209 新世界。
聖騎士と神官が攻め込んだフォン家の屋敷は、すでに静まり返っていた。
そんな屋根の上で、ルーンは気怠そうに新しいワインを飲み始める。
「悪くない景色だね」
夜だというのに王都の空は明るい。
その原因の一端が弟子の放った光だと思うと酒も進むというもの。
「ありゃすごいね、私の目でもよくわかんないよ」
ヴィクトリアはルーンの持つ瓶を取ると、グッと飲み始めた。
「さすがにあの戦いに混ざる気にはならんな。世界が違いすぎる」
最後にセリスの手に渡ると、中身は空になった。
それを見たルーンは渋々大量のワインを取り出した。
そんな中、半壊した屋敷の中でヤマトはうつ伏せに倒れている。
「おいヴィー、湿布を貼ってくれ。腰が…腰がやべぇ……」
しかしその声に応える者はいなかった。
皆、閃光の中で空を舞うエルリットから、目を離したくなかったのだ。
この光景が、戦いの終わりになるだろうと……
………………
…………
……
クロードは避難先だった建物から外に出る。
その隣にはカトレアの姿もあった。
それに気づいたウィリアムは慌てて声をかける。
「ちょ、ちょっと何をしてるんです殿下! 危険ですよ!」
しかし二人は手を繋いだまま、眩い光が飛び交う空から目を離すことはなかった。
「おそらくだが、我々はこの戦いから目を背けていけない……そんな気がするのだ」
「えぇ、この国の未来を担う者として……」
そんな二人を見守るローズマリアも、今は空の光景から目が離せなかった。
「綺麗……」
まるで避難する気がない三人に、ウィリアムはため息をつく。
そのまま仕方なく、自身もその場に留まることを選んだ。
「これはたしかに目を奪われる光景だな」
エルラド王もまた、マリアーナを抱き抱えたまま空を見上げていた。
眩い閃光に照らされると、心なしかマリアーナの血色がよくなったように見える。
しかしメイヴィルは、この光景に見惚れるのではなくじっくりと観察していた。
(あかん……もっと鮮やかなもん創れそうや)
脳裏に、色とりどりな火花が夜空に飛び散る光景が生まれる。
すると、自然としっくりくる名前まで思いついてしまった。
「花火なんてええんとちゃうか」
その瞳は空を見上げているものの、脳内ではひたすらに設計図が組まれ始めていた。
空の光景を別の視点で観察している者が街中にももう一人いる。
「やはり創造神と魔神の伝承は……いやしかしこれは本来二つで一つの神だとすると――――」
ロイドはひたすら空から目を離さず筆を走らせている。
メモ帳らしきものには、とても読めたものではない字が書き殴られていた。
「いや、ちょっと待て……」
急にピタリと手が止まる。
「精霊は創造神が世界を管理するために創った存在だと何かの伝承で見た気がするな」
口元が自然と緩みだす。
もうこうなったらメモなんて取ってる場合じゃない。
「もっとだ……もっと俺に世界の真理を見せてくれよ!」
いてもたってもいられずにロイドは走り始めた……。
◇ ◇ ◇ ◇
王都の空の光景に、最初は人々も目を奪われていた。
しかし、それが公爵とエルリット王女だと気づくと見る目も変わり始める。
「なんて戦いだ……」
「もう戦争が始まったわけじゃないよな」
「教会と大聖堂が……エルラド王国は何を考えているんだ」
「ひどい、私たちが何をしたっていうの」
「公爵様! 邪教の遣いに神罰を!」
少し低めを飛ぶと野次がよく聞こえる。
(あまりいい気分じゃないな……)
何か考えがあったわけではないが、低空飛行でも公爵の攻撃の手は緩まない。
相変らずアーちゃんの分体を真似して、光の球体から神力の槍を放ってきている。
それに引き換えこちらは、魔力と精霊の力両方とも飛行に回してるので分体を出す余力はなかった。
代わりに、身に纏った聖剣は全力で攻撃に回す。
剣としての形はなくなったが、これといって鎧らしきものはない。
ただ神力に包まれている感覚だけがある。
つい神剣だなんて口走った気がするが、その正体も自分ではよくわかっていなかった。
「それでも――ッ!」
神力の槍を掻い潜りながら、指先を向け閃光を放つ。
感覚としてはレイバレットに近かったが、そこには創造神と同等の神力を感じた。
「チッ、面倒な」
公爵は受けるでもなく、大きく閃光を躱す。
お互いに気づいていた。
どちらの攻撃も、たった一撃が致命傷になりえると……。
「本当に厄介な存在だなキミは」
公爵は自由自在に球体を操っている。
決して牽制で槍を放っているわけではない……どれも確実にこちらを狙ってきていた。
「許されていいものではないッ!」
徐々に公爵の感情が剥き出しになっていくのを感じる。
「何を――」
そう聞き返しながらも、絶えず放たれる神力の槍を躱す。
そして隙間を縫うように、こちらも閃光を一撃放つ――――が、連続で狙いを定める隙がないので余裕をもって回避される。
「その力の源――――神とは所詮偶像なのだよ!」
「そんなこと……」
ない――――その言葉を遮るように、光の球体が周囲を取り囲んだ。
「そう……たしかに神は存在する」
一斉に放たれた神力の槍が、僕の視界一杯に広がる。
全てを躱せる気がしない。
今必要なのは盾……いや――――剣だ!
