210 閃光の魔女。
母はナーサティヤ教の敬虔な信徒だった。
毎日教会へと足を運び、礼拝堂で静かに祈りを捧げる。
父が滅多に帰って来ないので、クレストはそんな母の姿を見て育った。
「母上はいつも何を思いながら祈りを捧げているのですか?」
当時まだ5歳だったクレストに他意はなく、それは純粋な疑問だった。
「そうねぇ、普段は感謝の気持ちを伝えているだけよ」
「感謝……ですか」
てっきり何か願い事でもしているのかと思っていた。
「そう、今日も平穏な日常をありがとうございます、とかね」
とても公爵夫人とは思えない内容だったが、それが母らしくもある。
「もちろんお願い事をする時もあるのよ。あの人が帰ってくる報せがあった時は、何事もなく無事に帰れますようにってね」
「なるほど、それで父上が帰ってくる前はお祈りの時間が長いのですね」
クレストの言葉に母は自然と笑みが零れた。
「ふふっ、クレストが熱を出した時が一番長く祈っていたかもしれないわね」
「えっ、僕ですか……?」
それだけ自分の事を思ってくれているのだと思うと、クレストはただただ嬉しかった。
自分はそれだけ愛されているのだと……。
………………
…………
……
平穏な日常が過ぎていく中、ある日何の兆候もなく凶報が届く。
「父上が……!?」
王都からこの領地へ向かっていた馬車が崩落事故に巻き込まれたらしい。
言葉だけで伝えられても信じられなかった。
その後遺体が届き、葬儀の最中であってもどこか夢の中にいるような感覚が抜けない。
元々ほとんど家にいなかった父だ。
どこか他人の死を聞かされているのと同じようなものだった。
ただ……悲しむ母を見るのはとても辛い。
自分には泣き崩れる肩を抱くことしかできなかった。
葬儀が終わり、徐々に日常を取り戻していく。
また教会に通い始めた母を見て、クレストは少しホッとしていた。
本当はついて行きたかったが、跡取りである以上そうもいかない。
母との時間が、忙しい日々に変わっていった。
そんなある日、ふと気づく。
朝教会へ出向いた母は、毎日夕刻に帰ってきている。
あまりにも遅い帰りだ……。
今までも少し長いことはあったが、ここまで毎日帰りが遅いのは少し気になる。
侍女の話では、献金の額も以前より倍増しているらしい。
そこで、時間をズラして教会へ様子を見に行くことにした。
「母上……」
教会で目にしたのは、祈りを捧げる見慣れた母の姿だった。
なんだ、以前と変わりないではないか。
今はまだ父の死の影響で少し過剰になっているだけだろう。
その考えが間違いだと気づいたのは、それから数ヶ月後のことだ。
ここ最近母の顔色があきらかによくない。
少し瘦せてもきている。
その理由は明白だった。
「母上、少しは自分の身を労わってください」
そう声をかけたものの、母はこちらを見ようともしない。
だから少しだけ、強めにその肩を掴んだ。
「母上ッ!」
「まだ……まだ足りない気がするの。ちゃんとナーサティヤ様にお祈りしないと……」
母の焦点は、目の前にいるクレストには定まっていなかった。
(まさか……母上は父上の事故を自分のせいだと思っているのか)
祈る時間が足りなかった。
だから起きた不幸だと……。
(ナーサティヤ様……もし見ているのなら、どうか母をこの呪縛からお救いください)
それから半年後、母は病に倒れた。
クレストはできる限りのことをした。
だが最後に残ったのは……神頼みである。
たとえ僅かな時間であっても、毎日神に祈った。
「神よ……どうか母をお救いください」
――しかし、その祈りが届くことはなかった……。
母の死後、クレストは神の存在を否定するようになる。
世界に神などいない。
祈ることに何の意味もないと。
そう思うと、クレストの中に憎悪が生まれた。
