177 予定していた撤退。
最強の剣士でいてほしいという想いを込めたつもりだったが、リズの一撃は多分……拳だった。
(相変わらず規格外だなぁ……)
まぁ……拳士とも考えられるか。
元々素手で魔物に風穴開けるような人だったしな。
見た目に反して、より壊し屋らしくなったリズを見て少し呆れつつも、ホッと安堵していた。
残る問題は魔神と教皇か、と祭壇のほうへ意識を向ける。
……一瞬、我が目を疑った。
高笑いする教皇に、膝を付き血を流す魔神の姿がそこにはあった。
「ふははは、これが何なのかさすがにわかっておるようだな」
教皇の手には何かが握られている。
まさかこんな状況になるとは思ってもいなかった。
リズの方は決着がほぼついているようだが、アンジェリカさん達は未だ聖騎士に囲まれている。
(急がないとキララさんがまずいか……)
クレストは引くように提案してきているが、それも簡単にいくかどうか……。
「手を貸してやろうか?」
突如、逃げ遅れたらしき男性から声がかかる。
特に面識のある相手ではないはずだが……声は聞き覚えがあるような?
「俺だよ、ロイドだ」
男性が顔をベリッと剥がすと、見知った顔が現れた。
こんな変装の仕方ホントにあるんだな……。
「……ちょっとキモィ」
「ひでぇなおい」
とはいえ、ずっとこの場にいたのなら状況はわかっていそうだ。
「何か良い案でもあるんですか?」
「おうよ、逃げるのも逃がすのも得意だぜ」
指名手配犯の手を借りるのも癪だけど……味方が増えるのはありがたい。
「……僕はどうすれば?」
「そう来なくっちゃな」
すると、ロイドは何もない空間から何かを取り出した。
「お前さんはこれを持って壊し屋の嬢ちゃんのほうを頼む。聖騎士に囲まれてる3人は俺に任せな」
そう言って渡されたのは、こぶし大ほどの魔石だった。
リズのほうは大丈夫そうな気がするが……ここは指示に従っておいたほうが無難か。
「じゃあ俺が合図したら走れよ」
僕は無言で頷いた。
「3……2……1……走れ!」
合図と共に、リズの元へ駆け寄った。
背後で何か投げる音が聞こえると、周囲を煙が包み始める。
煙幕とはまた典型的な……。
「リズ、ここは一旦引きます」
僕は、てっきり不満そうな表情が返ってくると思っていた。
しかし、リズはこちらへと寄りかかる――
「そうか、すまん肩を貸してくれ……もう維持できそうにない」
体を支えると――リズの武装は元に戻り、聖剣が再び形成されていった。
特に外傷は見当たらないが、力無くぐったりとしている。
「今の私じゃ、長時間はきついようだ」
「ひょっとしてずっと無理を……」
支えるだけでは辛そうだったリズを背中に背負う。
「……以前と逆になったな」
「あの時は二人ともボロボロでしたけどね」
話すだけの元気があって少しホッとした。
周囲を煙幕が渦巻き始める。
しかし不思議と煙たい感じはしない。
手に持った魔石が熱を持ち、淡く光っている……ただの煙幕ではないようだ。
ふと、祭壇の方へ視線を向けると、魔神はふらふらと上空に退避し始めている。
その表情からは、怒りだけでなく何かに怯えているような印象を受けた。
「よっしゃ、飛ぶぜ!」
ロイドの声が聞こえると、視界は眩い光に包まれた――――
――――――
――――
――
「良かったのか逃がして」
「構わん、どの道魔神はまたワシの元へ姿を現すことになる」
教皇は懐に何かを仕舞っていた。
クレストもそれが何なのかは知らない。
(魔神の攻撃を反射しているようにも見えたが……)
興味がないと言えば嘘になるが、今はそれよりも心躍る収穫があった。
「どうだジェイク、神剣の使い手を相手にした気分は」
「神剣……ですって?」
武装を解除し、ジェイクは辛そうに立ち上がる。
「元はただの聖剣だがな」
「元って……じゃあ今は神具だっていうの?」
神具とは古代遺物であり、そこに人の手が介入する余地などないはずだ。
「聖剣は過去に教会が作ったものだ。同じ手法で作った魔神の力と相性がいいのも頷ける」
どちらも多くの犠牲によって生まれた、生命力の塊のような存在である。
しかしまだ神具となるには足りないだろう。
「極めつけは……あの神力だろうな」
神具を人の手で作ることはまず不可能……だがそれが真に神の力であったなら――――
「ふふふっ、あとは舞台を整えるだけだ」
不敵な笑みを浮かべるクレストを見て、ジェイクは何か嫌な予感がしていた……。
