028 禁忌の秘伝。
新たな拠点での生活が始まって、2週間が経った。
朝、目覚まし時計など存在しないが、自然と目が覚める。
水瓶に溜めてある水を桶にすくい、顔を洗う。
次に浴槽に入っている前日使ったお湯……すでに水になっているが、これの栓を抜いておく。
水が抜けたらまずは浴槽の掃除、それほど時間はかからない。
掃除が終わったら今度は外に出る、外の桶にはさきほど浴槽から抜いた水が溜まっている。
朝日を浴びながらの洗濯、もちろん手洗いだ。
洗濯してるのは自分のだけではない、リズさんの服や下着もある。
(最初はけっこうドキドキしたのにな……)
最初はリズさんと交代で洗濯していたのだが、なぜか僕のパンツだけボロボロになってしまうのでご退場願った。
洗濯物を庭に干したら、次は朝食の準備だ。
目玉焼きとハムに軽く塩胡椒を振って、一緒に焼く。
塩胡椒はちょっとお高いが懐が温かいので問題はない。
そしてちょうど焼きあがるころに――――
「ふぅ……ただいま、良い香りだな」
リズさんがランニングから帰ってくる。
ついでに、朝一の焼きたてパンを買ってきてくれるので、合わせて朝食となる。
「そういえばいつもどこを走ってるんですか?」
「都市の外壁の周りを一周だな」
朝からオーバーワークすぎませんかね。
しかも汗一つかいてない気がするんですが……。
「やはりエルが買ってくれたポーチは便利だな、いくら動いても邪魔にならない」
「でも食べ物は保存食以外入れちゃダメですからね」
僕のと違って時間遅延は組み込まれていない。
基本的に鎧一式と、その他私物を入れてくれてるようだ。
「それに剣も……今のところ本気で握っても大丈夫だ」
今のところ……ね。
「近衛騎士にもこれぐらいの剣を配備してくれればいいのに」
無茶言わないで。
金貨15枚なの、一点物なの。
それにしても軽々と持ってくれるなぁ……。
でもそのパワーの秘訣を聞いてしまったら、納得せざるを得なかった。
それはつい先日、お酒の余興の時のことだ……
………………
…………
……
「さて、今日はそうだな……飛行魔法について聞かせてくれ。高度な魔法と聞く、一体どうやって覚えたんだ?」
僕は飛行魔法に関してすべてを話した。
師匠が作った人工精霊を埋め込まれたこと。
人工精霊を介して使ってるので、自分で術式は構築してないこと。
人工精霊にアーティと名前をつけて、アーちゃんと呼んでいること。
「人工精霊なんて存在自体が驚きだが、さらにそれを埋め込むとは……エルの師匠はなかなか破天荒なことをする人だな」
「無茶苦茶な人でしたよ」
ちょっとぐらいはたまに僕のことを思い出して心配を……してくれてるわけないな。
「じゃ、次はエルの番だ」
そろそろあれについて聞くべきだろうか。
あきらかに人の領域を超えてそうな怪力、パワー。
「前々から気になってたことですけど、リズさんのそのパワーは一体どこから……見た目ムキムキマッチョなら納得なんですが」
程よく引き締まった体、ぐらいにしか見えないんだよなぁ……。
「ムキムキマッチョか……あれは守りには向いてるが速度が損なわれるからな。私が主に鍛えてるのはもっと内側の筋肉だ」
インナーマッスルのようなもんだろうか。
さすが筋肉、奥が深い。
「あとは身体強化の定着化だな」
「定着……?」
「あぁ、これは父上と母上の編み出した【循環】という秘伝なんだ」
本来なら、多少なりとも魔力を消費するのが身体強化。
だが定着化は消費するのではなく、循環させて永続的に身体強化を施す技法。
外の筋肉と中の筋肉、両方に作用し魔力でコーティングして保護。
さらに循環速度を上げることで規格外の力になる……ということらしい。
「……それって僕にもできます?」
「すまない……私はまだエルに死んでほしくない」
命懸けの技法なんですか……。
「秘伝というより禁忌の領域だな。最初から上手く循環できる者などいないし、それでいて上手くできないと全身の血管と筋肉がズタズタになる」
――怖ッ!
「私も半年間、死の淵を彷徨った。その後も、循環がやっとうまくできたと思ったら、体がついてこなかったりとなかなか苦労したな」
「……命を落とした人もいるんです?」
「私が産まれるより以前の話だが、かなりの人間が挑んだらしい。そしてほとんどの者が命を落とし……運良く生を繋いだ者は廃人だ」
たしかにそれは禁忌の領域だ……。
「危険すぎるので二度と挑む者が現れないよう、禁忌として秘伝書を封じたそうだ」
まぁそうなるよね。
「それをリズさんはどうやって……?」
「あれは8歳の時だったかな……たまたま見つけたんだ。ベッドの下に厳重に保管された書物をな」
エロ本かな?
保管方法が杜撰すぎるよ……。
「まぁ今はもう秘伝書は処分済みだし、新たな犠牲者が出ることもあるまい」
そりゃ大事な自分の娘が死にかけたら、処分もするよね。
「循環が扱えるようになったら地獄の鍛錬が待っていたな……おかげで制御も完璧にできるようにはなったが」
鍛錬内容に厳しいのはそれが原因だろうか。
インナーマッスルが循環と深く関わってるとか?
