043 折れない剣。
遺跡の核をその身に取り込むアンジェリカさんの姿に、僕らはただ見ていることしかできなかった。
「んぐっ……良い事を教えて差し上げます」
砕いた核、その全てを飲み込んだアンジェリカが話し始める。
「遺跡の核とは、何百年も前に滅んだ……魔神だったものです」
突拍子もない話が始まった。
「死してなおその膨大な魔力は結晶として残り、取り込んだものを魔神へと変貌させる……」
魔神へと変貌?
ならばそれを取り込んだアンジェリカさんは……。
「うぐッ、ガァァァァァ――」
アンジェリカは呻き声をあげ、苦しみ出す。
皮膚はひび割れ、吐血し、血の涙を流しながら……。
「アンジェリカさ――――」
苦しむアンジェリカさんに駆け寄ろうとするも、リズさんに引き戻される。
「巻き込まれるぞ!」
アンジェリカの周囲には膨大な魔力が渦巻き始める。
それは今まで感じたことのない、邪悪で異質な魔力だった。
「ガァァァァァアハハハハハハ――――」
苦しみの呻き声は高笑いへと豹変し……魔力の渦が体内へと消えていく。
アンジェリカの肌は褐色に、瞳は赤い角膜を残して黒く染まる。
変貌と同時に――気配も変わる。
重圧が体に重くのしかかる。
膝が笑う、寒気がする。
目の前の豹変した少女を直視しようとすると、己の死が脳裏によぎる。
(――気をしっかり持て、恐怖に飲まれるな!)
そう自分に言い聞かせる。
この震えは武者震いだと。
「これが魔神の力……んふっ」
公女は褐色に染まった己の手を見つめながら恍惚とする。
そして空を仰ぎ、神に祈り始める。
「創造神様……感謝いたします。これで私は、本当に世界を呪える」
創造神……その言葉に何か引っかかるものを感じた。
祈りが終わると、ゆっくりこちらへ視線を移す。
褐色の手から黒い魔力を排出し、剣を形どる。
脳が警鐘を鳴らす。
……あれはもう、人ではないと。
先ほどまで公女だった者は、少しずつこちらへと距離を詰め――
「ギンッ!」
と金属同士のぶつかる音が、火花と共に目と鼻の先で鳴り響く。
それはまるで、時間の流れを無視したかのように一瞬で距離を詰めていた。
「さすがお姉さま、この速さについてこれるだなんて」
リズのモントクリーガが、魔神の剣を受け止める。
「人であることを捨てたか……見損なったぞ」
リズはアンジェリカを敵として睨みつけた。
だが一見拮抗してるかのような鍔迫り合いは、じわじわとリズの首元へ押し迫る。
「あはっ、私は疾うに見損なってますよ……世界を――ッ!」
笑ったかと思えば、憎悪の顔に豹変する。
アンジェリカは剣を振るう。
ただ闇雲に、そこにはかつての美しい剣技はなかった。
「人も――ッ!」
怒りを込めたような、力任せの剣だ。
だが、リズは弾くだけで膝をついてしまう。
「私は……お母様さえいてくれたらそれで良かったのに」
魔神の剣は頭上へ掲げられ、魔力が圧縮されていく。
「なのに――世界は! 人は! 何度私から奪えば気が済むんだぁぁぁぁぁッ!」
憤怒の叫びと共に、圧縮された魔力ごと剣が振り下ろされる。
刹那、リズの中で循環する力は最大出力を発揮――――
目の前の、自分をお姉さまと慕っていた少女を止めるために。
己の最大の力でもってそれに応じた。
だが……結果はあまりにあっけのないものだった……
破片が地面に突き刺さる……。
目的を達せぬまま、モントクリーガは折れてしまった。
「ふふっ、以前とは逆になってしまいましたね。私がお姉さまの剣を折って――――
だが剣が折れたことなどまるで意に介さず、リズの拳が顔面を捉える。
殴り飛ばすのではなく、強く、速すぎるその拳は、アンジェリカの顔にめり込んだまま地面へと叩きつけられた。
「……私という剣が折れることはない。残念だったな」
本当に強い剣士は、時に己自身を剣とする。
まさにそれを体現した一撃だった。
決着の直後、エルラド公が騎士を引き連れ現れる。
そして、地面にめり込んだ……魔神化したアンジェリカを視認した。
「そうか、私は間に合わなかったのか……」
なくなった片腕を抑えながらそう呟いた。
