184 老獪。
オルフェン王国の王城は、式典以降ずっと慌ただしかった。
その上、監視対象となった第1王子が乱心した後、脱走したと報告を受けて王も頭を抱えていた。
「クロード……馬鹿なことをしおって」
「陛下、心中お察し致します」
王に言葉を掛けつつも、教皇は上着の袖で口元を隠す。
言葉とは裏腹に笑みを抑えきれていなかった。
(始末できていればなお良かったのだが……まぁいい)
王子の存在は非常に厄介だ。
もし王の身に何かあった時、その権限を丸ごと得てしまう。
それが教会に対して協力的ではない存在であるなら放っておくわけにはいかない。
「教会でも見つけ次第、保護すると致しましょう」
無論捜索するのは教会の暗部だ。
発見した時には物言わぬ肉塊となっていることだろう。
仮に王子が生き延びたとしても、今王城を掌握できていればそれで良い。
問題があるとすれば、クレストが式典以降聖騎士を動かしていないことだ。
(あやつめ、この状況で傍観とは何を企んでいる)
聖騎士の戦力は、個々の力でいえば王国の騎士団より遥かに洗練されている。
この場で力を示せれば何かとスムーズに事を進めることができるのだが……。
(気にするほどでもないか……直に不要となる)
教皇は懐に、常にとある物を忍ばせていた。
これは魔神にとって救いであり呪いの品なのだ。
「それで陛下、かの国はどうするおつもりなのですかな」
「ふむ……魔神がまたいつ襲って来るともわからぬ以上、今しばらく返答を待つべきだとは思うが……」
王はチラリと目線で教皇の判断を仰ぐ。
魔神の襲来に備えつつ、エルラド王国に宣戦布告……勢いでそれができるほど王は浅慮ではなかった。
しかし教会が後ろ盾どころか矢面に立ってくれるなら話は変わる。
「……たしかエルラド王国にも教会支部があったな。そちらの状況はどうなのだ?」
「それは……神官たちの安否すらわからぬ状態で……」
教皇はグッと腕に力を込める。
教会に牙を剥いた隣国の王女たち……その国にある支部がどんな扱いを受けているか――――
(まぁ知ったことではないがの)
同じナーサティヤ教ではあるものの、あちらは派閥が違う。
表向きにはそれほど思想の違いがあるわけではないが、教皇の目的には不要な存在だった。
それでも嘘は言っていない。
言っていないが……言い方一つで印象とは変わるものだ。
「あまり悠長に構えてはいられんか……」
王の表情から迷いが消えていく。
正義とは勝手に寄り添ってくれるから便利なものだ。
そう……我々は被害者であり、先に愚行に走ったのはエルラド王国である。
「正義の鉄槌に、教会も微力ながらお力添え致しますぞ」
大義名分は与えた、民すら味方につけた戦争はもはや戦争ではない。
不敵な笑みを浮かべる教皇に、気付く者はいなかった……。
◇ ◇ ◇ ◇
リズは、メイに作ってもらった鞘に収まる聖剣をジッと眺めていた。
「本当はあの状態に慣れたほうがいいのだろうが……」
ここでそんなことをしてはすぐに居場所が知れることだろう。
かといって日課のランニングができるような場所でもない。
仕方なく聖剣を抜いて素振りをし始める。
「まさか予備用がメインになるとは」
ブルートノワールが砕けてしまった以上、この剣に慣れなければならない。
リズは、剣とは違う強さを見出したが、剣を捨てたわけではなかった。
もちろんそのことで懸念点もある。
(どちらも半端でしかないな)
そもそも、格闘技は母に教わった体術程度だ。
そして捨てきれない剣技……。
以前より可能性と手応えを感じているのに、不安も同様に濃くなっていく。
「……しかし神具というのも不便なものだな」
強力だがその扱いに困る。
もっと部分的に使えたら……と思ったところで素振りを止めた。