いや、これ以上踏み込むと鍛錬に巻き込まれる気がする。
性根を叩き直されちゃう……。
◇ ◇ ◇ ◇
壮絶な過去だったなぁ、そりゃバカみたいに重い剣も軽々と扱えるよ。
「ところで、この家に必要な物は大体揃ったし、そろそろまた第2遺跡に行きたいのだが……」
リズさんの言ってることはごもっともだ。
でも一度遺跡に行くと日帰りで帰ってこれる保証はないし……。
「洗濯物、もう干しちゃったんですよねぇ」
外に干しっぱなしで日を跨ぐのはちょっと……かといって部屋干しは臭いが気になるし。
「……やはり、エルの家事負担が大きいな」
リズさんが色々大雑把なので、家事をしてるのは僕だけなのだ。
代わりに誰かやってくれたら……
「メイドさんでもいたらいいんですけどね」
現状僕がメイドです。
「ふむ、それなら人を雇うのはどうだろう」
金を払って家のことをやってもらい、ついでに留守中の家も安心。
悪くない……ついでに料理も上手なら文句なし。
いや、むしろ一番大事なポイントだ。
「人を雇うってどうすればいいんですかね?」
「そうだな……商会に相談したほうが早いかもな」
またロンバル商会に世話になるのか。
◇ ◇ ◇ ◇
「おやおやぁ、今日はお二人で買い物ですかぁ?」
ロンバル商会直営店に顔を出してみると、早速チロルさんから声をかけられた。
さっさとまた行商に出てしまえばいいのに。
「今日は買い物じゃないんだ。実は家を買ったので、家事を誰かに頼めないかと思ってな」
「なるほどぉ、リズさんも一国一城の主ですかぁ、スピード出世ですねぇ」
僕の家でもあるわけなんですが?
「他所の国ならぁ、奴隷を買うのがてっとり早いんですけどねぇ、この国は奴隷制度認めてませんからねぇ」
「あぁ、それで商会なら……と思って相談に来たんだ」
他所の国は奴隷がいるんだね……。
「そういうことでしたらぁ、商会本部に行ったほうが早いですねぇ、ちょっと待ってください~」
そういってチロルさんは一筆書き始めた。
紹介状みたいなものかな? ……チロルさんって商会でどういった立場なの。
「これを本部で見せてください~、色々と便宜を図ってくれるはずですぅ」
チロルさんにお礼の言葉を述べ、直営店を後にした。
「ここが本部……」
ロンバル商会本部、そこは3階建ての大きな建物で、もはや屋敷とも呼べるものだった。
本部に行ったほうが早い……というのは家政婦の斡旋でもしてるのだろうか。
建物に入ると、受付らしきカウンターに女性がいたので、チロルさんから紹介されたことと手紙を渡す。
「……ッ! しょ、少々お待ちください」
受付の女性は慌てたように走って行ってしまった。
一体紹介状に何が書いてあったのか……。
不思議そうにリズさんと顔を見合わせる。
程なくして立派な身なりをした中年の男性が現れた。
「あなた方がチロルの……ここではなんですので、こちらへどうぞ」
丁寧な対応で、ますますチロルさんの立ち位置がよくわからなくなった。
別室に案内され、お茶まで出てきた……良い香りのするハーブティーだ。
「申し遅れました、ここの商会長をしておりますロンバルです。まずはうちのバカ娘がご迷惑をおかけしたことを謝罪させてください」
……娘?
ロンバルさん……ロンバル商会……娘ッ!?
「……その様子だと、あのバカは何も言ってないようですね」
何も聞いてないよ……
ロンバルさんの話によると、元々自分が行商から成りあがったことから、娘にも経験を積ませるためたまに行商の真似事をさせてるとのこと。
だが護衛費はケチる、命より回復薬の心配、等々問題行動に頭を悩ませてるそうな。
「申し訳ありません、愚痴みたいになってしまいましたね」
この人とは良い酒が飲めそうだ。
おっさんと飲む趣味はないけど。
「それで、家事を任せられる者を探している、ということでしたね」
チロルさんの紹介状には、ちゃんとその旨も書かれていたようだ。
なので早速、雇うと言ってもどういった仕組みなのかをくわしく聞くことにした。
「まずはレンタルメイドですね。商会にお金を払っていただき、こちらから条件に合う者を派遣します」
派遣社員みたいなものか。
「もう一つは直接雇用ですね。賃金は本人と直接交渉していただくことになります。こちらの場合、紹介手数料だけ商会に払っていただきます」
お試しならレンタルメイドのほうが安心だ。
でも長い目で見ると直接雇用のほうが良さそうだけど……
「リズさん、どっちがいいと思います?」
「直接交渉できるほうが良くないか? 話せばある程度の人となりもわかるだろう」
たしかに、条件に合ってもどんな人が来るかわからないのは不用心だね。
ただでさえ遺跡探索や依頼とかで、家を何日も留守にするかもしれないんだ。
「じゃあ、紹介のほうでお願いします」
「承りました。どのような人が良いか、条件はありますか?」
料理が上手なのは当然として、やっぱり家事歴長いベテランのほうが安心できる。
「経験豊富な方がいいですね」
ロンバルさんが名簿らしきものをパラパラとめくっていく。
「ふむふむ……3名ほどなら、明日にでも紹介できると思います」
「では明日お願いします」
この時の判断が、まさかの人選を招くことになるのだった……。