185 寝起きはドキドキ。
キララが眠る部屋に監視はついているものの、当然フォン家の人間である。
であれば、それは何の障害にもなりえない。
ローズマリアが一声かけるだけで監視の目はなくなっていた。
「…………」
ジッと、冷たい眼差しで今なお目を覚まさないキララを眺めていた。
特別彼女が憎いわけではない。
邪魔な存在……ちょっと大きめの石ころのようなものだ。
ただ、どう転がってくれるのかそれはそれで興味もあった。
そうがどうだろう……勝手に虫の息になってしまっている。
手折るのはひどく簡単だ。
でも――――その結末は面白くない。
どんな展開を用意すれば彼女は楽しく転がってくれるだろうか。
目覚めたら四肢を失っている?
あるいは愛する者がそうなっていたほうが衝撃的か……。
「悪い顔をしているわよローズ」
物音はしなかったはずだが、背後にはカトレアが立っていた。
「ノックすらしないなんて、カトレアは随分と無作法になってしまったのね」
「ごめんなさい、今の私は貴族じゃなくて犯罪奴隷だから」
皮肉にも聞こえるが、おそらく本人は真面目にそう答えている。
「犯罪奴隷……か。カトレアは自分がそうなった原因、気づいているんでしょ?」
ローズマリアは意地悪く笑みを浮かべた。
「あなたが彼女に毒を盛ったから……で合ってるかしら」
カトレアがそう答えると、時計の秒針の進む音がわかるほどに、暫しの静寂が訪れる。
その間、二人はお互いから視線を逸らすことはなかった。
そして、ローズマリアは観念したようにため息を漏らす……。
「はぁ……やっぱり気づいてたんだ」
「半信半疑よ。ローズならやりかねないと思っただけ」
そう答えたカトレアにローズマリアは少しだけ苛立ちを覚える。
「じゃあどうして私を責めないの!」
言葉に力が入り始める。
しかしローズマリアは、カトレアの答えが何となく予想できていた。
「意味がないから……」
カトレアは昔からそうだった。
不要だと思ったことは徹底して排除する。
生きてる中で自然と誰もが身につける愛想笑いや、感情を表に出すことを彼女は不要なものと判断しているのだ。
ローズマリアはそれが少し寂しく思っていた。
「……カトレアはそう答えるよね」
やっぱり、彼女の心を動かせるのはクロード殿下だけなのだと思い知らされた。
「それに、あの一件で問題だったのは毒じゃないわ」
そう……カトレアはいつも大局を見ている。
あの時、問題だったのは私が盛った毒ではなく、公爵の対応と用意されていたかのような裁判のほうだ。
「ひょっとして私がしたことって……」
「えぇ、丁度良かったんでしょうね」
カトレアは父である公爵の対応を予想できていたようだ。
いつか自分が父親に見捨てられると知って……
「利用できるものは何でも利用する。それでいて慎重かつ臆病……そんな人なのよ」
その真意はローズマリアにはわからなかった。
だから――――
「カトレア……私喉乾いちゃった。お茶にしましょう」
私は、このまま彼女にとって一番の友人で居続けようと区切りを付けた……。
………………
…………
……
(行ったかな……?)
キララは瞼を薄く開いた。
誰も室内にいないことがわかるとホッとする。
(やばぁ……なにあれ、絶対どこか病んでるって)
状況が状況だけに、もし脈でも測られていたら寝たふりだとバレていたかもしれない。
実はローズマリアが様子を見に来る少し前に、キララの意識は戻っていた。
しかし、体にまったくと言っていいほど力が入らないので、周囲の様子を伺うことしかできなかったのだ。
(てっきり王子様のキスで目覚めるベタベタな展開かと思ったのに……)
扉の開く音を聞いた瞬間、察して寝たふりをしていた。
捻りのない展開ではあるが、される側になってみると案外悪くないものだ。
結果――そんなイベントは起きなかった。
でも命拾いした気がする……聞いたらまずそうな内容だったし。
静かになった室内で、改めて自分の置かれた状況を確認する。
外は明るいようだが、カーテンが締まっていて景色を見ることはできない。
起き上がることもできないので見える範囲は限られているものの、今のところ気になる点は他にはなかった。
監禁という可能性が思い浮かぶ。
そうなると色々と合点がいくのだ。
悪役令嬢カトレアの再登場!
