178 お尋ね者になりました。
どこにでもいる町娘風の女は、露店で果物を選んでいた。
元々露店の多い地区は騒がしいのが常ではあるが、今日は一際周囲が騒がしい。
「今日は騒がしいわね」
「なんだ嬢ちゃん、号外見てないのかい?」
店主は近くの壁に張られた紙を指差した。
「見た……というか、至る所にばら撒かれてるじゃない」
「じゃあ知ってんだろ。みんな今朝からその話ばっかりさ」
隣国の王女による式典の妨害、さらには救世主誘拐となれば話題には事欠かないだろう。
「私たち平民が騒いだところで……って感じがするけど」
「まぁ気持ちはわかるよ、王族とか貴族なんか遠い世界のお話だしなぁ」
そこで店主はグッと体を前に出し小声になる。
「でも発言には気を付けたほうがいいぜ。王都は信心深いもんが多いからな」
たしかにただの世間話にしては、周囲の人間から少し苛立ちや殺気めいたものを感じる。
「なんで救世主様を……」
「そりゃ救世主様の力が目当てなんだろ」
「ナーサティヤ教に牙を向けるなんて信じられないわ」
「そんな欲深い国だったとはなぁ」
「帝国の次は俺らの番ってことかよ」
それはすでに噂話や世間話の域ではなかった。
「おじさんは違うんだ?」
「俺は最近王都で店開くようになったばかりだからな。祈ってる暇があったら一人でも多く客を呼び込んで……っと、俺も気を付けないとな」
周囲に視線を向けるが、こちらを気にしている者はいない。
文句は言いつつも、皆普段通りの生活を送るだけなのだろう。
それは教会に対する信頼なのか、あるいはただの平和ボケか……
「……ところでここ、ちくわは売ってないのね」
「嬢ちゃん冷やかしなら帰ってくれよ……」
本来指名手配とは、その国内でのみ有効なものだ。
だが国際指名手配は、国境を越えてお尋ね者となる。
本来他国の許可なく国際指名手配などできない。
それができるとしたら、どの国にも影響力のある存在……
「――つまりこの指名手配書は教会が……?」
「えぇ、しかもわざわざ号外で巻き散らすなんて金のかかることもね」
アンジェリカさんは自分の手配書を見てなんだか不服そうだった。
「なんか……私のほうはオマケっぽいわね。書かれてる情報も大したことないし」
「それに比べて僕の方は冒険者としてのことも書かれてますね……」
閃光のエルリットと同一人物だとはっきり書かれている。
性別は……わざわざ書いたりしないか。
(ふふっ、つまり僕は男らしい服装さえすれば堂々と街を歩けるわけだ)
僕はおもむろにローブを脱ぐ。
中に着ていたのは男物で、一般的な町民らしい服装といえるものだ。
「……それ男装のつもり?」
「え? いや……男装?」
それじゃまるで女性用が正装みたいじゃないか。
「エル、似合わんからやめとき」
メイさんまで……。
なんだか実家に帰ったら知らない人が住んでいた気分……。
「ふぅ……ただいま戻りました」
珍しくアゲハさんは扉を開けて入ってきた。
その服装は普段の忍び装束ではなく、町娘のような格好をしている。
「報告は今しても大丈夫でしょうか?」
アゲハさんがわざわざ確認したのは、今この部屋に全員揃っていないからだろう。
リズはまだ寝てるし、シルフィはキララさんの容態を見ている。
そして協力者であるローズマリアさんには、国境付近の情報を集めてもらっていた。
「問題ないわ、聞かせて頂戴」
アンジェリカさんがそう言うと、カトレアさんは紙とペンを用意した。
いつの間にか書記のようなポジションになっている。
「王都内にそれほど混乱は見られませんね。その理由としては、教会の信徒が多いから……でしょうか」
つまり皆あの号外新聞の内容をすんなり信じてしまっているわけか。
いっそのこと、賛否両論で混乱してくれたほうがまだ告発のチャンスがありそうだった。
「ただ、王都に来て日が浅い者ほど関心は薄いようです」
味方が増えるわけではないけど、敵意がないだけマシな存在だ。
「エルラド王国はどんな状況なんでしょうね」
「お父様にはそれとなくこっちの意図を伝えてあるから、多分準備だけはしてあると思うわ」
アンジェリカさんの言う準備というのは、おそらく戦争になる可能性を見越したものだろう。
さすがに教会の一存で開戦なんて考えたくないけど……帝国のことがあるからなぁ。
「問題はこれからどう動くかになるけど……ちょっと予想外のことがいくつかあるのよね」
そう言ってアンジェリカさんは自分の剣を取り出した。
「……あちこち刃こぼれしてますね」
「そうなのよ。聖騎士があそこまで強いとは思ってなかったわ」
