
「は…はは……何よそれ」
あまりのバカバカしさに、アンジェリカは笑うしかなかった。
そして、恐怖を抱くには十分すぎる光景だった。
邪教騎士は1歩……また1歩と距離を詰めていく。
「ヒッ…来るな……来るなぁッ!」
もはやアンジェリカに体裁を保つ余裕はなくなっていた。
躓き、腰を付き、みっともなく後ずさりしていく。
「これは……勝負あったな。悪いが私は止めるぞ」
すでにアンジェリカの心は折れていた。
これ以上はリズもただ見ていることはできないのだろう。
――――その状況に、リズよりも半歩早く動いた人物がいた。
アンジェリカの目の前へ迫った邪教騎士が剣を振り上げる。
そして、「ギンッ!」と金属同士のぶつかり合う音と共に、火花が飛び散った。
アンジェリカと邪教騎士の間に割って入ったのは、ここまで静観していた白銀の騎士だった。
しかし完璧には受け止めきれず、剣圧で兜は真っ二つに割れ素顔が露になる。
「おいおい……せっかくの再会がこれかよ」
ここにきてようやく発せられた白銀の騎士の声。
それは、ここにいる誰もが聞き覚えがあった。
露になった顔、そしてその声……紛れもなくエルラド公本人である。
「おとう…さま……?」
父を認識したアンジェリカの声は掠れ、震えていた。
そんなアンジェリカに、エルラド公は優しく微笑んだ。
「パパと呼んでくれていいぞ。不良娘を連れ戻しに来た」
頼もしい背中がそこにはあった。
だが、状況はあまり良いものではない。
頭部からは血が流れ、剣を握る腕はただの一合交えただけで痺れ始めていた。
そこへ容赦なく、邪教騎士は漆黒の雷撃を身に纏う。
「ガァァァァァァァァッ!」
黒い雷は剣を伝い、エルラド公の身を焼き、悲痛な叫びを伴った。
「これはまずいッ!」
リズは邪教騎士を止めるべく、最速の一撃を見舞う。
それはとても人の目で追えるものではなかった……が。
「――なにッ!?」
気が付けばリズの視界は反転し、宙を舞っていた。
手応えもなにもない、おそらく逸らされたのだと判断し、着地と同時に再度大地を蹴って斬撃を――――
「……?」
視界がぐらつき、膝を付く。
もはや邪教騎士の姿を捉えることすら困難な状態だった。
「一体何が起こったんだ……」
リズさんがたった一撃で膝を付いた……?
そもそも、一撃があったのかすら見えなかった。
今の邪教騎士は以前とは違う……もはや次元の違う存在だ。
全力を出さなければやられる――――出し惜しみはしない。
引っ張り出せるだけの、最大の神力で光の槍を形成する。
「いい加減離れろよ!」
邪教騎士目掛け、全力で槍を放つ。
ここで今日初めて、邪教騎士がこちらに視線を向ける。
漆黒の雷撃を止め、後方に大きく飛び退いた。
さすがに神力の槍はあちらとしても当たるわけにはいかないらしい。
そしてようやく、エルラド公は解放された。
「お父様……なんで……」
自分なんかを庇ったんだ。
アンジェリカはそう言いたげだった。
「……はっ、子供見捨てて背を向けるやつは親じゃねぇよ……」
そう言葉を残し、エルラド公は前のめりに倒れた。
1歩も引かず黒い雷を受け続けていたのだ……無理もない。
「やめてよ……嫌いでいさせてよ……ぅ…うぅ……」
アンジェリカは涙を流す。
それは間違いなく、父のために流した涙だった。
もう……どちらが敵かははっきりしている。
全力でこの親子を守らなければならない。
だが邪教騎士は妙に神力の動きに鋭いところがある。
以前といい今回といい、なかなか直撃には至らないのだ。
ならば簡単だ――――全て覆い尽くせばいい。
最大出力で神力を放ち、純白の雷で空を支配する。
それに応えるように、漆黒の雷もまた空を飛び交った。
混ざり合う雷は空の支配権を巡り、星空のように周囲を照らす。
そして徐々に、黒い雷はその数を減らしていく。
――――いける。
そう思った矢先、邪教騎士が絹を裂くような甲高い叫び声をあげる。
一体何が起こったのか……双方の雷は霧散し消え去っていく。
同時に、エルリットの意識は薄れていく――――
(こいつ……こんな声だったのか)
◇ ◇ ◇ ◇
ぼやけた視界の中で、体は誰かに委ねられていた。
「産んだ……後悔していない……だが……私には――――」
途切れ途切れで聞こえてくる声。
だが妙に安心する声だ……この白髪の女性の声だろうか。
そしてぼやけた視界は徐々に薄れ、掻き消えていく。
最後に、どこか悲観めいた微笑みをこちらに向け、そっと名前を呟いた。
「――――エルリット」