「……できないなんて誰も言ってないではないか」
可能性を狭めていたのは、蒼天のジェイクの鎧の印象があったからかもしれない。
少しだけ……ほんの少しだけ、聖剣を指先に纏うような感覚をイメージする。
すると、微かに剣先が砂塵となって指の近くを舞い始めた。
しかし形成までは至らない。
(そこまではイメージしていなかったな……)
ふぅ……とため息混じりに力を抜くと、砂塵は剣先に戻って行った。
「これは思った以上に……」
可能性の塊ではないか。
すぐに色々と試したくなって――――
「駄目ですよリズ」
気付けばエルリットが正面に立っていた。
私は思った以上に夢中になっていたらしい。
「な、何のことだ?」
「……さっき一瞬だけ使おうとしましたよね?」
エルにはバレていた。
普段はのほほんとした表情をしているのに、妙なところで鋭い。
「わかるのか……」
「それに神力注いだの僕ですからね」
その辺りの事はよくわからないが、当人にはわかってしまうようだ。
「むぅ……色々試してみたいのだが、今はその時を待つしかないのか」
あきらめて剣を鞘に納める。
すると、メイド服の少女がエルの肩に勢い良く乗っかって来た。
「鞘はどないやリズ、ええ感じやろ?」
「メイか、鞘自体はしっくりきてるぞ」
メイド服の裾で前が見えないのか、強制的に肩車をする形になったエルはあたふたしている。
「鞘自体はってどない意味や?」
「私の体格にこの剣は少し大きくてな」
重さは問題ではないが、体格に合わない剣は取り回しが制限される。
そうなると、自ずと攻撃が読まれやすくなってしまうわけだ。
「そういやムロが打った剣、砕けてもうたんやったな」
「ブルートノワール……気に入ってたんだがな」
あれほど手に馴染んだ剣は他にない。
せめて残骸を回収できていれば修復できたかもしれないが……。
「んー……リズ、ちょっち聖剣借りてええか?」
「それは構わないが……」
剣を手渡すと、ガクンとメイの目線が下がった。
というかエルが膝を付いた。
「ちょっ…重……肩が……」
辛そうに見えるが、魔力の流れを見る限り肉体強化は施しているようだ。
エルは時折大袈裟な表現をするから紛らわしい。
それよりもメイのほうだ。
もしかしてと思うが……
「……まさか打ち直せるのか?」
「いや、無理やな」
そもそも神具を弄ること自体おこがましいことかもしれないが、一瞬だけ期待してしまった。
「前の状態やったらいけたかもしれんけど、今はもう別もんやでコレ」
「そうか……」
たしかにこれは以前の聖剣とは別物だ。
武器と言うよりは兵器であり、生き物のようにも感じる。
「それの何がそない不満なんや?」
どうやら顔に出ていたらしい。
しかしこの剣そのものに不満があるわけではない。
「不満というか、普段使いするにはサイズがちょっとな……」
未だに剣への拘りがある辺り、私はやはり剣士なのだと実感する。
「ふーん……ほなアレで剣でも打ってみよか」
そう言ってメイは懐から黒い欠片を取り出した。
「どこかで見覚えがあるような……?」
金属のようではあるが、アダマンタイトのような重厚感はない。
だが妙な気配……何か不思議なものを感じる。
「交易都市カザールで廃品回収しながら一部拝借しておいたんや」
「あぁ、あの時の鐘か……」
たしかエルが魔法を弾くと言っていたな。
「しかし強度のほうはどうなんだ?」
「そら試してみんとわからんな」
リズは欠片を手に取る。
重さは通常の鉄と同程度で、やはり少し頼りない印象を受けた。
「ないよりマシ程度と思った方がいいか……」
決してリズに悪気があったわけではないが、その言葉はメイの職人魂に火をつける。
「ほー? そないな言葉聞くと少し燃えてくるわ」
まるで悪巧みでもしているかのようにメイは笑みを浮かべていた……。