207 立っていたのは一人。
「はーおっかねぇ……ったく、やっぱり今日は厄日だ」
崩壊した大聖堂の中で、クリフォードは瓦礫に隠れたまま小さな灯りを灯す。
幸い窓のない地下室だったため、崩壊の中でもある程度動けそうな空間が残されていた。
「追って来ないってことは……まだあいつら戦ってんだな」
もしあいつらがやられていたら、間違いなく自分は今頃公爵に処分されているはずだ。
ただ一つ、失敗した……なんでこの女の手を引いて逃げてしまったのだろうか。
「ねぇ、なんで逃げなきゃいけないの? 今こそ救世主が活躍する時でしょ」
こうして本人はやる気になっていたのだから放っておけば良かった。
実際この女の力は一応公爵に効果はあったようだし……。
「……それもそうか、たしかにそうだな」
この女が役に立つのなら引き留めても仕方がない。
そう、仕方がないんだ。
「じゃあここでお守りも終わり――
「あっ、でもさっき全力で神力放ったのにあまり効いてなかったのよね」
さっきの全力だったんか……。
それじゃあ正面から参戦したところで結果はわかりきってるじゃないか。
「ねぇ、ここに来た時みたいに転移魔法使えないの? こう……後ろからこっそり近づいて不意打ちとかできたらさすがに効果的なんじゃない?」
とても救世主とは思えない案だった。
「説明は……まぁ聞いてなかったよな。俺のは転移というより帰還魔法なんだよ。予め帰還先に術式を設置してないと使えない」
もちろん都合良く公爵の背後に術式なんて設置されてはいない。
そもそもあの威力じゃ背後を取っても意味ないだろう。
「えー……あっ、そうだ!」
キララは一旦ガッカリしたかと思えば、何かを閃いたようだった。
「あんまりでかい声出すなよ……」
「そんなことより、転移魔法っぽいのならあるじゃない。ほら、私がこの世界に召喚されたやつ」
「……え、あれ使う気なの?」
「異世界人ならではの発想力っていうの? なかなか思いつかないでしょ」
胸を張るキララに対し、クリフォードは呆れるしかなかった。
まさか「っぽいもの」で一括りにするとは思わなんだ。
(この女は学園で何を学んでたんだ……)
転移と帰還はまったくの別物だし、異世界からの召喚なんてもはや神の遺物の一種だと考えていい。
「……ま、さすがに無事じゃないだろうし別にいいか」
あの魔法陣はあまりにも大きい。
この崩壊で無事なわけがないだろう。
無残な姿を見れば諦める……そう思い、クリフォードは崩壊した地下をキララと共に進んでいった……。
………………
…………
……
「うそだろ……」
結論からいうと、地下の大広間にある救世主召喚の魔法陣は無事だった。
多少瓦礫で埋もれてはいるものの、床に描かれた部分に欠損は見られない。
(普通こんな広い空間が無事で済むもんかね……)
偶然にしては出来過ぎだが、それ以外にありえないだろう。
「んー……? 私が召喚されたときは光ってたけど、これって起動方法みたいなのがあるの?」
「いや、俺もそこまでは知らないんだよ」
術式を見てもいまいち理解できない。
そもそも魔法なのかどうかも怪しいところだ。
「見覚えのない文字も刻まれてるしな……古代文字か?」
これの使い方を知っているのは教皇ただ一人。
あの爺さんが起動できるなら俺たちにも不可能ではないと思うが、この大きさの術式だと魔力で起動は難しい。
(……そういえば、この女が召喚された日を境に神官が一人行方不明になったんだったか)
ただでさえ人手不足だったはずなのに、それほど大きな問題にはなっていなかった。
……で、そこから何がわかるかと言うと……まぁ何もわかんないわけだが。
お手上げだ、とクリフォードがそのまま諦めようとした時のことだった。
「ふーん…………古代文字ってアルファベットなの?」
キララは、魔法陣にある文字を見てそう尋ねた。
「アルファ……なんだって?」
「アルファベット! 私の世界の文字だよ」
どうやら異世界の文字が刻まれているようだ。
なぜ……という疑問はこの際気にしても仕方がない。
読めるのならその意味がわかれば解析できる可能性がある。
「マジか……じゃあ何て書いてあるんだ?」
「それは…………」
キララはジッと文字を見つめる。
その真剣な眼差しに、クリフォードはゴクリと生唾を飲んだ。
