066 公国の冬。
季節は本格的な冬を迎え、世界を白く染め上げていた。
それは中央都市エルヴィンも例外ではなく、雪にはしゃぐ子供たちの声が聞こえる。
だが、それも降り始めた当初の話。
「聞いてた話と違うよ……」
聞けばこの辺りは毎年多少の雪は積もるものの、生活に影響が出るほどではないとのこと。
しかし現実はどうだ。
今までにないほどの大雪で、下手に外を歩けば体半分が雪に埋まりかねない。
人々は慣れない雪かきに追われ、外部との流通は完全にストップ。
幸いだったのは、それでも飢饉の予兆すら微塵も感じさせないほど、ロンバル商会と農業区の人々が頼もしかったことだ。
そして冒険者たちはそのほとんどが街に引きこもっていた。
金に余裕のあるものはちょうど良い休暇に。
そうでないものは、ギルドからの依頼による雪かきなどで日銭を稼ぐ。
ただ中には、余裕があるのに進んで雪かきをしている物好きもいた。
(アルベルト……楽しそうだったな)
飛行魔法で街の様子を上空から確認していたときに、爽やかな汗を流しながら雪かきに勤しむ姿を目撃したのだ。
この寒さでよくやるよ。
こっちはちょっと空を飛んだだけでギブアップしたのに。
大体冬なんて人が働いていい季節じゃないんだ。
暖かい暖炉と冷たいアイスクリーム……これに限る。
リズさんはこんな状況でも、ランニングは欠かさない。
むしろ普段より鍛錬になって良いそうだ。
走れるような足場ではないのでは? と聞いてみたこともある。
だが、足が沈む前にもう片方の足を前に――――とかちょっとわけのわからないことを言っていた。
そしてミンファはメイさんから文字や一般常識、算術を習い。
師匠からは魔法を教わっている。
算術は苦手のようだが、魔法には稀有な才能があった。
全ての属性に適性があり、簡単な魔法なら見ただけで覚えてしまう。
師匠曰く、魔法陣を理解しているわけではなく、同じ現象を起こすために感覚で魔法陣を構築しているとのこと。
……やはり天才か。
とは言ってもまだまだ子供、今は僕の膝の上で一緒にアイスを食べている。
たっぷり甘やかしてやろう……いつか成長したときに、『エーちゃんこんな魔法もできないの?』なんて生意気なことを言われないように。
さて、我が家には今もう一人いる。
なぜかここ数日、うちに泊まり込んでいるのだ。
その人物も、同じように暖炉で暖まりつつアイスを食べている。
「……? 何か?」
どうやら、こちらの視線に気づいたようだ。
「いや……教会の仕事とか大丈夫なのかなって思って」
そう、なぜかシルフィさんがうちに入り浸っている。
寝床は折り畳み式の簡易ベッドを、メイさんが作ってしまった。
ホント余計なものばかり作ってくれるメイドだ。
「元からそんな頻繁に仕事があるわけではないですよ。私は冒険者との兼業ですし」
なんとなくそんな感じは察してたけど。
本音を言えば『大聖堂に自分の部屋あるだろ帰れよ』と言いたい。
「それに……」
シルフィは視線をミンファに移す。
「経過観察も、私の仕事みたいなものですから」
まだミンファを警戒してるのか。
こんな愛くるしいというのに……。
以前のミンファは目元さえ隠れるような状態だったが、今は髪を両サイドで結び、前髪は目元が隠れない程度にカット。
手先が器用なメイ美容師にかかれば、これぐらい朝飯前らしい。
「あと……大聖堂ってちょっと寒いんですよね」
……そっちが本音じゃないの?
