175 私の道。
「いいかリズ、剣ってのは一番普及してる武器だが、一番強いわけじゃない。それでも父さんはこの道で最強を目指した……なぜだかわかるか?」
「生後半年の赤ん坊に何を言ってんだか」
何を言っているのか理解はしていないが、何かを語るヤマトと呆れるヴィクトリア……それが最も古い記憶だった。
その後、物心ついたころには剣の道を歩み始める。
そこに疑問を抱いたこともなく、ただひたすらに剣を振った。
少女時代、同じ歳の少年に告白されたこともある。
「す……好きです!」
しかし当時のリズに、恋などという言葉は存在すらしていなかった。
「そうか……で?」
「え、いや……だから、付き合ってほしいなぁなんて……」
リズは少年の首元に手刀を突きつけた。
「これで満足か?」
「ぴょっ……」
少年は幼いながらも死を意識させられたのだろう。
腰が抜けその場で泣き始めてしまった。
そんな話を聞かされれば、さすがの父も娘の将来が心配になった。
「恋……? それが一体どう剣の道に関わってくると……?」
当の本人はキョトンとしているが……さて、どう説き伏せたものか。
これは自分が剣の話ばかりしたのが問題だったのかもしれない。
ヤマトはそう反省するしかなかった。
「あのなぁ、俺と母さんが恋をしたから、リズが産まれたんだぞ?」
「しかし父上、あれは生き物として弱すぎる」
リズはもはや少年をあれ呼ばわりしていた。
これは父として怒らなければならない日が来たのかもしれない。
告白してきた子はまだ純粋な年頃だ、さぞ勇気を振り絞って…………
「……たしかに、うちのリズには相応しくないな!」
ヤマトは親バカだった。
リズに騎士団へ入ると聞かされ、少しホッとした。
この子の剣は、自分と同じで強い個である。
てっきり孤独な道を進んでしまうのではないかと思っていた。
その心配は杞憂だったらしい。
ならば、娘が巣立つ前にこの言葉を贈ろう――――
力に頼ることなかれ――力に頼れば、いずれより力の強い者に敗れることになる。
速さに驕ることなかれ――剣より速いものはいくらでもある、己より上がいると知れ。
技を過信することなかれ――絶対などない、信じるべきはそれを磨いた日々である。
つまりは『剣の道に近道無し』ということだ。
どうか慢心しないでほしい。
この子はきっと、自分より強く成る。
………………
…………
……
何合切り結んだだろうか――――
ここまで正面から剣を受けられたのは初めてである。
父でさえ受け流す剣を、目の前の敵は全て受け止めているのだ。
斬るという概念に――――ことごとく矛盾を突きつけられていた。
リズの顔に焦りが見え始める。
自分は急に強くなれたりなどしない。
これは敵わぬ相手なのだと、納得するしかなかった。
だから、今放てる最高の斬撃を…………何度放っただろうか。
徐々に攻撃の頻度は減り、防戦一方になっていく。
致命的な一撃こそないものの、リズの体力は確実に削られていった……。
ここまでか――――と剣が折れると同時に心も折れかける。
悔しい……絶望的な差があるわけでもないのに、それを覆せなかった。
「あなたを侮っていたこと、謝罪するわ」
蒼天のジェイクは、すでに意識が途切れかけていたリズに、そう語り掛けた。
「あなたの剣は努力の剣。あと10年……いえ、ひょっとしたら5年で私は追いつかれていたかもしれない」
そうだ……私は急に強くはなれない。
だから――――届かなかった。
前のめりに倒れた体は敗北を意味していた。
相手の方が上だった。
わかっている……それはわかっているのに――――
――相手が誰であれ、負けるのはやはり悔しい。
剣の道に近道無し……大層立派な言葉だ。
でも今の私には、言い訳としか思えなかった。
今この瞬間に強くならなければ――――私は私を許せなくなる。
先人の教えを自分に当てはめるな。
超越をもって全てに応えろ――――
リズの肉体が――褐色に染まり始める。
体内で暴れようとする魔力の存在はお誂え向きだった。