「うん、読めないや。私英語苦手だし」
「……は?」
その泳いだ視線に、クリフォードはガクッと膝の力が抜けた。
「文字はわかるのに読めないってどういうことだよ……」
「うるさいなぁ、そういうもんなの!」
術式も理解できないが、この女の言っていることはさらに理解できなかった。
「ま、そういうことなら諦めるしかないな」
「えー……」
キララは不服そうだった。
(ここまで付き合ったんだからもういいだろ)
使い方もわからない。
使えたところで上手く利用できるとも思えない。
初めから考慮するだけ無駄だったのだ。
(さて、戦況はどんなもんかな……)
クリフォードは瓦礫を登り、こっそりと顔を出して地上の状況を確認する。
そもそもあの状況から公爵がこちらを追って来ないのはおかしい。
つまり未だ戦いは続いているか、或いは……と少しだけ期待してしまう。
「……静かだな」
随分と地上は見通しが良くなってしまっていた。
もはやここに教会と大聖堂があったのだと言われてもわからないだろう。
そんな静まり返った地上に、一つの人影が見えた。
「ねぇ、そっちはどんな状況なの?」
こちらを見上げるキララに、クリフォードは正直に答える。
「……終わったみたいだ」
◇ ◇ ◇ ◇
それはクリフォードが戦況を確認するより少し前に遡る――――
リズは連撃で公爵の動きを封じ、僕が閃光で狙撃する。
大きく隙が生まれたところで、シルフィが大きな一撃を放つ。
上手く連携できていたと思う。
支援役のアンジェリカさんのおかげで僕らは疲れ知らずだった。
さらにアゲハさんの瞳術は公爵の動きを繊細に見せてくれた。
僕らの攻撃は公爵に対して決定力には欠けていたものの、少しずつ追い込んでいけると思っていた……。
「どうした、状況はそちらに有利なはずだぞ?」
公爵の表情にはまだまだ余裕がある。
とても追い込まれているようには見えない。
それもそのはずだ……。
公爵は徐々にリズの連撃への対応を変え、受けずに紙一重で躱し始める。
僕の狙撃は捉えられる頻度が減っていき、距離を詰めていってもそれは変わらなかった。
そうなると当然シルフィの一撃を狙うチャンスもなく、リズと共に連撃に切り替えていく。
結果――――連携が崩れ、追い込まれていったのは僕らのほうだった。
もはや公爵に傷をつけることも叶わない。
考えるしかなかった……この状況を好転させる術を。
そのためのアゲハさんの瞳術でもあったのだが……。
(……おかしい、クレスト公爵の神力が増している気が……)
彼が使っている神力は、僕から奪った創造神のものと、教皇から奪った魔神の力だ。
公爵と創造神に繋がりはないので、これ以上供給されるはずはない。
民衆の祈りを使っていた邪神像もなくなった。
ではその力が増す理由は一体……
その時、公爵がこちらを見て笑った気がした。
「観察する癖があるようだな、まずはキミからだ」
瞬時に間合いを詰められ、そう告げられる。
そこからはまるでスローモーションのように感じた。
わかる……視界の外から公爵の回し蹴りが迫っている。
考えるよりも早く僕は飛翔し躱す……いや、完全に躱したはずだった。
視界が――――グニャリと揺れる。
意識が朦朧として痛みはよくわからない。
ただ壁に叩きつけられた感覚だけはわかった。
(一体何が……)
公爵は起こった事実を捻じ曲げ――書き換えていた。
それはほんの些細な書き換えにすぎない。
躱した事実を躱せないように僅かにズラすだけ……。
でもそれだけで十分なのだ。
グラグラと微睡む視界が定まってくると、ステンドグラスの破片が見える。
どうやら壁ではなく、大聖堂か教会に叩きつけられたようだ。
起き上がろうとしたが膝に力が入らない。
そんな僕の前に、赤い何かが落下する。
「リズ……?」
リズだけじゃない……シルフィに、アンジェリカさんやアゲハさんの姿もある。
ただ、立っている者は一人もいない。
……いや、一人だけいる。
アゲハさんの瞳術で見ているわけではないが、彼の身に纏う神力がさらに力強くなっているのがわかった。
「創造神の力は加減が難しい……ここまで解放すると一方的になってしまうな」
公爵は力が増しているのではなく――ただ手加減していただけだった……。