196 奪われた力。
ジワリと痛み始める腹部に恐怖心を覚えつつも、公爵を引き剥がすために神力を体全体に巡らせる。
「……!?」
しかし上手く神力が流れて行かない。
むしろ繋がったパスから、どこか別の場所へと流れていくような感覚があった。
「な、なんで……」
手元にあった神力の球体すら掻き消える。
「おぉ……これが創造神の力か」
背後の公爵は歓喜に震えていた。
それに引き換え、浮遊する神力すら失った僕には、重く重力が圧し掛かる。
同時に、ひどい脱力感が体を襲った。
「ゴフッ……」
血液は逆流し、咳き込むように吐血した。
あぁ……これはまずいな。
視界から色が消えていく――
すると、糸が切れたように神力の気配が僕の中から完全に消える。
『すまんがこれ以上は看過できん。こちらから強制的に繋がりを切らせてもらうぞ』
懐かしい声が直接脳内に響く。
それはどこか申し訳なさそうにも聞こえた……。
「ふむ、無限とも思えたが繋がりが途絶えたか」
用済みだと言わんばかりに、公爵は僕から剣を引き抜いた。
そのまま落下しそうだったところを、首を掴んで引き留める。
それでも、もはや苦しいという感覚すらよくわからなかった。
「すでに虫の息か……さすがに邪法の中では神降ろしもできんかったようだな」
意識が朦朧とし、公爵の言葉は単語しか聞き取れなかった。
(邪法……神降ろし……)
前者は聞き覚えのない単語だ。
それよりも……ひどく眠い。
「であれば用済みだ。祈りの時間ぐらいはくれてやろう……神の使徒よ」
このままトドメを刺されると思いきや、視界がグラリと揺れる。
そして、体に浮遊感を感じた。
瞳に映る公爵の姿は段々と小さくなっていく。
(あ……これ落ちてるのか)
神力は……やっぱり使えないようだ。
なら飛行魔法で――
(アーちゃんの反応が……ない)
僕の飛行魔法は人工精霊ありきのものだ。
自分の力だけじゃ……飛べないんだよね。
(どうしたものかな……)
思いのほか落ち着いているのは眠気のせいかもしれない。
でもここでその欲求に素直に従うのは絶対にダメだ。
「ぐッ――!」
歯を食いしばり、意識を繋ぎとめる。
何か……まだ何かできることがあるはずだ。
神力は……使えない。
飛行魔法も使えない。
(選択肢少ないなぁ……)
流れるような景色の中で、途切れ途切れで懐かしい光景が脳裏を過る。
これは走馬灯か……せっかくだ、何かこの状況で使えるものを見せてくれ――――
「――ッ!」
震える手が、腰に装着していたポーチに触れる。
目視が難しい状況なので、手探りで魔石の位置を探った。
一か八か……これはタイミングが大事だ――――
もはや地面しか見えなかった視界が、一瞬で乱雑に染まる。
ポーチの中に詰まっていたのは衣類や食料品がメインだ。
けっこう溜め込んでたなと自分でも恥ずかしくなるが、おかげで僕の体が重力に殺されることはなかった。
「あー……食べ物を粗末にしてごめんなさい」
僕が落ちた衝撃で揉みくちゃだ。
衣類はまだしも、焼きたてパンやスイーツたちは尊い犠牲になってしまった。
そんな中から、今すぐ使えそうで無事だったものが視界に入る。
「回復薬か……」
初めて遺跡でボロボロになった時、下級しか買ってなかったのを反省して用意したものだ。
結局その後使うこともなくてポーチの底に眠ってたんだな……。
たしか中級か高級のどちらかだったと思うが、飲まないよりは絶対にマシだろう。
そう思い、少しずつ口に含んだ。
「あっつ……」
喉の奥が焼けるように熱い……。
少量ずつだったにも関わらずむせてしまう。
――が、腹部の痛みは少しマシになった。
「ふぅ……」
助かったんだ……と気が緩むと、一気に瞼が重くなる。
(リズのほうはどうなったのかな……)
そこで、僕の意識はフェードアウトしていった……。
………………
…………
……
「――エルッ!」
リズは空から降って来たエルに駆け寄った。
間に合わなかった……聖剣の武装を解除した反動から、思うように体が動かなかったのだ。
傍に駆け寄るだけでも、全身が悲鳴を上げていた。
だが落ちた場所に辿り着くと、異様な光景を目の当たりにする。
「これは……」
物が散乱している……。
そんな中から、まるで掘り起こすようにエルの姿を探した。
(これが衝撃を和らげたのか……?)
