057 嵐の前の静けさ。
冒険者への依頼の後も、お偉いさん方はあれやこれやと大忙しだったようだ。
無理もない、突如帝国の半分と小国が違う国になったのだから。
それから二日後、僕らは中央都市エルヴィンを発った。
一先ず国境までは10日程度だと予想される。
今回もメイさんには大量の食事を用意してもらった。
また留守を任せてしまうことになって、ちょっと申し訳ない。
……と普通なら思うのだろうが、僕は不安で仕方がなかった。
次帰った時、また家が魔改造されてるんじゃないかと……。
(今度はたまたま良い石材が手に入った、とか言って露天風呂とか作らないよね……?)
…………いや、それはアリだな。
うーん、家と土地があるって夢が広がるなぁ。
土地は師匠頼みだけど……。
先頭からちょっと離れているが、こちらの馬車も東を目指し進み始める。
……それにしても、けっこうな人数になったな。
軽く20を超える馬車が、ぞろぞろと移動している様子は圧巻だ。
冒険者だけでなく、冒険者に扮した公国の衛生兵も少し混ざっている。
保護した者たちの治療目的だろう。
あとはあきらかな騎士の姿もかなりの数いる、だが彼らとは国境でお別れだ。
さすがに今の状況で公国の部隊を堂々と投入するのは、魔帝国を刺激することになるからだろう。
さて、ここからけっこうな距離を移動するわけだが、商会の用意した馬車なので比較的楽ではある。
だが一つ問題があった。
それは僕らが乗ってる馬車の御者だ。
「いやぁ、けっこうな大所帯になりましたねぇ」
僕とリズさん、それにシルフィさんの乗る馬車の手綱を引くのは、間延びした声が特徴的なチロルさんだった。
「チロルさん、よく参加できましたね……ロンバルさん反対したのでは?」
商会が絡んでるとはいえ、実の娘を危険かもしれない場所に送るだろうか。
「はい~、なのでぇ、こっそり参加しましたぁ」
えぇ……。
「出発してしまえばぁ、こっちのものですぅ」
そんなことしてるから、あのバカ呼ばわりされるんだよ……。
もはやあきれて何も言えない。
「店番ってぇ、暇なんですよねぇ」
そして理由がしょうもない……。
「……今回はチロルさんの護衛じゃないですからね?」
危険性とか考えないのだろうか。
「そうかもしれませんけどぉ、この人数なら大丈夫でしょぉ」
楽観的だなぁ……。
まぁでもたしかに、ほとんどがBランク以上の冒険者ばかりだ。
僕らの出番もないかもしれないな。
そんな僕とチロルさんのやり取りを、ジッと眺めていたシルフィさんが口を開いた。
「仲がよろしいんですね……お知り合いなんですか?」
なぜだろう……聞かれてる内容は普通のことのはずなのに、妙に圧を感じる。
「以前護衛の依頼を受けたことがあって、今は……客と店員?」
とくにやましいこともないので正直に答えた。
色々と相談に乗ってもらったりはしてるけど、客と店員の関係で間違ってないよね。
「良い金づるですかねぇ」
チロルさんは満面の笑みで答える。
絶対客の前で言う言葉じゃないよ……。
「そういえば、シルフィはこっちの馬車で良かったのか? 臨時とはいえ、エターナルのメンバーなのだろう?」
剣の鞘を磨いていたリズさんから、そんな素朴な疑問が出る。
正直それは僕も気になっていた。
でもなんか……そういうの聞くのって気が引けるじゃん?
