071 セバスの弱点。
襲撃が始まると同時に、ミネルバはある男を探していた。
この世で最も愛おしく、そして憎むべき相手……。
その所在の予想はできている。
普段なら一人ではなかなか侵入できる場所ではない。
顔を隠し、混乱に乗じてエルラド城を目指す。
「ここも変わってないね……」
迷いなく道を進んでいく。
複雑な作りの住宅街ですら、ミネルバにとってはよく知る道だった。
そして、一軒の建物の前で足を止める。
「……ださい名前」
建物には、【老後の嗜み】と書かれた看板があった。
◇ ◇ ◇ ◇
「どうやったかは知らんが、このタイミングを狙ったのは……そういうことだろうな」
大量のスケルトンに、邪神将の存在。
エルラド公はそれらの報告を聞いて、ここ最近の異常な雪に納得がいった。
外部との接続を断ち、国境沿いに配置した兵も動かせない……おそらく、この状況を作りたかったのだろうと。
だがたった数名で落とせるほど、我が公国は脆弱ではない。
「今は星天の魔女殿もいることだしな……」
借りを作ってしまうことにはなるが、彼女ほど頼もしい存在はいない。
知人を頼った書簡も、ジギルから目処は立ったとの報告があった。
あれもまた間違いなく必要になる。
背後に控えていた腹心であるセバスが、エルラド公の前に出る。
「……賊か?」
と聞きはしたものの、エルラド公には彼がその行動をとる理由はわかっていた。
この状況でここまで侵入する者……。
気配でもわかる、おそらく手練れだろう。
だがセバスの口から出た言葉は、意外なものだった。
「なぜあなたがここに……」
あきらかに動揺が見えていた。
侵入した賊はまさかの知り合いか?
だがそれだけでセバスがここまで動揺を顔に出すとは思えない。
興味本位で、賊の姿を確認する。
フードで目元を隠してはいるが、厚化粧気味なのは確認できた。
はて、セバスとは長い付き合いだが、あんな女性と面識があったとは……。
女性はフードを取り、素顔を晒す。
年齢は40前後ぐらいだろうか。
長い暗めの金髪に、やはり濃い目の化粧。
しかし、決して元が悪いわけではなく、自分を強く……派手に見せようとしている印象を抱く。
「なんだセバス、知り合いか?」
もしセバスに娘がいたなら、これぐらいの年齢かもしれない。
だがそんな浮いた話は一度も聞いたことがない。
いや、それも失礼な話か。
セバスの年齢を考えれば、子供の一人や二人、そして孫がいてもおかしくはない。
そもそも自分の事をあまり話すようなタイプではないし、俺が知らないだけ……
「――昔、将来を誓い合った方です……」
そうか、子供じゃなくて嫁さんだったか。
…………ん?
セバスの口から出た言葉は、一瞬思考を停止させるには十分すぎるほど衝撃的なものだった。
そして女性は怒りを露にした。
「はッ! 何が将来を誓い合ったよ。人を弄んでおいてさッ!」
激高し、鞭を振り回し始める。
「行方知れずでしたが、まさか邪教にその身を堕としていたとは……」
応えるように、セバスは徒手空拳で構えた。
「別に邪教なんて私にとってはどうでもいいけど。アンタにさえ復讐できればね――ッ!」
振り回していた鞭とは違う軌道で、空気を裂く音が鳴る。
セバスは最低限の動きでそれを避けた……かのように見えた。
「私怨で国を襲撃するとは……見損ないましたよローラ」
そう言ってセバスは頬を伝う血を拭う。
「その名は捨てたよ……今の私は、邪神将のミネルバさ」
一見先手を取られたように思えるが、直後床に何かが落ちる。
だがそれは、音がしただけで床には何も……いや、徐々に鞭の先端らしきものが姿を現した。
それを一瞥して、セバスは複雑な顔をする。
「これは……そうですか、完成していたんですね」
「……おかげ様でね」
ミネルバはオリジナルの風と光属性の魔法を使っていた。
風で複数の鞭を操り、光の屈折で視覚的に捉えられないようにする。
理論自体は過去にセバスと構想を練ったものだが、その時は完成に至らなかった。
