213 前途洋々。
「ふぅ……ようやく帰って来れたな」
エルラド王は、一応の護衛を引き連れて自国へと帰って来た。
かれこれ三か月ぶりなのだが、あまりにも多忙で時間が過ぎるのは早かった。
何より一番ショックだったのは我が子二人がまったくこちらの様子を見に来なかったことだ。
使節団が来た時は少しホッとしたが、その中にももちろん二人の姿はなかった。
「まぁいい、これが俺の王としての最後の仕事だったと思えば悪くはない……か」
そもそも王がするような仕事ではない。
とはいえ、隠居するにはまだ早すぎる。
これからは二人を陰で支える存在になれれば……
「……おかしい、街道がどんどん綺麗になっている気が……」
馬車の揺れもひどく少ない。
それは王都エルヴィンに近づくに連れ、より顕著になっている。
何か自分の知らない技術で作られたものとしか思えないほどだ。
門を潜り、街中を通るとさらに見知らぬものは増えていく。
「これは……食欲がそそられる香りだな」
屋台自体は元々街中で見かけることもあった。
しかしこの香りは初めてだ。
馬車を止めて駆け寄りたくなるが、ここはグッとこらえる。
「む、初めてみる看板だな。人材派遣……?」
新しい商売でも思いついた者がいたのだろうか。
街中の活気を見る限り、悪いものではなさそうだ。
(それにしても……以前より人が増えたな)
この分では早急に区画を増やす必要がある。
……おっと、悪い癖だな。
これからこういうのを考えるのは俺の仕事じゃない。
それでも自然と笑みが零れた。
この国の未来が非常に楽しみだ。
「……ん? おい、通り過ぎてるぞ」
馬車は城を通り過ぎて裏口方面へと向かい出す。
王の帰還なのだから正面から堂々とで構わないはずだ。
「離れの方にと仰せつかっておりますので」
御者は淡々とそう答える。
「離れ……?」
離宮のことであるなら、まだ建設予定はなかったはずだ。
そもそも段々と周囲の景色が自然豊かに……。
「こちらが離れになります」
馬車が止まると、そこには見たことのない平屋が建っていた。
塀も石積みではなく木材でどこか頼りない。
「……?」
馬車の扉が開くが、こちらの口はずっと前から開きっぱなしだ。
言われるがまま馬車を降りると、聞き覚えのある声が出迎えた。
「お待ちしておりました」
入口らしき場所で待っていたのはセバスだった。
その存在は安心感があるものの、すでにその任は解いたはずだ。
「お前はアンジェに仕えていたはずだろう」
「お嬢様のご意向でここにいますので、ご容赦ください」
そういうことならいいか……いいのか?
「……この際それはいいとして、ここは一体なんだ」
「まぁまぁ、せっかくですから中でご説明いたしましょう」
セバスがガラガラと音を立てて戸を開いた。
横に開くのか、珍しいな。
しかし音がなんというか……欠陥じゃないだろうな?
「靴はこちらでお脱ぎください」
「靴を……?」
エルラド王は疑問に思いつつも、素直に靴を脱いで段差を上がる。
床も木造なのか……しかし不快感はない。
「こちらの部屋でお待ちください」
それだけ言い残すとセバスは姿を消した。
「この部屋は――――マリアーナ!」
横になったマリアーナに駆け寄ると、静かな呼吸音が聞こえる。
「……眠っているだけか」
以前と変化ない姿に少しホッとする。
寝かされているのがベッドではないのが気になるが、これも寝具の一種なのだろうか。
床も木製とはまた少し違う、妙に手の込んだ床だった。
「畳というそうですよ。和国ではこれが当たり前だそうです」
再び姿を現したセバスは、そっと一通の手紙を差し出した。
「これは……?」
「お嬢様からです」
それを聞いて、少し笑みが零れてしまった。
面と向かって話すのが恥ずかしいのだな……と。
しかし開いた手紙に書いてあったのは、短い一文だけだった。
『旅に出ます、気が向いたらそのうち帰るかもしれません』
目を擦ってみる。
しかし内容に変化はない。
裏を見てみる。
何もない真っ白な紙だ。
「以前からこうするつもりだったようですよ。国の新たな基盤を整えた手腕は惜しいですが、それも罪滅ぼしのようなものだと……」
セバスが何か言っているが、まるで頭に入って来ない。
いや待て……落ち着け。
たしかにアンジェを次の王に据えるのは難しい。
それほど大きな過ちを犯してしまったのだ。
「エルリット……そうだ、エルリットがいるじゃないか」
一度性別を偽って公表してしまったが、それはまだ些細なことだ。
王子であるなら王位につくのは何もおかしくない。
「それがですね……」
セバスが曇った表情で何かを言い淀む。
……すごく嫌な予感がした。
「……伝言だけ預かっております『冒険者なので冒険してきます』だそうです」
「そっちもかよッ!」
あいつは王子である自覚が……いや、まぁ……王女扱いはしてたけど。
なぜこうも二人して国を継ぎたがらないのだ!