王国の騎士団とはまるで別物だったらしい。
「それはウチが打ち直しといたるわ。でも……そういう問題やないんやろな」
剣を受け取り、メイさんはまじまじと眺めていた。
ここに鍛冶の設備はないけど、どうする気だろう……。
「後は……聖騎士団長のほうはどうだった? 直接戦闘にはなってないみたいだったけど」
聖騎士団長クレスト・モードレッド……結局彼の目的はよくわからなかった。
「掴みどころのない人でしたね……僕に神力を使わせたがってたのが何か不気味でした」
僕はチラッとカトレアさんの様子を確認した。
実の父親の話だが、特に気にしている様子はない。
親子揃って掴みどころがないな……。
「不気味なのは同感ね。ただ一番予想外だったのは魔神……というか教皇かしら」
「ですよね……聖騎士団長クレストの話だと、式典での教皇の狙いは――――」
式典で救世主から神力を搾取すること。
その生命力を糧に半永久的な寿命を得ているらしい。
それでいて最終的な目的には魔神ダスラの存在が不可欠らしいが……。
僕の話を聞いて、アンジェリカさんは何か考え込み始めた。
「神降ろしの神力が人の生命力ならそれも可能なのかしら……だとしたら、そこに魔神の力が何か関係してくる……?」
そもそも、あの場に魔神ダスラが現れたのははたして偶然なのか。
それとも何かに引かれてやってきたのか……。
「教皇が魔神ダスラをそれほど問題視してないのも気になりますよね」
むしろ歓迎してた気さえする。
魔神に傷を負わせるどころか、最終的に撤退を選ばせる何かが教皇にはあるんだ。
「力押しじゃないのなら魔神対策の何かがあるんでしょうけど……」
そこでアンジェリカさんは押し黙ってしまった。
代わりに、場違いで陽気な声が扉を開けて入って来た。
「おいおいおい、若いもんがみんな揃ってそんな暗い顔してちゃいかんぞぉ」
ロイドは客室こそ用意されてないが、特に追い出されはしなかったようだ。
でも昼間から酒臭いので正直追い出してほしい。
そんなことを考えていると、こちらを見て嫌な笑みを浮かべた。
「ねぇねぇ、人のこと指名手配犯扱いしといて自分も指名手配されるってどんな気持ち?」
年甲斐もなく楽しそうに僕の周囲で小躍りしている。
だが彼は気づいていなかった。
とある人物がジッと観察していることに……。
「はいはい、誠に遺憾です……ていうか髭剃ったんですね」
「おうよ、これで20は若く見えるだろ」
さすがにそこまで大きな変化は感じないが、清潔感はマシになった気がする。
「そういえばあの時使った煙幕と転移魔法らしきものって……」
「便利だろう? 転移魔法は魔道具だが、煙幕は昔知人の嫁さんに作ってもらった特注品…で……」
ロイドはメイさんと視線が合うと固まってしまった。
「んー……?」
顔を覗き込むメイさん。
それに対し、ロイドは露骨に顔を逸らす。
「さ……さーて、俺は雲でも眺めに……」
ロイドが退室しようとすると、メイさんは何かを思い出した。
「……あっ、迷子常習犯のロイド!」
同時に、ロイドは全速力で駆け出した――――
「くそっ! 髭剃るんじゃなかった!」
パッと見の印象を変えて活動しやすくするためだったが、おかげで余計な記憶を呼び起こしてしまった。
でも――今ならまだ逃げ出せる、昔の自分とは違うんだ!
そう思った矢先、足元からガクンと体が引っ張られた。
「なんだこれ……ワイヤー?」
「人の顔見て逃げ出すなんて、ちょっち失礼やあらへんか?」
ロイドの体は、巻き取られていくワイヤーになすすべなく、ずるずると引きずられていった……。
◇ ◇ ◇ ◇
エルラド王国とオルフェン王国の国境はすでに固く閉ざされており、何人たりともそこを通ることは許されない状況にあった。
「完全に封鎖されてるねぇ」
「やっぱりもっと早く動くべきだったんだよ」
Sランク冒険者であるヴィクトリアとヤマトも例外ではなく、引き返すことを余儀なくされていた。
――――ただし、それは二人だけだった場合である。
「わかりきってたことでしょ。ほら、準備出来たからさっさとしな」
二人のやや後方にいたルーンは、足元の魔法陣に魔力を流し始める。
その上にヴィクトリアは平然と乗るが、ヤマトは少し躊躇していた。
「これ……行き先はどこなんだ?」
「どこって、王都オルファリアスに決まってんじゃないのさ。でしょ、ルーン」
二人の問いに、ルーンは少し間を空けて答えた。
「…………感知されたら面倒だし、行き先はランダムで行くわよ」
「は……?」
異議を挟む余地すらなく、3人は魔法陣の光に包まれ姿を消した。