214 もうじき死ぬはずだった男と元救世主。
「人生ってのはわからねぇもんだな」
クリフォードは、河川敷で夕日を眺めながら黄昏ていた。
死を覚悟していたはずなのに、いつになっても自分の体は活動を停止しない。
むしろ調子が良いくらいだ。
(まさかこんな世界が存在したとは……)
理由ははっきりしていた。
この世界には魔力が存在しないのだ。
あって当然のものが無いというのは中々に衝撃的だった。
周囲を漂う魔力が毒だった自分にとっては、ようやくまともに呼吸ができたような気分だ。
「ま、俺自身も魔力を使えなくなっちまったわけだが……」
今のところこれといって不都合がない。
この世界はあまりにも便利なもので溢れているのだ。
あえていうなら移動手段か……満員電車には二度と乗りたくないな。
そうだ、バイクを買おう。
以前見た時にちょっと興味を惹かれたんだ。
そうと決まればバイトのシフトを増やしてもらうか。
ふふっ、未来の予定を立てられるってなんて素敵な――――
「こんなところで何してんの?」
夕日を遮るようにこちらを覗き込んてきたのは、俺がこの世界に来た原因だった。
山田姫星……キララは唯一俺の事情を知っている人間だ。
それでいて今の居候先でもある。
「……別に、俺もこの世界に馴染んだもんだなって思ってただけだよ」
最初は文字すら読めなかったし、話している言葉すらわからなかった。
キララだけは言葉が通じたので色々教わりながらやってこれたのだが……
(この女の知識が偏りすぎてて苦労したもんだ)
情報が大事というのはこの世界でも変わらなかった。
「ふーん、まぁいいや。今日の晩御飯はハンバーグだってさ」
「お、ママさんのハンバーグは最高なんだよな。早く帰ろうぜ」
二人並んで帰路につくと、妙に視線を感じる。
おかしい……とっくにこの世界に馴染んだはず。
「やっぱあんた目立つよねぇ」
「え? あぁ……やっぱり髪のせいか?」
この世界……というより、この国の人間は基本的に黒髪が多いらしい。
これも最初は落ち着かなかったがさすがにもう見慣れたな。
「いやぁ髪のせいだけじゃないと思うけどね」
「……?」
まだ完全に馴染めていないのか。
やはり異世界というのは難しい……。
………………
…………
……
「はい、クリフ君は食べ盛りだから大きいの2個ね」
「さすがママさん、今日も美人で飯が美味い!」
この世界の飯は美味いものが多い。
その中でもキララの母が作るハンバーグは絶品だった。
「そう? 普通だと思うけど……」
キララはどこか呆れた目で見ていた。
帰って来た最初の夜は涙目で食べていたくせに……。
「クリフ君、今日も食後に一杯どうかね」
「もちろんお付き合いしますよパパさん」
キララの父はよく晩酌に誘ってくれる。
こちらとしてはタダ酒にありつけるので断る理由がない。
「もうあなたったら、ほどほどにしときなさいよ」
「わかってるよ。でも週末だしちょっとぐらい多めに――――」
これが山田家の日常である。
一般的な家庭というものをそもそも知らないが、多分……幸せな家庭と呼べるだろう。
この世界の酒はホントに美味い。
種類も豊富だが、何よりパパさんと飲むビールは格別だった。
「かぁ――ッ! この喉越しがたまらん」
「さすがパパさん、良い飲みっぷり」
目上の人が飲んだのを確認してからこちらも飲み始める。
こういう処世術はどの世界も変わらないものだ。
「ん、今日の枝豆は塩気が絶妙だ」
パパさんがつまみに手をつける。
これも順番が大事だ。
「はぁ……私の部下もクリフ君くらい付き合いが良ければいいのに。大体昔は――――」
晩酌の始まりは愚痴から始まることが多い。
誰かと飲むこと自体が俺にとっては新鮮なのでさほど苦痛ではなかった。
しかし酔いが回り始めると少しめんどくさい。
「それにしても、ある日突然娘がクリフ君を連れて帰った時は驚いたなぁ……」