◇ ◇ ◇ ◇
光が収まると、そこは見知らぬ部屋だった。
格式高い印象はあるが、僕の住む屋敷でもない。
それにこの感覚は、転移魔法で飛んだ時と似ている。
「一体ここは……?」
「逃走ルートの一つだけど……なんでこの男がそれを知ってるのよ」
僕やリズと同様に転移してきたのか、アンジェリカさんはロイドを睨みつけていた。
「いやなに、俺には俺の情報網があるんだよ」
ロイドは少し得意気だった。
何にせよ、元々予定していた場所なら問題はなさそうだ。
それにしても逃走ルートか……これでもう教会を敵に回したのは確実なんだろうな。
「っと、それよりキララさんの容態は……?」
シルフィは背負っていたキララさんをソファに寝かせていた。
「応急処置はしたので何とか安定はしましたが……あまりよくないですね」
たしかに呼吸は落ち着いているが顔色は悪い。
彼女の生命力はほとんど神降ろしに持って行かれたようだ。
その力で教皇は――――
「お、カトレア嬢の言う通りやったな。この屋敷で正解やったみたいや」
突如開かれた扉から、見知ったチビメイドが現れた。
その後ろにはカトレアさんの姿もある。
「えっと、メイさんがここにいるってことは……」
「あの屋敷にはもう戻れないわよ。こうなると思って他のメイドたちはすでに帰してあるし」
僕らが式典に出発した後、屋敷はすでにもぬけの殻にしていたらしい。
アンジェリカさんにとってこの展開は予想通りだったのか……。
「それで、ここはどこなんです?」
カーテンは……開けない方がいいんだろうな。
「ここはフォン家の屋敷です。みなさん予定より早かったですね」
そう言って現れたのはローズマリアさんだった。
なるほど……部屋が格式高く感じたのはそういうことか。
「予定外の協力者が現れたからね。楽に撤退できたのは助かったけど、協力してくれるなら事前に言っておいてほしかったわ」
アンジェリカさんはジロッとロイドを睨みつけた。
僕もアンジェリカさんに逃走ルートとか聞かされてないんだけど……それを言ったら怒られそうだからやめとこう。
何かとやらかした事後処理を任せてしまっているので頭が上がらない。
「ここぞという場面で颯爽と現れるからかっこいいんじゃねぇか」
ロイドはやはり得意気だった。
でも……その美意識はちょっとわかる。
「はぁ……とりあえず今は休みたいわ。本当に大変なのはこれからでしょうし」
「ふふっ、では客室にご案内しますね。ただ……キララさんだけは監視を付けさせてもらいますが」
サッと数名のメイドがキララさんを抱き抱えていく。
一瞬、ローズマリアさんの視線が鋭くなった気がした。
「エルリット様もどうぞこちらへ」
……気のせいか、いつもニコニコ笑顔のローズマリアさんだ。
「僕よりリズを先に休ませてあげたいです」
何せすでに背中からは寝息が聞こえている。
それでいて体が熱い……無自覚なのかもしれないけど、恐ろしい速度で回復しようとしているようだ。
「おい閃光」
部屋を出ようとすると、ロイドから声がかかる。
「……なんですか指名手配のロイドさん」
「なんか棘あるな……まぁそれはいいや。おそらく状況が大きく変わるのは明日の朝だ、覚悟しておけよ」
そう言ってロイドはニッと笑った。
多分僕のことを思って忠告してくれているんだろうけど……何かむかつく。
「……ローズマリアさん、あの人の部屋はなくてもいいですよ」
むしろ憲兵に突き出しておいてほしい。
大金が手に入るよ。
「ひでぇ……協力したのに」
それはそうなのだが、どうにも胡散臭いおっさんという印象が定着してしまった。
一応助けてくれたのだし、邪険にする必要はなかったか……。
「大丈夫です。元から用意しておりませんので」
「えっ……」
笑顔のローズマリアさんに、ロイドは真顔で固まっていた。
………………
…………
……
翌朝、たしかに状況は大きく変わった。
――号外! ――――号外だよ!
王都オルファリアスの早朝、気前良く新聞が飛び交っていた。
それは採算度外視で、誰でも目にすることができる。
「珍しいな、チリ紙だってタダじゃねぇってのに」
ただ通りすがっただけの男は、石畳に落ちている新聞を拾い上げる。
そして納得した。
たしかにこれは採算度外視でも大量に刷るべきだろう。
「国際指名手配……隣国の姫君、アンジェリカ第1王女……それにエルリット第2王女か」