174 魔神到来。
(あれ……? 私何してたんだっけ?)
祝詞を読み上げていたはずのキララは、気が付けば光に包まれていた。
(暖かい光……なんだか眠くなってきちゃった)
体から何かが吸い上げられるような感覚に、意識は徐々に朧気になっていく。
そんな中、今日という晴れ舞台の自分を見て欲しい人物が視界に映る。
(あ……エルリット王子だ……白い髪に黒いドレス、似合ってるなぁ……)
もう少し目に焼き付けておきたいが、瞼が段々と重くなる。
こんなところで寝たらまずいと思いつつも、ふわふわとした浮遊感がどこか心地よかった……。
………………
…………
……
「おぉ……溢れんばかりの神力じゃ」
気を失ったまま浮遊するキララに、教皇は手を差し伸べた。
傍から見れば、これも式典の流れなのかと思うほどに神秘的な光景だが、神力を扱う者には何が起こっているのかわかる。
(キララさんの神力が教皇の体に……)
力強い神力をその身に宿し始める教皇。
それに引き換え、キララさんの顔は青白く……生気がなくなっていく。
『あれはね……生命力を代償に強大な神力を作り出しているだけさ』
アイギスさんの言葉が脳裏をよぎる。
「止めないとキララさんが危ない……!」
なりふり構っていられない僕は、射線上にいる参加者を避けるためにサッと空中に飛翔しレイバレット放った――――
――が、甲高い金属音が鳴り響く。
「また会ったわね閃光……今度は戦う理由があるみたいね」
蒼天のジェイクが、神具を身に纏い教皇との射線上に立っていた。
あぁまずい……時間がないのに。
こちらも神力を解放して――
――その時、力ある者は空を見上げた。
その圧倒的な存在感は、強力な死のイメージを抱かせる。
震えが止まらない者……膝を付き絶望する者……剣を抜く者……。
しかし、力なき者はただただその存在を見上げるだけだった。
「なんだあれは……」
「式典はどうなったのだ?」
「演出か何かか?」
本来であれば彼らは避難させるべきだろうが、聖騎士の取った行動は違った。
剣を抜き、戦闘態勢に入る。
そんな中――どこからか男性の声が響き渡った。
「魔神だ! 魔神が出たぞ! 皆逃げろッ!」
その直後、大地が小刻みに揺れ始める。
(でもこれは……)
おそらく魔神の力ではない。
しかし効果はあったようだ。
事態が飲み込めていなかった者は、悲鳴を上げ我先にと駆け始めた。
「雲行きが怪しくなってきたな」
「えぇ、アンジェリカ様の予想が当たったと考えるべきでしょうか」
クロード殿下とローズマリアもそれに紛れ会場を後にする。
逃げ出す者が祭壇に背を向ける中、教皇は歓喜に震えていた。
「この日を……この日をどれだけ待ちわびたことか」
足元には、神力の光を失ったキララが倒れている。
だがすでに教皇にとっては用済みだった。
「どうした魔神ダスラよ。お主の力を見せるがいい」
「……」
魔神は何も答えないが、今までのような無機質な表情とは違った。
教皇に対して、あきらかな殺意を感じる。
そんな中、一瞬だけ僕のほうを見たような気がした。
まるで何か意図を伝えようと……
「……シルフィとアンジェリカさんはキララさんをお願いします」
二人は無言で頷くと、祭壇に転がるキララさんの体を引きずり下ろした。
シルフィはすぐに脈を確認する。
「……まだ息があります!」
少しホッとしたのも束の間――――聖騎士数人が二人を取り囲む。
アンジェリカは、太腿に取り付けておいたマジックポーチから剣を取り出した。
「どうやら彼女が生きてちゃ都合悪いみたいね」
抗戦の意思を示してはいるが、アンジェリカの意識は逃走ルートに向いていた。
あまりにも分の悪い戦いな上に、蒼天の槍が向けられる。
「どうせ虫の息だし逃がしてあげてもいいんだけど、死体を処理できないのも困るのよねぇ」
ジェイクの速さは手に負えるものではない。
こちらから先に動かないと……
「あなたの相手は――
「――私だッ!」
僕の言葉を奪うように、リズが目の前を横切った。
