069 神の力。
エルラド城の上空にて、空中戦を繰り広げる影が三つあった。
その一つである星天の魔女は、久しく苦戦を強いられている。
「ちょっと……魔法が通じないって冗談でしょ」
全ての魔法を弾く邪教騎士の存在は、苦戦を強いる最大の要因だった。
そしてさらに問題がもう一つ、上手く邪教騎士を盾にしている……
「邪魔だ――どけッ!」
魔神の力をその身に宿した、激情に任せ力を振るう褐色の公女……アンジェリカの存在だ。
剣も魔法も力任せでお粗末なものだが、その攻撃はルーンに届きうるものだった。
「ま、当たればだけどね」
現状それほど脅威ではない。
しかし、このままではジリ貧であった……。
その時、ルーンの放った魔法とは別の光が邪教騎士の鎧によって弾かれる。
「――師匠ッ!」
光の球体を4つ周囲に携えて、性別詐欺の弟子はやってきた。
視線で何やら合図をし、そのまま敵陣へと突っ込んでいく。
どうやら、分断を図っているようだ。
闇雲に放たれた閃光は、エルリットと共に敵を一人引き離すことに成功する。
そして残されたのは……
「ま、そりゃこっちよね。私でもそうするわ」
漆黒の鎧は、静かに魔女を見つめていた。
◇ ◇ ◇ ◇
邪教騎士とアンジェリカさんを分断するのは上手くいった。
師匠ならきっと、魔法の通じない相手への対処法の一つや二つあるだろう。
だが邪魔なアタッカーがいればそれもままならないのでは?
ということで、こちらは僕が相手をしなければならない。
「わざわざ私の相手をしようだなんて……実力差がわかってないのかしら?」
アンジェリカさんは呆れた表情でこちらを見ていた。
僕の手に余る相手なのは十分承知している。
でも魔法が通じない相手よりは絶対マシだろう。
それに、元より倒せる相手だとは思っていない。
間合いを広くとって、時間さえ稼げたら――――
「――シッ!」
何の変哲もない、ただ突っ込んでくるだけのシンプル突きが一瞬で間合いを詰める。
上半身を捻り、かろうじて躱したつもりだったが、頬から血が伝う。
速すぎる……!
動き続けなければ――――やられるッ!
旋回しながら指先を向けるが、即座に射線を読まれてしまう。
こちらの攻撃が直線的なのはすでにあちらも把握している。
なんともやりづらい相手だ。
「そういえば、結局あの時の決着もまだだったわね……」
そう言ってアンジェリカは不敵な笑みを浮かべる。
あの時というのは、夜会での余興のことだろう。
だが今やってるのは余興ではなく、命のやりとり……。
「――くッ!」
指先から予測されるのであればと、アーちゃんの分体4体を駆使してレイバレットを放つ。
彼女を徐々に包囲していくように――――
「……ふざけてるのかしら」
こちらの攻撃は、全て最小限の動きで回避される。
まるで、初めから狙いがわかっているかのように……。
「あなたは、この場に相応しくないようね」
アンジェリカは落胆し、同様に旋回しつつ徐々に間合いを詰めていく。
その間も絶えずレイバレットは4方向から放たれているが、まるで意に介していなかった。
「当たらない……?!」
威力よりも連射性能を優先しているにも関わらず、当たらない……いや、当てられる気がしなかった。
「……当たるわけないでしょ」
アンジェリカは呆れたように……そして、徐々に怒りを露にしていく。
「当てる気がない……殺す覚悟もない」
風が周囲で渦巻始める……。
「あなたには何もない……戦う理由も――ッ!」
発せられた怒りは周囲に暴風を呼び、エルリットの身から自由をもいだ。
「そんな…こと……!」
渦を巻く暴風の中で、かろうじてその口から発せられた言葉は、もはやアンジェリカには届いていなかった。
「信念も何もないヤツが……私の邪魔をするなッ――――!」
それが……最後に聞こえたアンジェリカさんの声だった。
渦は勢いを増し、地上へと叩きつけられる。
大地は抉れ、エルリットの朧気な視界は衝撃と共に暗転した。
◇ ◇ ◇ ◇
