073 奪われたもの。
「はぁ……普通に、よりを戻したらいいんじゃないですかね」
セバスさんの命を狙ったミネルバの話を聞かされて思った、僕の正直な感想だった。
敵の幹部なのかもしれないけど、僕は個人的な恨みとかあるわけじゃないし……どこかで何か重罪でも犯してるのなら話は別だけど。
「俺もそう思うんだけどな……」
二人に呆れた視線を向け、エルラド公も同調した。
しかし、セバスさんがそれを認めなかった。
「いえ、彼女はすでに邪教の幹部なのです。そういうわけには……」
どうやら個人的な感情より優先しているものがあるらしい。
そしてミネルバも譲れないものがあるようだ。
「私だってこいつを簡単には許せないよ。生爪全部剝がすぐらいしないと」
一度拷問にかけるぐらいの怒りはあるらしい。
一応邪教の幹部だし、このままお咎めなしは問題あるのだろう。
かといって、邪神将というのも各々が自身の目的のために集まっただけのもの、という話だ。
そのことを考えると、今回のもミネルバ個人による実害はなく未遂だったわけで。
本来こんな内容あっさり信じるわけにはいかないのだが、ミンファの例があるからな……。
実際あの子は利用されただけだった。
「……こういうときは執行猶予とかになるのかなぁ」
少なくとも僕の知ってる前世の世界でなら、の話だが。
「執行猶予……?」
エルラド公がその言葉に食いついた。
まぁこの世界には馴染みないよね。
監督する者を付け、猶予期間内何も問題を起こさず、更生したと認められれば刑の効力がなくなるというもの……だったはず。
無論この世界にそんな法はないので、あくまで僕の思い付きとしてエルラド公に説明する。
「なるほど……アリだな、採用しよう」
国のトップが即決で採用してしまった。
いや、まぁ正式な法廷じゃないのでいいのかもしれないけど。
「となると、残る問題は……」
エルラド公の視線はミネルバへ移る。
さすがに拷問を許可するわけにはいかないからね。
ミネルバの処遇は決まっても、彼女はこのままでは納得しないだろう。
セバスさんが何かしら痛い思いをしないと……。
「よし、決めた。セバスお前クビな。俺の側に仕えることを禁ずる」
「…………は?」
エルラド公の言葉を、セバスはしばらく理解できなかった。
元騎士団長にして暗部の元頭目、そして今はエルラド公の護衛であり右腕のような存在だが、歳を考えたら別に引退していてもおかしくはない。
そんなにショックを受けることなのだろうか。
「エルラド公……? ではあなたのサポートは一体誰が……」
セバスは明らかに動揺している。
その光景は、長年勤めてた会社を定年前にクビになったシニアのようだった。
「サポートか……まぁ俺には必要ないだろう」
エルラド公は、シッシッと追い払う仕草をする。
だがセバスは納得がいっていないかのようだった。
それをミネルバが強引に手を引き連れていく。
「これはなかなか滑稽だね。じゃああんたはもうただの一店主ってわけだ。ほら、店に戻るよ」
呆然自失気味のセバスは踵を引きずりながら連行されていった。
大丈夫かな……拷問しないよね?
「さて、二人には城の状況を見せておきたい」
そう言って、僕と師匠はエルラド城内部へと案内される。
2階から侵入し1階へ降りると、灯りはあるがやはり薄暗かった。
窓の外は当然土に埋まって何も見えない。
そこからさらに地下へ降りる。
ここは……倉庫かな?
「城の地下って牢屋があるもんだと思ってました」
僕の勝手なイメージだけど。
「たしかにそういう造りは多いな。だがこの城はある施設も兼ねているから、犯罪者を置いとくわけにもいかん」
そう言ってエルラド公は、ある扉の前で立ち止まる。
その扉は他よりも丈夫な作りになっていた。
「この扉の先は、さらに地下へと続く階段があった」
……なぜに過去形?
