218 王の休息。
風穴だらけになったオルフェン王国の城は未だ修繕中である。
その音は王族が住む離宮にも少し響いていた。
そんな庭園で二人の淑女がお茶を嗜んでいる、なんてことない昼下がり……のはずだった。
ローズマリアは、あまり派手な装飾品を好まない友人が珍しく金色のネックレスをしていることに気づく。
「あら、カトレアってネックレスはあまり好きじゃなかったわよね?」
「えぇ、でもこれは肌触りが良かったから……」
カトレアがそう答えると、ローズマリアは微笑ましくて笑みが零れる。
「理由はそれだけぇ?」
「……別に、王妃が装飾品の一つもつけていないのはおかしいでしょ」
「ふーん……」
「……何か?」
カトレアとクロードの婚姻は半ば強引に行われた。
元婚約者とはいえ二人の間には障害が多かったのだ。
当主不在のモードレッド公爵家の令嬢……それも元犯罪奴隷と、未だその器を疑問視する声も多いクロード王の婚姻となれば付け入る隙があると考える貴族は多い。
だからこそ城の修繕よりも優先された。
モードレッド家の財産が目当てだなんて声もあったが、正直カトレア的にはそれもある。
今のオルフェン王国は改革の真っ最中と言っても過言ではない。
何かと金がかかるのだ。
「ふぅ、やっと一息つけそうだよ」
まるでそこは自分のために用意された席だったかのように、クロード王は二人と同じテーブルに用意されたイスに座った。
「そこはセリスの席だったのだけど……」
「え、あっ……すまない」
近衛騎士のセリスは今ではカトレアの専属護衛である。
しかし今は彼女の後ろに控えていた。
「……当の本人は座る気がないようだが?」
「それはそうでしょう。私は王妃の専属護衛ですよ」
そこでようやくセリスは口を開いたが、返ってきた答えは至極当たり前のものだった。
「……?」
「陛下、さっき私がちょっとカトレアの機嫌を悪くしちゃったので、多分いじわるしたい気分なんですよ」
ローズマリアが補足すると、クロードは疲れが吹っ飛ぶほど微笑ましい気持ちになった。
なんていじらしいことをするんだと……。
そうだ、よくよく彼女の胸元を見ればわかることではないか。
「……うん、やはりそのネックレスはキミに似合っているな」
クロードの一言で、カトレアの機嫌はさらに悪くなった……。
………………
…………
……
それほど長くはない時間だが、こうして離宮でとる休息がクロードにとってはかけがいのないものだった。
さらに今日は土産話もある。
本人からは身内に話す程度なら別に構わないと言われたし、そもそももう秘密にする必要もないからむしろ話してほしいと言われていたことを話すとしよう。
「そういえば、この間こっそり市場を見に行ったのだが……」
そこでふと気づく。
こっそり市場に行ったなどと知れればさらにカトレアの機嫌が悪くなるのではと。
「あっ、こっそりといってもアレだからな? えーっと……」
「大丈夫です。知ってますので」
特に表情に変化もなくカトレアはそう答えた。
そうか、カトレアは知ってたのか……知ってたの?
「……まさか」
クロードは何かに気づき、セリスの顔を見た。
「もちろん、カトレア様の命によりこっそり護衛しておりました」
「ということは……」
嫌な汗をかきつつもカトレアに視線を移すと、そこには珍しくも笑顔が……
「エルリット王女とお会いになっていたことも知っていますよ」
「いや、それは偶々なんだ。向こうもお忍びで観光していただけで……」
思っていた話の流れとは違うが、ここで言わなければ色々と誤解を生んでしまう。
「そ、それにだな。これは本人に了承を得ているから話すことなんだが……エルリット王女は本当は男だと言っていた」
クロードの話に、カトレアとローズマリアは顔を見合わせた。
「ローズ、これって……」
「えぇ……さすがに浮気はないと思ってたけど、こういうごまかし方をされると……しかも相手がエルリット様だなんて」
正直に話したつもりが、ますます状況は悪化していた。
それはそうだろう、正直自分も半信半疑である。
「いや……あの、これは本当の話で……」
クロードの声は弱々しかった。
しかし――――セリスの一言で状況は一転する。
「たしかに彼は男性ですね。どういった事情で王女として扱われていたのかその発端までは知りませんが……」
その言葉を聞いてもカトレアは表情を変えなかった。
そもそも浮気云々の疑いも冗談半分である。
ローズマリアも表情を変えなかった。
いや、というかこれは……笑顔のまま固まっている?