まだ痛むはずだ、きっとそれをこらえてまで……。
実の娘のことだ、当然だろう。
「……心配なのはどうせ核のほうでしょう」
アンジェリカが、めり込んだ地面から起き上がり、ボソリと零す。
「――ゲホッ……チッ、まだ体が適応しきれてないみたいね」
血反吐を垂らしながら気丈に振舞ってはいるが、あきらかに先ほどまでより疲弊が見える。
「アンジェ……何故このような暴挙に出たか問いたいところではあるが、まずは身柄を拘束させてもらうぞ」
エルラド公がそう告げると、引き連れていた騎士たちがアンジェリカの四肢を拘束しようとする、が――
アンジェリカは漆黒の魔力を見に纏い、はるか上空に飛翔する。
月明りを背に、金の髪が風になびく。
そして、こちらを見下しながら別れの言葉を吐き捨てる。
「自分で手を下せないのは心残りですが、この辺りで引かせていただきます。……おそらくこれが今生の別れとなりましょう」
漆黒の魔力とともにその姿は掻き消え、気配が完全に消えた。
代わりに多数の気配が上空に現れる。
月が黒く染まる……否、無数の黒い粒が徐々に大きくなっていく。
それを見たエルラド公は戦慄する。
「――ッ! 急いで民間人の避難を! 冒険者ギルドと教会にも伝令を急げ! あれは全て悪魔だ!」
◇ ◇ ◇ ◇
中央都市エルヴィンには、シェルターと呼ばれる避難場所が儲けてある。
そして下水道もまた、避難経路の一つとなっていた。
下水は遺跡の核で浄化しているため、比較的下水道が清潔な状態であるからだ。
つまり街中のいたるところに避難口があるのだ。
そんな夜の街中に警笛が鳴り響く。
エルラド公の指示で、騎士達は避難誘導と伝令に足を走らせる。
戦える者は家族を守るため武器をとり、冒険者は己が力を示すため自らを鼓舞した。
「悪魔は体内に魔石を持つものが多いと聞く、稼ぎ時だぞ!」
だがその手が震えている者も少なくない。
無理もない、ほとんどの冒険者が悪魔など相手にしたことがないのだ。
そして強がれない冒険者は空を見て絶望を知る。
「あれが悪魔……? 嘘だろ、なんて数だよ……」
およそ数十体の漆黒の翼を持つ悪魔が、目と鼻と先まで迫っている。
そしてついに、都市部へ我先にと悪魔が1体舞い降り――――いや、降りたのではなかった。
翼と腕をもがれ、落ちてきたのだ。
悪魔の背後に、夜空を駆ける赤髪の女が垣間見えた。
悪魔をちぎっては投げ、ちぎっては投げ……
それは比喩表現などではなかった。
悪魔の翼と四肢を素手でねじきり、その悪魔を足場代わりに乗り継いで跳躍していく。
「悪魔を倒し……いや、壊して……?」
冒険者は見ている光景が信じられず、目を擦る。
さらに上空では、白い髪の女が閃光を放ち、悪魔を次々と撃墜していく。
「あれは……魔法なのか?」
夢を見ているのではないかと頬をつねる。
痛みが現実であることを伝え、そして、いてもたってもいられなくなる。
冒険者はその光景に興奮し、流布していく。
――――夜空を飛ぶ閃光と壊し屋を見た。
……と。
◇ ◇ ◇ ◇
「城に現れた悪魔よりは手応えがない、下位の悪魔か……だが数だけは多いな」
10体ほどの悪魔を屠り、リズは握力を確認する仕草をみせる。
おそらく限界が近い。
上位の悪魔ほどではないにしても、やはり人よりも頑丈な悪魔を素手で壊すのは骨が折れるようだ。
夜空を見上げる。
そこでは相棒のエルが、二つの光の球体を操り、3本の閃光を放ちながら悪魔を次々と沈めていく。
「……華麗なものだ」
撃ち漏らしは下手に追わず、他の冒険者や兵に任せているようだ。
効率良く、そして魔力を無駄にしない戦い方に見える。
都市の外壁から街を眺める。
物的損壊は多少あるものの、被害は最小限と言えるだろう。
リズが屠ったのは10体ほど、エルもおそらく同じぐらいだろう。
そして街中に至った悪魔も10体ほどだが……
「強い街だ……」
冒険者が、騎士が、警備兵が、皆が協力して悪魔を仕留めていく。
だがどうにも胸騒ぎがする……。
リズはどうしようもなく、東の空が気になるのだった。