176 形勢逆転。
エルラド王国、王都エルヴィンの外壁の上で、剣神ヤマトは毎日のように黄昏ていた――――
「リズからもう何か月も手紙がない……これは何かあったのではないだろうか」
今にも西に向かって走り出しそうな背中を、ヴィクトリアはギュッと抓る。
「いってぇっ!」
「馬鹿なこと考えてんじゃないだろうね。大体リズがあんた宛てに手紙なんて今まで一度もないだろうに」
ヴィクトリアでさえ、そんなもの受け取ったことはない。
そもそも手紙を書くリズなんて想像すらできなかった。
「たしかに……もらったことない……」
結局落ち込んでいた。
「ま、心配なのはわかるけどね。教会絡みだとあいつがいるし」
「それなんだよなぁ」
二人は同じ人物を頭に思い浮かべる。
「……仮に敵対したとして、リズに勝ち目は?」
「現時点では無理だな」
ヤマトは断言した。
「剣士は急に強くはなれない」
これは自身が努力を怠らないための言葉でもある。
「そりゃ剣士に限った話じゃないだろ」
「まぁな、だがそれはあくまで同じ道を進むのならの話だ」
ヤマトは静かに刀を抜いた。
「人は違う可能性を見出した時、強くなるのではなく化けることがある。俺が刀に出会ったようにな」
昔は無駄に大きな両手剣を使っていたものだと、ヤマトは感傷に浸る。
「まぁ【循環】もその一つだしね……まさか子供ながらにして会得するとは思わなかったけど」
「あれは焦ったなぁ……でもその後の記憶が俺全然ないんだけど……なんか知ってる?」
ヴィクトリアは目を逸らす。
秘伝書の保管場所を聞いた後、頭に血がのぼってついつい殴りすぎたのを思い出した。
「ま、まぁそれは別にいいじゃないのさ。要するに、あの子も何かのきっかけで化ける可能性があるわけだろ」
すでに化けた後だと言われても十分な強さはあるだろう。
自分がリズと同じ歳だった頃を思い出しても、すでに上をいっている。
「言うのは簡単だが、下手すればそれまでの自分を否定することも必要になってくる」
「……そういやあの子、刀には一度も興味示さなかったね」
大雑把にまとめるなら同じ剣なのかもしれないが、なぜかリズは直剣にこだわっていた。
「ああ見えて視野が狭いというか、これだと思った道を突き進むタイプだからなぁ」
「誰に似たんだろうねぇ……」
二人はお互いを見た。
答えは違うが同じようなことを考えたらしい。
「はぁ……まぁ私は別に、化けなくても元気でいてくれりゃそれでいいけどね」
「俺だってそうだよ。けど……もしあいつと一戦交えるのなら……あぁやっぱり心配だ!」
ヤマトは再び不安に駆られ悶え始めた。
ヴィクトリアも心配なのは同じだが……
(ま、今のあの子は一人じゃないし、大丈夫だろうさ)
リズが認めた相棒を信じてみることにした。
「ん……?」
ヴィクトリアは背負っていた斧槍に、僅かな異変を感じ取った。
「テスタロッサが――反応している?」
◇ ◇ ◇ ◇
聖剣は生地のように解け、リズを包み込んでいく。
黒を基調としていた鎧が、塗り替えられるように白く染まっていった――
「まさかグランテピエと同じ神具だっていうの……?」
しかしジェイクの心配とは裏腹に、リズの武具はさほど変化は大きくなかった。
そこに気づくと余裕の笑みを浮かべる。
「これは……ふふっ、紛い物ね。主人を守る鎧がそれじゃあ貧弱だわ」
リズの鎧は、ジェイクのような甲冑ではなく軽鎧のままである。
ただ純白のケープが増えているが、その程度の変化では神具と呼ぶに値しなかった。
しかし、剣だけはすっきりとした直剣に変化していて、要注意だと感じている。
「神具ってのはね、攻防一体の完全無欠な武具なのよ――ッ!」
蒼天の青いオーラを纏い、ジェイクはリズへ神速の突きを――
――放ったはずだった。
腕が……動かない。
ジェイクは生唾を飲み、自由の利かない腕へと視線を向ける。
赤髪の剣士が……腕を軽く掴んでいた。
「完全無欠……それがお前の槍の理か?」
冷たい目で見るリズに、ジェイクは一瞬背筋が凍る。
だから……意地になって振り払った。
「くっ、ちょっと速くなったぐらいで調子に乗らないことね!」
速くなった……?