その答えはすぐに明らかになる。
エルラド公が扉を引くと、ゆっくりとその先が露になった。
「……何もないじゃないですか」
たしかに妙な段差がちょっとだけあるが、それ以外はただ地面があるだけで……。
そこで、ずっと何か考え事をしてそうだった師匠が口を開いた。
「やっぱり……ここから下はまるごと持って行かれちまったんだね」
その言葉に、エルラド公は頷いた。
「さすがルーン殿は気づいてましたか。そう……ここから下には、この中央都市の浄水施設とその動力源……第1遺跡の核がありました」
あったものがなくなり、そしてその分エルラド城が沈んだ……ということなのか。
もしそれが事実だとしたら……
「師匠、そんな規模の転移魔法って可能なんですか?」
まるで切り取ったように消えた空間。
それが可能なのは転移魔法ぐらいしかないだろう。
「私もここまで大規模なのは見たことないけど、間違いないだろうね。でもこの魔力反応は……いや、神力も混じって……?」
返事が返ってきたと思ったら、また何かぶつぶつ言いながら考え事をし始めた。
つまり何らかの手段で、アンジェリカさんは浄水施設をまるごと転移させて奪っていった……ということになるのか。
以前、悪魔が第1遺跡の核を狙ったときに、結界に阻まれていたような話を思い出す。
つまり今回は、金庫が開かないなら金庫ごと奪っちまえということなのだろう。
そして、一つの不安が頭をよぎる。
「浄水施設がなくなったってことは、中央都市の下水は……」
下水に限らず、中央都市の水は非常に清潔だった。
農業区なんかは特にその恩恵が大きかったのではないだろうか。
「それが問題だな。一応遺跡の核を使わない代替施設があるにはあるが……」
代用できる施設があるという割には、エルラド公は浮かない顔だった。
「そっちは過去に研究用で作った施設なんだが、魔石をバカみたいに消費するからな……1年も稼働させたら国の財政が傾きかねん」
一応浄水はできるけど、燃費効率がひどく悪いらしい。
この街に拠点を置いている以上、その恩恵は僕も受けてきたのだ。
可能なら取り戻してあげたいけど……。
「師匠、転移先とかわからないんですか?」
「……わからなくもない。ただ魔法陣が残ってるわけじゃないし、ちょっと解析に時間がいるわね」
師匠でさえ時間がかかる、それほど前代未聞な転移魔法ということだろう。
だが一筋の望みは繋がった。
取られたら、取り返せばいいのだ。
そしてエルラド公はその望みに賭けることにした。
「それは是非とも正式に解析を依頼したい。施設に使っていた核は何重にも結界が施されている。おそらくそう簡単には取り出せないはず……」
簡単には持ち出せないからこそ、施設ごと奪ったのだ。
つまりまだ肝心の核は無事かもしれない。
「転移先がわかったとして、乗り込むなら少数精鋭か……」
エルラド公の視線がこちらへ移る。
まぁ……そうなるよね。
解析中の師匠を城へ残し、自宅へと帰還する。
そこにはすでにリズさんの姿があった。
僕は城で起こったこと、それと奪還に乗り込むであろうことを話した。
「なるほど……あの揺れはそういうことだったのか。そして次の戦いは敵本陣……気合を入れないとな」
まだ僕らに声がかかるとまでは話していないが、リズさんはすでにその気のようだ。
だがこれはかなりの危険が伴うだろう。
核がまだ無事であったなら戦って奪えるかもしれないが、もしすでにアンジェリカさんに取り込まれていたら、手が付けられない力を得ている可能性もある。
そして師匠の転移魔法は一方通行の片道切符、最悪帰って来れないかもしれない……。
(……でも、言われっぱなしは癪だからね)
アンジェリカさんに多少は言い返してやらないと。
「ところで、ミンファとメイの姿が見えないのだが……」
リズさんも先ほど戻ったばかりで、その時にはすでに二人の姿はなかったそうだ。
そういえば地下シェルターがどうとか言ってたな……
「リズさん、この家に地下があるのってご存じですか?」
「……初耳だな」
あのチビメイドめ、家主二人に断りもなくそんなもの作りおって。
リズさんと二人で地下へ通じる入口を探す。
だがそれらしきものはなかなか見当たらない。
まさか偽装でもしてあるのか……?
「む……微かだが、ここに空気の流れがあるな」
リズさんがリビングの隅の床に手をあてている。
パッと見はただの床だが……。
ふと天井を見ると、カーテンに紛れて怪しげな紐が伸びていた。
……なかなか手が込んでいるじゃないか。
僕はちょっとわくわくしながらその紐を引いた。
すると、思ったよりも軽い力で床が開く。
その先には、石造りの階段が続いていた。
「思ったより本格的だな……」
天井は低めだが、決して窮屈な感じはしない。
そこには配管のようなものも通っている。
おそらく空調用……この細かい仕事はメイさんらしいな。
奥へ進むと木製の扉があり、開くとそこは暖かい空間だった。
そして、ソファで二人寄り添って眠る、ミンファとメイさん。
その姿はとても愛くるしかった。
これを見てしまうと、問い詰めるのもどうかと思えてきてしまう……片方80歳だけど。
「まぁ……そっとしておきますか」
そう言ってリズさんと顔を見合わせ、地下シェルターを後にする。
その夜は久々に二人きりの夕食だった。
(なんだかこの感じ……懐かしいな)
そして今日は疲れたので、泥のように眠れるだろう。
――と思ったが、僕は手を引かれるまま、リズさんの部屋で一夜を過ごすこととなった……