「そうなんですけどね、他の5人はみんな同じ村の出身らしくて……居心地があまり良くないというか、なんというか……」
あー……すでに出来上がった人間関係に混ざるのって、けっこう勇気いるよね。
出身が同じなら5人は幼馴染同士とかだろうし、ますます輪に入りづらいだろう。
わかるよその気持ち。
「それに、なぜか私一人だけ別に馬車が用意されてたみたいで……さすがにそれは断りましたけど」
シルフィさんの表情が暗くなっていく。
輪に入れない、さらに扱いが過保護、気づけばボッチだったわけか……。
「なんか……大変なんですね」
僕はちょっぴり、シルフィさんに親しみを覚えるのだった。
「温かい……美味しい……」
せっかくシルフィさんも一緒の馬車での移動なので、メイおばさんのシチューを振舞った。
「旅の道中での食事といえば、黒パンか燻製肉……良くて簡単なスープぐらいなのに」
空腹を満たすためだけの食事ではない、舌を満たす味わいにシルフィは舌鼓を打った。
ふふっ、そうでしょうとも……いや、僕がすごいわけではないのだけど。
「おかわりを要求しますぅ」
チロルさんはちょっと遠慮しようね。
人が多い分、焚火の数も多い。
夜の見張りも、当番のない日がけっこうあった。
そして馬車の荷台には余裕があるので、テントを張らずともそこで寝ることができる。
つまりだ……女性に囲まれて川の字で寝ることになるのだ。
リズさんの隣は慣れっこなのだが、シルフィさんまで隣にいるのはこちらとしてもちょっと緊張する。
(いかんいかん、今は煩悩を断ち切らないと……)
こういうときは、いっそのこと冷静に対象を観察するのだ。
隣で寝るシルフィさんを、横目に観察する。
金とも銀とも見えるプラチナブロンドの長い髪。
どこか少し幼さを残している整った顔立ち。
そして控え目な胸……ふっ、まだまだお子ちゃまじゃないか。
――その時、不意に観察対象の口が開いた。
「まだ、起きてらっしゃいますか?」
心臓の鼓動が早くなる。
ちょ、ちょっとジロジロ見すぎたか……?
でも別にやましいことは――
「あぁ……眠れないのか?」
僕を挟んでシルフィさんとは反対側に寝ていたリズさんが、それに応えた。
そして二人の静かな会話が始まる……。
「少し気になることがあって……この人数と戦力、どう思われますか?」
それは荒事の可能性を考えてだと思うけど……何か引っかかるのだろうか。
「どう……と言われてもな。これだけの戦力が必要なのかどうかの判断は私には……」
リズさんも聞かれても困るよね。
ただ、他国へ大々的に部隊は動かせないから、冒険者に建前用意して向かってもらう……ってのは悪くない考えだとは思うんだ。
「そうですね、普通はそうだと思います。有事の可能性を考慮した戦力で……ということなのでしょうが……」
シルフィさんは、そこから先を上手く言葉にできないようだった。
「……何か引っかかることでも?」
僕はゴクリと生唾を飲む。
なんとなく、この先の言葉があまり良い内容ではない気がして……
「確信があるから――――この戦力なのかな……と」
そう言ったシルフィさんの言葉に、どこか納得のいく部分はあった。
ここまで戦力を投入するべきかどうか、難民保護だけなら判断に悩むところだ。
でもそこになにかしらの……確証はなくとも確信があれば、迷わず投入できるだろう。
「……間違いなく、必要になる戦力……ということか」
リズさんは特に驚くこともなく、素直にそう納得した。
どことなく、初めから戦いを予感していたかのように……。
そして、シルフィさんはそっと目を閉じ、静かに告げた。
「国境を越えたら……周囲への警戒を強めたほうがいいかもしれませんね……」
最悪の事態も想定しておけ、ということか……。
そして荷台に静寂が訪れる……と思ったが、スッとチロルさんが体を起こした。
「国境沿いの街に商会の支部があるのでぇ、私はそこで失礼しますねぇ」
……ロンバルさん、あなたの娘はある意味とても逞しいですよ。
◇ ◇ ◇ ◇
9日後、予定より早く国境沿いの街、トランドムに到着した。
チロルさんは早速商会の支部に転がりこんだ。
お父さんには内緒にしてくれと言われたので、戻ったら真っ先に報告してやろうと誓った。
御者がいなくなってしまったので、唯一経験のあるシルフィさんが担当する。
代わりに夜はしっかり休んでもらうことにしよう。
そして僕らが向かった先には、エルラド公国とカトル帝国を隔てる大きな国境門があった。
本来であれば、そこは人の行き交う場所なのだろう。
それが今ではまるで一方通行かのように、こちらへと足を進める者ばかりだ。
そこに笑顔はなく、皆がうつむいている。
僕らのように、帝国側に向かっているものはあきらかに異質のはずだ。
だが誰もそれを気にも留めない。
「これは……ひどい」
その光景を見たシルフィは静かに憤るのだった。