075 顔パスの城内。
師匠の様子を見に城へ入ろうとすると、顔パスで通過できてしまった。
エルラド公の配慮だと思うが、なんだか釈然としない。
師匠が解析を行っていたのは、地下のとある一室。
警備兵の話では、ほとんど部屋から出ていないそうだ。
「師匠、解析はどんな感じ……」
ノックして中へ入ると、壁に向かってぶつぶつと何か呟いている師匠の姿があった。
目の下にはクマがあり、今まで寝ずに解析し続けていたことが窺える。
こちらの声に気づいたのか、力なく振り返った。
だがその目には、まるで生気を感じない。
「……足りないパーツ……もしかして……」
僕を見ながらぼそぼそと何か呟くと、徐々に師匠の目に活力が戻っていく。
そして、僕の肩は鷲掴みにされた。
「ふふ……ちょうど良いところに来たわね。今すぐここにアレを流しなさい」
活力戻ってくるどころか血走ってるんですが……。
それにアレを急に流せと言われても……ちょうど良いというのは、キングブルシチューのことかな?
差し入れを持って来たことわかってるなんて、察しの良い師匠だ。
でも……それは聞き入れられない。
「ちょっと意味がわかんないですけど……もったいなくないですか?」
僕が知る限り至高のシチューだよ。
それをこんな何もない部屋で流せって……食べ物を粗末にするみたいでちょっとねぇ。
「もったいぶってんじゃないよ。……まさか、もうなくなったとか言わないでしょうね?」
なくなるどころか、時間遅延のポーチに入ってるのでまだ熱々だ。
……ひょっとして、僕が全部食べちゃったとでも言うつもりかな?
「そこまで僕も食い意地張ってないですよ……ほら」
そう言って僕はポーチから鍋を取り出した。
蓋を持ち上げると、何もなかった部屋に芳ばしい香りが広がっていく。
さて師匠……この香りの前でも、まだ流せだなんて言えるのかな?
「……? そんなんいいから、さっさと流せって言ってんの」
なん…だと……。
僕が思っていた以上に、師匠は冷酷な人間なのかもしれない。
この香りに抗えるなんて、もはや人間かも疑わしいよ。
「こ、この人でなし……!」
見損なったよ師匠。
「は? 人じゃなくなってきてんのはあんたのほうでしょ」
……え? そうなの?
「なんだ、流せって神力のことだったのか……」
ポーチに鍋を戻す。
僕の勘違いだったらしい。
「何をどうしたらシチュー流すことになんのよ」
師匠に呆れられてしまった。
でもね、僕もそう思います。
照れを隠すように、下に向けて手をかざす。
そして自身の魔力の器ではなく、無限とも思える広大な海から水を汲むイメージで、神力を引っ張り出した。
それと同時に、肉体は淡く発光していく。
使うのはこれで3度目だけど、やっぱり発光は避けられないのね……ちょっと恥ずかしいっす。
「ほう……エル、しっかり自分のものにしていたんだな」
リズさんは僕を見て感心していた。
自分のものにしたというか、勝手に使ってるだけというか……。
怒られてないからセーフだよね? という理論だ。
などと見えぬ誰かに言い訳をしつつ、足元に少量の神力を流す。
すると、部屋全体に魔法陣らしきものが浮かび上がった。
「やっぱり……ふふっ、これで……」
どうやら神力に反応したようだ。
師匠は一人興奮したように納得している。
でもこっちはちょっと納得いってない部分がある。
「それで、人じゃなくなってきてるってどういうことですか?」
人の領域を優に超えているような人はそこそこ見てきたけど……なんなら今目の前に二人いるし。
でも僕はそれに該当しないと思う。
「それだけ自由に使ってればねぇ。あんたのそれ……体が半神化してるようなもんよ」
魔法陣をまさぐりながら師匠はそう答えた。
「半神化……」
半分神になってるということ……?
口に出すと関西弁が出てきそうな言葉だ。
「神の力か……ふふ、それはおもしろいな」
リズさんはどことなく嬉しそうだった。
多分……斬れるかどうか試してみたいんだろうな。
「でも神っていうほどの万能感はないですよ?」
神の力って、もっと何でもできちゃうもんじゃないの?