この話……聞かされるのは何度目になるだろうか。
キララ曰く、向こうの世界で数か月過ごしたが、こちらに戻って来た時間は召喚された直後の時間だったらしい。
どういう理屈なのかはわからんが、つまりは普段通りの日常に突如俺という異物が混ざりこんでしまったわけだ。
「それも外人さんで記憶喪失とはね……あぁ、責めてるわけじゃないんだよ。むしろキミだったらいくらでもいてくれていい」
「パパさん……」
正確には外人ではなく異世界人だし、記憶喪失というのは嘘なのでちょっと心が痛む。
ついでに今のバイト先はパパさんの伝手による紹介なのでホントに頭が上がらない。
「ちょっとパパ、脱いだ服そのまま洗濯機に入れないでっていつも言ってるじゃん! 洗う時一緒になっちゃうでしょ!」
「あっ……す、すまんキララ」
一瞬で酔いから醒め、パパさんはシュンと落ち込んだ。
「大丈夫っすかパパさん……」
「あぁ、大丈夫だよ。娘を持つ父親が通る道だからね……でもやっぱり凹むなぁ……」
俺の頭が上がらない存在は、家庭内でのヒエラルキーは随分低い位置にいるようだった。
「まぁまぁ、今日はとことん飲みましょう」
俺はパパさんのグラスにビールを注ぐ。
どんな情けない姿であっても、やはり尊敬できる人なのだ。
「あ、あぁ……おっとっと、いやぁホントにクリフ君にはずっといてほしいなぁ」
その夜はいつもより少しだけ、パパさんの思い出話が長く続いた……。
………………
…………
……
この世界の空は狭く感じる。
深夜だというのにありふれた灯りが、星空の光を遮っているようだった。
「ずっとか……」
ようやくちょっとだけ先の自分を想像できるようになったのに、それよりさらに先となると今はまだ難しい。
「あ、やっぱりまた屋根に登ってる」
キララはベランダからこちらを見上げていた。
「まだ起きてたのかよ」
「当たり前じゃん……って言いたいところだけど、明日は用事あるから今日はもう寝ないとね」
と言いつつもキララはこちらに手を伸ばした。
もちろん救世主としての力なんて綺麗さっぱりなくなっている。
つまり……持ち上げろと言いたいらしい。
「いや、寝ろよ……」
「ちょっとぐらいいいじゃん」
はぁ、とため息を吐きつつ、キララを屋根に引き上げた。
パパさんはともかく、ママさんに知られたら怒られそうだ……。
「んーやっぱり星空は向こうの世界の方が綺麗だったね」
ほう、この女にもそんな感性があったのか。
「……まぁな」
二人して屋根に寝転んで夜空を見上げる。
静寂……と呼ぶにはこの世界は雑音が多い。
遠くから車やバイクの排気音が微かに聞こえてくる。
「……なんかね、たまにあの世界の出来事が全部夢だったんじゃないかって思う時があるの。あまりにも自然に元の生活に戻っちゃって――――」
静かに語りだしたキララの言葉を俺は遮らなかった。
……遮るだけの器量がないと言ったほうが正しいか。
(聞いてもいないのに急に語り出すんだもの……)
俺からしてみればこの世界のほうが夢の中のようだ。
戸籍というのがないと不便だし困るそうだが、それも解決手段はあるそうなので――――
「――ってことで、明日は朝9時には出掛けるから寝坊しないでよね」
「……なんで?」
こちらの返答をまるで気にせずに、キララは自室に戻っていった。
俺がちょっとだけ物思いに耽っている間にどんな道筋を辿ったというんだ。
――――――
――――
――
「――ってお前が寝坊するんかい!」
「仕方ないでしょ、わかりにくい攻略サイトが悪いのよ!」
朝からキララを背負って走る。
今日のイベントに参加しないと特典がもらえないらしいが、昨日の夜は気づいたら朝方までイベント回収をしていたのだとか。
日本語を覚えた今でもキララの言っていることはよくわからんことが多い。
「このままじゃ間に合わないかも……よし、クリフ近道!」
「マジかよ……」
その言葉に仕方なく、キララを背負ったまま民家の屋根に跳ぶ。
