215 忍者、貴族になる。
忍びたる者、人と同じ道を歩くべからず。
それが師の教え……というわけではないが、少なくとも私はそう考える。
常日頃から忍びとして生き、任務中でなくともその存在を認識されてはならないのだ。
「だから気配を消して屋根裏に隠れていたと?」
「隠れていたわけではありません。いついかなる時も忍びとはそういう生き物なのです」
アゲハは胸を張ってそう答えたが、母の鋭い視線に目を逸らしてしまった。
「はぁ……あなたには飛鳥馬の次期当主としての自覚がないのですか」
もはや何度目かわからない説教を食らう。
結局のところ、和国はいきなり復興するのも難しい状況だったので、まずは飛鳥馬家を立て直すことになった。
つまりは晴れてエルラド王国貴族の仲間入りである。
それを始めて聞かされた時は他人事だと思っていた。
当たり前のようにエルリット一行の旅についていくつもりでいたのだ。
しかしまさかツバキに泣いて引き留められるとは……。
(てっきり私と同じで和国復興なんて興味ないと思っていたのに……)
ん、そうか……ツバキがいるじゃないか。
「聞いているんですかアゲハ」
「お言葉ですが母上、次期当主ならツバキのほうが適任でしょう」
ツバキは幼い頃からずっと優秀だった。
それは母上とてわかっているはずだ。
「私が当主だなんて……飛鳥馬家を潰すおつもりで?」
「あなた自分で言ってて悲しくならないの?」
アゲハは特にそんな感情を抱かなかった。
だって本当のことだもの。
「たしかにあの子は優秀です。でも私はあなたが劣っているとは思っていません」
母は父と違って、私とツバキの扱いを変えるような人ではなかった。
それは母の優しさだと思っていたのだが……なるほど、これは本当に私の事を過大評価していそうだ。
ここは割と真面目に答えるべきだろう。
「期待すると絶対に後悔しますよ」
「自信の方向性が……はぁ」
呆れられてしまった。
王都エルヴィンの外壁から見える夕日は中々に悪くない。
自然の中に赤く染まった遺跡が良いアクセントになっている。
しかし心の中には靄がかかったままだった。
「当主と言われても……」
昔の私なら言われるがままその宿命に従ったのかもしれない。
あの頃の私はただそこにいるだけで、生きているとは言えなかった。
忍びという道を志すまでは……。
「そもそも忍びとは仕える側でしょう」
私は陰で支える存在でありたい。
そう考えるとやはりツバキが次期当主であるべきだろう。
あの子は本当に優秀だ。
落ち着きもあって貴族らしい礼節も弁えている。
それに比べて私は……
「……ふっ、忍びとは泥臭く耐え忍ぶものなのです」
屋根裏で生活する貴族がいるというのなら教えて欲しいものだ。
「さて、いつまでそこに隠れているつもりですか?」
アゲハは振り返り刀に手を掛ける。
赤みがかった瞳は二人の男の気配を捉えていた。
「二人とも玄人のようですが、一人は気配の消し方が雑。もう一人は本職の方でしょうが私の目には視えています」
一瞬の静寂が過ぎると、観念したようにエルラド王とセバスは姿を現した。
「やっぱこういうのは苦手だ」
「衰えたつもりはありませんが、少し自信をなくしますね」
二人を見て、アゲハは眼鏡をスッとかけた。
うん……間違いない。
これは土下座しないと。
「王様とは知らずに申し訳ぇぇぇぇぇ――――ッ!」
アゲハは力いっぱい土下座した。
国王に向かって刀を抜こうとしたなんて死罪は免れない。
でも死にたくないのでとにかく謝るしかなかった。
「あーいいからいいから、別に正式な場でもないし」
思いのほかフランクな王の態度に、アゲハはホッとして顔を上げる。
セバスはそんな彼女に向かって手を差し伸べた。
「今回はお願いに来ただけですよ」
その表情は、誰が見ても優しく微笑んでいるように見えただろう。
しかしアゲハがその手に触れた瞬間、セバスは彼女を取り押さえた。
「なるほど……これは私の手には負えませんね」
そう口にしたのは、取り押さえているはずのセバスのほうだった。
その喉元には刀が突きつけられている。
「変わり身の術です……ってしまったぁッ!」
慌ててアゲハは刀を納める。
つい咄嗟に狼藉を働いてしまった。
この方はおそらく王の側近……よし、逃げよう。
「うむ、実力と性格は聞いていた通りだな」
どこか機嫌の良さそうなエルラド王に対し、アゲハは少し後退った。
直に日が暮れる。
逃げるなら今がベストだ。
「これは王命だが、飛鳥馬家の次期当主へ個人的なお願いでもある」
そらみろ、やはり母の差し金ではないか。
