045 ルーン・ルンティア。
エルラド公より、後日使者を送るから登城してほしい、とのことで僕らは帰路についた。
アンジェリカさんのこととか、魔神や悪魔、そして東の帝国の話など聞きたいことは色々ある。
それに向こうも話すことはたくさんあるだろう。
しかし国のトップは事後処理で忙しいようだし、こちらももうヘトヘトである。
(良かった、家は無事だ……)
住宅街のやや外れに位置しているのが幸いしたのか、家周辺に被害は出ていなかった。
それに、灯りもついているとホッとする……
「なに? この家に住んでるの? ちょっと小さくない?」
だが師匠が家までついてきてしまった。
「付いて来ても寝るとこ空いてないですよ?」
部屋の空きもないし……。
「ソファがあれば十分でしょ」
師匠はそう言うけど……。
こんなんでも師匠なわけだし、助けられたのは事実なわけで、我が家のお客様にそんな失礼なことはできないよ。
「それはちょっと申し訳ないというか……」
「ソファがあれば、あんたは十分でしょ?」
あ、そういうことっすか。
まぁ今日は疲れたし、ソファでも熟睡できる自信はあるけどね。
「まぁ……いいっすけど……」
師匠の辞書に謙虚の二文字はなかったようだ。
というか、メイさんの説明どうしよう。
見た目だけはただのロリメイドだからな……いらぬ誤解を生みそうだ。
そんなことを考えながら玄関のドアに手をかけようとすると、内側から勢い良くドアが開かれる。
「懲りずにまた来たんか! ウチは悪魔お断り言うとるやろ!」
箒を頭上に振り上げながら、チビメイドが勢い良く飛び出してきた。
まるでしつこいセールスを追い払うように……。
そして、師匠とメイさんの目が合った。
「あら、メイじゃない。久しぶりね」
「ルンやないか、ちょっと見てへん間にまたでかなったか?」
それは乳か? 乳のことなのか?
というか二人って顔見知りだったの?
◇ ◇ ◇ ◇
それは、メイさんが小遣い稼ぎで銀細工を嗜んでいた頃の話だ。
師匠はフラッと現れてはいつも買い占めて行く、お得意様だったそうな。
「メイの銀細工は、ドワーフでも屈指の品質よ」
あの師匠が誰かを褒めるとは……珍しい。
気が付けば世間話をするようになり、意気投合して酒を飲み交わす間柄にまでなったそうだ。
だがもう一つ気になる点はある。
それは、メイさん口から出た悪魔というワード。
もしやと思い聞いてみることにした。
「悪魔お断りとか言ってましたけど……この辺りはとくに被害出てないですよね?」
見た感じでは無事なようだったが……。
「何匹か来よったで、周辺の住民は避難済みやったけどな」
メイさんは避難しなかったのか……。
この家に残って守っててくれたんだね。
「メイさんが無事で良かったです。来た悪魔はどうしたんですか?」
「心配せんでも、1匹捕まえたで。いま裏で血抜き中や」
……ん?
窓から外を見ると、そこには家の裏手で洗濯物のように干された悪魔の姿が……。
「ほう、丁寧な仕事だな」
リズさんは感心している。
「さすがに2匹目以降は供給過多やからな、お断り願ったわ」
そうじゃない、そうじゃないんだよ。
まるで悪魔が新聞の勧誘みたいな扱いじゃないか。
「悪魔の血って対呪魔道具の素材になるのよねぇ、私は飽きちゃったからいらないけど」
師匠は飽きるほど素材にしたらしい。
チラッともう一度、悪魔の死体を見る。
(僕の知る女性は逞しい人ばかりだな……頼むから、化けて出ないでくれよ?)
それは、なんだかこの家が呪われそうな光景だった。
「なんや、エルの師匠ってルンのことやったんか、言うてくれたらえがったのに」
いや、名前知らなかったんで……
「どうせこいつ私の名前知らなかったのよ、聞かれた覚えないし」
はい、聞いた覚えがございません。
ぐぅの音も出ませんとも。
「でも今は知ってますよ。星天の魔女、ルーンですよね?」
ギルドで聞いた名前、なんとか覚えてて良かった。
「どうせギルドで聞いたとかでしょ」
師匠にズバリ的中される。
「ルーン? ルンやのうて?」
なぜかメイさんが困惑し始める。
省略してルンって呼んでたわけじゃなかったようだ。
「ルーン……ルン……失礼。ひょっとして、ルーン・ルンティア殿だろうか」
リズさんが割って入る。
ルンティア……? 家名持ち?