と、僕は思っていたのだが、どうにもそこまで便利なものでもないらしい。
「そんなもんでしょ。神の力が世界に干渉すること自体、多くの制約が付きものだろうし」
そう言うと、師匠の魔法陣が粒子となって消えていく。
「ふぅ……これであとは通常の転移魔法陣をここに作れば、同じ所へ行けるはずよ」
「じゃあ、僕はエルラド公に報告してきますね」
なんだかすごい重大な事を、何かのついでのようにあっさり聞かされた気がする。
……ま、僕もあんまり実感ないんだけどね。
ここからあとは、敵本陣へ乗り込む人選が始まるのだろう。
いや、もう決まっているのかもしれない。
僕は間違いなく乗り込む羽目になるだろう、と思いながら部屋を後にする。
だがそこで、師匠に引き留められた。
「ちょっと待ちな。さっきの、もう1回出しなさいよ」
まだ神力を何かに使うのだろうか。
師匠の催促に応え、僕はもう1度神力を身に纏った。
「は? 誰が光れって言ったのよ。さっきの鍋出しなさいよ、やることやったらお腹減っちゃったわ」
今度は鍋で良かったんか……。
寝不足でふらふらしてた師匠はリズさんに任せ、僕はエルラド公へ報告に向かう。
警備兵の話では、おそらく執務室だろうという話だ。
となると今度は、執務室どこやねん……という話になる。
かといって戻ってまた聞くのもなんなので、適当に探してみることに……。
すると、つい先ほど通り過ぎたメイドたちのひそひそと話す声が聞こえる。
「あれって第2公女様じゃ……」
「珍しい、いつもどこを遊び歩いて……」
……まだその設定残ってたんだね。
というか遊び歩いた記憶なんてないし!
まったく、これじゃおちおち自由に城の中を見て回ることすらできないよ。
……いや、できないのが普通か。
――待てよ?
顔パスで城に入れたのってまさか……いや、そんなまさかねぇ。
……ないよね?
「あ、普通に書いてあるんだ……」
扉上部に、執務室と書かれた一室を発見する。
良かった、公的な場にはちゃんと書いてあるんだね。
だがノックをしても、返事は返ってこない。
「……いないのかな?」
失礼なことなのかもしれないが、おそるおそる扉を開いて中を覗く。
「……ん? おぉ、むす――――我が娘よ。パパに何か用かい?」
――僕はそっと扉を閉じた。
どうやら部屋を間違えたようだ。
だってこちらに気づいた途端、満面の笑みで両手を広げるエルラド公がいたんだもの。
きっとあれは影武者でしょ。
しかし、閉めた扉が再び中から開かれ、エルラド公が顔を出す。
「……なぜ閉める?」
だってなんか怖かったし……。
「そうか、場所が判明したか……」
僕は師匠の解析が終わったことを報告する。
それを、筆を走らせながらエルラド公は聞いていた。
そのままその場は、静寂に支配される。
なんかちょっと……気まずい。
「そういえば、なんでさっきはノックに返事をしなかったんですか?」
以前とは違いセバスさんのお茶が出てこないので、場を繋ぐためにちょっとした疑問を投げかける。
「あぁ、ちょっとこっちに集中しててな……重要機密だ、見せないぞ?」
そう言ってエルラド公は書類らしきものを隠した。
別にこっちは見ようだなんて思ってないのに。
「だがどうしてもというのなら、見せてやらんことも……」
「結構です」
さっき重要機密って言ったじゃん……。
「なんだ、つれないな……面白い事書いてあんのに」
なんでちょっと残念そうなの。
「さて、ルーン殿の解析が終わったなら、明朝には乗り込みたいところだな」
高級感溢れる装飾が施された上着を羽織り、エルラド公は扉へと向かう。
僕はその後ろに付いて行く形になったのだが、エルラド公は取っ手に手をかけたところで立ち止まり、こちらへと振り返った。
「エルリット、お前今15だったか?」
「え? えぇまぁ……もうすぐ16になりますけど」
唐突に歳を聞かれたかと思えば、今度は頭をそっと撫でられる。
「……?」
僕は困惑した。
おっさんに頭を撫でられても嬉しくないし、意味がわからない。
でも……不思議と不快には感じなかった。