193 恋焦がれた果てに。
貴族ではないものの、割と裕福な家庭に生を受けたジェイクは、親の言いつけを守るとても良い子であった。
幼少期から勉学に励み、何事もそつなくこなす。
友人といえる者はいなかったが、特に困ることもない。
わがままを言うこともなく、何かを欲しがることもなかった。
厳密には、欲しいものが何もなかったのだ。
思えば少し不気味な子供だったのかもしれない。
優秀だが、まるで自我などないような幼少期だった。
あの冒険者と出会うまでは……。
ある日の夜、ジェイクは両親の会話を耳にした。
「この家を手放すのも少し寂しいわね」
「仕方あるまい、戦争が始まってからでは遅いからな」
ジェイクはまだ直接聞かされていないが、どうやら引っ越すことになるらしい。
実際、東の帝国とはいつ戦争になってもおかしくない。
そしてここは帝国寄りに位置している。
それなら今のうちにもっと安全な場所へ……ということだろう。
(たしかに巻き込まれるのはごめんだな)
ジェイクも、両親の考えに異論はなかった。
世界の出来事なんて自分に関係ない。
あったとしても興味がないので関わりたくない。
だから――ただ与えられ、求められる役割を消化するだけの日常が、これからも続いていくのだと思っていた……。
………………
…………
……
少し時期を急いだこともあって、一家の乗る馬車には護衛がいなかった。
それが災いしたのか、運悪く山賊に目を付けられることになる。
(運がなかったんだな)
怯える両親に対して、ジェイクはどこか冷めた目をしていた。
そういう運命だったのならば仕方のないことだと……。
(退屈だったから丁度良かったとも言えるか……)
そう受け入れた時――――運命のいたずらがジェイクの前に現れる。
「すまないが同乗させてもらえないかな? どうにも雲行きが怪しくなってきたのでね」
プラチナブロンドの長い髪が特徴的な一人の女性が、山賊の存在を無視しジェイクたち一家に声を掛けた。
どうにも緊張感を感じないが、帯剣しており、整った身なりは貴族を彷彿とさせる。
しかしいつの間に現れたのか理解できず、皆固まっていた。
「……いや、もちろん無賃乗車するつもりはないぞ?」
そう言って彼女は金貨を1枚取り出した。
本人だけは至って真面目らしい。
だがさすがに山賊も我に返り、彼女の肩に手を掛ける。
「おいおい、俺達を無視して何を――――」
正確には、掛けようとした手がボトリと地面に落ちた。
「は……?」
誰一人として悲鳴は上げない。
なぜなら――すでに彼らは手遅れだったからだ。
一呼吸置いて、山賊たちの首から上がヌルリと滑り落ちる。
「悪いが定員オーバーだ。そうだろ? 少年」
そう言って笑みを浮かべる彼女が――――ただただ美しかった。
「……はい、そうですね」
両親は未だ怯えているが、ジェイクは生まれて初めて気持ちが昂るのを感じた。
女神のような美しさに、圧倒的で理不尽な強さ……。
思えばこれが初恋だったのかもしれない。
道中一緒だった期間は短かったが、彼女の話はどんな物語よりも魅力的だった。
自分もそうでありたいと願うほどに……。
「もう少しお話を聞きたかったんですが……」
「悪いが知り合いを待たせてるんでね」
別れ際に、ジェイクは彼女の名を聞いた。
繋がりを絶ってしまうのが怖かったのだ……。
それもまた、ジェイクにとって初めての感情だった。
「ん? そういえば名乗っていなかったな。貴族じゃないから姓はない、ただのユーリだ」
じゃあな少年、と言って彼女は去って行った。
後に、ジェイクは別の場所でその名を聞くことになる。
「神殺しのユーリ……」
まさかSランク冒険者だとは思っていなかった。
星天の魔女と同じく年齢不詳で、主な活動拠点も不明。
知れば知るほどわからないことが増えていく。
神官だった父はあまり良い顔をしなかったが、当時少年だったジェイクが純粋にその存在に憧れるのに、さほど時間はかからなかった。