「へぇ……エルリット様が殿方というのは本当なんですね……」
本当に話して良かったのかとクロードは不安になり始める。
「つまり王女ではなく王子……ふふっ、なるほどなるほど……」
さらにローズマリアは独り言を呟き始めた。
はて、彼女はこんな娘だっただろうか。
「私としてはローズを応援してあげたいけど、難しいと思うわよ」
「……やっぱりカトレアもそう思う?」
その後も二人の会話は続く。
クロードは段々と居心地が悪くなっていくのを感じた。
(これが恋バナというものか……)
しかしクロードにとって、その話題に出てくるエルリット王子のメイド服姿が今でも印象に残っているので複雑だった。
その上閃光の魔女とまで呼ばれているのだ、本人もおそらく苦労していることだろう。
(……本人の趣味だったりしないよな?)
ちょっとした疑惑もあるが、いつか彼を国賓として堂々と招くのを一先ずの目標としよう。
そのためにはこの国での彼の印象……差し当たって王としての自分の評価を改めさせなければならない。
(本当に大変なのはこれからだな)
その後、オルフェン王国は大きな選択を迫られることもなく、長きに渡って平和な時代が続く。
隣国と共に進歩していく技術は、教会との付き合い方にも影響を与え徐々にその形を変えていくことになる。
ただ――――魔女への恐怖だけはいつの時代にも語り継がれていった……。
◇ ◇ ◇ ◇
ジェイクは人里離れた山奥で、一本の槍を構え精神を研ぎ澄ましていた。
対峙しているのは今まで戦った誰でもなく、同様に槍を構えた自分自身。
グランテピエで武装した自分の槍を、安物の槍で捌いて――――
「お、いたいた、ようやく見つけたぜ」
研ぎ澄まされた精神は薄汚いロイドの出現によって掻き消えていく。
「……今俺の事汚ねぇとか思っただろ」
「あら、よくわかってるじゃない」
ジェイクは露骨に嫌そうな顔をしていた。
しかし今はとくに戦う理由もないので鍛錬を続ける。
「んで、何しに来たのよ」
「そう邪険にするなよ、神具を直す方法が知りたいんだろ?」
その言葉に、ついジェイクは構えを解いて鍛錬を中断した。
「……知ってるの?」
「いや知らん」
イラッとしたジェイクは槍をロイドに向ける。
戦う理由ができたかもしれない。
「待て待て、そんな安物の槍でもお前が使うとシャレにならねぇんだよ」
「そう思うならさっさと消えて頂戴、鍛錬の邪魔よ」
ジェイクは一から自身を鍛え直している最中である。
山籠もりなんてありきたりだが、自分と向き合うなら人のいない場所がちょうど良かった。
「まぁ聞けって。直す方法は知らないが、それを知ってそうなやつに心当たりがある」
「……随分曖昧な情報ね」
ロイドの知識は冒険王の名に恥じないものだと思うが、中途半端な言葉にどうしても胡散臭さを感じてしまう。
「そりゃ物が物だからな。俺も丁度そいつに用事があるんだ、興味があるなら付いて来いよ」
そう言ってロイドは背を向けて引き返し始めた。
その姿は段々と遠くなって……
「……いや付いて来いよ!」
全力疾走でロイドは戻って来た。
はぁ、とため息をついてジェイクは荷物をまとめる。
正直グランテピエを直したい気持ちと躊躇している自分がいた。
本当に自分は持ち主として相応しいのか自信をなくしていたのだ。
(それでも体が動いちゃうのは、案外私って諦めが悪いのかもね)
ただロイドの思惑通りになるのは癪なので、渋々というスタンスのままついて行く。
はっきりとした目的地は敢えて聞かずに、二人は東へと歩みを進めていった……。