それは違うとジェイクもわかっている。
魔神の力を使っていた先程とそれほど変わったとは思えない。
ただそこに――繊細さが加わったような気がした。
リズは振り払われた手を見て、構えもせずジェイクに向き直る。
「……いや、完全無欠はありえないな……攻防一体のほうか」
「そうよ! 傷一つ許さない鎧に、神にさえ届く槍! それこそが私の……」
声を荒げるジェイクだったが、あるものを見て絶句した。
鎧が――――指の形に凹んでいたのだ。
「……は?」
そっと指でなぞると、そこにはたしかな窪みができていた。
鎧はすぐに元の形状へと戻るが、わなわなと震え始め怒りを露にする。
「許さないわ……一時とはいえ、私の鎧に傷をつけたこと」
「そんなに大事なら金庫にでもしまっておくんだな」
ブチッと何か切れる音がする。
もはやジェイクは限界だった――――
「小娘がぁぁぁぁぁッ!」
叫び声を上げながら、ジェイクは大きく槍を振りかぶる。
それまでの攻防と違いあまりにも隙だらけだが、リズはその場から動こうともしなかった。
大きな溜めによる一撃は――――ジェイクの手を離れる。
そこからは一瞬だった。
放たれたグランテピエは、薙ぎ払うリズの剣と眩い光を生む。
「は…はは……何よ、やっぱり紛い物じゃない」
ガラスが割れるような音がすると、ジェイクは口元を歪めた。
そして次に――――顔が大きく歪むことになった。
鈍器で殴られたような衝撃に兜は砕け、受け身もとれないまま地面へと叩きつけられる。
視界は弾け、何が起こったのかすぐには理解できなかった。
そこへゆっくりとリズは近づいていく。
「ずっと疑問だったんだ……剣より速いものがいくらでもあるのなら、それを超えるにはどうすればいいのか」
その足は倒れたジェイクの前で止まる。
「己が自身を剣とすべし――――これが答えだ」
リズは血で赤く染まった拳を突き出した。
いつの間にか、剣士より格闘家が使いそうなガントレットを装着している。
そうか……あれは自分の返り血なのかと、そこで初めて理解した。
「じゃあ…ゴフッ……あの剣はなんだったのよ」
「あぁ、それならここにあるが」
コンコン、とリズはガントレットをつついた。
要するにただ殴っただけじゃないか、とジェイクは口に仕掛けたところでやめた。
もしそんなことを口にすれば、次は手刀が飛んでくるかもしれない。
そうなれば……おそらく首が飛ぶ。
「剣士が神具で格闘家に化けるなんて……予想できるわけないじゃない」
ジェイクはのそりと起き上がる。
(たった一発で足にきてる……)
しかしおかげで頭が冷えた。
状況は最悪だ……目の前の相手は、こちらが立ち上がっても構えすらしない。
それが驕りじゃないのだから困る。
認めよう――――目の前の相手は私より格上だ。
正確には、格上に成ったというべきか。
悔しいがあの神具は自身の知るそれとは何か違う。
(ヤマト、ヴィクトリア……良いとこ取りしたような娘だね)
初め見た時は若き日のヤマトに似ていると思ったが、今はヴィクトリアを彷彿とさせる。
戦い方が正にそれだ。
「……グランテピエ」
ぼそりと呟くと、ジェイクの元へ槍が戻る。
先程の一撃……そもそも手応えがなかった。
それは防がれたのではなく、回避されたことを意味している。
(つまり……効かないわけじゃないんでしょ)
鼻は砕け、鎧は砂埃に塗れているが……まだ私は戦える。
せめて――――最後まで気高くあろうじゃないの。
「――そこまでだな」
ジェイクが再び槍を構えようとしたところで、クレストがそれを抑えていた。
「……邪魔するの?」
「時間切れだ、王国の騎士団もそこまで無能ではない」
遠くからそれらしき声が聞こえてくる。
ここまで到着するのも時間の問題だろう。
「そちらも引いてはくれないか? それがお互いの為だと思うぞ。あちらの状況も変わったようだしな」
クレストの視線は祭壇へと向く。
そこには高笑いする教皇と、膝を付き血を流す魔神の姿があった……。