復讐を誓った日……クリストファから『私なら完成に導ける』と言われ今に至っている。
その後も、互いに譲らぬ攻防は続く……かのように思われた。
「いや、痴話喧嘩なら他所でやってくれよ」
二人の間に入ったエルラド公の一言で、戦闘は中断する。
話を聞く限り、彼女の標的はセバスであって自分ではない。
「エルラド公、今は冗談を言っている場合では……」
セバスは未だ構えを解かず、真剣な眼差しで訴える。
だがエルラド公はそれを聞き入れる気はなかった。
「将来を誓い合った仲、そして彼女は弄ばれた……つまりセバス、お前が悪い!」
セバスの護衛対象は、ミネルバの隣に立ちセバスを批判し始めた。
◇ ◇ ◇ ◇
セバスは異常なまでに仕事に関して完璧主義である。
故に、騎士団から暗部へと転属する際、自身の身辺整理を行った。
暗部とはその存在を悟られてはならない。
であれば、家庭など持つべきではないと……。
将来を誓った女性はいたが、正式な婚姻がまだだったのは彼にとって幸いだった。
元々歳が離れすぎているのだ。
彼女にはきっと……この先もっと良き出会いがあるだろうと、自身を納得させ別れを告げた……。
ローラには歳の離れた思い人がいた。
相手は同じ騎士団の上司であり、父親と年齢も変わらない。
それでも自分の感情に嘘はつきたくなかった。
いくら気持ちを伝えても軽くあしらわれる日々が、さらにその思いを強くさせる。
騎士団では補佐官として側に控え、共にした時間がいつしか彼の気持ちにも変化をもたらせた。
言葉を重ね、体を重ね……将来の夢を語る。
『小さくてもいいから、誰もが落ち着けるような……そんな自分の店をいつか開きたい』
そう語った彼の背中を、ローラは後押しする。
だがそんな夢のような日々は、長くは続かなかった。
ある朝、吐き気を催し、もしやと思い医者にかかる。
体調は芳しくないが、その足取りは軽かった。
なぜなら、この吐き気がもしそうであるならば、彼は喜ぶかもしれないと……。
医者に告げられる……あなたは子供を産めない体だと。
さらに、彼はローラに別れを告げ、その姿を消した……。
………………
…………
……
「えっ、うそ……セバス最低じゃん」
場所を変え、テーブル越しに二人の話を聞いたエルラド公の素直な感想だった。
たしかにセバスの仕事は、いつも怖いほどに完璧だ。
だがその裏で仕事以外の全てを犠牲にしていたとは……。
「言い訳をするつもりはありません。ただ一つだけ言わせていただけるのであれば、子を産めない体だというのは私も後から知りました。無論私としてもその身を心配し捜索を――――」
セバスはいつになく饒舌だった。
それを呆れた顔でエルラド公は眺める。
誰にでも苦手分野はあるものだな……と。
「ドンッ!」
と、強くテーブルは叩かれ、置かれた空のティーカップがカタカタと揺れる。
「じゃあなにかい? 仕事上の別れが、偶然にも重なっただけだって言いたいのかい?」
ミネルバ改め、ローラの怒りは未だ収まっていない。
セバスが暗部に移ったのは十数年前のことだ。
そこで別れを告げられ、それからずっと彼女は復讐のために生きてきたと思えば当然だろう。
(でも、全部飲み干したな……)
エルラド公は、彼女の前に置かれている空のティーカップを一瞥した。
それは間違いなく先ほどセバスが淹れ、そのセバスの命を狙う彼女が飲んだものだ。
(あっさり話し合いにも応じたし……こりゃ時間の問題かね)
ローラは怒り、それをセバスが諫める。
多少の暴力はあれども、そこにもはや命のやりとりはなかった。
(復讐のためというより、認めてもらいたかっただけなのかもな……)
あなたの隣に立ちたい――――と。
エルラド公は、冷め始めた紅茶を手に取る。
小さな波紋と共に映る自分を見ると、自然とため息が出た。
(女性問題は俺もどうこう言える立場じゃないな……)
そして、その波紋は徐々に大きく……
「――この揺れは!?」
異常に気付くと、エルラド城の地下から大きな地鳴りが響き始めた。