しかし頼るわけでも、身を任せるわけでもない。
――――捻じ伏せ、循環させる。
体は熱いが、頭はすっきりしていた。
なんだか憑き物が取れたようだ。
大丈夫……まだ立ち上がれる。
だからエル……そんな心配そうな顔をするな――――
「リズ――ッ!」
一度止めた足だったが、立ち上がろうとするリズへたまらず駆け寄った。
肩を貸そうと体に触れると、驚くほど熱い……が、それも徐々に治まっていく。
「問題ない、私はまだ……戦える」
「リズ……」
気付けば満身創痍に見えた体も、傷が全て塞がっている。
それを見た僕はホッとしたが、クレストは歓喜に震えていた。
「素晴らしい、あれを自分のものにしたのか……」
「クレスト……あんた余計なことしてくれたわね」
まだ構えすらしていないリズに向かって、ジェイクは槍を向けた。
僕はリズの前に立とうとするも、肩を掴まれる。
「リズ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫だ……むしろここで引いたら私は絶対に後悔する」
リズは折れた魔剣の代わりに、精霊女王にもらった聖剣デュランダーナを取り出した。
何の魔力もない、ただひたすらに重くて頑丈な剣という話だったが……
「わかりました……でもこれぐらいはさせてください」
なんとなく――この剣なら大丈夫な気がする。
魔力を物に流す要領で、神力を聖剣に流し込んだ。
(リズの倒れるところは見たくない)
彼女はいつだって最強の剣士でいてほしい――――
「これは……なんだか守られてる気がするな」
リズはジェイクに向かって剣を構えた。
「ねぇ、クレスト。あの神力だけど……」
「いいのかジェイク、集中せねばお前とて死ぬぞ」
クレストがそう警告すると、ジェイクの姿がフッと消える。
遅れて、周囲を衝撃波が襲った。
音も――衝撃も――――全て遅れて耳に入る。
この場に、二人の姿を肉眼で捉えられている者がどれだけいるだろうか。
おそらく見えているであろうクレストは、至る所で空間が破裂する上空を眺めた。
「聖剣とはそういうことか……」
パワー、スピード、どちらもリズが圧倒している。
しかし一方的な戦いにはなっていなかった。
(まるで暴れ馬ね、今はまだ辛うじて凌げてるけど……)
ジェイクは嫌な予感に駆られ始める。
それに引き換え、徐々に剣の軌道が繊細になっていくリズ。
戦いの中で、魔神の力に慣れ始めていた。
しかし、何か気になることがあったのか、リズの猛撃が一旦止まる。
「……思ったより残念だな」
これでは、今までの自分の延長線上にある強さではないか……とリズは少しガッカリする。
求めるものは道の先ではなく、それに抗えるものだと……。
それに問題はこの聖剣だ。
リズはシンプルな直剣を好むが、聖剣は両手で使うことを前提とした大剣に近い。
これでは小回りが利かないので、自然と技も限られてくる。
「魔神の力に不満があるって、随分贅沢な悩みね」
ジェイクは一定の間合いを保ったままそんな皮肉を口にした。
「魔神の力……にしては随分現実的なものだな」
そう言って、リズは祭壇の方へ視線を向ける。
そこには本物の魔神の姿があった。
「あれは深い憎しみの力だ。こんな強い生命力の力とは根本的に違う」
リズは正面に聖剣を構える。
どちらかといえば、今この剣に流れる神力のほうが頼もしい。
それこそ、この身を任せたくなるような……
「……それも一興だな」
体内で循環していた魔力から、魔神の力を切り離す。
すでに屈服させていたこともあって、それはすんなりと聖剣へ流れリズの肌も元に戻っていった。
するとジェイクは、自身の手にある槍の異変に気付く。
「グランテピエが反応している……?」
それはまるで、主人へ警告しているかのように――――
「まさか――ッ!?」
リズは聖剣を上空へ掲げる。
今自分の手にしているものを、なんとなく理解していた。
「――――本当の姿を見せてみろ、デュランダーナ!」
リズの声に応えるように、聖剣は生地のように解けていった――――