「はぁ……マリアーナ、俺はどうすればいい」
あの二人しか跡継ぎは……二人?
……そういうことかよ、変な気を使いやがって。
「そうなると、早くを目を覚ましてくれないとな、マリアーナ」
そっとマリアーナの髪に触れる。
たしかにこの空間は妙に落ち着くな。
「あぁそれと、執務室に書類が溜まっておりますので、あまりノンビリはしていられませんよ」
……俺も旅に出ようかな。
その日から、知らない技術と新しい書類の山に頭を悩ませる日々が始まった……。
◇ ◇ ◇ ◇
元は国境沿いに位置していたトランドムだが、今では門があるのは片方だけだった。
行き交う人の審査は今でも厳しく、元帝国領が完全に解放されるにはまだまだ時間がかかると思われる。
そんな街並みを、アンジェリカは上空から眺めていた。
「悪いけど、上から通らせてもらうわよ」
フードを被り、飛行魔法で難なく通過していく。
そして人目のない場所に着地した。
やはり旅は歩くものだろう。
「自分探しの旅とかバカにしてたタイプだったけど、自分が同じようなことをする日が来るとはね」
ある意味過去の自分はすでに見つけている。
この体に流れる膨大な魔力がその証拠だ。
「魔王の器とか言われてもね、規格外が多すぎて霞むのよ」
つい先日、アンジェリカはリズリースに再戦したが敗れていた。
だからというわけじゃないが、探すのだ。
過去の自分ではなく、これからの……未来の自分を――――
「なんて、ちょっと臭いかな」
はっきりとした目的地があるわけではないが、ゆっくりと足を進めて行く。
しかしその足は、徐々に南を目指し始めていた。
「海の幸とか久々にいいかも……」
アンジェリカが東へ旅立った頃、エルリットは西を目指して王都エルヴィンを発った。
ただその足取りは重かった……物理的に。
「そろそろ降りてくださいよメイさん」
「ええやん、減るもんやあるまいし」
出発してからメイさんをずっと肩車させられている。
これ減るよね、主に僕の体力が。
「はぁ……アゲハさんがいれば押し付けるのに」
肝心な時にいない忍者は、現在ツバキに捕まっている。
なくなった和国も関係してそうなので、そのまま置いて来ちゃった。
どうにも長くなりそうだし……。
僕に比べて、前を歩く二人の足取りは軽い。
「エルさん、まずはどこに向かうんですか? 私としては各地の教会を視察したいのですが……」
「エル、私は武神と手合せしてみたいのだがどうだろう」
シルフィとリズはこちらを振り返る。
「ウチは竜の素材とか興味あるで」
メイさんは屈んで僕の視界を遮った。
危ないからやめようね。
「そうだなぁ……」
僕としてはオルフェン王国の食文化をちゃんと楽しみたいところ。
以前は何かと中途半端になっちゃったからな……。
なんてこった、みんな目的がバラバラだ。
「……ま、全部行けばいいか」
だって――――自由な冒険者だもの。
もう少しだけ後日談が続きます。
最後までお付き合いいただけると嬉しいです。