「あら、私名乗るときはいつも省略してるのだけど、よくフルネームを知ってたわね」
メイさんのときは、ルンって名乗ってたのかな。
全部名乗るとルンルンって呼ばれそうだもんね。
怒られるだろうから口にはしないけど。
「私の父と母が編み出した秘伝を書にまとめたのが、その方だと伺っています」
循環の秘伝書のことか。
つまり、リズさんのご両親とも知己の仲ってこと?
妙な所で縁があるものだ。
師匠はまたリズさんの顔をまじまじと眺める。
「秘伝……? ひょっとして、あなたの親って――――
「ルンティアって、古い伝承に残っとるルンティア一族のことちゃうよな? たしかあれ何百年も昔の……」
遮るようなメイさんの言葉で、ピシッと場の空気が凍り付く。
「……知らない方が幸せなことって、あると思わない?」
そう言った師匠は、すごく笑顔だった。
僕は知っている。
こういうときは、紳士的なフォローが必要なんだ。
「師匠が何歳だろうと、僕は今更驚きませんよ」
こちらの思惑とは裏腹に、目の前に般若が現れる。
くっ、なんてプレッシャーだ。
どこか配慮の足りない部分があったのか?
考えろ、何が足りなかったんだ……。
……ッ! 我、天啓を得たり――
なるほど、そういうことだったんだ。
女性は話を聞いてほしいのだと、何かで見たことがある。
そして、聞いた後は共感してほしいのだと。
「……スバリ、若作りの秘訣は?」
――――次の瞬間、僕はその日一番のダメージを負った。
体が軋む。
般若から受けたダメージが深刻だ。
早く休みたいのだが、本日の僕のベッドは居間のソファなのである。
そして今なお、師匠とメイさんの酒の席は終わらないので、こちらは寝ることもままならない。
(……おばさんの話って長いよね)
もちろんそんなこと口が裂けても言えないけど。
居間を呆然と眺めていると、階段の上からリズさんが手招きをしてきた。
そのまま流されるようにリズさんの部屋へ……。
「寝床がないなら一緒に寝ればいい」
そうリズさんが提案した。
寝床を使えない僕を気遣ってくれてのことか。
でもね、リズさん……それはそれで寝れる気がしませんよ……。
二人で同じベッドに横になる。
なに、このベッドで寝るのも初めてというわけじゃないんだ。
心頭滅却すれば……。
だがどうしてもあの夜のことを思い出してしまう。
それは僕だけではなかったのか、リズさんがゆっくりと口を開く。
「エル……あの時、なんと言おうとしたのか……聞いてもいいか?」
あの時というと……あの時しかないよね。
ストレートに伝えようとしたあの言葉か……。
「それは――
「……いや、やっぱりいい。言葉より態度で示してくれたほうがわかりやすい」
そう言って、リズさんは馬乗りに覆いかぶさってきた……
………………
…………
……
朝、目を覚ますと体がやや気だるかった。
無理もない、魔力を使い果たすほどの戦いを――
ふにっと、手に柔らかいものが触れた。
隣からは静かな寝息が聞こえ、昨晩の記憶が鮮明に蘇る。
出し切ったのは魔力だけではなかった。
そりゃ気だるいわけだ。
(僕はそこまで動いてないけどね……)
昨晩のリズさんは激しかった……そんなことを思いながら寝顔を眺めていると、ゆっくり目が開いた。
だがその視線はすぐに逸らされ、顔は紅潮する。
「…………おはよう」
「……おはようございます」
前のように逃げられはしなかったが、今回はお互い素面だったので……前回よりも気恥ずかしさがあった。
ふと、窓の方から視線を感じる。
そこにはカーテンの隙間から、にやけ顔でこちらを見る何者かが……
「色を知る歳か……」
「なにしてんすか師匠」