「強さを求める理由……? 剣士にそれを聞くのは愚問だと思うが……」
ワインを片手に、リズはこちらの質問に苦言を呈していた。
この光景は……いつかの晩酌の余興だった気がする。
最近はあまりなくなったが、この時はまだミンファも師匠もいなくて、たまたまメイさんがムロさん宅に泊まっていた時だったはずだ。
「剣士である以上、より高みを目指すのは当たり前。ほとんどの剣士はそう答えると思うぞ」
その当たり前が僕には理解できなくて聞いたんだったな……。
向上心のありどころって難しいよ。
「でもそうだな、あえて言うなら――――
ノイズが走ったように、リズさんの言葉が遮られる。
大事な部分はあっさり思い出させてくれないようだ。
でもたしか――――けっこう単純明快だった気が……。
………………
…………
……
目を開くと、薄暗いガレキの中だった。
どうやら何とか助かったらしい。
だが体中は軋み、悲鳴を上げている。
かろうじて動く腕で、ポーチから高級回復薬を取り出す。
「――――ッ!」
一気に飲み干すと、すごく沁みた……鉄の味がする口内にはあまり優しくなかったようだ。
しかしすぐに効果が表れ始め、じわじわ体中の痛みが和らいでいく。
手足を動かしてみる……関節が変な方向に曲がったりはしていないな?
骨にヒビぐらいは間違いなく入っているだろうが、それなら高級回復薬でなんとかなるだろう。
ガレキを除け上空を眺めると、師匠はまた二人を相手にしていた。
落胆……されたかもしれないな。
でも初めから僕じゃ役者不足だっただけだ。
あとは師匠に任せてしまえば……。
上空では、師匠の手に光の粒子が集まり、一つの球体を構築し始める。
それは強く輝きだし、まるで第2の太陽のように中央都市全土を明るく照らした――――
あの球体から感じるものは魔力ではない……おそらく魔力で集束させた、魔力以外の攻撃手段だろう。
ほら、やっぱり師匠に任せておけば……
だが――――目の前の光景は予想だにしていないものだった
邪教騎士の剣が、師匠の背を斜めに切り裂いた。
一体いつのまに背後をとったのか……。
まるで、その時間が切り取られたかのような感覚を覚える。
師匠の体は糸の切れた人形のように脱力し、重力に引かれ落下していく。
アンジェリカは邪魔をする者がいなくなり、エルラド城を目指す。
邪教騎士は――――トドメを刺すべく落下する師匠へと迫った。
やめろ……。
それを許すわけにはいかないのに、自分の力は相手に通じないのがわかっている。
そう思いながらも、指先を向け魔力を集中させた。
(あぁ……今日はずっと魔法使いっぱなしだったんもんなぁ)
レイバレットを放つだけの魔力は、指先には集まらなかった。
ちょっとだけ湿った雑巾を絞っている気分だ……どうやらガス欠寸前らしい。
これで本当に、為す術ないな……
本当に……?
なら目の前の光景を受け入れるしかないのか。
でも……体は知っている気がするんだ。
魔力がダメなら……魔力以外ならいいんだろ?
自分が扱った力ではない、だが自分の体が扱った力だ。
己が体に秘めた力ではなく……
思い出せ、あの時の力は――――
――世界の理の外にある――
感覚はだけは覚えている。
だが何かが、その力を渡そうとしない。
――――使わせろよ、一度はこの身に委ねただろ。
理の外から、強引に引き寄せる。
体は淡く発光し始め、自身の中で何かと繋がったのがわかった。
『相手が誰であれ、負けるのは悔しいからな』
スッと心に降りてきたそれは、いつか聞いたリズさんの言葉だった。
あぁ……悔しいな。
まだ全てを出し切れていない。
僕の理想はこんなものじゃない。
引き寄せた力を解放し始めると、魔力とは違うものが溢れ出す。
これがおそらく神力なのだろう。
使い方は……体が覚えている。
感覚に身を任せ、邪教騎士へと手を向ける。
ピシッ――――という音と共に、純白の雷が空間を裂いていく。
その日、中央都市の空を神の雷が支配した。