妙に食べ物が多い……それもエルが好きそうなものばかりだ。
「……! エル、無事か!」
底の方でエルを見つけるが返事はない。
しかしその胸に耳を当てると、リズは少しホッとする。
「良かった、眠っているだけか……」
エルの手元に回復薬の瓶が転がっていた。
出血に対して傷口が小さいのはそういうことかと納得する。
代わりにポーチがなくなっていた。
……なるほど、この散乱した物はそういうことらしい。
「不本意だが……一時撤退だ」
エルの体を、気遣いながら背負う。
上空に目をやるとクレスト公爵と教皇の姿があったが、まるでこちらは気にしていない様子だった。
それどころか、何か揉めているようにも見える。
この場を離れるなら今の内なのだが……
「さすがに4人を抱えるのは無理だな」
ヤマト、ヴィクトリア、ルーンの3人も動ける状態ではない。
それでいて今の自分も歩くだけで精一杯の状態だ。
「何か手はないものか……」
そんな都合良く打つ手があるわけもなく、リズは判断を迫られる。
誰かを見捨てるしかないと――――
「――そこで、この冒険王の出番というわけだ」
「いやいや、やるのは俺なんだろおっさん」
瓦礫の中から、ロイドとクリフォードが姿を現した。
リズは面を食らう。
まるで気配を感じなかったのだ。
「バレずにここまで近づけたのは俺のおかげだろ」
そう言ってロイドは大き目のマントのようなものを仕舞った。
おそらく何かの魔道具なのだろう。
「はいはい、いいからおっさんは全員集めろよ。使えるのは1回だけなんだぞ」
クリフォードに急かされ、ロイドはぶつぶつと文句を垂れながら未だ倒れたままの三人を一か所に集める。
そこでリズは、二人が何をしようとしているのか察することができた。
「お前が逃げた時のアレか」
「嫌な覚え方してるな……そうだよ。でもこんな大人数で使ったことないから精度には期待しないでくれよ」
それを聞いて、リズとロイドに少しだけ緊張が走る。
クリフォードが転移魔法を起動すると、7人分の気配がその場から消え去っていった……。
その光景を眺めていたジェイクは、その場にゆっくりと立ち上がる。
「そう……あなたも負けちゃったのね」
手には砕けたグランテピエが握られている。
そのままふらつきながらも、ジェイクは歩き始めた。
「また足りなくなっちゃったわ……」
その日を境に、蒼天のジェイクは王都から姿を消した。
◇ ◇ ◇ ◇
教皇は目の前で起こった出来事についていけなかった。
自身が手も足も出なかった相手を、目の前の男はあっさりと屠って見せたのだ。
(どうなっておる……神力より上の存在などワシは知らんぞ)
それは呪術も例外ではないはず。
クレストが何かを企んでいたのはわかっていたのだが……
「よ、よくやったぞクレスト。あの小娘、妙な神力を使いおってのぉ」
とはいえ、力を奪われかけていた教皇はホッと胸をなでおろす。
神降ろしの生命力をまた確保せねばならないが、それはまだ些細なことだ。
「……」
クレストは一瞥だけすると、ボソッと何かを呟いた。
「まぁ……こんな紛い物でも補填にはなるか」
「は……?」
手を向けると、教皇の体から黒い神力が抜け出ていく。
それは吸い込まれるようにクレストの手元に集まっていった。
「ち、力が……クレスト、貴様何をしたッ!」
「見て分からんか? 長生きしても救いようのない愚鈍だな」
クレストが向けていた手をグッと握ると、教皇の体に光の球体が集まり始める。
「な、なんじゃこれは――」
クレストがパチンッと指を弾くと、球体は風船のように弾けた。
その部分には何も残っていない……教皇の肉体さえも。
「馬鹿な……」
神力による浮力さえ失い、教皇は力なく落下していく。
いくつも風穴の開いた彼の体は、王都の中心に落下した――
「やっと…手に入れたのに……」
朧気に眺めたまま、空に向かって腕を伸ばす。
だが掴むための手はすでに失われていた。
その瞳が涙に滲む。
彼の長い生涯は、そこで幕を閉じたのだった……。
………………
…………
……
「これが神の力か……」
予想通り、やはりあの者は神の使徒で間違いなかった。
途中で途切れたとはいえ、流れ込んだこの力は世界の理を無視できるほどに絶大だ。
「だがまだ足りぬ……これでは神には届かない」
元々は、神の使徒が持つ神力を全て奪うつもりだった。
しかし予想が少し外れたのだ。
まさか創造神の力と直接繋がっているとは思わなかった。
あれでは全てを奪うのは不可能だろう。
圧倒的な力を得たとはいえ、有限では意味がない。
クレストは暫し考え込んだ。
神の力……その在り方の認識を改めなければならない。
内包しているわけではなく、無限に続く大海原と考えた方が近いのかもしれない。
「……ふむ、やりようはあるか」
クレストは空を眺め、不敵な笑みを浮かべていた。