後は屋根から屋根へと最短ルートで駅を目指した。
本来俺はこういうことはしたくない。
(だってすげー目立つし)
現にこちらに気づいた人はポカンとした顔をしていた。
それに魔力が使えないので単純にきつい。
せめてこの背中のぬくいのがいなければ楽なのだが……。
「遅いなキララ……次の電車逃したらさすがに間に合わない――
「――セーフッ!」
眼鏡をかけたキララの友達の正面に着地する。
同時にキララは背中から降りて、謎のポースをとっていた。
(キララの友人……たしかココアだったかな)
彼女がまだここにいるということは間に合ったらしい。
「すまん、驚かせた」
「いえ……え、今どこから……」
上からだけど、そこは気にしないでほしい。
「じゃ、無事送り届けたし俺は帰るぞ」
「何言ってんの、あんたも来るのよ」
うっそぉ……。
この世界はとにかく人が多い。
だというのに混乱もなく行列ができる。
(なるほど、特典が一人一個までなのか)
それで俺が連れて来られたわけだ。
それは別にいいんだけどね……。
(並んでるのが女ばかりで非常に居心地が悪い)
すごく視線が突き刺さっている気がする。
もうやだ、早く帰ってパパさんとゴルフ番組でも見ていたい。
そもそも握手会て……しかも相手男じゃん。
「ひひっ、次元が一つ多いけど舞台版は別腹じゃのぉ」
大人しそうに見えるココアは人格が変わっていた。
この子もあんまり普通じゃないな。
それに対してキララはどこか不満気だった。
「うーん……生で見るとなんか違うな」
そう言ってこちらと見比べている。
よくわからんが、握手相手の男までどこか苦笑いだった気がする。
「はぁ……キララは二種類ゲットできていいなぁ」
ココアは俺とキララが受け取った特典を羨ましそうに眺めていた。
一人一つな上に種類がいくつかあるようだ……戦争でも起こしたいのか?
(ま、俺の分はキララの手に渡るわけだけど)
なんか納得はいかないが、別に欲しくもないのでキララに渡す。
すると、キララは少しだけ眺めた後、それをココアに差し出した。
「えっ……?」
もちろんココアはキョトンとしている。
「あげる、ほら……あの時蹴っちゃったお詫び? みたいな」
二人に何があったかは知らないが、蹴ったってどういうことだろ。
「き、キララぁ……」
ココアは泣き出してしまった。
それほどの物なのか……。
キララがやや気まずそうにこちらを見ている。
多分これ、いらない物を押し付けただけなんだろうな。
俺に振られても困るので視線を逸らした。
「ん? クリフ君じゃないか、こんなところで何をしてるんだい?」
逸らした先を偶然知り合いが通り声がかかった。
この人はバイト先のちょっと偉い人だ。
「鬼瓦さん、実は……」
「あっ、お嬢もいるのか……じゃあ俺はこれで。例の件、そろそろ良い返事がもらえそうってだけ親父に伝えておいて」
鬼瓦さんは今関わると面倒だと察したのだろう。
そそくさと退散していった。
ちなみに親父というのはパパさんのことである。
もちろん血の繋がりなんてない。
それでもいろんな人から親父と呼ばれているんだ……やっぱりあの人はすごい人なんだよ。
「例の件ってなに?」
「さぁ、俺も知らないよ」
いつの間にかキララが隣に立っていた。
「あれ? あの子はどうした?」
「早く帰って永久保存するんだってさ」
聞いてもやはりよくわからないが、用事は終わりと思っていいらしい。
「じゃあ帰るか?」
そう聞くと、キララは数歩前に進んで振り返った。
「せっかくだから遊んでいこうよ」
その表情は、今日一番楽しそうに思えた。
だからなのだろうか……自然と、自分の足も前へと歩み出し始める。
遊びというのは中々に新鮮で難しい。
でも自然と前に進める。
この世界の神は数が多い。
だから……誰に祈ればいいんだろうな。
願わくば――――ずっとこの世界で前に進んでいきたい