それまで冒険者というものに興味のなかったジェイクが、新たな道を歩み始めることになる。
――――時は流れ、ジェイクもSランク冒険者という高みに到達していた。
父を通じて、神具と関われたことも大きかっただろう。
(せっかくあなたと同じ高みに登り詰めたのに……)
今の自分を見てもらいたかったが、あれ以降彼女には会えていない。
しかし……それはもう些細な問題だった。
私は――――彼女と同じ強さ、そして美しさを手に入れたのだ。
神殺しの話題を聞くことはまったくない。
もはや彼女が生きている可能性は低いだろう。
いつしか、ジェイクの中で彼女は風化していった。
彼女に今の自分を見てもらいたいと思いつつも、すでに満足している自分がいた。
満ち足りていたのだ――――少し前までは……。
あぁそうだ……あの赤髪の剣士が、全てを狂わせた――――
◇ ◇ ◇ ◇
戻った僕らが目にしたのは信じられない光景だった。
立っていたのは二人ではなく、ジェイクただ一人……。
その傍らに、ヤマトさんとヴィクトリアさんが倒れている。
「――父上! 母上!」
リズが駆け寄ると、二人は掠れた声を上げた。
「娘に恥ずかしいとこ見せちまったな……」
「リズ……ダメだ、こいつはもう人じゃない……」
まだ息はある……が、もはや立つことすらままならないような状態だった。
それに引き換え、ジェイクの様子はどこかおかしい。
こちらを見ているようで見ていない。
生きているようで、どこか生気を感じられない。
「一体何が――」
視界の端で、ドサッと黒い影が落ちるのが見えた。
ありえない……それが落ちるのはありえないんだ。
その人は落とす側であるべきなんだ。
「師匠……?」
駆け寄り、ローブにそっと触れるとそれは湿り気を帯びていた。
自分の手が赤く染まり、それが血であると認識する。
でも……理解できなかった。
「師匠……師匠ってば……どうせまだまだ余裕なんでしょ」
「揺らすな馬鹿弟子……」
良かった、まだ息はある。
しかしその体は、ひどく冷たかった。
顔も青白く、明らかに血を流しすぎているのがわかる。
「一体何があったんですか……」
良く見ると、出血量は多いものの外傷は見当たらなかった。
「ちょっと無茶しただけよ。おかげでもう魔力すっからかんだわ」
どうやらこれは自分の魔法による出血らしい。
一体どんな魔法を使ったんだか……。
「それよりほら、時間は稼いであげたんだからさっさと行きなさい」
「いや、でも……」
このまま放っておくのも心配である。
「このぐらいじゃ死にゃしないわよ」
段々と不機嫌そうな顔になっていく。
純粋に心配してるのに、ちょっと寂しい……。
「はぁ……わかりました。でも絶対安静にしててくださいよ」
それだけ言い残し、僕は上空を確認した。
そこには、人一人覆えそうなほどの真っ黒な球体が佇んでいる。
おそらくあれは師匠の魔法だろう。
何となくだが、教皇はあの中にいる気がする。
(ジェイクのほうも気になるけど、あちらはリズに任せよう)
リズに目線を送ると、考えることは同じだったのか無言で頷いていた。
相変らず頼もしい相方だ。
そして僕は今度こそ決着をつけるべく、神力を解放し王都の空へと浮遊した……。
………………
…………
……
神力を解放するエルリットの姿を見て、リズは刀ではなく聖剣を取り出した。
「私もなりふり構わず全力で行くとしよう」
相手はあの父と母が二人掛かりで敵わなかった相手だ。
出し惜しみは――――しない!
「――――聖装武展デュランダーナ!」
今度は、正規の手順で武装として展開する。
特に違いはないはずだが、気持ち以前より負担が少ない気がした。
「蒼天のジェイク……今度こそ決着をつけるとしよう」
リズは剣を向け、そして砕いた。
こうしてリズの武装は完全体に至る。
すると、それまで無反応だったジェイクは雄叫びを上げた――――
「ウオォォォォォ――――ッ!」
それはどこか怒気を含んでいて、どこか悲鳴のようにも聞こえた……。