手の延長線上に、閃光の剣を形成する。
握るのではなくあくまでも伸びた腕にように、迫りくる槍を薙ぎ払った。
それを見た公爵は笑みを浮かべている。
「誰もがそれを望み、欲する。だが寵愛を受けられる者は極一部……偶像と何が違うというのかね!」
違う……とは言い切れなかった。
日々祈りを捧げる信徒がいる中、僕が神の恩恵を受けているのは単なる偶然だ。
これはどれだけ祈りを捧げたところでどうにかなるものでもないのだろう。
「もしかしてあなたは……」
「そう……だから私がなるのだよ。誰の目にもわかる、実在する神に――――」
光の球体がさらにその数を増していく。
その光景は、正に神の後光という言葉が似合いそうだった。
「人が神になろうだなんて傲慢なのでは……」
「それを決めるのは私ではない。もちろんキミでもないがな」
公爵の視線が地上へと移る。
あぁ……そのための演出か。
わかりやすい悪役が必要だったんだ。
「でも……どう言い繕ったところで偽物じゃないですか」
「それのどこが問題だというのだ。人は所詮、己の信じたいものしか信じぬ」
公爵は創造神よりも、自身を神として信じさせるつもりらしい。
本物と違い実在し、その力を見せることで……。
「その先に一体何を望むんです」
「新世界――――神が管理し、律する世界だ」
その神が自分であると、公爵は自分の胸に手をあてる。
この人は本当に自分が神になるつもりなのか……。
だから僕は、指先を公爵に向けた――――
「そのために人を利用し、犠牲にしてきたと……?」
「これは運命だよ。いつかは誰かが成さねばならぬことだ」
神力の槍が王都の空を縦横無尽に飛び交い始めた。
その間を縫うように飛行し、閃光を放ちつつ公爵との距離を縮めていく。
「あなたが望んでいるだけでしょう!」
「そうとも、だからこそ私は知っている……この世界の愚かさをな!」
雨のように降り注ぐ槍を躱すと、神力とは違う気配を地上から感じとった――――
「ぐッ――!」
背中が焼けるように熱い。
それが魔法によるものだと気づくと、怒気を含んだ声が届いた。
「魔女に神罰を!」
魔法だけではない。
矢に石など、人々は敵意を行動に移し始める。
その状況に、公爵は満足そうだった。
「どれだけ否定したところで手遅れだよ、すでに正義はこちらにある!」
「たとえそうだったとしても――ッ!」
僕は彼の世界を肯定できない。
その結果、悪の汚名を被ることになったとしても……。
神力の槍に意識を集中し、目だけではなく肌で感じて回避する。
その代わり地上からの攻撃は無視した。
気づけば片腕が上がらない。
足に異物感もある。
だが痛いというよりも――熱かった。
もう閃光は放てない。
ただ一本の光の剣を手に距離を詰めていく。
あともう少し……そう思った矢先、公爵も同じように神力の剣を形成した。
「ならば魔女として――――散れ」
二つの剣は交わうことなくすれ違い、互いの肉体を貫いた――――