そうと決まればエルリット様の後を追って――――
「できればアゲハ殿には、暗部の頭目としてその力を振るっていただきたい」
「…………暗部?」
話を聞くだけなら問題ないかもしれない……。
………………
…………
……
「国に仕える貴族が暗部の頭目として……なるほどなるほど、御庭番衆筆頭のようなものか……ふふふっ」
話を聞いて何か納得しているような素振りを見せつつ、アゲハの口元は笑みが零れ始める。
「暗部って単語を出した途端態度が急変したな……元頭目として何か思うところはあるか?」
「そうですな……あなたが最近よく口にする言葉を借りるなら、これが次世代の在り方なのでしょう」
暗部と呼ぶにはあまりにも感情表現が豊かである。
しかし、それでもこの子の実力は自身より上なのだ。
(少し寂しくもありますがね)
自身が切り捨てたものを、次世代を担う者は簡単に否定してみせた。
これが新しい時代の到来というものか。
「……頼もしいものです」
「おーい、勝手に感傷に浸り始めるなよ」
呆れるエルラド王とどこか遠くを眺めるセバスを見て、アゲハは貴族というのも案外悪くないのではという印象を抱いた。
「それで、引き受けてくれるのか? まぁ大事なことだしな、しばらく考える時間が必要――
「御庭番衆筆頭の任、謹んで拝命いたします!」
アゲハはエルラド王に対し片膝をついた。
「え? 御庭番……? ま、まぁこの際呼び方は好きにしてくれていいのだが……」
エルラド王は少しだけ不安になる。
(暗部にしては我が強すぎだろ……)
今のところ執務室に娘が残していった書類通りに進めた内容にはハズレがない。
何より復興を約束した飛鳥馬家の頼みでもある。
「さて、それではまず最初の任をお伺いしましょう」
アゲハの期待に満ちた眼差しが突き刺さる。
「最初の任か……」
エルラド王は考える素振りを見せるが、内心少し焦っている。
アンジェリカの残した情報にも、さすがにそこまで細かいことは書いてない。
かといって遊ばせておくにはもったいない逸材だ。
「……よし、じゃあ一先ずは――――」
――――――
――――
――
「屋敷の警護……」
アゲハは暗部の初任務として、とある屋敷とそこに住まう女性の警護を言い渡されていた。
これがまた不思議な屋敷だ。
まるでここだけ和国のような雰囲気である。
しかし、こんな屋敷があればもっと早く自分が気づいているはず……。
(隠蔽系統の魔法か……)
これほど高位なものとなると、おそらく星天の魔女殿によるものだろう。
(魔法による隠蔽、さらに私という優秀な暗部による警護……一体どのような御仁なのでしょう)
音もなくアゲハは屋敷内に侵入する。
これといって罠もなかったので少し拍子抜けだった。
(おかしい……使用人らしき気配がまるでない)
一つ一つの部屋を確認するものの、人っ子一人いない――
「……!」
寝室と思われる襖を開けると、そこには魔神と呼ばれた女性が眠りについていた。
アゲハは咄嗟に身を隠す。
目視するまで気づかなかった。
(いや、魔力の質が少し違う……?)
静かな寝息に気づいたアゲハは、恐る恐る近づいて様子を伺う。
「まさか警護対象とは……」
目の前のこの女性ということだろうか。
それとも監視対象と聞き間違えた……?
「どちらにしても、これは悪くない任務と考えるべきか」
そもそもこの方はエルリット様の母君、マリアーナ様である。
なるほど……こうして縁は繋がっていくのか。
「ふふふっ、やはりエルリット様とは長い付き合いになりそうですね」
そうと決まればまずは屋敷内の構造を完璧に把握していく。
使用人はいないものの、掃除は行き届いていた。
掃除道具は使った形跡があるので、おそらく定期的に手入れがされているのだろう。
「ん? この花は……」
一輪だけ、小さな花瓶に花が生けてあった。
これといっておかしなところがあるわけではなかったのだが、どうにも違和感がある。
そこでふと、縁側から庭を見渡した。
(庭に咲いていたものか……)
使用人が生けたもの、そう考えるのが自然か…………一輪だけ?
「……ん?」
そこでアゲハは、縁側の一部に土が付着していることに気が付いた。
おかしい……他は掃除が行き届いているというのに。
まるで掃除の後に、誰かが裸足で庭に出たような……。
「…………」
この屋敷にいるのは私と警護対象のマリアーナ様だけ。
彼女の布団の足元を少し捲れば真実が……
「……いや、さすがにそれはないか」
この日から、任務とは思えないほど平穏な日常が続くのだが、後にアゲハは語る。
退屈過ぎて拷問の様であったと……。