さらに、もう一人いた悪役令嬢ローズマリア!?
助けを呼びたくてもそれができない可哀想なヒロイン……。
「ぅ…ぁ……」
試しに声を発してみるが、とても喋れる状態ではなかった。
(あー……なんか金縛りにでもあったみたい)
気怠さもあって気を抜くといくらでも眠れそうだ。
……さっきの会話と新展開のせいで目が覚めたけど。
(この展開だと私って何すりゃいいの)
おそらく一番好感度の高いキャラが助けに来る……うん、これがしっくりくる。
(……だとしたら私目を覚ますの早すぎじゃね?)
健康的な自分が憎い……身動き一つ取れないけど。
そもそも一体いつ私はやられたのだろう。
見慣れぬ天井を見つめ、一番新しい記憶を思い起こす。
(たしか式典で祝詞を読み上げて……)
神力の発動とふわふわとした感覚は覚えている。
その後――――ごそっと何かが体から抜けていくような感覚も……。
(……で、気付いたらここだもんね)
つまりあの瞬間、あの場にあったものが救世主拉致監禁の犯行に使われたに違いない。
(あの日変わったところなんてあったかな……)
変わったといえば、前日に祝詞の変更があったぐらいだ。
変更を伝えに来たのが下っ端なら怪しいかもしれないが……
(教皇が直接やってきたし、この線はないか)
私に何かがあると一番困るのはきっと教皇のはず。
後は……式典前は神官や聖騎士に囲まれてたのでこれといって外部との接触はなかった。
(そういえば聖騎士ってみんな顔知らないんだよね)
少数精鋭なのか、王国の騎士団に比べて人数が少ない。
その上無口で、必要最低限のことしか話してくれない者ばかりだ。
唯一顔を知っているのは聖騎士の団長なのだが、どこか冷たい印象があって苦手だった。
初めこそ多少なり話す機会はあったものの、悪役令嬢が犯罪奴隷に堕ちてから何となく気まずくてあまり顔を合わせていない。
(見た目だけなら渋いナイスミドル……もうちょっと若かったら攻略対象になっててもおかしくなかったよね)
悪役令嬢の父親が攻略対象という発想に、キララは妄想が捗る予感がした。
(酸いも甘いも知り尽くしたおじさまを攻略か。私は嫌だけどゲームとしてならプレイしたいかも――――)
どうせ何もできないのならと、妄想の世界に旅立つ瞬間――――コンコン、と室内にノックの音が響いた。
キララは緩みかけた口元を正す。
だが返事を待っているのか、すぐには扉は開かない。
すると、もう一度ノックの音が室内に響く。
「…れ? 部屋は……で間違ってない……だけど」
扉の向こうから微かに声がした。
先程の二人のやりとりもあって、心拍数が上がるのがわかる。
大丈夫……どうせ体は動かない。
寝たふりでどうとでもなるはずだ。
3度目のノックが聞こえた後、ガチャリと扉の開く音が聞こえた――――
「お邪魔しまーす……って、監視の人なんていないじゃん」
(こ、この声は……!)
聞き覚えのある声に、キララはつい瞼を開きそうになってしまう。
「あら、ホントですね。何かあったんでしょうか……」
(こっちは知らない声だ……)
後から聞こえた女性の声は聞き覚えがない。
しかし最初に聞こえたのは間違いなく――――エルリット王子の声だ。
(え? ホントにベタベタな展開きちゃった?)
このタイミングで現れる王子の役目なんて一つだけだろう。
きっと私を助けに来たに違いない。
(私ってばいつの間にか好感度上げちゃってたんだわ)
期待度が高まっていく。
一人余計なのがいるようだが、おそらくモブだろう。
「それでシルフィ、神力をどうすれば――――」
「口で説明すると難しいんですが――――」
二人の会話にキララは耳を傾ける。
といっても実際に動くことはできないので、意識を耳に集中した。
だからだろうか……とある部分が悲鳴を上げるのを、防ぐことができなかった――――
「ぐぅぅぅぅぅ……」
二人の声よりも大きな音で――――空腹を告げる音が鳴り響く。
(あっ……)
それが自分のお腹の音だと気づいた時にはすでに遅かった。
部屋には静寂が訪れる。
その理由を確認するかのように、恐る恐る瞼を開いた――――
「……おはよう…ございます?」
目が合ったエルリットは、とりあえず挨拶しておいた……。