――その直後、鈍い金属音が火花を散らす。
「あら、今度は壊し屋が相手なの?」
ジェイクはリズの剣を軽く槍で受け止めていた。
「不満か?」
「……少しね!」
ジェイクは剣を払い、肩からリズへ突進した。
「――ぐッ!」
リズは大地を抉りながらもそれを塞き止める。
「へぇ、手加減したつもりはないけど……やるじゃない」
二人の会話はそこで終わりを告げる。
その後は――――幾度となく赤と青の流星が鈍い金属音を奏で続けた。
(加勢するべきか……)
それとも教皇と魔神の間に割って入るべきか……。
「――どうしたんだ? 早く神力を解放したまえ」
突然背後から声がして、咄嗟に距離を取る。
またも同じ人間に背後を取られてしまった……。
「……モードレッド公爵、あなたたちは一体何をしようとしているんですか」
クレスト・モードレッド……この状況で剣すら抜いておらず、どこか余裕を感じさせる。
それに、最初声をかけてきた紳士的な態度とはまた違っていた。
「ふむ、あなたたち……というのは少し語弊があるな。私と教皇の目的はそもそも違う」
隙をついて祭壇のほうに向かうべきかとも考えるが、目の前の男から視線を逸らすことに脳が警鐘を鳴らす。
今下手に動くことを、体が拒絶していた。
「あの死にぞこないの目的はただ神力をかき集めること……そうやって生を繋いでいるのだ」
「生を……繋ぐ?」
神力といえど、神降ろしの力は正確には創造神の力ではない。
元は人の生命力……
「……まさか!?」
「そのまさかだよ、私もアレがいつの時代の人間かわからぬからな」
クレストは、魔神と対峙する教皇の方を向くと話を続けた。
「まぁ、本当の目的は魔神の力にあるようだが……」
魔神が軽く手をかざすと、教皇は黒い雷に撃たれ地に伏した。
「んぐッ……! こ…これは全ての封印が……解かれたと見ていいようだな……ぐふっ」
血反吐を吐きつつもどこか満足そうな顔をしている。
何か不気味だが、これは分かり切っていた結果だ……今の魔神からは以前より圧倒的な力を感じる。
にも拘わらず、クレストは何も行動に出る様子がない。
「……向こうに手を貸さなくていいんですか?」
「言っただろう……私には別の目的がある」
そう言うと、クレストは首のない女神像を取り出した。
「邪神像……?」
「そう呼ばれているようだな。これは神降ろしの神力を呪術で封じた物だよ。救世主のそれとは比較にならんほど脆弱だがね」
呪術という言葉に僕が反応すると、クレストは笑みを浮かべた。
「人の身でこれを取り込むとほとんどの者は適応できず死に至る。だが時折適合する者がいる……例えばワーミィとかね」
ワーミィは僕がトドメを刺す前に絶命した呪術士だ。
彼の口から彼女の名前が出たということは……
「じゃあ彼女を始末したのは……」
「私だよ。余計なことを口にされては困るからね」
クレストは邪神像をこちらの足元に投げた。
「他の用途にも使ったが、これが最後の一つだ」
「渡されても困りますけど……」
念のため拾って浄化する。
今までいろんな場所で見かけたが、どうにも用途が統一されてる気がしない。
どちらかというと、何か試していたような印象がある。
「それで、結局あなたの目的は何なんですか」
「そうだな……ちょうどそれの究極とも呼べる物の実験結果が出るところだ」
クレストの視線は祭壇ではなく、リズとジェイクの戦いへと向く。
――否、戦いはすでに終わっていた。
「――リズッ!」
その呼び掛けに返事はなく、リズは折れた魔剣と共に力なく倒れた。
僕はクレストへの警戒を解き駆け寄るが、魔神に近い気配を感じ足を止める。
「この力は……」
どこかで感じたことがある……そうだ、遺跡の核を取り込んだアンジェリカさんの時と似ている。
のそりとリズは身を起こすが、まるでこちらは見ていない。
そして……肌が褐色へと変化していった――――
「これは……魔神化?」
リズは声にならない雄叫びをあげた。
まるで、人の身に収まりきらない魔力を発散するかのように……。