服装だって私服だし、完全にオフを満喫してるでしょ。
まぁ……その気持ちはわからないでもないのだけど。
この家はどの部屋も基本的に暖かい。
本格的な冬を迎える前に、魔道具店で『あったカーペット』という魔道具を全部屋に敷いておいたのだ。
足元から暖めてくれる優れものだ……ちょっと高かったけど、必要経費ということで。
でも欲を言えば……コタツがほしいなぁ。
メイさんに頼めばいけるか? と思索に耽る僕に、唐突なボディブローが入る。
「そういえば、エルさんはずっと家でゴロゴロしてますね」
「ゴフッ!」
こいつッ――――触れちゃいけない部分にあっさり触れやがった。
そりゃリズさんは鍛錬を休まないし、ミンファも学ぶことに拒否感を示さない。
目の前のシルフィさんでさえ、時折教会が運営する孤児院の様子を見に行っている。
わかってるんだよ……自分だけ何もしてないことは。
畜生……自然と努力できる人間が羨ましい。
僕は口を開く前に、ミンファの視界をそっと目で覆った。
「そ、そんなことないですよ……じ、実はこれから僕個人への依頼で仕事があるぐらいで――」
僕はその場しのぎの嘘をついた。
こんなみっともない大人の姿を、ミンファには見せたくなかったんだ……。
………………
…………
……
嘘を誠にするため、この寒空の中、一人で冒険者ギルドへとやってきた。
何か依頼がないか掲示板を眺めていると、素肌面積の多い人物から声をかけられる。
「なんだ? 今日は一人なのか?」
ギルド内も閑古鳥で暇なのか、ギルド長ジギルの手には酒瓶が見えた。
「ちょっとわけあって依頼を見にきただけですよ……でもこの分じゃ期待できないですね」
依頼はどれも雪かきばかり。
日給で青銅貨1~5枚と、多少ばらつきはあるもののけっこうお安い。
「こんな雪、この辺りじゃ初めてだからなぁ……。あと、貴族からの雪かき依頼はもっと払いもいいが、そっちは大人気なんだ」
なるほど、ここにあるのは余り物か。
せっかく今日は降雪もちょっと落ち着いてるのに……。
窓の外を見ると、今日の空模様はここ数日では明るく落ち着いていた。
ジギルも同じく、窓の外を眺める。
「今日は大分マシな天候だし……そうだな、それならちょっとおつかいを頼まれちゃくれないか」
そう言って、一通の手紙らしき物と地図をテーブルに出した。
「この書簡を、西のハールートの街へ届けてほしいんだ。この積雪じゃ陸路は無理だが、お前さんなら可能だろ?」
地図に示されたハールートの位置は、陸路なら馬車で二日ほどといったところだろうか。
今の僕の魔力量ならけっこう速度を上げても問題ないし、これなら日暮れまでに帰ってこれそうだ。
「ちなみに報酬は……?」
「……出せても金貨1枚だな」
届けるだけで金貨1枚、と考えたらかなり割高な報酬だ。
でも別に金には困ってないしなぁ。
何か特典的な物もほしいところ……。
そう思い、ジギルの顔……主に頭部をジッと眺めた。
「いや、マジでこれ以上は出せねーぞ?」
渋ってみたものの、さすがに無理だったようだ。
「残念です……これが届くのは春になるかもしれませんね」
さ、仕事した気分で暖かいお家へ帰ろう。
踵を返しギルドを後に……
「…………老後の嗜みのシチュー」
ジギルがボソッと発した言葉に、出口へ向かう僕の足は止まる。
それを口にした意図……こちらがその味を知っている、とわかっていなければ交渉材料にできないはずだ。
だがそんなことはどうでも良かった。
「……可能なんですか?」
「おそらく……」
不安の残る言質ではあるが、それでも可能性があるというのなら……。
止まった足は再びジギルの前へ向かい、書簡をそっと手に取った。
一度自宅へ戻り、リズさんには依頼内容を伝え、僕は単身西のハールートを目指した。
素肌の出る部分を極力なくし、寒さ対策は十分にしたつもりだ。
だが飛行速度を上げれば上げるほど、その対策が甘かったと知る。
(――――やっぱり家から出るべきじゃなかったッ!)
口を開いて泣き言を大きな声で叫びたい気分だが、もはや口を動かすこともままならない。
寒いを超え、冷たいを超え、もはや感覚が怪しくなってくる。
その甲斐あってか、それらしき街が見えてきた。
たしか届けるのは……
『ハールートの【春眠亭】にセリスって女が多分、宿泊してるはずだ。いなけりゃ宿に預けるだけでいい』
というのがジギルからの依頼内容。
なんとも眠たくなる宿の名前だが……そもそも宿の位置どこ?
こういう時は門番に聞くのが早いだろう。
そう思い、街の入口付近へ着地――
「ぼふッ」
と音を立てて、入口横に積まれた雪へと突っ込んだ。
足がね……思ったように動いてくれなかったんです。
身を捻り、なんとか僕は顔だけでも出すことに成功した。
「な、なんだ……?」
門番らしき男は様子を伺う。
その手には槍、一応の警戒をしているようだ。
「えっと……春眠亭って宿、どこにありますか?」
雪の中から急に現れたやつにこんなこと聞かれるとは門番も思ってなかっただろうな。
「え? それなら街の中央付近にあるけど……それより大丈夫かい?」
やはり門番は旅人や冒険者等に聞かれ慣れてる。
宿の位置なんて知ってて当たり前なのだ。
さらにこちらの心配までしてくれるとは、きっと良い人なのだろう……困惑させてしまって申し訳ない。
これ以上心配はかけまいと、颯爽と雪から脱出を……
しかし――手足の感覚は曖昧で、思うように動いてくれなかった。
「あのぉ……出来たら引っ張ってもらえると助かります……」