ナーサティヤ教など潰してしまおうと考え始める。
だが調べれば調べるほど、不可解な点が浮上し始めた。
――――神であるナーサティヤは実在している。
はっきりと証明できるものはないが、その寵愛はたしかに存在していた。
おかしい……あれは偶像ではなかったのか。
実在するのなら、なぜ己を犠牲にした母の願いは叶わなかった。
……いや、それも珍しい事ではない。
救いなんて奇跡は起こることの方が稀なのだ。
あぁそうか……神は平等ではないということか。
だから私は――――
――――――
――――
――
「平等な……神に……」
クレストの声は弱々しく掠れていた。
視線を落とすと、光の剣が胸に突き刺さっている。
「ゴフッ……」
咳き込むと、詰まったものが溢れかえり生暖かいものが滴りだす。
それは目の前にいるエルリットも同様だった。
公爵の持つ光の剣は、腹部に突き刺さっている。
「僕が正しいとは言いません……でも、あなたは神じゃない」
エルリットの言葉を聞き、公爵は僅かに口角を上げた。
「そうか…………そうだろうな」
公爵の剣は消え、だらりと腕の力が抜ける。
僕が剣から手を離すと、その肉体はゆっくりと重力に引かれていった。
(叶わなかったが……望みは終わった)
意識が遠のいていく中、クレストは焦点の合わない瞳で見惚れていた。
「眩しいな……」
か細く紡がれた最後の言葉は、ただ虚空に消えていく。
それでも、終わりがやって来たことにクレストはどこか安堵していた……。
「終わった……」
公爵の最期を見届けたエルリットは、腹部を抑えながらその場に留まっていた。
「ホントによく刺されるな、僕のお腹は隙だらけなんだろうか」
正直死ぬほど痛い。
痛いけど……まだ倒れるわけにはいかなかった。
たしかに戦いは終わった……でも、まだ僕の役割は終わっていない。
彼の用意した舞台の幕を綺麗に下ろさなくてはならない。
たとえそれが望まれていない結末だとしても……。
(彼の世界を否定したんだ……これぐらいは背負わないとね)
こういう時――――師匠ならどうする?
「……全部使い果たす覚悟で派手にやるか」
とはいえ、師匠のような星空は作れない。
僕にできることといえば――――
「今ならアーちゃんの分体、いくらでも作れそうだな」
僕の代名詞でもある閃光か……認めてしまうと扱いやすいものだ。
そして狙いは人的被害がでない場所。
それでいて見た目でもわかりやすいのがいい。
(あそこなら……)
王都を囲う外壁に、アーちゃんの分体を散らした。
人がいないか隅々までチェックしていくと、不気味なぐらい人がいない。
そんな中、一人だけ外壁の上に立っている男がいた。
(こんなところにいたんだ)
特に心配はしてなかったが、それは創造神に飛ばされたロイドだった。
向こうもこちらを認識しているのか手を振っている。
「おーい俺だよ、派手に決めるんだろ? 人払いはしておいたぜ!」
そう言い残すと、ロイドは下町のほうに向かって跳んだ。
「何でちょっと楽しそうなんだろ……ッと、急がないとちょっとまずいかな」
一瞬、空中でガクリと体から力が抜ける。
傷は浅くないし、血も流しすぎたようだ。
(この後のことは他の人に任せるよ)
上空に向かって手をかざすと、外壁の下層から何本もの閃光が夜空を明るく照らす。
もっとだ……もっと眩しいくらいに――――
その光は王都中を白く染め上げる。
「うそだろ、教会が……神が敗れたのか」
「ははっ……この国は終わりだ」
「魔女の逸話は正しかったのか……」
「やっぱり魔女様の逆鱗に触れてはならんかったのじゃ……」
「閃光を支配する魔女……」
もはや逃げ出す者はいない。
ただ、眩い光の中にその姿を見た者がいた。
その光景は、後に詩として語られる。
あれこそが、閃光の魔女だと――……